深夜のレモンシャーベット【α】
今日は篠原紀伊の番外編です。
「はぁ……疲れた」
そう呟いて小さな冷凍庫を開ける。その中には大量に買いだめられたレモンシャーベットがぎっしりと敷き詰められていた。一日の終わりにこの買いだめされた氷菓を頬張るのが新任教師、篠原紀伊の楽しみであった。
ペリッとカップから蓋を外し、シャクシャクという音を立てながらスプーンで少し砕く紀伊の顔は日中見せた厳格な表情とは似ても似つかない、しかしその小学生と間違えられてもおかしくはないその容姿にはぴったりなものだった。しかも格好は黄色いパジャマといういかにもお子様な部屋着だ。
少し崩れたレモンシャーベットをスプーンで掬い、口元まで運んだその時、インターホンが鳴った。彼女はスプーンの上で溶けかけているシャーベットをいじましく見たが、スプーンを置いてインターホンの方へ向かう。
「どちら様ですか?」
インターホンのカメラには誰も写っていない。いたずらということにしてレモンシャーベットにありつくという選択肢もあったが、そこで適当になりきれないのが篠原紀伊という人間であった。仕方なく玄関まで歩いていき、ドアを開ける。
誰もいない。紀伊はむすっという顔をしてから振り返ってドアを後ろ手に閉めようとする。しかしその瞬間。
「せいっ!」
威勢のいい掛け声と閉まりかけたドアの隙間から紀伊の脇腹めがけて手刀が伸びてくる。
「不意を突けば勝てるとでも思ったのか? 柊」
手刀を顔も向けずに片手で受け止めた紀伊は昼間と同じ厳格な口調で静かに言った。すると柊と呼ばれた人物が答えた。
「いやはや、ほんまにお見事どすなぁ。紀伊ちゃんには勝てへんわぁ」
京言葉で話すその女性はドアをこじ開けようとする。ところが紀伊は女性を外に押しやると鍵をかけた。
「帰れ、馬鹿者が」
「かなんな、そないに邪険にせんでおくれやす」
「うるさい、帰れ」
「レモンシャーベットいらへんの?」
「うっ……」
「有名老舗店のレモンシャーベットどすえ?」
すると紀伊はドアを開けた。
「……五分だ」
「おおきに。ほんま紀伊ちゃんはレモンシャーベットに目がないなぁ」
「……二分」
「堪忍、堪忍。冗談やないのぉ。そないに怒らんといてや」
ニコニコとしながら柊は紀伊の部屋へと入っていく。
「で、なんの用だ? こんな深夜にいきなり押しかけてくるなんて非常識だぞ」
「ええやないの。うちも紀伊ちゃんも無事に教職に就けたさかい、一緒にお祝いしよか思ったんや。お酒の一杯二杯付き合うてくれたってええやないの」
「じゃあ一杯飲んでレモンシャーベットを置いたらすぐ帰れ。お前明日早番だろう」
「平気、平気、うち早起きものすごう得意なんや」
「あぁ、はいはいそうですか」
「もぅ、紀伊ちゃん冷たすぎやぁ」
紀伊は小学生さながらの体型をしている自分とは正反対のモデルのようなプロポーションを持つ柊を恨めしそうに睨む。
「どないしたん? そない怖い顔して。かいらし顔が台無しどすえ」
「うるさいぞ。その盛り過ぎた髪型をどうにかしろと言いたかっただけだ」
イライラしながら紀伊は答えた。柊は和服を着るときに若い女性がよくするような髪型を日常でも続けているのだ。ただその体型もあって、なんの違和感も感じさせないほど似合っていることも紀伊を余計に苛立たせる。
「ええやん。うち、この髪型ごっつう気に入っとるんや。学園長はんも何も言うとらんかったし、ええやんかぁ」
柊はビニール袋からビールやらチューハイやら日本酒やらを次々に出しながら言った。
「しかし髪型いうたら、紀伊ちゃんはえらい変わったなぁ。昔はおさげやったのに、今はキャリアウーマン風のミディアムヘアーやもんなぁ。ま、くせ毛は昔のまんまやけど……痛い痛い痛い! ボールペンで足つぼを押さんといてや!」
「お前が余計なことを言うからだ」
「まぁまぁ。せやけど、もううちらが学園を卒業して五年も経ったやんなぁ。感慨深いわぁ」
「それはまぁ……そうだな」
紀伊はレモンチューハイの缶を開けながら言った。彼女がまだ学生だった頃の記憶を思い出しながら。
* * * * *
カシュ
女子更衣室の中に缶を開ける音が響く。
「ぷはぁー! やっぱ身体動かしたあとのジュースはほんまおいしいわぁ」
レモンの炭酸飲料の爽快感に堪らず独り言を呟いたのは柊莉央だった。明るい茶色の髪をハーフアップにし、学園指定の制服を着崩している彼女はお世辞にも「優等生」とは言えなかった。そこにもう一人の少女が現れる。
「ちょっと柊さん! 更衣室では飲食禁止だっていつも言ってるでしょ!?」
真っ黒な髪をおさげにし、黒くて縁の分厚いメガネをかけたその少女は呆れ半分、怒り半分で柊に言い放つ。
「えぇ? 別にええやんかぁ。先生も見とらんし、ばれへんてぇ。固すぎやで、紀伊ちゃん」
「誰も見てなければいいって訳じゃないでしょ!? それに見つかったら私まで怒られるんだから!」
「そないに怒鳴らんといてやぁ。あと一〇秒で飲み終わるさかい、それまで待ってておくれやす」
「ダメ! 飲むのやめて! 今すぐ!」
そう言っておさげの少女、篠原紀伊は柊の手から缶を奪いとった。柊とは真反対の彼女はまさに「優等生」だった。この性格、容姿ともに正反対な二人はMEを操作するMERを教育するこの学園の三年生であり、そして日々の演習や授業を共にするパートナーであった。当初は四人一組制が予定されていたが、紀伊たちの代はそれほど生徒が集まらなかった為に二人一組制に変更されたのであった。そして成績を平均化するようにペアリングが決定されるというその性質からこのいかにも気が合いそうにない二人がペアを組むことになったのである。
「せやけどあれやなぁ、もううちらも卒業やんなぁ」
「だから真面目に座学受けてっていつも言ってるじゃない! このままいったら卒業試験落としちゃうわよ!?」
「せやなぁ。なんかせんと卒業できひんかもわからんなぁ」
「いつもそういってちゃんと勉強してないじゃない……」
「あ、ばれてしもたぁ? いつも勉強せなとは思うとるけんど、どぉしてもようできひんのやぁ。でも紀伊ちゃんも演習試験あかんのと違う?」
「う……」
「今日の演習でも中級ドロイド相手に苦戦しとったやろ? 卒業試験ん時は上級ドロイド倒さんとあかんのやし、こんままやと……」
「う、うるさいうるさいうるさい!」
「紀伊ちゃん、そないにかた意地張ったらあかんえ?」
「優等生」が必ずしも「優秀」な訳ではない。同様に「優等生」じゃない者が必ずしも「優秀」じゃない訳ではないのだ。
それはこの二人にも当てはまることであった。演習は学年でトップレベルの実力を誇りながら、座学を全く真面目にやらない柊。逆に誰しも嫌がる座学は大がつくほど真面目に受けているために、定期テストでは全科目満点という偉業をなしとげながら、演習のレベルは二年生の平均にも劣るという紀伊。二人とも一方では才能や努力を発揮しているにも関わらず、他方は平均にも劣るというアンバランスさ故に卒業が危ぶまれる問題ペアなのであった。
「とにかく! 柊さんは座学をちゃんと受けて! 私も演習頑張るから!」
ガタン
紀伊がそう言って更衣室を出ようとした途端に照明が消えた。
「!?」
「どないなってんの? 停電かえ? かなんわぁ、うち暗いの苦手やのにぃ」
暗闇の中で柊が不満そうな声を漏らす。その時、突然紀伊が柊に抱きついた。
「ど、どないしたん? 暗いの苦手なん?」
「う、うるさい」
「やっぱ紀伊ちゃんかわええわぁ」
「うるさいってば!」
「せやけど、もう少し経てば副電源に切り替わるやろし、大丈夫やろ?」
そう言う柊にしっかりとしがみついたままの紀伊が怯えた声で話しだす。
「学園の電源装置は主電源、副電源、補助電源の三つがあるけど、それぞれ切り替わるのに三〇秒以上は理論上かからない設計のはずよ。もう照明が落ちてから一分三〇秒は経ってるし、全部の電源が落ちたと考えるのが妥当だと思う」
「全部の電源て、そんなけったいなことあるんかえ?」
「そうね。正直普通の状態とは言えないとおも――」
ガダダダダダン!
けたたましい音と共に更衣室のドアが破壊される。現れたのは、訓練に使われるドロイドのうち《伯爵》と呼ばれる機種だった。訓練用のドロイドにはMERの戦闘思考をメモリーに保存してあり、それを元に戦闘方法を決定、実行する。機械にはMEを生成する能力はないので、武器等は一般の装備が用いられている。《伯爵》の場合はサーベルと鎧、盾を装備している。
「なんでこんなところにドロイドが……」
「ええから、早うMINEつけぇ!」
さっきまでの柔らかな口調から一転してピシャリと言い放つと、正確には常盤色というらしい緑色のMINEを耳に装着して身構えた柊に遅れて、紀伊も黄色のMINEを装着した。
柊は巨大な手裏剣のような武器、《鋼紅葉》を生成するとその中心の持ち手を握り、ドロイドの方へ走り寄ってその大きな手裏剣を横薙ぎに振るった。
ドロイドはそれを盾で受け止め、サーベルで反撃をする。柊はサーベルを空中で回転しながらかわし、再び《鋼紅葉》を流れるよう投げつけると、覆い被さるように押し倒した。
圧倒的な実力差と思われた瞬間、柊の悲鳴が響いた。
どうもkonです。
今回は予告通り番外編でした。思ったよりながくなってしまって次回も番外編となります。
よろしくお願いします。