(5)
続きです。
「学年長……?」
オレは目の前でニコニコと微笑む香子に聞き返した。
「そう。入学時の適性テストで最も適性レベルが高い者に与えられる称号なんだよ〜? 」
「でも成績優秀者だからって生徒の個人情報とかを流して言い訳では……」
「生徒全員を守ろうと思ったら、多少強引なことも必要なんだよ〜? まぁ安心してよ〜、別に外部の人間に情報を漏らす訳じゃないしね〜」
「生徒を守る?」
「そうそう。学年長は超法規的特権を与えられると同時に、生徒を内部から保護する義務があるんだよ〜? 内なる保護者とでも言うのかな〜?」
香子はオレのベッドに座ると脚をぶらつかせ始めた。
「それで、君もそのガード対象になったわけなんだよ〜」
「は、はぁ……。蘇芳はこの後どうなるんだろう?」
「まぁそうだね〜、一応《道化騎士》の被害者ってことで断罪はされないと思うけど〜、多少の監視とかは付くかもね〜」
病室のドアが開き、ペットボトルを持った緋瀬が戻ってくる。
「あ、あの、悠十くん、烏龍茶と緑茶があったからどっちも買ってきたんだけど、ど、どっちがいいかな……?」
「あぁ、ありがとう。じゃあ緑茶をもらうよ」
「じゃあ、あたしはそろそろ失礼するね〜。あ、ゆうくん、ミィちゃんには秘密にしといてね〜」
「ゆ、ゆうくん!?」
「ひ、秘密って何? 悠十くん」
「ミィちゃんにはまだ早いからダ〜メよ〜」
そう言って颯爽と消えていった香子にオレと緋瀬はしばらく惚けていた。
「あ、ゆ、悠十くん、これ、緑茶です……」
緋瀬が差し出したペットボトルを受け取る。その時一瞬オレの指が緋瀬の指に触れた。
「ふにゃ!?」
急に変な声を出して病室の隅に退いた緋瀬にどうした、というニュアンスで首を傾げて見せると、緋瀬はなんでもない……、と言いながら再びベッドの側に寄ってきて、背もたれもない瑣末なイスにちょこんと座った。
「…………」
「…………」
オレは何を喋ればいいのか分からなかった。それは緋瀬も同じで、二人はただ黙ったまま五分ほど時間が経つのを待った。
まだオレには緋瀬の側にいる権利が残されているのだろうか。おそらくスタジアムで緋瀬と別れる時に言った言葉は嘘じゃない。オレはいつか記憶を取り戻したい。それがどんなに退屈な記憶だろうと、それがどんな悲劇だろうと、誰のものでもないオレの記憶だ。
だがそれにはどれほどの時間がかかるのだろう? もし「前の俺」が緋瀬と交わした約束が、緋瀬の運命を変えてしまうような大事な約束なんだとして、それを思い出すまで彼女を待たせてもいいのだろうか? 辛い思いを続けさせるくらいなら、オレが側にいられなくなってでも、緋瀬に約束の内容を聞いて、自由にしてあげるべきなのではないか? オレがやっていることはただの自己満足に過ぎないのではないか?
「緋瀬、オレ、記憶が――」
「わ、わたし待ってるから!」
オレの言葉を遮るように緋瀬が叫んだ。僅かに震える声がかえって彼女の決意を感じさせた。
「ゆ、悠十くんに何があったのかは分からないけど、でも、わたし待ってるよ?」
オレは何も言い返すことができず、手元に視線を落とした。すると緋瀬は静かにオレの手に、その白く、小さく、細い手を重ねた。声と同様に彼女の手は震えていた。
なんだかよく分からない感情が込み上げ、喉がいっぱいになって、やはり声が出なかった。オレはただ一言だけしか思いつかない。きっとオレにもっと豊かな記憶があれば、オレがもっと器用な人間であれば、この溢れる感情を、伝えたい思いをうまく表現できたのだろう。でも、今のオレにはそれはできない。
「ごめんな」
「う、うん。で、でも悠十くん。今は『ごめん』よりも『ありがとう』っていうところだよ、多分」
敵わないな。オレはそう思って緋瀬が教えてくれたその言葉をまるで初めて言うのかのように呟いた。すると緋瀬は儚げに笑ってこう言うのだ。
「また出会ってくれて、ありがとう。悠十くん」
やはり緋瀬には敵わない。オレは微笑んでから病室の窓を見た。夕焼けの赤と、夜空の黒が混ざり合った、不思議で美しい空が、長かった一日の終わりを告げていた。
* * * * *
「ふわ〜、疲れたな〜」
シャワーを浴びながら香子は誰に言うでもなく呟いた。身長はそれほど高くないとはいえ、すらっとした体躯に熱い水滴が弾む。着痩せする体格なのか、制服を着ている際には気づかれないものの、人並み以上に豊かな胸が揺れる。シャワーを止めると香子はシャワールームを出て真っ白な柔らかいバスタオルで体を拭き始めた。もう下校時間を過ぎた学園の広い更衣室には香子を除いて他に誰もいない。鏡に向かって栗色の髪を簡単にかわしながらセットするとダークブルーのワンピースに身を包んだ。
香子が更衣室を出て一〇分後、立っていたのは学園長室のドアの前だった。
「失礼しま〜す」
香子は返事もろくに待たずにパスワードを手早く入力して部屋に入った。
「パパ〜、今日のお仕事はもう終わり〜?」
パパと言われた男はゆっくりと回転イスを回してこちらを向いた。体はそれほど大きくないが、シュッと引き締まっている。顔も四〇代前半にしては若々しい容姿をしている。
「学園ではそう呼ばないようにいっただろう?」
「え〜だってパパはパパでしょ〜?」
「そういう問題ではないだろう。学園長と学年長が親子というだけでややこしいことになりかねないんだ。せめて呼び方ぐらいはきちんとしなくてはいけない」
「は〜い、葵宗二郎学園長」
嫌味っぽい娘のセリフにため息を漏らすと、学園長こと葵宗二郎は再び回転イスを回して窓の外を眺めた。
「それで、蘇芳怜の容態について何か掴めたのか?」
「御縞学院も一応三大塾の一つだし、情報のガードが固いね〜。学園を敵視してるところもあるし、とりあえず命に別条がなくて、《道化騎士》が関わってるってことぐらいしか分からなかったよ〜」
「そうか。まぁエクスキューショナーの資格授与権利は学園が占有しているし、仕方ないかもれないな」
「でも《道化騎士》が関わってる以上、学園が中心になって解決に当たるべきなんじゃないの〜?」
「まぁそれはそうなんだが……本人が御縞学院系列の病院に入院することを希望したんだよ」
「何か隠したいことでもあるのかな〜?」
「おそらく《命題》だろうな」
「《命題)》?」
「学年長として塾の《命題》については知っておいた方がいい。塾はそれぞれMEに関する独自研究を行っているんだよ。その研究の目的が《命題》。《命題》自体を秘匿にしている塾もあるし、研究成果を公開している塾もある。御縞学院は《命題》こそ公開しているが、その方法は院生以外には秘匿になっているからな。下手に踏み込まれても困るんだろう」
「へぇ〜。じゃあ御縞学院の《命題》ってなんなの〜?」
「『《複数色者》の汎用化』だよ。《複数色者》は知っているだろう?」
「MINEにカラーコードを複数所有しているMERのことでしょ〜? 実例は確か世界でも四人しかいないって話だったと思うけど〜?」
「あぁ。《複数色者》は戦闘員として絶大な力を発揮するからな。絶対安全武力戦争における国力を大きく左右すると言っても過言ではないだろう」
「じゃあそれの研究内容を漏洩しないために〜、蘇芳さんに学院系列の病院に入院するように強制したってこと〜?」
「あるいはな」
香子は唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべた。
「な〜んか嫌になっちゃうな〜」
「しかし、まだ気になることがある」
「ん〜?」
「蘇芳怜の家庭環境についてだよ」
「それが《道化騎士》と何か関係があるの〜?」
「そうではないよ。ただ学園の生徒である以上、全ての面でサポートしていく必要がある、ということだよ。無論、学年長の君にもその責務があると思うよ?」
「まぁそれはそうだね〜」
「という訳で、だ。君にはこれから蘇芳怜の監視、保護を命じるよ。もちろん緒多悠十の監視、保護も続行でね」
「は〜い、了解しましたよ〜」
香子は敬礼のポーズをとると、再びニッコリと笑った。
どうもkonです。
最近大学の小テストのせいで投稿が不規則になっているのが悩みです……。
それにしてもセクシーなシーンを書くのって結構恥ずかしいですね。香子さんのナイスバディを上手くお伝えできればいいのですが(_ _ ||)
今回は第2章の折り返し到達ということで、色々なことがひと段落した感じですね。登場人物もだいぶ増えてきて書き分けがどんどん難しくなっていますが、頑張ります。
次回は番外編の2話目を書こうと思います。内容はお楽しみ(まだ考えてない)です。
次回もお楽しみに!




