[アビスルートの功罪]⑥
「宍戸さん、つまりわたくしたちは、まんまと『はかられた』ってことかしら」
失意に暮れる宍戸はミカに業務上の話を振られたことで、幾分復調したらしい。
「端的に言えばね。
聖カトレア女学院がクロっぽい、という目星はついてて動向をマークしていた。しかしいかんせん物証がなく、グレーだ。
だからあぶり出すことにしたわけ」
「とすると、わたくしに泥仕合を挑んできたクラッカーは、あなたのお仲間?」
「ご明察。
独断専行が十八番の、言うこと聞かない部下だけど。
そういや君たちとやり合っているときは、珍しく上機嫌だったな。鼻歌が半端なかったし」
「ふん、イカレ野郎め。
あたしはちっとも楽しくなんかなかった」
ノエルはそっぽを向いた。
宍戸がミカと言葉を交わすことさえ、いとわしいご様子だ。
「性格には少々難ありだけど、腕利きだよ。
直接対決した君らなら、肌で感じたろう」
「ええ。骨身にしみました」
ミカは苦笑した。
「そいつの力を借りて、巣をつついたんだよ。
寝床が火事になれば、貴重品を持って一目散に逃げ出すと思ってね」
「部下がいぶり出したところをあなたが一網打尽、という段取りですか。
種明かしをされるとわたくしたち、ずいぶん王道な手法に引っかかったものです」
「シンプルイズベスト、ってね。
何ごとも奇をてらわないほうが、うまくいったりするもんさ。
人生の先輩からのワンポイントアドバイスだよ」
「ふん、偉そうに。
手あかまみれの忠告で、うちらが尊敬すると思ったら大間違いだ」
ノエルの痛切な一言が宍戸の耳朶を打った。
何度かやられて耐性ができたのだろう。今度は一発KOされずに済んだ。
「ところで君たち、数ある企業から巻き上げた金はどうした?
まさかホストに貢いだり豪遊ですっからかん、とかじゃないだろうな」
「お姉さまは貢ぐ側じゃない。貢がれる側だ!」
ノエルの反論は、もはやミカの援護として用をなしていない。
まぁ確かに、と言いかけた宍戸は、すんでのところで自戒した。
ノエルの逆鱗に触れること請け合い、だったからだ。
「お金は手つかずです。
うのみにできないなら、のちほど被害額と照合してください」
「ふーん。殊勝な心意気だ。
ま、大人を脅迫しておいて、殊勝もくそもないか。許されざる悪行には変わりない。
盗まれた金額をそっくりそのまま返還できるのが、不幸中の幸いってところだな。
君たちにとっても情状酌量の材料にはなると思うよ。これに懲りたら、二度と火遊びしないことだ」
「あたしたちを、金目当ての三下窃盗団と一緒にするな」
いきり立つノエルに、宍戸が肩をすくめる。
「どう違うんだい。
俺には同じ穴のムジナに見えるが」
「あたしは金儲けなんざ興味ないし。
磨いてきた力量がどこまで通用するのか試したかった。そして実戦経験を積み、更なる高みを目指す。
それに〈アビスルート〉の行ないで、いくつか悪質な会社を撲滅できたじゃないか。あたしたちのやったことは正し──」
「居直り強盗も真っ青の暴論だな。
何かと耳をそばだててみれば、出てきた答えが『腕試し』とは恐れ入る。
自己実現や自分探しなら、誰にも迷惑かけぬよそでやってくれ。
だいいち君らは天誅でもしたつもりかもしれないが、そんなもの結果論にすぎない。
強奪した金の出どころが、必ずしも不正行為の末とは限らないだろう。真っ当なやり方で稼いだ報酬も含まれていたはずだ。
一円も使ってないから見逃して、なんて釈明はまかり通らない」
ノエルは二の句を継げなかった。
ミカが代弁する。
「わたくしたちは敗残兵です。いくら大層な御託を並べたところで、むなしい負け犬の遠吠えにしかなりません。
警察署でも留置所でも、どうぞ連行してくださいな。
罪が露見した以上、いかなる処分も受けます」
「はぁー」
宍戸が額を押さえて嘆息した。
「裏を返せば、『ばれなきゃオールオッケー』ってことかよ。嘆かわしい。
なまじ才能に恵まれたやつってのは、どこかで内面がゆがむのかな。矯正するのも一苦労っぽい。
いや、それはナナシで実証済みか」
「ナナシというのは、どなたですか」
「あー、しまった。
俺としたことがまた、『口が軽い』ってどやされそうだな」
「もしや、わたくしたちと一戦交えたすご腕ハッカー、とか」
宍戸は観念したのか、脱力気味に首を縦に振った。
「【デミゴッド】級のハッカー……ナナシ、とくれば」
ミカは何やら沈思黙考しだした。
「まさかとは思いますけど、あなたのお仲間のクラッカーって、『ノーネームのナナシ』じゃありませんか」
宍戸はうんともすんとも言わない。
されど弱りきった顔つきが雄弁に物語っていた。
イエス、と。
「へぇ、てっきり架空の存在かと思ってました。
なるほど。それならわたくしたち〈虚数輪廻〉でも、なりふり構わず引き分けに持ちこむのが限界だったのも合点がいきます」
「お姉さま、『ノーネームのナナシ』というのは何者ですか」
「あらノエル、聞いたことありませんか。
ハッカーの間じゃ、伝説みたいになっているのよ。
ただし〝都市伝説〟の部類ですけどね」
知りません、とノエルは首を左右に振った。
「アメリカ国防総省ってあるでしょう。侵入難度は特Aクラス。
一年ほど前に、その難攻不落のペンタゴンを攻略したらしいの」
ミカの簡潔な説明に、ノエルは目をむいた。真偽のほどを問うのも忘れている。
「驚くなかれドン・キホーテよろしく、たった一人でよ。
孤立無援のハッキングで成し遂げた、ってもっぱらのうわさ。しかも聞くところによると、犯人はランドセル背負った日本人の男の子という話じゃない。
ね、眉つばものでしょう。
わたくしも今の今まで、実在するとは思いもよりませんでした」
ノエルが何かコメントする前に、
「買いかぶりってか、尾ひれがつき放題だな。ウソと大差ないぜ、それじゃ」
宍戸は気が進まない素振りで訂正した。
「一人でペンタゴンに挑んだのは真実だよ。最深部にまで到達したのもな。
ただし帰還はかなわず、CIAに身柄を拘束された。
以来、政府の厳重な管理下に置かれている。稀有な能力に免じて牙は抜かず、首輪をはめた形だけど。
俺は体のいいお目付け役みたいなもんさ」
「あきれた。どれだけ自信満々、というか己の力を過信していたのかしら。
ペンタゴンに単独ダイブだなんて、正気の沙汰じゃない。ほとんど自殺行為です」
唖然とするミカに、宍戸が言葉を続ける。
「俺も同意するよ。
ただ、あいつの名誉のために補足しておくと、狂気の沙汰に及んだのは、とある人物にそそのかされたからなんだ。若気の至り、ってやつかな。
ナナシはそっちの威勢いい女の子と、タメくらいの年齢でね。本来であれば義務教育を受けるべき未成熟な子供だ。
そんな無分別のナナシを言葉巧みにだましたアウトロー……アンダーグラウンドの界隈ではこう呼ばれている。
〈エピタフ〉、と」
無自覚なのだろうが、ミカは〈エピタフ〉という単語に敏感に反応した。
宍戸は彼女の変化を目ざとく見過ごさない。
「心当たりあり、か。
賭けに近い確率だったけど、推理はしていた。君らがいかに有能なハッカーだろうと、犯行の規模がでかすぎる。
お嬢様学校の一般的な生徒が、どのようにして会社の不法行為を知り得たのか。
その辺りを鑑みると、一つの可能性が浮上する。
技能と動機を持ち合わせた少女たちを誘導し、暗躍する水先案内人がいるのではないか、とね」
宍戸はミカとノエルを観察したが、うつむくだけの彼女らから新情報は得られなかった。
「〈エピタフ〉が一枚噛んでいる、とは予測しなかったけどな。うれしくない収獲だ。
ナナシの件といい、因縁めいた何かを感じるよ。俺も泥沼に片足までつかってるのかもしれない」
物言わぬ〈虚数輪廻〉の二人を意に介さず、宍戸はスマートフォンで電話をかけた。
五コール──出る気配もない。
十コール──やっとこさつながった。
「おまえ、かたくなに電話とろうとしないのな。
……ああ、終わったよ。容疑者は可憐なお嬢さん二名だ。んで物は相談だけど、後輩というか同僚ができるかもしれないと思ってな。一番の不安要素はおまえの貧弱なコミュ力なわけだが──はぁ?
勝手に話を進めたわけじゃねえって。相手が女の子だからって情けをかけてもいない。彼女たちの腕前、おまえは正確に把握してるだろう。
……うん。そっから論理的に推察した結果、どーも俺にお鉢が回ってきそうだと思ったの。俺って頼まれごとに『ノー』と言えない典型的ジャパニーズじゃん」
通話相手ともめている模様だ。
水かけ論じみていて、終着点が行方不明なあんばいだが。
「あとな、未確定情報だけど〈エピタフ〉が絡んでるみたいだ。
……お~い、俺の声届いてるか。いきなり黙んなよ。
不摂生なおまえのことだ。ぽっくり逝っちまったかと心配になるだろうが。
とにかく今から戻る。おまえさえよければ顔合わせしてやるぞ。
俺、予告したろう。お土産を持っていく、って。
ガールフレンドが一挙に二人できるんじゃね。よかったな、根暗なおまえにも春が来て。
両手に花──あ、くっそ。あいつめ、切りやがった」
宍戸は眉間にしわを寄せて、スマホをスーツのポケットにしまった。
「あの、『両手に花』というのは、どういう」
けげんそうなミカが、おっかなびっくり尋ねた。
ノエルはミカのセーラー服の裾をつまんでいる。
二人とも、自らがどういう目に遭わされるのか懸念しているのだろう。
「うーんと、猛省は大前提だけど悪いようにはしないよ。
テイク・イット・イージーさ。
人生ってのは、なるようにしかならないもんだから」
宍戸のとりなしは、少女たちの杞憂を深める悪循環でしかなかった。
√ √ √ √ √
「な~にが『ガールフレンド』だ。バカバカしい。
僕に対する嫌がらせじゃあるまいな」
激高しているのか、ナナシは『聖カトレア女学院』にまつわる資料を丸めず投げ捨てた。裏返って床に落ち、掃除ロボットが出動する。
あと数センチでシュレッダー、というところで心変わりしたのだろう。ナナシがリクライニングチェアから降り、再び資料を拾った。
ゴミを食いそびれたロボットが、惰性でナナシの裸足に突撃していく。
見方によっては、お預けを食らって憤慨する飼い犬のごとし、だ。
「痛っ。横取りするわけじゃないって。
ちゃんとやるから、暴れんな。ステイ」
ナナシは紙束の中から、聖カトレア女学院のコンピュータ部に関するページだけ破り取った。
そこには『部長と副部長二名のみ』という記述のほか、彼女たちのざっとしたプロフィールが記されている。
破った一枚以外を再び床へほうるナナシ。
『待ちかねたごちそう!』と言わんばかりに、お掃除ロボが資料をマシンの胃袋に飲みこんだ。げっぷはしないものの、とんぼ返りする。
「うぅ、めんどくせえ。女は、男にも増して苦手なのに……」
ナナシはぶつくさ言いつつも、ワークデスクに紙片を置いた。
リクライニングチェアで横になりがてらアイマスクを装着する。
「ふーんふふふふふふふーんふーんふーん ふん ふーんふふふふふふふーんふーんふーん」
自分への子守唄のつもりか、エルガー作曲『愛の挨拶』をハミングしている。
五分経過したかというころ、安らかな寝息が聞こえてきた。
居眠り中のナナシがどんな夢を見ているのか、誰一人知る由もない。