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[アビスルートの功罪]③

「ふーんふふーん ふふふふーんふーんふふーん ふふふふーんふーんふふーん」


 ナナシはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番『第一楽章』をハミングしつつ、キーボードを打っていた。


『鼻歌交じりとは快調みたいだな。

 できれば逐一、実況解説してもらえると助かるんだがね』


 フィクサーSはナナシの集中力が乱れない程度に茶々を入れた。


「快調……ふひひ。

 順調ってのは、あながち的を射ているかもな」

『なんだよ、そのもったいぶった歯切れの悪さ。

 相手がお嬢様だからって悠長に手心を加えているんじゃあるまいな』

「手加減なんてしてる場合かっつーの。

 何しろ僕が劣勢だぜ。のんきに油断してたら、こっちが噛みちぎられる」


 ナナシはこともなげに戦況をぶっちゃけた。


『ふざけてるのか。おまえのランクは泣く子も黙る【デミゴッド】だ。

 クラッカーとして彼女たちより優れていないと、つじつまが合わない。

 俺をたばかってないで真面目に働け』


 フィクサーSの声色にはいらだちが紛れていた。


「あんたも無粋で石頭だな。

 サシの勝負なら僕に分がある。後れをとるなど、万に一つもない。

 けどあっちは単品じゃないんだよ。【ウィザード】級、かけることの2だ」

『一対二か。

 一兵卒ならいざ知らず、将校クラスに徒党を組まれると、厄介だな。

 数合わせで俺が参戦したところで、足手まといにしかならないし』

「手応えとしては『1+1』の足し算というより相乗作用、って感じだけどね。

 しかも魔術師同士の連携ときた。

 その破壊力たるや、計り知れないほどの凶悪コンボさ」


 フィクサーSが探り探りの口調で尋ねる。


『勝算は、あるんだろうな』


 ナナシは質問を聞き流し、ご満悦に口元をつり上げる。


「やる気がみなぎる餌をまいたら、案の定、効果てきめんだったし。

 あちらさん、僕の〝伝言〟目の当たりにしてブーストかかったみたいだ。

 にひっ。こうでなくちゃあ、ぞくぞくしない」

『「伝言」ってのは初耳だぞ。

 何しでかしたんだ、おまえ』

「人聞きが悪いな。他愛ないいたずらだって」


 ナナシはおどけた。


『おまえのいたずらほど、たちが悪くて始末におえないものはないんだよ』

「信用ゼロとは、へこむわ~。

 まぁあんたは僕の悪事を熟知してるし警戒すんのも、さもありなん、か」


 皮肉たっぷりの自虐をかました。


「白状するよ。さっき〈ベガ〉のプログラムいじったろ。

 ただ壊すなんてバカの一つ覚えじゃん。だから小細工しておいた。

 僕のみノーチェックで通れるように。顔パス、みたいに思ってくれていい。

 傑作なのは僕自身を識別する暗号名。我ながらシャレがきいてるんだ」

『とめどなく胸騒ぎがするんだが。

 その識別コードネームってのは──』


 ナナシは間髪入れずに答える。


「〝Abyss Root〟。

 老若男女をにぎわす〈虚数輪廻(アビスルート)〉の名をかたられたからには、あいつらだって心穏やかじゃいられないだろうよ」


 悪びれる様子はない。逆にどや顔する始末だ。

 頭痛がするのか、フィクサーSはややしばらく黙りこくった。やおら口を開く。


『なぜ彼女たちを挑発したんだ。

 闇雲にヤブ蛇をつついて、おまえにどんな利益がある』

「『利益』とはすこぶる仰々しいな。

 メリットにデメリット?

 んなもんないね。強いて言うなら──決闘にふさわしい舞台を整えてやったのさ。

 どうせやるならクソゲーなんて、盛り上がりに欠けるだろう。神ゲーに出会えりゃ言うことなしだけど、それが高望みってことぐらいは、僕だってきちんとわきまえてる」

『おままごとじゃないんだぞ……いや、おまえにとってクラッキングはゲーム感覚、か』


 半ば降参というように、フィクサーSがささやいた。

 ハッキングに対するナナシの倫理観は『いびつ』の一言に尽きる。

 そこに善悪の概念はなく、あるのは、やりがいの有無。面白いか、興ざめかの二択だ。


『で、勝ち目はあるんだろうな。負けたらどうなるか、失念したとは言わさんぞ。

 俺もおまえも仲良く破滅だ。俺たちは綱渡りの一蓮托生。

 最悪、一生ブタ箱送りになるかもな。その年で臭い飯を食いたかないだろう』

「おえっ。なんとも薄気味悪い運命共同体だ」


 ナナシはえずくふりをした。


「ところであんた、ガンダムマニアじゃなかったっけ」

『なんだ、ヤブから棒に。

 俺はマニアってほどじゃねえよ。ファーストの辺りをコンプリートしているにすぎない』

「そいつは上等。

 んで、なんつったっけ。あの、モビルスーツの周りを衛星みたいに浮遊して、ビーム撃ちまくるちっこいやつ」

『ファンネル、か?』


 ナナシがかしわ手を打つ。


「おー、それそれ。謎が解けた。

 あんた、今日最大のグッジョブだったかもな」

『どういうことか説明しろ』


 ドスの利いた声で詰問するフィクサーS。


「だから逆転の秘策じゃんか」


 ナナシがキータッチを加速させた。


「名づけて、『ファンネルアタック』。

 目には目を歯には歯を、物量には物量戦を、ってね」

『おまえの意図が微塵も伝わってこないんだが……。

 会話のキャッチボールを一から学ぶべきじゃないのか』


 フィクサーSの苦言はナナシの耳に届かぬ模様だ。


「さあて、どう出る、お嬢ちゃん。

 これでこっちはだいぶ楽ちんだ。余剰タスクで、ついでにラストステージへの布石でもしておくか」



√ √ √ √ √



「お姉さま、敵が増殖しました。

 援軍を呼んだのでしょうか!?」


 ノエルの報告は悲鳴に近かった。


「浮き足立たないで、ノエル。

 賊はあくまで、自称〈アビスルート〉一名です」


 対してミカは冷静だ。虚勢だったにせよ置かれた状況を考慮すると、一朝一夕にマネできる芸当じゃない。

 破竹の勢いだったはずが、一転して雲行きが怪しくなったのだ。

 敵の投じた一手が、戦局をひっくり返してしまった。


「ど、どういうことですか」

「なあに、ごく簡単な手品ですよ。

〈アルタイル〉と〈デネブ〉に注目して」


 ミカに促され、ノエルは二つのゲートを確認する。


「クラッキングが、やんでる──」

「ええ。ハッキングAIを本人の後方支援に配置したのでしょう。

 増援の正体は、自律思考型プログラムです」

「感服しました。さすがお姉さまは慧眼です。

 それで対抗策は?」

「ありません」


 え、と漏らしたきり、ノエルは閉口した。


「聞き取れませんでしたか。対策は皆無、と申したのです。

 彼我の数で、わたくしたちが圧倒されています。パワーバランスは向こうに傾いた。

 我が校のネットワークが侵食されるのも、時間の問題でしょうね」


 ノエルには、にわかに信じられないのだろう。

 彼女にとってミカは完全無欠で、無敵の存在だ。なのに降伏宣言に似たセリフを口にするなんて、屈辱でしかない。

 ノエルの目尻に涙がにじむ。


「激流に踏ん張りをきかせ、押し戻すなど愚の骨頂です。

 ただし流れに抗うのが困難を極めるなら、乗りこなしてやればいいだけのこと。敵の勢いを利用するのです」


 ミカは蠱惑的に微笑した。いや、『小悪魔的』と評するべきか。


「利用、できるのですか」

「当たり前です。

 わたくしを誰だとお思いかしら」

「は、ハッキングの申し子で才色兼備のミカお姉さま、です!」


 ノエルは覇気を取り戻した。

 ミカはちょっぴり照れて、ほっぺたを指でかいている。


「あまり壮大な修飾語を並べないでちょうだい。誇大広告で訴えられてしまいます」

「いいえ、全然足りません!

 お姉さまの素晴らしさは──」


 ミカはノエルに顔を近づけた。額と額をぴたりとくっつける。

 おでこ同士が触れ合うということは、至近距離だ。少し唇を突き出せば、キスできてしまうほどに。


「賛美に酔いしれるのは、賊を討ち果たしたあとにしましょう」


 ノエルは「はい……」と答えるのが精いっぱいだった。赤面して、悪魔に魅入られたかのごとく硬直している。


「侵攻を止められないなら、気ままにやらせておきましょう。

 盗まれて経営が逼迫するほどのプラチナデータは、聖カトレア女学院にないのですから」


 ミカはノエルから離れた。

 一瞬おでこに口づけしそうな素振りも見せたものの、実行するとノエルが再起不能に陥りかねないと判断して、やめたのだろう。


「わたくしたちは二手に分かれます。

 足止め役としてわたくしが、できる限りの時間を稼ぐ。バリケードを越えられたら、逆にローカルネットに軟禁してやりましょう。

 いかな〈虚数輪廻〉といえど、退路を断たれて泡食う姿が目に浮かぶわ」

「あ、あたし、は、なに、すれば」


 いまだノエルは夢見心地から脱しきれぬらしい。語調は片言だった。


「あなたが本作戦のキーパーソンよ」


 ミカがノエルの肩にふわりと手のひらを載せた。


「わたくしが対戦している間に、クラッカーのグローバルIPアドレスを割り出すの。

 ノエルは攻撃特化のアタッカー。

 わたくしがディフェンスに専念するほうが、適材適所です」

「逆探知、ということですね」

「ええ。題して『肉を切らせて骨を断つ』」

「野郎のプライバシーは、どこまで突き止めればよろしいでしょうか」

「可能な範囲で余さず。

 あなたの絶技で敵を丸裸にしてみせて、ノエル」

「お任せあれです!!」


 ノエルの意気ごみは尋常じゃない。勢い余って特攻しかねないほどだ。


「うふふ、頼もしいわ。

 弱みを握ったら、すかさず賊へちらつかせてやりましょう。そうすれば、あら不思議。労せずして一件落着です。

 敵も従順な犬にならざるを得ない」

「パーフェクトプランです、お姉さま。

 さぁ、あたしにお命じくださいませ」

「存分に暴れなさい、ノエル。

 あなたの美しき舞いを、わたくしの目に焼きつけて」

「かしこまりました」


 ノエルはチュッパチャプスを噛み砕き、歯で芯の棒をへし折った。

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