[エピタフからの刺客]⑥
〈エピタフ〉から指定された場所は雑居ビルの四階角部屋、近日オープン予定のパソコンスクールだった。PC設置及び室内の工事は、完了しているらしい。
大学の講堂のような風情で長机が並んでいる。全部で三十席というところか。
正面にはホワイトボードと、ボタン一つで昇降する投影スクリーンがある。壁をL字に連なる窓にはブラインドが下りきっていた。
ライダースーツをまとう銀髪の女性が鼻呼吸する。
「新築特有のにおい、かな」
ホワイトボードに記された〈エピタフ〉の伝言がある。
『無線LANは接続済みでネット速度も充分。お好みのマシンを使ってくれ』
屋内の机上にあるパソコンは総じて起動しており、「よりどりみどり」と言わんばかりだった。空冷ファンの駆動音が至る所でハーモニーを奏でる。
〈八咫烏〉の長兄、丸坊主男が最前列窓際席に腰かけ、デスクトップPCのマウスを操る。OSがプリインストール状態で、ハードディスク内はまっさららしい。
「じゃあボクチンは後ろの席がいいんだな」
末弟の太っちょ男が、最後尾の真ん中席にどっかと座る。冷房の効きがいまいちなのか、ハンドタオルで額の汗を拭きつつ、ノーパソのタッチパッドに指をはわせた。
「Wi―Fiの割に高速回線なんだな。姉さんのタブレット、電波の感度はどうにょろ」
「良好よ。〈エピタフ〉の仕事はスピーディーで、至れり尽くせりね」
「実験がてら『スーパーハカー測定器』やってみないか、姉さん」
銀髪女が太っちょ男に背を向け、室内の中央席に着座する。
「久々ね。肩慣らしにはもってこいかも。兄貴もいい?」
丸坊主男は親指でサムズアップした。
──五一秒。
〈八咫烏〉の三人がゴールするまでの所要時間である。
「【メテオストーム】かぁ。一発目だからもたついたのかな。いっつもなら四十秒台で、【ソニックブーム】なのに」
銀髪女がほぞを噛んで、つぶやいた。
太っちょ男が姉をなだめる。
「ランクなんてお飾りなんだな。勝とうが負けようが、目安でしかない」
「軟弱ね。負け続けの人生なんて価値あるのかしら。うちはまっぴらゴメンだけど。ま、念には念を入れとくか。兄貴、システムの稼働状況をウォッチしてちょうだい。サーバーに負荷かかりすぎて、スコアが伸び悩んだのかもしれないし」
銀髪女に請われ、丸坊主男は無言でキーボードの打鍵をし始めた。
「姉さんは気丈で慎重すぎなんだな。ところで昨日〈エピタフ〉の傘下に入る打診して、よかったのか。外堀を埋めてからじゃないと、疑念を抱かれるおそれが」
「浅はかね。権謀術数と舌先三寸で押し切ることに定評のある〈エピタフ〉よ。うちらの企ては露呈するに決まってる。遅かれ早かれ、時間の問題よ」
「やっぱあいつの地位を乗っ取るなんて野望は、大それてたんじゃ」
太っちょ男は所在なくメガネのフレームをいじくった。
「あんた、横の幅はでかいくせして、ケツの穴の小さな男よね。そんなんじゃ女子にモテないっての。父さんも含めて、うちの男どもは弱腰ぞろい。だからうちがあの女狐と駆け引きしなくちゃならないんでしょ」
「め、面目ないんだな」太っちょ男が萎縮しかけた。「うええっ、女狐!? ってーことは〈エピタフ〉、女なの?」
銀髪女が振り返り、ジト目を向ける。
「愚劣ね。んなことも知らないの」
「いやいや、そんな情報どこにもないんだな。ソースはどこだし」
「女の勘よ」
銀髪女に即答され、弟は閉口した。
「口調とかも演出が行き届いてるけど、同性の目はごまかせない。ありゃあ絶対女だね。年はうちとタメくらい。粘着質で嫉妬深く、ショタコンをこじらせている」
「な、何をもって『ショタコン女』と」
「今回の件であいつ、警察が邪魔くさいとか言ってたじゃん。あんなの狂言よ。昔捨てた男のカムバックが、業腹なだけでしょ」
「『昔捨てた男』って、よもや」
「ナナシよ。ガキに拘泥しちゃってさ。悪趣味ったらない」
毛嫌いをオブラートに包むことなく銀髪女が言った。
「姉さん、〈ノーネーム〉は高校進学すらまだの小僧なんだな。いくらなんでもへ理屈がすぎるんじゃない」
「だからあんたは一生童貞なのよ」
「一生とか、決めつけんなし!」
太っちょ男が猛反発する。
しかし銀髪女には馬の耳に念仏だ。
「目の上のたんこぶはポリスメンじゃない。〈ノーネーム〉なの。あいつが〈エピタフ〉のウィークポイント──」
皆まで言わず、銀髪女は押し黙った。
〈エピタフ〉にとってナナシは重い腰を上げ、戦力を割くほどの存在。
すなわち〝アキレス腱〟なのではあるまいか。首元へ冷たいナイフをつきつけるために、不可欠なパズルピース。
「ナナシを配下に収める者が、〈エピタフ〉を玉座から引きずり下ろせる、か」
銀髪女は右の手のひらで小さな顔面を覆い尽くし、くぐもった笑いをした。
『システムは異常なし。ゴールまでの到達が平均時間を下回ったのは、マシンになじんでいないことが原因と思われる』
銀髪女のタブレット画面に、メッセンジャー経由の伝言が浮かび上がる。
発信者はスキンヘッドの長男だ。
「ご苦労様、兄貴。二人とも聞いて。今度の任務の追加注文。〈ノーネーム〉のナナシを生け捕りにしたいの。それこそが一発逆転、成り上がるための最短距離だと思うから」
√ √ √ √ √
「お互いの癖や人間性に無知だから、連携がちぐはぐになるんだ。腹割って話せば、噛み合いもするだろ」
宍戸はこう提案したのに、なぜか会議室はお茶会の様相を呈していた。
長机に並べられた人数分の紅茶とスイーツ。
急遽の話だったので菓子はナナシの備蓄品を流用した。
よって彼は渋い顔で元を取るべく、私物をありったけ頬張っている。
「宍戸さんにしては、ナイスアイデアでした。心ゆくまで語らいましょう」
ミカがホスト役を務めた。
ちなみに座席はミカが上座で、隣がナナシ。彼の横がノエルだった。
宍戸はナナシのまん前に座ったものの、彼だけ紅茶がない。
「まずは自分の好きなタイプと嫌いなタイプを順々に発表、という趣向にいたします」
「ちょいタイム。俺は君たちに『合コンをしろ』と勧めたわけじゃない。あと俺にお茶がないのは、どういう風の吹き回しかな」
宍戸がたしなめた。
ミカは紅茶お預けに関して触れない方針でいく。
「わたくしも合同コンパなどした覚えはありません。この期に及んで互いの技術を論ずるのは、能がないかと思いまして。だってわたくしたちは敵味方に分かれて一度、手合わせしております。それで双方の技量については、あらかた把握してますので」
「ふむ。行き当たりばったり、ではなさそうだな。分かったよ。君のやり方に任せよう。なるたけ俺は聞き役に徹する」
宍戸が譲歩したので、改めてミカは話題を振った。
「ではノエルから発表どうぞ」
「はい、かしこまりました。好きなタイプはミカお姉さま。嫌いなのはお姉さま以外の、やおよろずに及ぶクズどもです」
ノエルの回答があんまりすぎたせいか、ナナシは菓子皿に伸ばす手を止めた。
「わたくしの拡大解釈かとも思っていましたけど、たまにあなたの愛が重いわ」
「いえ、あの……違うんです。お姉さま」
ノエルはミカへの障害であるナナシの頭を押さえつけ、懇願に近い声を発した。
「好きなのはお姉さまですけど、嫌いなのは──そう! こいつです。このマセガキが、あたしの大っ嫌いなやつです」
「う~ん。あなたは視野を広くしたほうがよさそうね。あと気配りも勉強なさい」
ミカの説教じみた一言でノエルはしょげかえった。
見るに耐えなかったのだろう。ナナシが無言でポッキーを差し出す。
ノエルは条件反射っぽくかじりついた。ナナシの指さえ食いちぎるほどに。
ミカとしてもノエルをしょんぼりさせたかったわけじゃない。ただし今回の趣旨はミカたちとナナシの妥協点を模索することだ。ノエルが彼を突き放しては、元も子もない。
ノエルは利発な女の子だ。いずれミカの真意も察するだろう。
彼女はそう割り切り、ナナシを矢面に立たせる。
「じゃあ次はナナシんね」
「はぁー、七面倒だな。とりあえず嫌いなタイプから。僕は大人だから、誰かさんみたいに指さして『おまえ』みたいに言わないぜ」
ナナシが当てつけっぽくノエルを見ると、彼女のやけ食いが加速した。
すでに菓子皿が枯渇しかかっている。
「この飢えた暴力女が。僕の食料だったんだぞ。がつがつしやがって。少しは気兼ねしろ。贅肉まみれのメスブタになっても知らないからな」
ノエルがティッシュで口元を拭きつつ、空いた手でナナシのほっぺたをつねる。
「生意気言うのは、この口かしら。女子に向かって『ブタ』だなんて。暴言を飛び越えて極刑に値するぞ、マセガキ」
「イダダダ。離せよ、暴力女。ほっぺがもげるって」
ナナシは半べそかいた。
「ノエル、やめなさい。ナナシんが頬肉だるんだるんのブルドッグになります」
ミカに諭され、ノエルのつねりアタックが終息する。