[エピタフからの刺客]③
「〈ノーネーム〉ってえと、うちらの前任者だった青二才でしょ。あんたが見定めた獲物への先陣を切る役目を担っていた」
『肯定する。ちなみに顔立ちはこんなだよ』
銀髪女の持ち物であるタブレット端末の画面に、画像データが転送された。
年端もいかぬ少年の顔写真だ。
「う~わ。ションベン臭いガキじゃん。うちの恋愛センサー、ぴくりともしないし。マジでこんなちんちくりんが、ペンタゴン落としたの?」
『国防総省を陥落させたわけじゃないよ。片道切符の旅だったからね』
銀髪女が肩をすくめる。
「よく言う。あんたが裏で画策したんでしょ」
〈エピタフ〉はだんまりした。
「秘蔵っ子を置いてけぼりとか、エグいこと平気でするよね。あんたは金払いのいい上客だけど、信頼という点じゃ今ひとつだし」
『相変わらず手厳しいな。歯に衣着せない君の物言いは、嫌いじゃないが』
「ありがと。社交辞令として受け取っておく」
銀髪女はタブレットの液晶画面に向かって、投げキッスをした。
互いに映像がオフゆえ、相手に伝わりはしないのだが。
「んで、あんたが追放処分にしたはずの〈ノーネーム〉が奇跡の復活を遂げて、どこぞに潜伏してるってことかしら」
『おおむねその認識で正鵠を射ている。肝心の潜伏先は警察だよ』
「あらまぁ。裏稼業から公権力へと鮮やかな転身だこと」
『警察としても、ナナシの腕をさびつかせずに活用したかったのだろう。用法によって、神にも悪魔にもなり得る素材だ』
「礼賛とは未練たらたらね、〈エピタフ〉。逃した魚は大きかった?」
『まさか。しっぺ返しされないための注意喚起だよ。死に損ないといえ〈ノーネーム〉の脅威を、侮らないでもらいたいんだ』
抜け目ないやつ。あわよくば失言くらい引き出したかったけど、ジャブ程度の揺さぶりじゃ顔色一つ変えないか。
銀髪女は波風立てるのにさじを投げ、話を戻す。
「クライアントの要望ですから、最大限配慮しましょう。それを踏まえたうえで、警察のどこを狙えばいいのかな」
『彼らが〈千里眼〉と隠語で呼ぶ、非公式な部署だ。そこにナナシが属している』
「〈千里眼〉は何を看板に掲げているのかしら」
『サイバーテロの撲滅が主任務だが、やってることはクラッカーのそれと五十歩百歩さ。秘匿データの抜き出し、通信回線の傍受、ハッカー退治などなど』
「かつて情報セキュリティに携わる連中を震撼させた〈ノーネーム〉にゃ、うってつけの下請けダーティ・ワークね」
『「毒をもって毒を制す」が基本コンセプトなのだろうね。不正アクセスへの遊撃部隊というわけだ』
「クラッカーをなぎ払うため同族を駆り出す、か。頭でっかち役人の考えつきそうな常套手段ね。表沙汰にできないわけだ」
銀髪女は口笛を吹いた。
『法の抜け道を邁進する代償として、〈千里眼〉にはマル秘データが蓄積されてる。流出すると、警察組織の屋台骨を揺るがしかねない機密がね』
「よしんば盗めたとしてもお役所の必殺技、とかげの尻尾切りやるんじゃないの。かつらをかぶったお歴々が『そんな不逞の輩は存じません。我々も被害者なのです』と釈明会見する姿が、目に浮かぶんだけど」
『しらを切り通せないデータがあるのでは、と私は踏んでいる。ソースは明かせないが、確かな筋からの情報だ』
「ファッキン警察が機能不全になれば御の字、ってところかしら」
『そうだね。〈千里眼〉は警察にとって「アキレス腱」に等しい。私の活動を警官にこそこそ嗅ぎ回られるのは好ましくないし、目の上のこぶを取り除きたいんだ』
〈エピタフ〉にとってのアキレス腱とはなんだろう。
ふと銀髪女は思いをはせた。
「まぁ、ことあるごとにおいしい仕事融通してくれたあんたの依頼だもの。もらえるものさえもらえば、うちらはなんだってするしね」
『指定口座に前金を払うよ。たった今、ね』
「依頼内容を確認させて。〈ノーネーム〉が隠れ潜む神出鬼没な無色透明部隊の、データバンクをごっそりいただく、ということでいいのよね」
『委細問題ない。やり方は君たちに一任する』
銀髪女は太っちょ男へ目配せした。
彼はしきりにスマートフォンを操作している。それから彼女に向かい、親指と人差し指で○印を形作った。
口座に入金があったことを知らせるサインだ。
「商談成立ね。近日中に盗んであげる」
『さすがは精鋭ぞろいのハッカー三兄妹、〈八咫烏〉。頼もしいな』
「おだてたって何も出ないよ」
『私の望む結果さえ出してくれれば、ほかには何もいらないよ。あ、すまない。一つだけ情報が抜けていた』
「へー、あんたでも凡ミスなんてするんだ」
『私はごく平凡な人間だよ。ミスくらいするさ』
どうだか。実は計算ずくじゃないの、と銀髪女は思ったものの、おくびにも出さない。
「重大な漏れかしら」
『どうかな。〈アビスルート〉と名乗るハッカーがいたろう。彼女らも〈千里眼〉の一員になった、という不確定な最新情報があってね』
「あ~あ~、いたね。お茶の間をにぎわす、虚栄心の肥大化したルーキーが。確かあんたが退屈しのぎでプロデュースした、乳臭いじゃじゃ馬でしょ」
『体臭は知らないよ。会ったことないからね。ちなみに彼女たちだ』
再び〈エピタフ〉からJPEG画像が二枚届いた。
黒髪で楚々とした少女と、目鼻立ちが整って快活そうな女子のバストアップ写真だ。
どっちもお澄まし顔で、その実腹黒そう。
銀髪女の第一印象だった。同性として女の勘に訴えかけるものがあるのだろう。
入金確認を終えた太っちょ男が、なにげなくタブレット端末をのぞきこむ。
「うほぉ、天使なんだな」
鼻息荒くタブレットを持ち上げた。
『天使』というキーワードが聞き捨てならないのか、丸坊主男も画面を眺める。
表情の変化は乏しいものの彼も満足らしい。
「兄さん、どっちが推しメンなんだな。『いっせーのー』で、指さししよう」
かけ声のあと、男どもは液晶画面を人差し指で示した。
丸坊主男がミカ、太っちょ男がノエルを選んでいる。
恋のターゲットが分散したことで、二人の連帯感が増したらしい。兄弟間で熱い握手が交わされる。
「兄貴と愚弟、取り乱すんじゃない。まだ商談中でしょう!」
〈八咫烏〉の長女である銀髪女がタブレット端末を奪い返した。
これだから三十未満の男は人生経験が足らないのだ。いじらしいだけの女に、ころっとほだされてしまうのだから。腹の中で何を考えているやら、分かりゃしないのに。
銀髪女は幼稚な兄と弟を順繰りにへいげいする。
『ほほ笑ましい一家団らん、というやつかな』
「ごめん、〈エピタフ〉。今のは忘れてくれるとありがたい」
『君が望むなら、お応えするのにやぶさかでないよ』
また弱みを握られたかな。銀髪女は歯噛みした。
「で、〈ノーネーム〉と〈アビスルート〉が連合でも組んだってことなの?」
『ということになるようだ。戦略立案のうえで、看過できないファクターだろう』
「べっつに。粒ぞろいでも急造の組み合わせなんて恐れるに足らない。チームワークってのは、一日や二日で醸成できるもんじゃないのよ」
『「ローマは一日にしてならず」か。組織戦を主体とした〈八咫烏〉ならではの含蓄ある金言だね』
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「無性にむしゃくしゃする」
ノエルは会議室の床に体育座りして、ナナシを視界にとらえた。
かの少年のもどかしさがかんにさわる、ということもある。でも何にもまして気に食わないのは、ナナシがミカからちょっかいかけられることだった。
「ねぇねぇ、ナナシくん。わたくし配線してみたのだけど、どうかしら。ケーブルの絡み具合とか、二重螺旋のDNAみたいでしょう。生命の神秘ですね」
ミカがスケルトンフレームのデスクトップ本体を手でたたいている。
「ぼ、僕に許可なく触るなよ。しかもなんだこのつなげ方。わざわざねじれるようクロスさせやがって。僕を手間取らせたいのか」
ナナシはぼやきながら、続々ケーブルを抜いていった。
「ひどい。良かれと思ってやっただけなのに」
ミカは『よよよ』と両手で顔を覆った。
ノエルにはひと目で分かる。泣きマネだ、と。
でも彼は『ミカが本気で悲嘆に暮れている』と思ったのだろう。
「え、ちょ。僕には自分のやりやすい配置があるわけで……。反省してくれるなら、特に追及もしないというか」
あたふたと、支離滅裂なことをのたまっている。
「はい、反省しました」
ミカが手を外すと、案の定涙の一滴もこぼれていない。むしろ満面の笑顔だ。
ナナシも茶化されたと思ったのか、仏頂面で電源コードを差し直す。
ハッカーが三人体勢となり、ナナシの部屋では手狭ということで、活動拠点を会議室へ移動することになったのだ。ナナシのPCやらリクライニングチェアやら、シュレッダー機能つきのお掃除ロボットやらが宍戸の指示のもと、ここへ搬入された。
「配線作業は僕がやる」
ナナシは最後の仕上げを他人の手に委ねることに難色を示し、そう主張した。
余談だけど、ミカが使うデスクトップパソコンとノエルが使用するノートパソコンは、いずれもナナシが予備機としてチューンナップした逸品だ。
それらの二台も含めて現在、ナナシがコード類の最終調整をしている。
宍戸とノエルは遠巻きから作業風景をうかがい、ミカは『手伝い』と称した妨害工作にいそしんでいるところだった。