[エピタフからの刺客]②
照明を落としたカラオケルームは、奇抜な空間になっていた。
定員二十名ほどの大人数用にもかかわらず、利用者は三名きり。しかも甲乙つけがたいほど、ユニークな顔ぶれだった。
まず二十代前半ほどの銀色ミドルヘアの女性。ボディラインが浮き出るライダースーツを身にまとい、バストからヒップにかけて弓なりの曲線を描いている。中でもウェストのくびれが際立っていた。
彼女は長い足を組みつつ、タブレット端末を操作している。部屋に備えつけの選曲するための物でなく、自前の一品らしい。
お次はスキンヘッドの男性。精悍な顔つきで、女性よりはいくらか年上の模様だ。彼もライダースーツを着用しており、筋肉質な体型であることがうかがえる。
彼も歌う素振りはない。ソファの上で座禅を組み、ひたすら瞑想している。
最後は肥満体型の年若い男。ジャストフィットのサイズがなかったのだろう。彼だけがオーバーオール姿だ。発汗作用のためか、かけたメガネがほのかに曇ってる。
彼はタンバリンを鳴らしつつ、備品の大型モニターを眺めていた。そこにはツインテのボーカロイドが映っており、画面の下に太字の歌詞が出ている。
ただ、彼はそれに合わせて歌唱するわけじゃない。映像を満喫するだけらしい。
ここはカラオケルームにもかかわらず、誰一人マイクを握っていないのだ。タンバリンの音と、ボカロ曲のBGMのみが鳴り響いている。
「ねぇ愚弟、いっつも思うけど、そんな二次元の絵なんか眺めて楽しいの?」
銀髪の女性がタブレット端末に視線を縫いつけたまま、太っちょの男性に尋ねた。
太っちょ男が憤然となる。
「す、ステレオタイプここに極まれり、なんだな。浅薄なり。俗世に毒された姉さんにはボーカロイドの高尚さが、一生かけても分からないんだ。人間の女と違って『BBA化』という劣化の呪縛を克服してるし──」
「ほほぅ、愚弟。うちが『ババア』とでも言いたいのかしら」
銀髪女が剣呑に瞳を輝かせた。犬歯までぎらつかせている。
身の危険をいち早く察知したのだろう。太っちょ男は、
「ね、姉さんは例外で、歳を重ねるたび女子力に磨きがかかってる、んだな」
「よろしい。次はないと思いなさい」
「…………」
丸坊主の男性は、我関せずで瞑目を続行している。カラオケ部屋で悟りを開き、無我の境地にでも至るつもりだろうか。
「あーあ、ヒステリックじゃない癒し系の嫁求む、なんだな」
銀髪女が鼻白む。
「ご都合主義のラッキースケベ連発するアニメのアイドル、とかじゃないでしょうね」
「訴訟ものなんだな。ボクチンも、二次元と三次元の区別くらいついてるし」
「ふーん。念のため聞くけど、あんたのタイプはどんな娘だっけ」
「ティーンエージャー……いやさ、女子中学生こそ至高だな」
太っちょ男の即答に、銀髪女は呆然とした。
「あんた、まだ『病気』完治してないのね」
「オレ、女子高生に一票」
解脱に励んでいたはずの丸坊主男が、煩悩まみれな一言をぼそりと漏らした。
「性懲りもない弟だけならまだしも、兄貴もか」銀髪女は天井を仰ぐ。「どうして男って生き物はそろいもそろって、ロリコンなんだか」
「かわいいは正義、なんだな」
太っちょ男が力説した。
「知らんがな。うちは断然三十代より上がいいし」
負けじと銀髪女も自説を展開した。
「ぷぷぷ。姉さんは重度のファザコンなんだな」
「あん。なんか言った、愚弟?」
すごみをきかせる銀髪女に、太っちょ男は手を振る。
「な、なんでもないし。それより商談の支度は?」
「もちろん滞りないわよ。ほいっとな」
銀髪女はタッチパネルの液晶画面を指でたたいた。
ネット回線を介した音声通話の認証をしているらしい。
十秒ほどの待機時間ののち、相手が容認した模様だ。
「はーい、〈エピタフ〉。ご機嫌いかが?」
『まずまずだよ。そっちはどうだい、〈八咫烏〉の諸君』
男とも女とも判別が難しい性別不詳な声音が、スピーカーから届いた。
銀髪女はタブレット端末を、部屋の中央にしつらえられたテーブルに置く。
「ぼちぼち、ってとこかしらね。というか、うちも含めて全員、とっとと暴れたくてうずうずしているくらいよ」
『ふふ、心強いな。では挨拶もそこそこで、単刀直入にビジネスの話をしようか』
「望むところよ。んで、今回は何を侵略すればいいのかしら」
通話相手〈エピタフ〉は一拍の間を置いた。
『〈ノーネーム〉の亡霊、かな』
√ √ √ √ √
野良猫みたい、とミカは思った。
いなくなった宍戸が、一分ほどで連れ帰ってきた少年の様を見た感想である。
宍戸が白無地Tシャツの襟元をむんずとつかみ、引きずるように連行してきた少年は、じたばたもがいていた。非力なのか、抵抗は意味をなしていない。
「はーなーせー。服が伸びるだろ。自分で歩けるって」
「今しがた自室に籠城したやつのセリフとは思えんな。あとちょっとだ。一緒に行くぞ」
嫌々ながらも宍戸に首根っこつかまれる姿が、猫を連想させたのだ。
会議室でイスに座るミカとノエルに相対し、テーブルを挟んで宍戸と少年は立ち尽くしている。宍戸の背後に少年が隠れて、座ろうとしないのだ。
少年は『虚弱体質』という印象だった。幼さを内包する容貌にくっきり刻まれるくま。シャツから伸びる腕は枯れ枝さながら。ダメージジーンズの裾からは裸足がのぞいており、骨と皮みたいな有り様だ。
彼はノエルと同世代の十四・五歳のはず。でも見た目は「ランドセルしょって通学してます」と紹介されても違和感がない。
彼のありようを一言で表すなら『挙動不審』だ。絶えず目が泳いでおり、おどおどしている。心もとないのか、宍戸のジャケットをつかんでいた。
「こいつがうわさの大先輩だ。ほれ、彼女たちに挨拶しろって」
宍戸が前面へと誘導しようとするも、少年は強情に出たがらない。
「あなたが〈ノーネーム〉のナナシ、くん?」
進展しない初対面にしびれを切らし、ミカが相手の名を告げた。
くまのある少年ナナシは一瞬ミカと目を合わし、こくりとうなずく。そしてすぐに視線をそらした。
スピーカーを通して挑発的な態度をとっていた少年と、目の前にいる儚げで薄幸っぽい男の子が、同一人物と結びつかない。
それはそれとしてミカはニーソックスをたくし上げ、起立する。
「返礼として、わたくしたちも自己紹介いたします。わたくしは聖カトレア女学院高等部に在籍する」
するとナナシが手のひらを差し向け、発言を制する。
「──ちの──ない」
モスキート音かと思うほど、か細い声だ。
ミカの聴覚は健常だが、聞き取れなかった。
「もう一度、おっしゃっていただけますか」
ナナシは思案顔になり、宍戸のジャケットを引っ張った。
宍戸が身をかがめる。何やら耳元でささやかれているらしい。
「俺の口から言え、ってか」
ナナシは首肯した。
「『おまえらのプロフィールくらい頭に入ってる。改めてしゃべる必要はない』ってさ。こいつ、極度の人見知り──ってか、対人恐怖症でね。君らを嫌ってるわけじゃないんだ。気を悪くしないで。見ず知らずの人前に出ると、借りてきた猫みたいになっちゃってね」
宍戸が代弁をした。
「ああ。〈アビスルート〉の目星はつけていらしたんでしたね。わたくしたちのことは、どの程度までご存知なのかしら」
またもやナナシが宍戸に耳打ちする。
「あのな、ナナシ。いちいち通訳するの、面倒なんだけど。いやが応でも、これから二人三脚しなくちゃいけないんだし、直接対話を試みろよ」
ナナシはへなへなパンチを宍戸の腰に繰り出した。彼なりの反抗の一環らしいものの、宍戸にとっては痛くもかゆくもないのだろう。
「分かった分かった。俺なりに意訳して話すからな。君たちがアルバイトなんかで履歴書に記載する程度の情報はある。顔かたちも含めて、ね。おっ。ルックスといえばナナシ、二人ともかわいらしい面構えとか言ってなかったか。どっちが好みなんだっけ?」
「うろ覚えで、とんちんかんなことをくっちゃべるな。僕が異性の嗜好について、おまえと意見交換するものかっ」
ナナシが宍戸の背中にヘッドバットを見舞った。
これまた、宍戸にダメージはないようだ。
ふぅん、と言いつつ唇を舌でなめ、ミカは机を回りこむ。
「お姉さま、何をなさるおつもりですか」
「なあに。茶目っ気で親睦を深めようかと思いまして」
ミカはナナシのそばで立ち止まった。
臆したハムスターよろしく、ナナシはミカとの間に宍戸を挟むように半円移動する。
「ねぇナナシくん、お姉さんたちに女としての魅力を感じたの?」
ナナシは真っ赤な顔で、もげそうなほど首を左右に振る。
人との接触が苦手なうえ女の子に免疫ないのだろう、とミカは当てをつけた。
──あぁ、素敵。この子、なんていじりがいがあるのでしょう。
生まれたての小動物のごとき、新鮮なリアクション。彼の純朴さがトリガーだった。
通常の感性であれば保護欲をかきたてられ、『ほっとけない』と感じるのかもしれない。けど湾曲した感受性の持ち主であるミカの場合、嗜虐心に火がつき『調教してやりたい』と思ったらしい。
ミカは控えめに言っても、Sっ気全開な女の子だ。ナナシの性癖がM寄りならば、相性抜群かもしれない。
「どの道君らに選択肢はないんだが、ナナシとうまくやっていけそうかな」
蛇ににらまれたカエル状態のパートナーが忍びないのか、宍戸が助け船を出した。
「ええ、とっても懇意になれそうです。よろしくね、ナナシくん」
喜色満面のミカに対し、ナナシは顔面蒼白で、ノエルは前途多難を危惧する面持ちだ。
胸のうちに渦巻く思いは三者三様。
とんとん拍子、とは言いがたいものの、こうして〈虚数輪廻〉は〈千里眼〉にくみする運びとなった。