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[アビスルートの功罪]①

 薄暗い室内で、トリプルモニターが煌々と光っていた。

 右のディスプレイには分割された監視カメラの映像、左のモニターでは大勢の二頭身キャラがクラシック音楽のオッフェンバック作曲『天国と地獄』を奏でている。

 中央の画面に浮かび上がった黒いウィンドウには、めまぐるしく英数字が行き交っていた。


「ふーんふんふーんふん ふふふふふふふ ふーんふんふーんふん ふふふふふふふ」


 三つのモニターの前にはクラシックの旋律に合わせた鼻歌交じりに、せわしなくキーボードをたたく一人の少年がいる。

 年のころは十代半ば。

 あどけなさを残す容姿にあってひときわ異質な特徴──慢性的な睡眠不足なのか、目の下に濃いくまがある。

 服装は簡素で、白無地のシャツにボロボロのダメージジーンズ。靴下は履いておらず裸足だった。

 彼がキーを打つたび、次々と黒ウィンドウにアルファベットが刻まれていく。


 それにしても殺風景で狭苦しい部屋だ。

 トリプルモニターを据えたワークデスクに、少年が腰かけるリクライニングチェアしかめぼしい家具がない。机の下にはスケルトンフレームのデスクトップPC。

 窓はなく、出入口の扉は一つきりだ。

 余暇を過ごす快適空間というより、場末の個室ネットカフェか、囚人を隔離する独房を彷彿とさせる。


「おっ、ビンゴ。

 裏帳簿、ゲットだぜ」


 少年が独りごちた。一人なので言わずもがな、呼応する者はいない。

 少年がコマンドを入力した。表計算ソフトで作成された帳票ファイルをひとまとめにダウンロードしている模様だ。

 転送完了まで、あと五十秒。

 少年は机上にある付箋とボールペンを手に取る。


「アストロン商事……○と」


 付箋に丸印をつけたあと、数枚のA4用紙を指でつまむ。標的のアストロン商事に関する記述でびっしり埋め尽くされていた。

 その紙束をくしゃっと丸め、肩越しにポイ捨てする。あたかも書き損じた原稿用紙をほうり投げる文豪のように。

 床に転がった紙くずに反応する物体がある。

 円盤型のお掃除ロボットだ。ゴミに近づくや否や、迅速に吸引。

 この掃除ロボットは特別製で、ゴミ回収時にシュレッダーをかけるのだ。

 紙くずを平らげたロボが、待機場所である充電エリアへときびすを返す。


 折しもファイルのダウンロードが終了した。

 少年は長居無用とばかりに、アストロン商事メインシステムへの接続を断つ。

 続けざまクラシック曲を停止すると、二頭身の小人が一斉に沈黙した。

 エクスプローラーを立ちあげ、切り取りしたファイルを一式サーバーへ移す。

 移送の間にメーラーで新規メールを作成。タイトルに現日時のタイムスタンプ、本文に拝借したファイルの格納場所のみ明記し、送信ボタンをクリックした。

 メール送信完了と同時に、ファイル群の保存も終わっている。


 少年は『アストロン商事』と書かれた付箋をはがして、イスから立ちあがった。

 壁に寄って、ためつすがめつしている。

 やがて意を決したように貼りつけた。

 一歩下がる。納得の出来栄えだったのか、こくりとうなずいた。

 白い壁には、今貼ったのと別の付箋が無数にくっついている。赤、青、緑、黄などと虹さながらに色とりどりだ。

 俯瞰で見ると、さしずめキャンバスに描き出した絵画のよう。

 投影されたデザインは──


 そのときけたたましいベル音が鳴り響いた。

 少年はしかめっ面になって、着座し直す。

 インターネット経由で電話がかかってきたらしい。着信の相手は〝フィクサーS〟と表示されている。

 渋々といった面持ちで通話を承認した。


『いるんならさっさと応答しろよ、ナナシ。

 十回も二十回もコールしたままだと、不測の事態が生じたのかと、やきもきするだろう』


 ひょうひょうとした若い男の声だ。屋外にいるためか自動車の通過音や、雑踏のノイズなどが混在している。


「心にもないことを言うな。用件はなんだ」


 取りつく島もない少年、ナナシ。


『つれないな。雑談の一つもできやしない。

 野暮ったいガキンチョに育てた覚えはないぞ』

「育てられた覚えもない。

 用がないなら切るぞ」

『ストップストップ。早まるなよ。忍耐力のかけらもないな。

 これだから最近の子供は、キレやすいと陰口たたかれるんだ』


 ナナシは舌打ちして、リンクを切断しにかかる。


『メール見た。ハッキングは首尾よくいったみたいだな。

 アストロン商事はクリーン、なんて前評判はまやかしにすぎなかったか。

 で、痕跡は残してないだろうな』


 本題に入ったようなので、ナナシはぶった切りを思いとどまった。


「なめられたものだ。僕がヘマすると思うのか」

『思わない』フィクサーSは即答した。『けれどアストロン商事のセキュリティシステムは国内でも屈指の堅牢さを誇る、とうたっていたしな。念のためだ』

「あれで指折りとはね。

 あんなもろくて歯ごたえない防壁でトップクラスなら、この国の防衛意識なんてたかが知れる」

『おまえを基準にするなよ。

 一般企業に国防総省クラスのファイアーウォールを配備しろってのは、いささか酷だろ。膨大な予算がかかっちまう』

「金勘定など知らん。

 しかしいつまでも平和ボケしているようじゃ、クラッカーたちの格好の餌食だろうよ。

 僕としては変幻自在に立ち回れて、仕事しやすい限りだが」

『至言だな』


 フィクサーSはくぐもった笑い声を発した。

 話題を転じるためか、せきをする。


『次がいよいよ本番か』


 答えず、ナナシはイスを回転させる。

 付箋を貼った壁の前で停止。一瞥する。

 付箋の全体像は、中心に稲妻マークがある、ひび割れたハート型になっていた。


「…………」


 無言で机の上にある資料を取る。次なるターゲットの情報が網羅されていた。

 私立聖カトレア女学院。

 郊外にある、全寮制で中高一貫のお嬢様学校だ。



√ √ √ √ √



 聖カトレア女学院のコンピュータルームに女子生徒が二人いた。

 一人は高等部二年で黒髪ロングの清楚な色白美人、もう一人は中等部三年で短髪にカチューシャをつけたつぶらな瞳の少女。

 二人ともコンピュータ部の部員だ。


 広々とした室内には旧式であるものの、パソコンが各種そろっている。OSはウインドウズにマッキントッシュ、リナックスまで完備されており、メンテナンスが行き届いていた。

 しかしコンピュータ部に所属する部員は二名のみ。

 男子がいる共学ならまだしも、女子生徒オンリーの女子校では、パソコン操作を主体とするクラブは不人気なのだ。

 もっとも彼女たちは後継者不足を憂うどころか、広い部室を専有できて悠々自適という風情ではあるが。


「ミカお姉さま、来月『リトデビ』の新作コスメが発売されるようです」


 ショートヘアの少女がくりくり眼を輝かせ、隣を向いて言った。

 彼女の手元にはノートパソコンが一台ある。ウェブブラウザでネットサーフィンに興じていたのだろう。


「へぇー。URLをメッセンジャーで送ってちょうだい、ノエル」


 ミカと呼ばれた美貌の女子が長い黒髪をかき上げた。

 彼女の目の前にデュアルディスプレイがある。モニターの横にはミニタワー型のデスクトップ本体。


「喜んで!」


 ショートヘア少女、ノエルは嬉々としてマウスをドラッグした。

 ミカの画面にポップアップが出て、URLが表示される。彼女はブラウザのアドレスバーにコピペした。

 立ち所に画面が遷移する。

 ハートマークの両端に、デフォルメした悪魔の翼が生えたロゴのコスメブランド『リトデビ』の公式ホームページだ。


「まぁ、本当ね。明日から予約受付ですか。

 記憶にとどめておかなくては」

「ご安心ください、お姉さま。

 たとえお忘れになっても、あたしが覚えていますので」


 ノエルはセーラー服の胸元をげんこつで『とん』とはたいた。


「うふふ。頼もしいわ。

 おかげで、ついついあなたに任せっぱなしになってしまう。

 わたくしが年上なのに、形なしですね。どちらが部長か示しがつかない」

「もったいないお言葉です。あたしなんて足元にも及びませんので。

 ましてやほかの有象無象など論外。ミカお姉さま以外に部長の大役は務まりません!!」


 ノエルの大声に、ミカは目を丸くした。すぐに気を取り直し、左手でノエルの頭をいとおしげになでる。

 よしよしされた子猫よろしく、ノエルはこそばゆそうに目を細めた。

 ミカの指がカチューシャの端っことニアミスする。

 そこにはリトデビのロゴマーク、悪魔の羽を生やしたハートマークの飾りがあった。

 髪の毛をすくミカの手首にシュシュがはまっており、ワンポイントで同一のハートがあしらわれている。

 姉妹品、もしくはペアグッズなのだろう。


「ありがとう。

 ただし『あたしなんて』というのは感心しませんよ。

 ノエルはわたくしを補佐してくれる、立派な副部長ではありませんか」


 お姉さま……、とノエルは恍惚の面差しで、されるがままだ。


 余談だが聖カトレア女学院に上級生を「お姉さま」と呼ぶ風習はなく、二人に血のつながりもない。ノエルが自発的に採用しているのだ。

 ミカに対するノエルの接し方はある種で異様、常軌を逸している。

『親愛の情』という枠では収まりきらず、教祖をあがめる心酔に近い。

 慕われるミカのほうに百合属性がないので、一線を越えることはないけれど。


『では特集です。

 今日は巷で話題のハッカー、〈虚数輪廻(きょすうりんね)〉について論じたいと思います』


 ノートパソコンとデュアルディスプレイの中間に、一台のスマートフォンが立てかけられていた。ワンセグ放送のワイドショーが映っている。


「あらあら。タレントのほれたはれたにしか焦点を当てない低俗番組かと思いきや、まともな社会問題をピックアップするのね。視聴率が低迷しているせいかしら」


 ミカは顔をほころばせて、スマホに意識を向けた。

 頭なでなでが中止され、ノエルは若干唇をとがらせる。


『本日はサイバー犯罪の権威をお呼びしております。

 ネットジャーナリストの小堺(こさかい)さん』


 女性キャスターに招かれ、画面の中にうだつが上がらない風体の中年男性が登場する。


「なんですかこのオヤジ。肩書きもめちゃくちゃうさんくさいし」


 ミカとのスキンシップを妨害した怨敵、とでも言わんばかりにノエルがねめつけた。

 殊更にミカもたしなめない。プリーツスカートのまま、ニーハイを履いた華奢な脚を組む。


『よろしくお願いします。

 早速ですが、小堺さんは〈虚数輪廻〉による一連の奇行をどうお考えでしょうか』

『どう、と漠然とおっしゃられても、返答に窮しますね』


 小堺は渋面になった。


「インテリぶったつもりですかね」なおもノエルは悪態をついている。「だいたい〈虚数輪廻〉って呼び方もどうかと思います。〈アビスルート〉のほうが断然ファンシーなのに」

「この若手キャスターへの配慮でしょう。

 一歩間違って噛めば、放送禁止用語に抵触しかねませんし。お尻の穴を意味する、アヌ──」

「お姉さま、はしたないですよ。

 そんなスラングを言ったが最後、おきれいなお口が腐り落ちてしまいます。

 自重なさってください」

「肝に銘じましょう」


 ミカがいたずらっぽく唇に人差し指を当てた。


『〈虚数輪廻〉によって会社の不法行為、たとえば談合や脱税に贈収賄などが暴かれています。先日は、社員へ長時間労働を強いるブラック企業が摘発されました。

 一部の間では弱者を救済する〝正義の味方〟ですとか、世直しを敢然と行なう〝義賊のハッカー〟との見方もあります。

 小堺さんの見解はいかがでしょうか』


 女性キャスターのセリフを傾聴していた小堺は、おもむろに口を開く。


『義賊、ですか。私からしてみれば笑止千万ですね。

 年齢・性別・構成人数が分からずじまいの正体不明ですが、便宜上「彼」と呼称します。

 彼は確かに企業の暗部を暴露したのかもしれない。ただし彼自身のハッキングによって盗みだした情報を、です。

 不正を断罪する者が不正アクセスでデータを入手している。

 こんな矛盾した与太話がありますか。

 つまるところ、愉快犯のたぐいですよ。しがないこそ泥だ』

「つまんない。知ったかぶりの妄言は聞き飽きた」


 ノエルがワンセグ放送を切ろうと手を伸ばした。

 ミカがノエルの手首をつかみ、首を振る。

 ほほ笑みかけられたノエルは、うっとりとして身じろぎもままならなくなった。


『あと一つ訂正していただきたい。

 あなたは先ほどから再三「ハッカー」という言葉を口にしていますが、正確には「クラッカー」です。

 元来ハッカーは温和で理知的。己の卓越した技術を決して悪用しません。

 サーバーをダウンさせたり、システムをクラッシュさせる下賤の輩はクラッカーと呼ばれます。

〈虚数輪廻〉だか〈アビスルート〉だか知りませんけど、彼のしていることは所詮、自己顕示欲の発露でしょう。高潔なハッカーと似て非なるものです。

 偽物にでかい顔されては、本物たちの肩身が狭くなりますので』


 やや論点がずれた強弁に、キャスターがたじろいでいる。


『え、ええ。クラッカーですね。

 パーティーのときもサプライズで用いますし。不意打ちで鳴らされた日には仰天して』

『おもちゃのクラッカーと一緒くたにしないで欲しいな。

 いいですか。そもそもの語源は』


 完全に脇道にそれだしたので、ミカはスマホのテレビを黙らせる。


「ナンセンスで貧困な着眼点だこと。

 視聴者の心証を度外視した、格式張る物言いも鼻につきますね。

 表現の一工夫で揺るぎない真実に化けることもあれば、陳腐な憶測にも成り果てるでしょうに」

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