食べられる少年
「蜘蛛に爪先を食べられた」
2週間前のいつも通りの忙しい朝。朝食を食べていると6歳年下で小4の弟、頼光がテーブルに着くなり、唐突に呟いた。
私と両親は思わず顔を見合った。
弟はゾンビの出て来るゲームをやってはゾンビに襲われたと言い。怪獣映画を見ると怪獣に襲われる夢を見るためだ。
「で、今回はどんな夢を見たんだ」
「夢の中で。デッカイ蜘蛛に糸で縛られて、爪先を食べられた」
「寝る前にベットの中でモンハンでもしたんでしょ。やり過ぎるからそんな夢を見るのよ」
「気のせいか。爪先の感覚がないだけど」
「思い込みよ。あんた直ぐゲームやテレビに影響されるんだから。変な夢に見て、そう思っているだけよ」
弟のくだらない話に、私も両親を対して耳を傾けなかった。
ここで弟の話をちゃんと聞いてあげれば、最悪の事態は避けれたかもしれなかったのに。
◇ ◇ ◇
2日後、弟の麻痺は、爪先から足首まで進み、弟は歩けなくなった。
この時になって初めて、私と両親はことの重要さを理解した。
急いで救急車を呼び、病院に行った。それ以来、弟は入院している。
現在、麻痺は腰まで進み、弟はベットで寝たきりの状態になっていた。
病名は筋萎縮性側索硬化症。
メジャーリーガーのルー・ゲーリッグがかかったことから、ルー・ゲーリッグ病 とも呼ばれているらしい。自己免疫疾患だそうだけど、なぜそれが起きているかの原因は不明。
もっとも、本当に筋萎縮性側索硬化症かは怪しいらしい。
通常、筋萎縮性側索硬化症の患者の多くは、発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡するらしい。
2日で足首が動かなくなり、2週間で腰まで進むなど進行が早すぎるのだ。
また、多くの患者は中高年なのに、弟は小学生。症状も、爪先から麻痺が始まるなど、病状も大きく異なっている。
実際のところは、お医者様でも判らない原因不明の難病奇病というやつだ。
当然、薬もない。
一方、弟が見る悪夢は、ますます酷くなって行った。毎晩、少しづつ食べられ、今は腰まで食べられたらしい。
痛いのか弟に聞いてみると、不思議なことに痛くなく、むしろ気持ち良いとのことだ。そのことが余計気持ち悪いとのことだった。
お医者さんが言うには、体が麻痺する恐怖が夢になって表れているらしい。せめて、悪夢だけ見ないようにしてあげたいのだが、どんな薬を飲んでも悪夢はなくならなかった。
弟は日に日にやつれていった。
◇ ◇ ◇
お医者様からこのまま病気の進行が止まらなければ、あと2週間で、麻痺は心臓にまで到達すると宣告された。
このままでは、弟が死ぬ。
2週間前までは、喧嘩していた生意気な弟が、3週間後には死んでしまう。
私と両親は悲しくて一晩中泣いた。
対して、弟は、私と両親の悲しみを察したのか、このところ、いつも以上に明るく振舞っている。
「姉ちゃん。モンハンしようぜ」
放課後、私が病院に行くと、弟はいつも嬉しそうに、ゲームをやろうと言ってくる。
性別も違い、年齢も離れていると、共通した趣味話題もない。ゲームを一緒にやることが、現状の私と弟の唯一のコミュニケーションだ。
個室で多少騒いでも問題ないので、私も弟もバカみたいに真剣にゲームをした。そして、バカみたいに笑い歓喜した。
私が弟にしてあげることは他にないのだろうか。
私は、弟にとって良い姉だったのだろうか。なんでもっと前から優しくしてあげなかっただろうか。
後悔と悲しみが私の心を満たしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
それ以来、放課後、弟の見舞いに行くのが私の日課になっていた。
そして、その青年は、何の前触れもなく突然現れた。
「すいません。少しお話したいことがあるんですけど、良いですか」
病院の裏にある駐輪場に自転車を止め、正面玄関への道を歩いていると、突然、さえない高校生らしき男性が声をかけて来た。
身長は170センチの中頃、中肉中背。ワイシャツにジーズと特徴がないのが特徴だろうか。
新手のナンパだろうか。私は無視して通り過ぎた。
男は私のことをしつこく追ってきて、再度声をかけて来た。
「弟さんのことに関して、大切なお話があるんです。1分で良いですから。話を聞いてくれませんか」
なぜ、この男は弟のことを知っているのだろうか。私は思わず足を止めてしまった。
難病患者の家族をターゲットだろうか新手の詐欺師だろうか。しかし、高校生風の男が詐欺師には見えなかった。
では、なぜこの男は私に声をかけたのだろうか。私は、この男の話を聞いてみたくなった。
「歩きながらで良ければ」
私は再び歩き始めた。
「判りました。では、手短に。弟さんの病気は、たぶん夢の中の蜘蛛が原因です」
予想外の内容だった。夢の中の蜘蛛が病気の原因だとこの男は言うのだ。
なぜ、この男は弟の夢の内容を知っているのだろうか?
疑問に思ったが、私は、既にこの男と話に対する好奇心を止められなくなっていた。
「精神的な問題だと言うのですか」
「厳密には違いますが……そう解釈してかまいません。要するに夢の中の蜘蛛を退治すればいいんです」
「夢の中の蜘蛛を退治するなんて、そんなことが、あなたに出来るんですか」
「できます。そのために、僕は来たんです」
男は自分のことを近藤と名乗った。
今日のところは、とりあえず観察として、寝ている弟の側に居させてくれれば良いと言うのだ。
退治方法は、観察した後に考えて説明するとのことだ。
「そんな話信じろって言うの」
「信じてください」
「料金はいくらなんですか」
「料金。 う~ん、とくに料金体系は決まっていないのですが。お客様の所得しだいですね」
「何よそれ。あとで100万円とか吹っかけるんじゃないの。信じられないわね」
「とりあえず、1万円で良いです」
「ずいぶんいい加減ね。一分って言ったわよね。もう御終い」
そう言うと、私は男を置いて、病院へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
「姉ちゃん、どうしたの。何か来る途中にあったの」
部屋に入るとすぐに弟が訊ねてきた。
「何にもないわよ」
「姉ちゃんは顔に出るんだから直ぐに判るよ」
私はそんなに顔に出るタイプなのだろうか。
あまり、話したくなかったが、あまりにも弟が話すように迫るので、結局、来る途中に会った変な男の話をすることにした。
「本物の霊能力者かもしれないよ。」
弟は、予想外の反応を示した。
「なんでよ。普通の高校生って感じよ」
「だからじゃないか。ネットで調べると近頃、高校生風の霊能力者たちが居るみたいだよ」
どうやら私が渡したスマホで暇な時間にいろいろと調べていたようだ。
「姉ちゃんは、霊能力者はどんなかっこをしていると思ってるの」
「それは…」
白い服を着た巫女さま風とか、黒い服を着た牧師さんとを想像していた。
「霊能力者なら初めからそう名乗れば良いのよ。こそこそしないで」
「でも、姉ちゃん。そう名乗ったら信じた」
「信じなかった」
弟に言われると、なんか損した気分になっていた。そして、ひょっとしたら、弟の病気を治してくれたのかも。私はまた弟を助ける機会を失ってしまったのだろうか。と考えると…後悔の念に苛まれてきた。
◇ ◇ ◇ ◇
信じがたいことに、あの男は次の日も私を待っていた。
損をすることもないので、やらせてみることにした。
しかし、実際問題として単純な問題が一つあった。
この男は夢の中の蜘蛛を退治すると言うが、面会は9時まで、面会時間内に弟が寝ることはまずない。
弟は私と遊ぶことを楽しみにしており、面会時間中はまず寝ることがない点だ。
病院に説明して、滞在時間を延ばすのは難しいだろう。
病院に説明したところで、怪しい男の話を信じることはないだろう。警戒されだけの危険性がある。
その点を男に説明すると、さんざん遊んで、夕食を食べれば眠くなるのではと男が答えた。
駄目なら次の日にするだけですと言われた。
この男も携帯ゲーム機を持っており、夕食までは、三人でモンハンをしながら過ごすことにした。
私と近藤は病院内のコンビニでご飯を買い、夕食を弟と一緒に食べた。
すると不思議なことに、いつもは寝ない弟が眠たいと言い出した。
そればかりではない。
私自身も、眠くなり初めた。
私が眠くなるなんて、おかしい。弟がこんな都合よくなるのもおかしい。
食事の中に薬を入れられた。
そう気が付いた時には、既に遅かった。
私の体はすでに動かず、意識は薄れっていった。
◇ ◇ ◇ ◇
気が付くと、私は病院の談話室で、パイプ椅子に座りながら机に俯せ(うつぶせ)になっていた。
どうやら、個室で寝ていたのを運ばれたようだ。
時計を見ると、まだ6時だった。たいして寝ていなかったようだ。
あの近藤とかいう男は大嘘吐きだ。
信じた私がバカだった。
男は弟に近づくために、私を利用しただけなのだ。
何のために、弟に近づいて、弟に何をするかは想像できなかったが、弟にどんなことするか、判ったものではない。
私は弟のことが気になり、急いで個室に戻った。
弟の個室の扉を開くとそこには信じがたい光景があった。
ベットの上には、白い糸で縛られた弟が居た。
弟の両腕は糸によりベットの柵に縛られていた。
そして、下半身は…存在していなかった。
代わりに、背骨がむき出しになっており、腸がベットの上に垂れていた。
まるで、何かにより下半身を食べられたみたいに。
その光景は、まさに弟が訴えていた光景だった。
この光景は、現実の光景なのだろうか。それとも、弟の言葉に影響されて、私も悪夢を見ているのであろうか。
「姉ちゃん。逃げて。蜘蛛が側に居る」
縛られている弟が声を上げる。
左右を後ろ見ても何も居ない。私には、蜘蛛がどこにいるか判らなかった。
弟に見えて、私に見えない位置。
私が恐る恐る顔上げると、目と鼻の先に巨大な黒い物体があった。
予想以上に近い位置に、悲鳴を上げ、私は思わずしゃがみこんだ。
軽自動車程の大きな蜘蛛。こんな大きな蜘蛛が側に居るのにまったく気がつかなかった。
夢だと判っているのに、逃げようとしても、腰が抜けて動かなかった。
蜘蛛が糸を吐き、私を床に拘束する。そして、天井から床に降りた。
私も弟と同じように徐々に食べられるのだろうか。私も弟と同じように、足が徐々に動かなくなるのだろうか。
「姉ちゃんに、手を出すな。俺を先に食べろ」
弟の怒号が聞こえる。
蜘蛛は私の靴を脱がし、足をなめ始めた。正確にはかじられているのだが、感覚が麻痺しているので、そう感じるのだ。
そんなことを考えていると、突然、蜘蛛の動きが止まった。
蜘蛛の背中を見ると、近藤が居て、蜘蛛の胴体に刃物を突き刺していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ちょっと、あんた何していたのよ。助けるなら、早く助けなさいよ」
「ちゃんと、助けに来たじゃないか。それにこの程度の傷なら、直ぐに治るさ」
近藤は私の傷を見ると、心配そうなそぶりもなく言った。
「ちゃんと説明しないさいよ。これで終わったの。弟は治るの。ここはどこなの。あの怪物はなんなのよ。あんたは何者なの。」
「一度に言わない。ちゃんと説明するよ。これでお終い。弟さんは時間はかかるけど、ちゃんと歩けるようになる。ここは弟さんの夢の中。あの怪物は土蜘蛛という妖怪。そして、僕は妖怪を退治するハンターさ。弟さんの噂を聞いて倒しに来たわけ」
「なんで初めからそう言わないのよ」
「妖怪なんて言葉を出したら、絶対信じなかっただろ」
「そりゃそうだけど。その土蜘蛛とかいう妖怪は、なんで弟を襲ったのよ」
「弟さん個人には恨みがなくて。だぶん、弟さんの名前が原因だと思う。むかし、源頼光という人が、土蜘蛛という妖怪を退治したんだけど、思わぬ恨みを買ったというところかな」
「なんで今になって」
「2か月ほど前、住宅を建てるために、塚を壊して、封印が解けたのが原因ですね」
「これで全部終わったの」
「終わった。目が覚めれば全てが上手く行っているさ」
◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めると、私は弟のベットに寄りかかっていた。
すでに、青年は部屋に居なかった。
そして……不思議なことに青年の名前も顔も思い出せなくなっていた。
結局、全て夢ということなのだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇
不思議なことに、次の日には、弟の病気は劇的に改善した。
麻痺はなくなり、一週間ほど様子を見ながら、リハビリをすれば退院できると言われた。
昨日のことは現実だったのだろうか。いや、確か、青年は弟の夢の中での出来事だと言っていた。
ということは、現実なのだろうか、夢なのだろうか。ややこしい話だ。
病院の看護師さんたちも誰か居たことをまでは覚えているけど、良く覚えていないとのことだった。
私の記憶も時間が経つごとに、どんどん曖昧になって行く。忘却の魔法でもかけられたのだろうか。
せめて最後に、お礼の言葉を言いたかったけど、もう道で会っても気が付かないだろう。
青年は、本当に妖怪を退治するハンターだったのだろうか。
そもそも、本当に妖怪なんてものがこの世に存在するのだろうか。
もう確かめる方法はない。