弟子なんてこんなもんですよ
ユアン少年は困っていた。敢えてもう一度言おう。ユアン・トラヴィエンスは困り果てていた。
『この看板……もう何度目かな』
どんより沈んだ様子で、暗い通りにある立て看板を見た。『Bar NOCTURN』という飲み屋は当然、15になったばかりの少年の目的地ではない。
ガーデンという名の、聞いた話では明るく家族連れも多い宿屋を探している。そこにいる人物に呼び出されているのだ。
しかし、約束の時間は1時間前に過ぎてしまった。道を尋ねた、親切な露店のおばさんは1時間もせずに着くと言っていたのに、1時間が1時間前に過ぎてしまった。
「先生に怒られるぅ!」
思わず、泣きそうになって口走った。
怒られるというか、多分、殺される。いや、アレも一応は人の心を持っているから四分の三殺しで済むかもしれない。淡い希望であるが。
売りに出される仔牛宜しく、ションボリトボトボ歩いていると……。
「こんなとこにいやがったかクソガキっ!!」
「ひいっ、先生っお許しをおっ」
ユアンが反射的に頭を下げた相手は……しかし、目に入らない。
「あ……あれ、先生?」
また、聞こえた。
「こんなとこにいやがったかクソガキっ!」
「ま・さ・か……」
繰り返し暴言を吐いているのは、小さな鳥だった。真っ赤な羽の、ユアンの手の平にも乗りそうなサイズの鳥。可愛く首を傾げて、暴言を吐いている。
この鳥が暗唱しているのは、だが、紛れもなくユアンの「先生」……つまり今回の呼出し人の台詞だろう。この鳥は「先生」のペット、ガルドシュタイン。長いので、「先生」さえ本名で呼ばない。だったら、そんな名前付けるなとは口が裂けても言えないユアンである。
「ガル、先生のところに案内してくれるか?」
「ガルドシュタインに付いていけ馬鹿弟子!」
先生が仕込んだらしい。全く、賢い鳥である……。
パタパタと羽ばたいていく小鳥。それに付いていって初めて、通りを一本どころか三本も違えていた事を知った。
これはもう、罵られても仕方ない。
先程と打って変わった、平和的に明るい通り。確かに見えてきたガーデンという宿屋は、子供連れが入って行ったところだった。
この、ユアンが迷子になった町は判りにくい辺境というわけではない。美しい町並みと近隣にある有名な遺跡で人気の観光地。当然、町並みは整理されて方向指示看板も多い。
敢えてもう一度言おう。ユアンは罵られても仕方ない。
「まあ! 可愛いボーヤ☆」
「ど……どうも」
宿泊受付のおばさんはユアンを見て、目を輝かす。
確かにユアンは可愛い。男子としてどうかと思うが、小柄で目が大きく髪が少し長めなので……ボーヤと認識されただけマシな方だった。
「済みません、ミス・レイファンの部屋はどちらでしょう?」
「あら、先生のお連れさんなの?」
「えっ、あ、はい」
何故、あの人の職がばれている? と首を傾げたが、向こうから説明してくれた。
「ここで昨日、従業員の急病人が出てね! 解熱剤も効果ないし、安静にしても悪くなる一方ってので困り果ててたんだわ。
そしたら先生が自分が看るっておっしゃって……。そしたらビックリよ! すーぐに治ったんだから。何の病気だったのか聞いたら、教えてくれなかったんだけどねえ」
「そうでしたか……」
ユアンが、いくら厳しさの度が過ぎて人外的だからといって「先生」が嫌いになれない理由がここにある。自分らの仕事を慈善事業と言い切り、「患者」を見つけると誰が相手で場所がどこでも「治療」する。
「ああ、話し込んでごめんねぇ。3階奥の315室だよ」
「ありがとうございます」
「先生にもう一度、ありがとうって言っておいておくれよ」
さっきまで
『流石、先生だなー』
とのんびりした気持ちであったが、315室に着いて背筋が凍った。
センセイ、オコッテルカナ……?
先生の優しさというものは「患者」にしか与えられる事がない。可愛い顔した弟子であろうと、その恩恵には与れない。
震える手でノックした。
「はい」
低めの、女声にユアンの背筋が伸びる。
「ユアンです、その、遅れて申し訳ありませんっ」
「とっとと入れ馬鹿弟子っ! どこをほっつき歩いてたっ」
「すっすみません!!」
部屋に飛び込んでユアンは無我夢中で頭を下げた。そこに落下してきたのはげんこつである。
「馬鹿につける薬の開発をウォルグに依頼するべきか……。ったく」
ユアンを容赦なく殴り倒し、現在それを椅子代わりにしているのは若い女。アルザ・レイファンという彼女は旅をしながらユアンに少々変わった医療を教えている医者。医者としての腕は天下一品。患者に対して(だけ)はとても良心的で、通常の医療費の半分も請求しない。だから患者に(だけ)は非常に評判の高い放浪の医者である。
また、中身が残念、酷すぎるが見掛けはユアンでも時々、女神に見える。初対面の時、こんな美しい師匠で幸せだと思った瞬間が懐かしく、呪わしい。それから数日、常に暴力的な彼女に対して『今日は機嫌が悪いのかな』という解釈をしていた自分が馬鹿馬鹿しい…。
「さて、馬鹿ユアン。呼出しに遅れた言い訳は?」
「その……迷子になりました」
「ワタシは地図をやったな?」
「はい」
「その上、30分程掛けて説明したな?」
「はい」
「ワタシに非があるか?」
「…いいえ」
「判決、死刑」
「即決っ?!てか、医者がそんな事をっ」
「お前はワタシの何だ」
「で…弟子です」
「ほら解決。患者じゃない。お前が死んでも問題なし」
「どんな論理ですかっ」
「ツッコミ入れる元気はあるようだな。反省の色なし。二度死ね」
このあと1時間については触れない事とする。