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名もなき帝国の物語

公爵親子・主従の優雅な休日

作者: 中里勇史
掲載日:2026/07/23

本作は『愚者たちの輪舞』(https://ncode.syosetu.com/n1332ko/)のスピンオフ短編です。

【伯爵サギ】

 帝国北部のを領するナインバッフ公国の首府の南西。主要街道から外れた道を、三つの騎影がのんびりと西に向かっている。

 三頭の馬には上等な馬具が付けられているが、乗っている三人は農民と大差のない身なりをしていた。


 この不自然極まりない一行の先頭にいるのは、帝国に六人しかいない枢機侯の一人でありナインバッフ公国の君主でもあるケルヴァーロ。彼に従っているのは、嫡男のガルトザーレ伯ファウフェレスとケルヴァーロの忠臣カルトレンツ卿サンツァーツである。


「あ! ドライスサギがいますよ、父上」

伯爵(ドライス)サギ? 何だそれは。偉そうな名前だな」

「偉いのですよ。伯爵に叙されているのですから」

「何だそれは」


 ケルヴァーロは眉間に皺を寄せて首をかしげた。顔全体で「分からん」と主張している。


「第五代皇帝フォルデガウ帝が地方を行幸していたおり、一羽のサギが目にとまり、『あのサギを捕らえよ』と宮内伯に命じました」

「ふむ。それで?」

「その宮内伯が、『陛下の御諚(ごじょう)である。とどまりたまへ』と言うと、サギは動きを止め、おとなしく捕らえられました」

「そんな鳥がいるか?」


 ケルヴァーロは眉間に皺を寄せて首をかしげた。顔全体で「分からん」と主張している。


「知りませんよ。伝説です。とにかくフォルデガウ帝は感心し、『我が命に神妙に従うとは健気である。そなたにドライス(伯爵)位を与える』と仰せになった。以来、あの頭部に黒い線が入っているサギはドライスサギというのだそうです」

「なるほど。サンツァーツ、ドライスサギ殿に礼を欠いてはならんぞ」


 ケルヴァーロは、自分の冗談が大層気に入って大笑いした。

 サンツァーツは愛想笑いすらせずに馬に揺られている。この家臣には、主君の冗談にいちいち反応する気がない。


「ところで父上、どこに向かっているのですか」

「何だ、目的地も知らずに付いてきたのか」

「『いいから付いてこい』と言って、このような服を着せて強引に連れてきたのは父上ではありませんか」

「そうだったか?」

ガルトザーレ伯(ファウフェレス)は何度も公爵(ケルヴァーロ)に目的をお尋ねになっておいででした」


 サンツァーツが久しぶりに口を開いた。


「そうだったか? まあいい。サイポンポ村?だったかな。そこが荒れ地を開墾して農地を広げてるんだそうだ。それを手伝おう、というわけだ」

「テグモンテ村です」


 サンツァーツがすぐに訂正する。


「大体合ってる」

「いえ、全く合っておりませんな」


 サンツァーツはしかめ面のまま答えた。忖度する気が全くない。ケルヴァーロも、その程度で腹を立てたりはしない。

 ファウフェレスはようやく得心したという顔になり、父の顔を眺めた。


「領民に手を貸すという趣旨は理解しました。であれば、人手を出したらいかがですか。公爵なのですから」

「その村だけ特別扱いするわけにもいかん。農地を広げるのも農民の仕事だしな。あくまでも俺の道楽として手伝うのだ」

「道楽、ですか」

「道楽さ。時間があって天気が良い日に、体調がよければやる。全くもって都合のいい、お遊びじゃないか。だが農民にとっては遊びじゃない。彼らは嵐の日でも、体調が悪くてもやらなきゃならない。俺には務まらん、厳しい仕事だ」

「仕事、ですか」

「農民たちがどんな仕事をしているのか、お前も身をもって体験しておくのは無駄ではあるまい」

「私まで体験する必要はなかろうと存じますが」


 サンツァーツが表情も変えずに言い放った。


「えっ! せっかくなんだから付き合えよ、サンツァーツ」


 サンツァーツは、これみよがしにため息をついて肩をすくめた。ナインバッフ公国で、ケルヴァーロに対してこのような態度が取れるのはサンツァーツしかいない。


 いつか自分も、サンツァーツのような家臣を持つことができるだろうか。


 「そうなるといいな」とファウフェレスは思った。


【元服】

 馬に揺られながら、ファウフェレスは母の言葉を思い出していた。


 ファウフェレスが元服式を終えた直後のことである。


「元服したからには、これまで以上に考え、己を高めなさい」


 元服式の直後の高揚感もあり、ファウフェレスは反発した。


「母上、私はもう大人なのです。そのような、子供に対するような物言いはお控えください」

「そういうところが子供なのです。まさか、自分が大人になったなどと思っているのではないでしょうね」

「元服したのですから、無論大人です」

「それは心得違いというものです。元服式を執り行った程度で大人になどなれません」

「では元服とは何なのですか」

「元服とは、『これからはあなたを大人として扱う』ということです。これまでは、幼稚な言動も許されました。これからは、常に大人としての振る舞いが要求されるのです」


 ファウフェレスは鼻白んだ。だが、そう言われてしまうと母への反論自体が子供染みていたような気がする。「子供扱いするな」とは、いかにも幼稚な反論であった。

 彼は少し考えてから、母に向き直った。


「ご忠告痛み入ります。お言葉を肝に銘じ、精進してまいります」


 公妃フェメテイエはそれを聞いて、ふっと表情を和らげた。


「型通りの如才ない口上。面白みはありませんが、まあいいでしょう。次は自分なりの言葉を盛り込めるようになりなさい」

「自分なりの言葉、ですか。父上のような、ということでしょうか」


 それを聞いたフェメテイエの表情がみるみる曇った。


「あの人は体が大きいだけの子供のようなものだから、手本にしてはなりません」

「父上が聞いたら泣きますよ」

「あの人は大笑いするだけですよ。『海に槍を刺す』とはまさにこのこと」


 フェメテイエは眉をひそめて深くため息をついた。ナインバッフに輿入れして以来、ケルヴァーロに何度苦言を呈したことか。そのたびに、


「なるほどお前の言う通りだ!」


 と言って笑い、まるで改めようとしないケルヴァーロに腹を立てた。

 そして、いつしか諦めた。


「では父上を手本とするのはやめに致します」

「大人の手本にするな、と言っただけです」

「え?」

「あの人は、自分が及ばないこと、カルトレンツ卿(サンツァーツ)を頼るべきことを知っています。偉大な君主になろうとも思っていない。その点は見習うべきです」


 「偉大な君主になろうと思っていないことを見習え」とはどういうことだろう。偉大な君主になるなということか。偉大な君主にはなれないということか。

 母親なら、「偉大な君主になれ」と言うのではないのか。

 意味がよく分からない。


 困惑の色を露わに、ファウフェレスがフェメテイエの目を見つめると、彼女はふっとほほ笑んでこう言った。


「少しは自分で考えなさい。もう大人なのですから」


【子に塩を送る】

 テグモンテ村に到着した。


 彼らは、村外れの雑木林を切り開いて、新たな畑を作ろうとしている。

 木はあらかた切り倒されていた。

 次は、切り株を掘り起こす作業だ。


 ケルヴァーロたちは、騎兵用の軍馬ではなく荷馬車用の馬に乗ってきた。この馬種は速く走れないが力が強く、持久力も高い。


「それでだ、ある程度切り株の周りを人間が掘り起こしたら、切り株に縄をかけてコイツらに引っ張らせるというわけだ」


 ケルヴァーロは、得意げに笑った。なぜ得意げなのか、ファウフェレスには理解できなかったのでサンツァーツに聞いてみた。


「私にも分かりかねます」


 そう言って、サンツァーツは息を大きく吐き出した。

 上半身裸になったケルヴァーロは、既に土を掘り返し始めている。


「お前たち、無駄口をたたいてないでさっさと掘れ!」


 太陽が十五度ほど移動した。

 ファウフェレスは、既に息が上がっている。


「何だ、もうくたびれたのか。ほれ、これを飲め」


 ケルヴァーロは、水が入った革袋をファウフェレスに投げ渡した。むさぼるように中身を口に含んだファウフェレスは、怪訝な顔をした。


「この水、いささかしょっぱいような……」

「そうだろう。少し塩を混ぜてある。汗をかくときは塩も取らねばならん」


 ケルヴァーロは、そう言って豪快に笑った。

 ファウフェレスはサンツァーツを見た。彼は顔を左右に振って、肩をすくめた。

 ファウフェレスは口元を拭いながら、ふと思いついたように口を開いた。


「塩、ですか……。塩といえば、古い軍記物にこんな逸話があります。敵国に、あえて塩を送った名将がいたとか。私もいつか、そのように語り継がれるような、度量の大きい君主になりたいものです」

「塩なんか送りつけてどうするんだ。ナメクジと戦ってるのか?」

「内陸国で塩が不足している敵に、塩を送ってやるのです」

「なるほど、貴重な塩を手土産に和睦するというわけか」

「いえ、その後も戦争は続きます」

「塩不足で弱ってる敵を元気にしてから戦うのか? ソイツはアホウか?」

「び、美談なのですが」

「そんな愚行を称賛してどうする。自分の馬上試合の相手なら文句はない。塩不足でへばってる相手に岩塩を舐めさせてやるのもいいだろう。だが、戦争なんだろう? 家臣や領民を戦わせるんだろう? 俺なら徹底的に塩の入手を邪魔する。『塩だ』といって、毒を送りつけてやる。いや、毒を混ぜた塩の方が効果的かな。そして、敵が弱まったところで徹底的にたたく」


 サンツァーツは、少し離れた切り株の周りを黙って掘っている。わずかにほほ笑んでいるように見えた。


「ど、毒ですか? 父上、それはあまりにも卑怯では?」

「卑怯で何が悪い? 俺の誉れは、家臣や領民を一人でも多く故郷に連れて帰ることだ。そのためならどんな汚い手だって使う。敵は弱ければ弱いほどいい」


 ファウフェレスは答えなかった。

 肩で息をしている。

 土を掘る、という作業は思いの外疲れるのである。


「ま、俺を手本にする必要はない。どうせ俺は立派な君主じゃない。だがな、『敵に塩を送る』ような痴れ者も手本にするな。お前が優先すべきは自分の家臣と領民だ。それさえ忘れなければいい」

「自分の家臣と領民……」

「ま、我が子には塩を送るがな!」


 ファウファレスは、塩水入りの革袋に視線を落として、苦笑した。

 サンツァーツは、聞いているのか聞いていないのか。自分の作業をもくもくと進めている。


「よし、この切り株はこれくらいでいいだろう。馬を使うのは後回しにして、先にあの切り株を掘り返すぞ」


 ケルヴァーロは、上機嫌で五メルほど離れたところにある切り株に近づいた。

 すると、一〇〇メルほど離れたところで木材を運んでいた村人たちが、木材を放り出して走ってきた。


「父上、村の者が何か叫んでおりますが」

「ひどく慌てているな。サンツァーツ、聞いてきてやれ」


 ケルヴァーロは怪訝な顔をしながら、鍬を切り株の近くに振り下ろした。すると、切り株の根元から大量のハチが飛び出してきた。


「何!?」


 そこにサンツァーツが戻ってきて、落ち着き払って報告した。


「その切り株にはハチの巣があるから触るなと村の者が申しております」

「もう遅い!」

『愚者たちの輪舞』(https://ncode.syosetu.com/n1332ko/)の第四章で活躍するナインバッフ公ケルヴァーロ、嫡男ガルトザーレ伯ファウフェレス、忠臣カルトレンツ卿サンツァーツと公妃フェメテイエの交流を描いた短編です。

ケルヴァーロは『居眠り卿とファッテンの海賊』(https://ncode.syosetu.com/n2168lj/)にも登場します。

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