表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

告白

知らない時間 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/08

 ドアが閉まる。

 (あや)の背中が見えなくなる。


 オフィスは、いつも通りのざわめきに戻る。キーボードの音。電話の着信。誰かの笑い声。

 全部、いつも通り。


 なのに。


 時計の針の音だけがやけに大きい。

 ・・・何時に戻る。

 客先は移動含めて往復1時間。打ち合わせは1時間前後。夕飯。「軽く」って、どのくらいだ。1時間か。2時間か。

 3時間は、ないよな。


 視線が自然と壁の時計へ向く。

 まだ、三十分も経っていない。


 長い。

 ありえないくらい長い。


 大樹はキーボードを叩く。メールを返す。資料を修正する。指は動く。画面も変わる。仕事は進んでいる。なのに。ふと、また時計を見る。


 五分。

 たった五分。


 舌打ちしそうになるのを飲み込む。

 ・・・何してるんだ。

 自分に言い聞かせる。

 客先だ。

 仕事だ。

 ただの夕飯だ。


 それでも、頭は勝手に情景を作る。

 向かい合って座る距離。テーブル越しの視線。グラスに触れる指先。笑ったか。頷いたか。その時間を、俺は知らない。喉の奥が、じわりと焼ける。


 視線を感じる。


 誠だ。

 気づいている。いや、誠だけじゃない。四分の一くらいは察しているだろう。

 さっきから、俺が時計を見すぎている事に。


「今日、なんか落ち着かないな」


 小声で誰かが笑う。

 大樹は肩をすくめる。


「月曜だからだろ」


 軽い。

 いつも通り。人好きのする笑顔。完璧だ。

 また時計を見る。

 18時を回る。

 ・・・長い。


 誠が立ち上がる。

 わざとらしく伸びをしながら。


「もう仕事、終了だろ~」


 独り言のように呟く。


「今日はそんな予定じゃなかったんだけどなぁ~」


 ちら、とこちらを見る。


「大樹さん、飲み行こうぜ」


 一瞬だけ、迷う。

 彩が戻る時間。もしかしたら、もうすぐ帰社するかもしれない。

 顔を見たい。無事を確認したい。誰とどんな顔で帰ってくるのか、見たい。・・・見たい? 何を確認するつもりだ。

 

 自分の胸の奥を、誠に見透かされている気がする。


「いいよ」


 心とは裏腹に笑う。

 即答。


「奢り?」

「なんでだよ」


 自然なやり取り。

 周囲が「俺も行くー」と声を上げる。いつもの流れ。誰かが言い出せば自然と人数が集まる。


 大樹は椅子から立ち上がる。


 ジャケットの皺を軽く整える。無駄のない動作。

 スマホをポケットに入れかけて、ほんの一瞬、画面を点ける。

 通知はない。

 仕事のチャットは静かだ。

 彩の名前も、当然ない。

 当たり前だ。個人的な連絡なんて、した事もない。業務連絡なら何度もある。

「資料確認お願いします」

「承知しました」


 それだけ。それ以上は、一度もない。


 なのに。


 なのに、ほんの少しだけ期待していた自分がいる。

 バカみたいだ。

「お疲れさま」か?

 そんなわけがない。

 用事もないのに、あの人が送るはずがない。

 わかっている。

 わかっていて、画面を見た。

 バカみたいだ。

 ロックをかける。

 ポケットにしまう。何もない顔で歩き出す。

 エレベーターへ向かう足取りは一定。

 背後を、振り返らない。

 振り返ったら、何かを探してしまいそうになる。

 誠が隣に並ぶ。何も言わない。ただ、横目で一度だけ見る。気づいているのか、気づいているだろうな。そんな視線。

 大樹は笑う。


「今日、何飲む?」


 声は明るい。

 完璧だ。人に好かれる男。いつも通り。


 なのに。


 エレベーターの閉まる直前、胸の奥で小さく響く。

 ・・・帰ってきたら、誰と笑うんだ。



 ●●



 暖簾をくぐった瞬間、外の夜気とは違う温度が肌に触れた。


 炭の匂い。醤油が焦げる甘い香り。グラスが触れ合う小さな音と、低く弾む笑い声。店の奥から流れてくるそのざわめきは、不思議と居心地がよかった。


「お疲れー!」


 グラスがぶつかる。

 大樹も笑う。


「月曜から飛ばしすぎだろ」


 声も表情もいつもの調子。他愛ない会話が流れる。会話は途切れない。


「今度BBQ行こうぜ」

「いいなー、海沿い?」

「お前、火起こし係な」

「なんでだよ」


 笑いが重なる。

 大樹は自然と中心にいる。相槌を打ち、話を広げ、軽く誰かをいじり、空気を回す。場は淀まない。完璧だ。


 なのに。


 グラスを置く。視線がほんの一瞬、横へ滑る。

 テーブルの端。伏せられたスマホ。画面は黒いまま。ふれない。確認もしない。

 

 その必要はない。


 それでも、視線だけがスマホへ戻る。

 誠は気づいている。何も言わないが、気づいている。


 気づけば向かいに座っていた。周りはトイレに立ったり、スマホで通話しに行ったりで少し散っている。席があき、流れで二人。店内は相変わらず賑やかなのに、ここだけ少し静かだ。

 誠がビールを一口飲む。喉を鳴らし、口角を上げる。


「今日は完全タメ口でいいぞ~」


 わざと軽い声。


「タメだしな」


 大樹は箸を止める。


「俺の方が1コ上ですけど」


 口元だけで笑う。

 誠は鼻で笑った。


「見た目はお前の方が若僧だよ」


 グラスを置く。


「だから細かい事は気にすんな」


 大樹は肩をすくめる。

「それ、褒めてます?」

「さあな」


 誠の視線が、ゆっくり大樹の顔をなぞる。


「眉間に皺寄せてると、年くった時そこに皺、残るぞ」


 自分の眉間を軽く叩く。

「それがカッコいいってモテたのはな、三船敏郎とか田宮二郎、中村錦之助・・・」


 懐かしむように天井を見る。


「男前だからな」


 大樹は枝豆を箸で転がす。


「錦之助って……誠さん、年いくつですか」


 大樹が視線を上げる。


「何歳ごまかしてます?」


 誠が吹き出す。


「うるせえ」


 笑いが起きる。周囲が戻ってくる。会話はまた散らばる。

 だが。

 誠は一度だけ、低い声で言う。


「顔に出てるぞ」


 グラスの縁越しに、視線が刺さる。

 大樹は、瞬きもせずに笑う。


「何が?」

「さあな」


 それ以上は追わない。周囲は気づかない。気づいていても気づかないふり。

 いつもの軽口。いつもの二人。


 でも。


 大樹は、また自分の眉間に力が入っていることに気づく。無意識に。指先でそっとなぞると、誠がそれを見て笑った。


「ばあちゃん子だからな」


 唐突な一言。

 大樹は目を細める。


「時々聞きますね。それ。確か紫音くんも言ってましたか?」

「ああ、地元採用組は大体そうだ」


 誠は枝豆を口に放り込みながら、さらりと言う。


「何の関係が??」

「知りたいか?」


 にやり、と笑う。


「教えてやろう」

「もう酔ってます?」

「失礼な。ビールの1・2杯で酔うか」


 ビールを一口飲み、少し真顔になる。


「彩さんも地元採用組だぞ」


 その名前に、大樹の指がわずかに止まる。

 誠は見逃さない。


「北陸は共働きが多いんだよ」

「それは少子化で・・・」

「ちゃうちゃう。今に始まったこっちゃないの。昭和の時代からだね」


 グラスを揺らしながら続ける。


「二十四時間保育園が東京や大阪に初めてできました~とかニュースが流れてた時には、金沢にはとうの昔にできてたくらいさ」


 軽く笑う。


「俺も行ってたしな」


 遠くを見るような目になる。


「何年も勤めてるってばーちゃん先生に頭撫でてもらいながら、ほぼ毎晩保育園で寝てたわ」


 苦笑する。


「母ちゃんが看護婦だとか、定番お水系だとか……まあ色々あるわな」


 声は軽いが、どこか現実味がある。


「迎えに来るのも大概、ばーちゃんな」


 テーブルの向こうで、誰かが別の話で笑っている。

 そのざわめきの向こうで、誠は続ける。


「母親が迎えに来るって日の時はな」


 少し間を置く。


「おんなじ教室の奴等が皆して『いいなあ~』って言ったりしてな」


 冗談の調子のまま、目だけが静かだ。


「別に不幸ってわけじゃない。普通だ」


 肩をすくめる。


「でも、そういう土地だ」


 大樹は黙って聞いている。グラスの縁を指でなぞる。

 誠が視線を戻す。


「だからさ」


 僅かに声を落とす。


「甘え方、知らねぇ奴も多い」


 空気が一瞬だけ静まる。周囲の笑い声が遠くなる。

 誠はまた軽く笑う。


「ま、俺の話だけどな」


 大樹は、ゆっくりと息を吐く。

「急にどうしたんですか」


 誠は答えない。ただ、もう一度ビールを飲む。

 テーブルの上には、まだ温かい枝豆。

 居酒屋のざわめきの中、二人の間だけ空気が僅かに違う。

 大樹はグラスを持ち上げ。


「・・・そういう話をするために誘ったんですか?」


 軽い調子。だが目は探っている。


「悪いか?」


 誠は即答する。

「別に・・・」


 誠はビールを飲み干す。


「誘わなかったら、彩さんのとこに突撃しそうだったぞ」


 冗談の体裁。だが半分は本気。

 大樹の手が止まる。


「当たりだな」


 沈黙。

 誠はわずかに目を細める。


「彩さん、困らせるなよ」


 穏やかに言う。

 だがその奥には、地元の人間特有の距離がある。同じ北陸。同じ雪。同じ湿った空気。そして簡単に我慢する。強がり方も。

 大樹が顔を上げる。


「もしかして、誠さん。彩さんのこと?」


 誠は肩をすくめる。


「何? 知りたいか?」


 そして言う。


「好きだぞ」


 空気が変わる。

 一瞬。

 大樹の手が止まる。箸の先で枝豆が転がり、皿の縁に小さく当たった。

 周囲では笑い声が上がっている。グラスのぶつかる音。焼き台の向こうで油が弾ける音。

 店はさっきと同じように騒がしい。


 なのに。


 このテーブルだけ、音が遠い。

 大樹はゆっくり顔を上げる。


「・・・彩さんの事ですか」


 誠はビールを飲む。喉を鳴らし、グラスを置く。


「そう」


 あっさりした声。冗談でも、からかいでもない。ただ、当たり前みたいに言う。

 大樹は新たに来たグラスを持つ。一口飲む。味が、よくわからない。

 誠はその様子を見て、ふっと笑った。


「いい女だろ」


 軽く言う。


「放っとけないタイプだ」


 それだけ言って、枝豆を口に放り込む。

 

「まあ」


 視線はテーブルのまま。


「お前が思ってるより、面倒くさいぞ」


 それから、ぽつりと付け足す。


「・・・あいつは、昔からそうだ」


 大樹の視線が上がる。


「昔から?」


 誠は肩をすくめる。


「さあな」


 そしてビールを飲む。


「俺も詳しくは知らん」


 大樹の視線が上がる。

 誠はもう何も言わない。ただ、ビールを飲む。まるで今の一言なんて、口からこぼれただけみたいに。

 けれど。

 大樹の中では、別の意味で響いている。

 誠は、それを否定しない。ただ、少しだけ笑った。

 大樹は、無意識にグラスを強く握っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ