第6話 兄の罠と姉の加護
オネェ…好きなの…ごめん。
王都の夜は、静謐な輝きを放っていた。
第一王子アーロンの主催する晩餐会には、王族・貴族のほとんどが顔を揃え、
その中心には“聖女セレスティア”が座していた。
完璧なる微笑。寸分の隙もない立ち居振る舞い。
アーロンは「理想の王太子」としての評価を揺るぎないものにしていた。
だが――リオネルには見えていた。
兄の視線の奥に潜む、わずかな焦燥と苛立ちが。
名目は祝福だが、その裏に別の意図があることを、リオネルだけが察していた。
(……兄上。完璧すぎると、人は息が詰まるものです)
ワインの赤が、静かに揺れる。
その瞬間、微かな声が心に響いた。
『リオネル。焦る者ほど、己を見失うのよ。静かに見守りなさい』
幻聴。
それはかつての姉の声。
幼い頃、学問の合間に何度も聞かされた“王族の心得”だ。
(心得の復唱、か……懐かしいな)
「……兄上、わざわざ僕に席を勧めるなんて、珍しいですね」
「ふふ、弟よ。王族として、君にも華やかな場を知ってもらいたくてね。
——それに、“本当の聖女”を見極めるのは、君の得意分野だろう?」
柔らかな笑顔。完璧な物腰。
けれどその奥に、冷たい光がちらついていた。
アーロンの目は常に“計算”で動いている。
……の、はずだった。
晩餐会。
豪華なシャンデリアの下、音楽が響く。
アーロンは聖女セレスティアを正面に座らせ、王族として完璧な笑顔を浮かべていた。
だが、ふとした瞬間に見せる“わずかな苛立ち”を、リオネルは見逃さなかった。
そのとき——脳内で、例の“幻聴”が再び騒ぎ出す。
『リオ坊、あの顔はね〜、余裕ない男の顔よ!』
『あ〜ん、詰めが甘いわね、アーロンちゃん。笑顔が引きつってる〜!』
『弟よ、フォロー入れなさい!さりげなく空気を和ませるのよ!』
『そうそう、“兄上は本当に頼れる方です”って褒めるの!これ効くわよ〜♡』
(……了解、姉さんたち)
リオネルは立ち上がり、杯を掲げた。
「兄上に、感謝の意を。
聖女セレスティアをお迎えできたのは、兄上の賢慮あってのことです。
我が国の未来は、常に兄上の導きと共にあると、信じております。
——兄上の采配は、常に完璧ですから」
周囲がどよめいた。
それはあまりに堂々とした言葉だったからだ。
“馬鹿王子”と嘲られてきた彼の声に、揺るぎない威厳が宿っていた。
アーロンはわずかに微笑んだ。
けれど、その目の奥には読めない色が浮かんでいた。
「……弟よ。君はいつの間にそんな言葉を覚えた?」
「兄上を見て育ちましたから」
その一言で、会場の空気が静まり返った。
完璧な兄を立てながら、ほんのわずかに主導権を握る――
それが、リオネルのやり方だった。
セレスティアがほっと微笑んだ。
アーロンも、知らぬ間に弟のペースに乗せられていた。
その後、アーロンは密かに側近に命じる。
「あの“聖女”……本物かどうか、調べろ。
偽物であれば、王家の威信に関わる」
側近たちは頷いて去る。
だが、背後からふわりと声が響いた。
『あら〜ん、詰めが甘い♡』
『盗聴防止魔法、貼ってないじゃないの〜!』
『アーロンちゃん、策士気取りで可愛いわねぇ』
『まあ、リオ坊がちゃんと後始末してくれるから安心しなさい♡』
リオネルは廊下の影で、苦笑していた。
兄の策が耳に入ってきたのも、姉ズの“幻聴導き”のおかげだった。
「……兄上、僕は敵じゃないのに」
翌日、王立聖堂にて。
セレスティアが「偽聖女」の疑いで呼び出される。
アーロンの罠だった。
が、すでにその動きを察知したリオネルが、先に手を打っていた。
リオネルは落ち着いた声で証文を差し出した。
「こちらをご覧ください。
聖女セレスティアが神殿長の加護を受けた正式な証です。
彼女を疑うのは、神殿を疑うことと同義となりましょう」
アーロンの眉がわずかに動いた。
完璧な兄の顔に、初めてわずかな“驚き”が走る。
「……どうやって、この文を手に入れた?」
「兄上が行動を起こされるなら、王弟として支えるのが私の務めです。
王家の名に傷がつく前に、動かせていただきました」
アーロンは口を開きかけて、言葉を失った。
その横で、幻聴がまた響く。
『ナイスだわリオ坊!大人な対応!』
『叩き潰すんじゃなくて、上手に“兄上を立てる”あたり……』
『……うちの子、出世するわね……(感涙)』
『筋肉オネェ会議、満場一致で弟表彰〜〜〜!!』
リオネルは兄の肩に手を置いた。
「兄上の迅速な判断力は尊敬しています。
ただ、次からは……僕にも少し、手伝わせてください」
アーロンはしばらく黙っていたが、
やがて苦笑を浮かべた。
「……まったく。君は本当に、扱いづらい弟だな」
「そのことば、弟冥利に尽きます。」
二人の間に、微かな笑いがこぼれる。
アーロンもまだ若く、完璧ではない。
けれど、弟を敵と見なさない優しさを、どこかに持っていた。
リオネルは“兄を諫めず、ただ支えた”。
その姿に、王族としての品位と、何より“器”が滲んでいた。
夜。
リオネルの部屋。
月光に照らされながら、姉ズの声が優しく響く。
『よくやったわね、リオネル。争わず、正しく導いた』
『王位とは“座る場所”ではなく、“在り方”のことよ』
『争わず、導くのが“本当の王の器”よ』
『あんたは王座に座らなくても、“人の上”に立てる男になるわね』
『それにしても……リオネルのお兄ちゃん、ほんっと可愛い顔してるわね♡(物騒)』
「……頼むから、最後のコメント控えめにしてくれ」
リオネルは苦笑した。
けれどその瞳は、確かな自信を宿していた。




