閑話 アンリエットのキュンキュン
紅茶の香りが、午後のサロンにゆるやかに満ちていた。
金のカップを指先で支えながら、アンリエット・ド・ベルモンド令嬢は、唇を静かに寄せる。
完璧な所作。
誰が見ても、絵画の中の淑女のよう。
だが──その瞳の奥には、かすかな苛立ちと戸惑いが混ざっていた。
あと、カップに添えた指先がカタカタカタカタと、高速運動も起こしていた。
遠目からは制止しているように見える。
(……おかしいわね。どうして私が、こんな気持ちに)
思い返せば、先日の断罪の場。
すべての罪を背負うかのように、リオネル王子は膝を折り、そして微笑んだ。
己を嘲るでもなく、弁明するでもなく、ただ静かに。
そのとき、ほんの一瞬──彼と目が合った。
(あの目……)
王族特有の光を持ちながら、どこか遠いものを見ている瞳。
冷たくも、温かい。
決して媚びず、けれど拒まない。
イケメン…。
「んぐっ…。」
アンリエットは、無意識に胸元へ手を当てていた
(馬鹿げてる……顔が良いだけの王子に、心を動かされるなんて)
彼女はそう思いたかった。
でも、先日からずっと、彼の声が、脳裏にこびりついて離れない。
──『アンリエット嬢の意志の強さは、私には眩しいほどです。どうか、そのままでいてください』
まるで優しい告白のように聞こえたその言葉。
彼は“罪を問われていた側”なのに。
なぜあんなにも落ち着いて、他人を思いやるような瞳をしていたのだろう。
(……いや、違う。落ち着いていたんじゃない。すべてを見通していたのよ)
背筋を正し、アンリエットは自分に言い聞かせる。
あれは王族としての余裕。
心を掴まれたなどと思ってはいけない。
けれど、紅茶を飲む指先が、ほんのわずかに震える。
そのわずかな乱れが、心の中の動揺を物語っていた。
(──“あの方”は、どこまで本気なの?)
「アンリエット様」
侍女の声に、はっと顔を上げる。
「リオネル殿下がお見えです。お届け物を──」
「……っ!?」
胸が跳ねる。
無意識に髪を整える指先が、わずかに震えた。
「お通しして」
そう言った自分の声が、ほんの少しだけ上ずっていた。
(落ち着きなさい、アンリエット・ド・ベルモンド。これはただの礼儀。……それだけのはず)
しかし、扉の向こうから聞こえてきたあの柔らかな声。
「お久しぶりです、アンリエット嬢。先日は、お辛い立場でしたね、その後いかがお過ごしでしたか?」
その瞬間。
世界が、少しだけ、優しく色づいたような気がした。え?少し?
んも、パァァアアアアアって。ほんわり、淡いピンクのバラがいっぱぁああああい♥️
(…あ?……ほ…ほんと、なな、何なのよ。あ、あ、あ、あ、貴方、い、いつからそんな、そんな顔するようになったのよおおおおおおおおぉ?)
心の奥で、誰にも聞かれないように呟いた。
胸の奥が熱くなって、少し苦しい。
自分の心が、まるでヒロインのようにときめいてしまうなんて。
リオネルによる、アンリエットの幸せの拷問が始まった。




