鋼鉄のレクイエム
宇宙で生きるということは、常に何かを失い、何かで補い続けることだ。
脱サラ航宙士チャック・マツオカは、これまでの無茶な戦いの代償として、愛機『セカンドライフ』のあちこちに刻まれた傷と、一向に減らない修理費の請求書を抱えていた。その場しのぎの裏技ではない、遠くまで届く、確かな「牙」が欲しい――。
そんな彼が見つけたのは、ジャンクヤードに眠る、旧式の射出装置の残骸。それは、新たな可能性の光であると同時に、彼の船では到底扱いきれない、危険な代物でもあった。
一つの依頼が、好敵手を呼び、冷徹な敵を引き寄せる。これは、チャック・マツオカが、初めて自らの意志で「力」を求め、その代償と向き合う物語。星々のブルースは、新たな武器を加えて、より複雑なハーモニーを奏で始める。
1
「……また、この請求書か」
チャック・マツオカは、コクピットの安物のシートに深く身を沈め、コンソールに表示された電子請求書を睨みつけた。D-9セクター、メカニックギルドからの、先日の戦闘でイカれた外装パネルの修理代だ。請求額の末尾に並んだゼロの数が、彼の眉間の皺をさらに深くする。臨時収入は、右から左へと宇宙の藻屑と消えていく。まるで、穴の空いたバケツで、水を汲み続けるような日々だった。
「キャプテン。この支出ペースでは、今月のローン返済は困難です。低リスク・中報酬の輸送依頼を、最低でも三件こなす必要があります」
AIのアイリーンが、淡々と、しかし的確に現実を突きつけてくる。彼女の声には感情がない。だからこそ、その言葉は純粋な事実として、チャックの胸に突き刺さる。
「分かってるよ。お前に言われるまでもない」
チャックは、ぬるくなったコーヒーをすすると、窓の外に広がる『タルタロス』の雑多な風景を眺めた。無数のモジュールが、まるで病的なサンゴ礁のように連結し、その間を大小様々なシップが、魚の群れのように行き交っている。この混沌の街で、自分は生きている。いや、生かされている、と言うべきか。
『サイレント・ジョーと星屑の残響』の一件は、彼にいくつかのものをもたらした。一つは、旧式のレーダーを改造した、高性能なアナライザー。それは、敵のシールドの僅かな揺らぎや、装甲の構造的な弱点までも可視化する、まさに「心を読む」ような千里眼だった。そして、もう一つは、この宇宙に隠された、巨大な陰謀の存在を嗅ぎつけてしまったという、厄介な現実だった。
だが、結局のところ、彼の日常は何も変わらない。高性能なレーダーは、宝の持ち腐れだった。どんなに正確に弱点が見えても、この船の武装である、取って付けたようなパルスレーザーは、射程が短すぎる。敵の懐に飛び込む勇気はあっても、それを何度も繰り返せるほど、彼の船も、彼の神経も、頑丈にはできていなかった。
結局、危険な距離まで接近し、得意とは言えないドッグファイトに持ち込むしかない。その結果が、この修理費の山なのだ。
「一発、デカくて、精密なやつがあればな……。遠くから、あの弱点をスナイプできるような……」
その呟きは、ほとんど独り言だった。会社員時代、うまくいかないプロジェクトを前に、深夜のオフィスで何度も繰り返した、意味のない愚痴と同じ種類のものだ。だが、アイリーンは聞き逃さなかった。
『提案します、キャプテン。D-7セクターのジャンクマーケットに、あなたの要求に近いコンセプトを持つ、興味深いアイテムがリストアップされています』
「なんだって?」
チャックは身を乗り出した。モニターには、ゾルタンの店の膨大な在庫リストが表示されていた。その中に、埃をかぶった一つのアイテムの写真があった。
『品名:地質調査用マス・ドライバー(サイノシュア社製・旧式)。状態:ジャンク。備考:メインコイル焼損の疑いあり』
D-7セクター、通称「墓場」は、今日もオイルと錆の匂い、そして微かなオゾンの匂いに満ちていた。重力は不安定に揺らぎ、慣れない者は一歩歩くごとに、体がフワリと浮き上がる。チャックは、もうこの奇妙な感覚にも慣れっこになっていた。
「よう、爺さん。リストにあった、マス・ドライバーってやつを見せてくれ」
チャックが声をかけると、ジャンク屋のゾルタンは、修理中のドローンの内部に顔を埋め、ゴーグルを額に上げた。彼の顔の皺は、まるでこのステーションの古い地図のようだ。
「ああ、チャックか。景気のいい話でも舞い込んだかと思えば、またガラクタ漁りか。お前さんも、好きだのう」
ゾルタンは、口ではそう言いながらも、店の奥を手で示した。その傍らでは、天才的な技術を持つ家出少女リナが、小さな電子部品をピンセットでつまみながら、チャックにぺこりと頭を下げた。彼女がここに来てから、店の整理整頓は格段に進んだ。
店の奥には、長さ数メートルはあろうかという、巨大な電磁射出装置の残骸が、他のガラクタの山に埋もれるようにして転がっていた。本来は、惑星の岩盤に金属の杭を撃ち込み、その反響で地質を調査するための、非武装の工業製品だ。サイノシュア社製。チャックの『セカンドライフ』号と同じ、今は亡き(あるいは、見る影もない)メーカーの遺物だ。
「こいつを、レールガンにできないか?」
チャックの言葉に、ゾルタンは初めて手を止め、興味深そうに顔を上げた。リナも、その大きな瞳を輝かせている。
「ほう。お前さんも、物騒なことを考えるようになったじゃねえか」
ゾルタンは、オイルで汚れた布で手を拭うと、マス・ドライバーを、まるで古い友人に触れるかのように、優しく叩いた。
「理屈は同じだ。こいつを改造すりゃ、レールガン(電磁投射砲)のベースにはなる。リニアモーターの塊だからな。だがな、チャック。問題は三つある」
彼は、指を一本ずつ立てて見せた。その指は、油で黒光りし、無数の傷が刻まれている。
「一つ、電力だ。こいつを最大出力で撃つつもりなら、お前の船の全電力を一瞬で食い尽くす。撃ったはいいが、船の機能が全部落ちる。まさに自殺行為だ。戦闘中に、だ。それを防ぐには、撃つ瞬間だけ、莫大な電力を供給できる、軍用の大型コンデンサが必要になる」
「二つ、反動だ。ニュートンの第三法則は、宇宙でも有効でな。こんな質量の塊を高速で射出すりゃ、その反動でお前のオンボロ船は明後日の方向に吹っ飛ぶ。下手すりゃ、フレームが歪んでお陀仏だ。それを殺すには、船全体の慣性を制御する、高性能な慣性制御ダンパーがいる」
「そして三つ目。一番厄介なのが、精密な射撃管制システムだ。ただ撃つだけならガキでもできる。だが、お前さんがやりたいのは『狙撃』だろう?お前さんのあの高性能レーダーと連動し、目標の未来位置と、自機の微細なブレをリアルタイムで計算して、弾道をミリ単位で補正するシステム。そんなもんは、そこらの店じゃ売ってねえ。軍の機密か、あるいは、それこそ天才的なプログラマーが、一から組み上げるしかない代物だ」
ゾルタンは、ふう、と息をついた。「コンデンサ、ダンパー、射撃管制システム。どれも垂涎モノの高級パーツだ。全部揃えるにゃ、お前の船をもう一隻買えるくらいのクレジットがいるだろうよ。夢のまた夢、ってやつだ」
「……だよな」
チャックは、大きく肩を落とした。やはり、自分のようなしがない運び屋には、過ぎた望みだったか。
「まあ、諦めるな」と、ゾルタンは言った。「この宇宙じゃ、ガラクタが宝に化けることもある。根気よく探すんだな。……おいリナ、そこのジャンクションボックス、取ってくれ。このドローンの神経回路を繋ぎ直す」
失意のまま店を出ようとしたチャックの背中に、リナが小さな声で言った。
「あの……チャックさん。ギルドの掲示板、見ましたか?工業星系ヴォルガンの、シグマ・テクニクス社から、パーツ輸送の依頼が出てます。輸送品リストに、確か……」
チャックは、彼女の言葉に、弾かれたように自分の端末でギルドの依頼リストを確認した。
そこには、彼の目を釘付けにする、信じられない言葉が並んでいた。
『依頼内容:試作品パーツの緊急輸送。品名:軍用規格大型コンデンサ(ヘリオス・エネルギー社製)×1、試作型慣性制御ダンパー(シグマ・テクニクス社製)×1』
チャックの心臓が、大きく、そして不吉な音を立てて跳ねた。
2
ギルドのラウンジは、いつも通り、様々な航宙士たちの声でざわついていた。チャックは、カウンターの隅で、依頼の詳細を何度も読み返しながら、ぬるいコーヒーを飲んでいた。
依頼主は、中堅の造船パーツメーカー「シグマ・テクニクス社」。目的地は、『タルタロス』のD-12セクターにある、名もなき倉庫。公にできない、裏取引の匂いがした。だが、報酬は悪くない。そして何より、荷物が魅力的すぎた。まるで、自分のために用意されたかのような依頼。偶然にしては、出来すぎている。
「よう、チャック。いい顔してんじゃねえか。何か儲け話でも見つけたか?それとも、ついにローンを完済したか?」
背後から、馴れ馴れしい声がかかった。振り返ると、そこにはレックスが、ニヤニヤしながら立っていた。彼の服装は、いつも通り、オイルの染みと、正体不明のソースの染みが混在している。
「レックスか。お前には関係ない」
「つれねえこと言うなよ。その依頼、俺も見たぜ。シグマ社の『お宝パーツ』輸送だろ?」
レックスは、チャックの向かいの席に、許可もなくどっかりと腰を下ろした。そして、近くを通りかかったウェイトレス・ドローンから、ビールをひったくるように取った。
「シグマ社は、最近オリオン・モーターズとの大口契約を打ち切られて、火の車らしいぜ。会社の連中は、給料もまともに貰ってねえって話だ。そのパーツは、会社の存続を賭けた、最後の資産ってわけだ。それを、タルタロスの闇市場に流して、当座の金を工面するつもりなんだろ。涙ぐましい努力じゃねえか」
「……やけに詳しいな。お前の情報網は、どうなってるんだ」
「俺には俺のやり方があってな」レックスは肩をすくめ、ビールを一口呷った。「で、だ。そんないいお宝、みすみす見逃す手はねえよな?俺も、あのコンデンサは喉から手が出るほど欲しい。俺の『ラスカル』に積めば、あのクソったれなツインエンジンを、完璧にぶん回せる。考えただけで、ゾクゾクするぜ」
彼は、挑戦的な目でチャックを見た。その瞳は、獲物を見つけた獣のようにギラついていた。
「だから、まあ、なんだ。その荷物、俺が途中で横取りしても、文句言うなよ?これも、フロンティアの掟だ。早い者勝ちの競争だろ?」
「ふざけるな。これは俺が正式に受けた仕事だ」
「へっ、真面目くさっちまって。だから、いつまで経っても貧乏なんだよ、あんたは」
レックスはそう言い残し、まだ半分残っているビールをテーブルに置くと、口笛を吹きながら去っていった。
(あの野郎……)
チャックは、深いため息をついた。ただでさえ面倒な仕事になりそうなのに、余計な火種が加わった。いや、あるいは、これは火種ではないのかもしれない。レックスのような男が嗅ぎつけるほど、この依頼には、何か「裏」があるという証拠だ。
数日後。『セカンドライフ』号は、工業星系ヴォルガンに到着した。巨大な工場群が、惑星の地表を蜘蛛の巣のように覆っている。大気は常にスモッグに覆われ、空は、希望のない鉛色だった。チャックは、こういう風景が好きではなかった。会社員時代を思い出すからだ。
指定されたドックには、シグマ・テクニクス社の憔悴しきった担当者が、二つの巨大なコンテナと共に待っていた。コンテナには、ヘリオス・エネルギー社と、シグマ社のロゴが、それぞれ大きく描かれている。
「チャック・マツオカ氏ですね。お待ちしていました」
男のスーツはよれよれで、目の下には深い隈が刻まれていた。その姿は、チャックが会社を辞める直前の自分自身を彷彿とさせた。
「荷物はこれです。どうか……どうか、無事に届けてほしい。これだけが、我々の……残された社員たちの、最後の希望なんです」
その必死な様子に、チャックは軽口を叩く気にもなれなかった。彼は、ただ黙って頷くと、アイリーンに指示して、コンテナを慎重にカーゴベイに収納させた。
『セカンドライフ』がヴォルガンを離陸するのを、男はいつまでも見送っていた。その姿が、チャックの脳裏に焼き付いて離れなかった。あの男の「希望」を、自分は運んでいる。そして、その一部を、自分のものにしようとしている。罪悪感が、胸の奥でチクリと痛んだ。
3
航海は、最初の二日間、何事もなく過ぎた。広大な宇宙空間は、退屈なほどに静かだった。チャックは、整備マニュアルを読んだり、古い映画を見たりして時間を潰した。だが、心のどこかでは、常に警戒を怠らなかった。レックスの予告と、あの担当者の切羽詰まった表情が、嫌な予感を掻き立てていた。
「キャプテン。このままの航路であれば、あと三日で『タルタロス』に到着します。レックス氏の船影は、今のところ確認できません」
「油断するな、アイリーン。あいつは、どこに潜んでいるか分からん。それに、怖いのはあいつだけじゃないかもしれん」
チャックの予感は、的中した。
三日目の午後。主要航路から外れ、デブリの多い、通称「鉄屑の回廊」と呼ばれる宙域に差し掛かった時だった。
「キャプテン!後方から、高速で接近する機影が二つ!識別コード、不明!船影パターンから、マーセナリー・シンジケート『アークライト』の所属機と思われます!」
アイリーンの冷静な警告と同時に、船が大きく揺れた。牽制のレーザーが、シールドを掠めたのだ。船内に、甲高い警報音が鳴り響く。
「アークライトだと!?なぜ奴らが、この航路に!」
『そこのオンボロ船、止まれ。積荷は、我々が回収させてもらう』
スピーカーから、感情の欠片もない、冷徹な合成音声が響いた。
『依頼主であるシグマ・テクニクス社は、我が組織のクライアントであるヘリオス・エネルギー社に対し、多額の債務を負っている。その積荷は、債務のカタとして、我々が差し押さえる』
「債権者だと?ふざけたことを!」
ヘリオス・エネルギー社。宇宙のエネルギーを牛耳る、巨大企業。シグマ社は、そんな大物を相手に、借金をしていたというのか。話が、どんどんきな臭くなってくる。
「アイリーン、回避運動!デブリ帯の奥に突っ込むぞ!」
チャックは、操縦桿を握りしめた。アークライトの船は、軍用機をベースにした高性能機だ。まともに戦っては、勝ち目はない。生き残るには、この「鉄屑の回廊」を、味方につけるしかない。
デブリが渦巻く中、必死の回避を続けるチャック。『セカンドライフ』号は、まるで巨大なクジラが、狭い水路を無理やり進むように、不格好に身をよじる。だが、敵は二機。狼のように俊敏で、巧みな連携で、じわじわと追い詰めてくる。
レーザーの雨が、船体を何度も叩いた。シールドゲージが、危険なレベルまで下がっていく。
「くそっ、キリがねえ!」
チャックが悪態をついた、その時だった。
『よう、チャック!派手にやってんじゃねえか!』
陽気な通信が、割り込んできた。デブリの影から、ツギハギだらけの醜い船体――レックスの『ラスカル』が、猛スピードで姿を現した。
「レックス!お前、なぜここに!」
『言っただろ、横取りしに来たってな!だが、その前に、あの鬱陶しいハエどもを叩き落とさねえと、話にならねえ!面白くなってきたじゃねえか!』
レックスは、楽しそうに笑うと、アークライトの一機に、まるで闘牛のように突っ込んでいった。
「あのバカ……!死にたいのか!」
チャックは呆れながらも、口元が緩むのを感じた。最悪のタイミングで、最高の助っ人が現れたものだ。
「アイリーン!レックスの船と、戦術データリンクを繋げ!俺のレーダー情報を、あいつに送る!」
「了解。ただし、彼の船のOSは非標準的な海賊版です。完全な同期は保証できません。最悪の場合、データが破損する可能性も――」
「構うもんか!やれ!」
ここから、奇妙な共闘が始まった。
チャックは、戦闘を避け、デブリの影に隠れることに専念する。そして、新たなる「目」――高性能アナライザーで、アークライト機の動きと、その弱点を徹底的に分析した。
「レックス!右手の敵、3秒後に右に急旋回する!その先で待ち伏せろ!シールドジェネレーターが、オーバーロード寸前だ!」
『おうよ!任せとけ!』
レックスは、その情報を元に、人間業とは思えない機動でデブリの隙間を駆け抜ける。そして、チャックの予測通りに現れたアークライト機の懐に飛び込むと、至近距離から全武装を叩き込んだ。シールドの弱点を正確に突かれたアークライト機は、たまらず後退する。
チャックが「目」となり、レックスが「牙」となる。いがみ合っていた二人が、即席とは思えない、見事な連携を見せていた。
「このまま、押し切れるか……!」
チャックがそう思った瞬間だった。アークライトのリーダー機が、僚機を盾にするようにして、一気に距離を詰めてきた。その動きは、これまでの追跡とは明らかに違う。冷静さを欠いた、怒りのようなものが感じられた。
そして、高出力のプラズマ砲が、『セカンドライフ』号に直撃した。
「ぐあっ!」
凄まじい衝撃。船内のあちこちで火花が散り、コンソールが悲鳴を上げる。チャックは、シートベルトがなければ、前方のコンソールに叩きつけられていただろう。
「キャプテン!右舷エンジン、被弾!出力、30%まで低下!航行に支障が!」
アイリーンの悲痛な声が響く。船体が大きく傾き、コントロールが効かない。
アークライトのリーダー機が、とどめを刺そうと、ゆっくりと照準を合わせてくる。絶体絶命。
「……万事休す、か」
チャックは、奥歯を噛み締めた。目の前が、チカチカと点滅する。
(いや、まだだ……まだ、手は、ある)
彼の脳裏に、一つの無謀な、あまりにも無謀なアイデアが浮かんだ。ゾルタンの言葉が、蘇る。「お前の船の全電力を一瞬で食い尽くす」。
(一瞬でいい。一瞬だけ、神様の力を借りるんだ)
「アイリーン!」
チャックは叫んだ。「カーゴベイの、"例の荷物"!コンテナAのヘリオス社製コンデンサを、船のメインパワーラインに、今すぐバイパスしろ!全エネルギーを、前方のパルスレーザーに叩き込む!」
『キャプテン、無謀です!依頼品に手を付けるのは、重大な契約違反です!それに、本船の回路は軍用規格の電力に耐えられません!最悪の場合、コンデンサが誘爆し、本船は――』
「ごちゃごちゃ言うな!このままじゃ、俺たちも荷物も宇宙の藻屑だ!契約書なんざ、クソ食らえだ!やるぞ!」
チャックの瞳に、狂気にも似た光が宿っていた。
4
「何やってんだ、アイツ!?船ごと自爆する気か!」
レックスは、チャックの船から、異常なエネルギー反応が立ち上るのを見て叫んだ。船体が、青白い光に包まれていく。
『セカンドライフ』号の船首にある、貧弱なはずのパルスレーザーの発射口が、激しくスパークしている。まるで、小さな太陽が生まれようとしているかのようだ。船内の照明が一瞬消え、予備電源の赤いランプだけが、チャックの汗ばんだ顔を照らした。
「アイリーン、今だ!撃てぇぇぇっ!!」
チャックの絶叫と同時に、一条の、これまで見たこともないほど太く、眩い光の槍が、パルスレーザーから射出された。
それは、もはや「レーザー」ではなかった。純粋なエネルギーの奔流だった。空間そのものが、歪むような感覚。
アークライトのリーダー機は、回避する間もなく、その光に飲み込まれた。シールドは、紙のように貫かれ、船体は、内側から膨張するようにして、音もなく四散した。
残されたアークライト機は、その信じがたい光景に完全に戦意を喪失し、震え上がるようにして、散り散りに逃走していった。
静寂が戻る。
『セカンドライフ』号は、沈黙していた。船内の照明は消え、エンジン音も聞こえない。ただ、予備電源だけが、かろうじて生命維持装置を動かしている。焦げ付くような、オゾンの匂いが立ち込めていた。
「……アイリーン、状況は」
チャックは、かろうじて声を絞り出した。
『……メインヒューズ、全損。エネルギーライン、融解。右舷エンジン、大破。そして……依頼品であるコンテナAのコンデンサは、エネルギーの過剰放出により、再使用不能なレベルまで内部構造が焼損しています』
「……そうか」
チャックは、力なくシートに体を預けた。「だが、生き残った。上出来だ」
ボロボロになった二隻の船は、互いに助け合いながら、数日かけて、なんとか『タルタロス』に辿り着いた。レックスが、自分の船の予備パーツをいくつか提供してくれなければ、チャックは帰還することすらできなかっただろう。
指定されたD-12セクターの、薄暗い倉庫前で、チャックは頭を抱えていた。依頼品を、自分の都合で使い、破壊してしまった。重大な契約違反だ。賠償金を請求されれば、破産は免れない。
「よう、チャック。随分とションボリしてんじゃねえか。世紀の大逆転劇をやったヒーローが、聞いて呆れるぜ」
レックスが、ニヤニヤしながら近づいてきた。彼の『ラスカル』も、満身創痍だったが、その目は妙に輝いていた。
「うるさい。お前のせいでもあるんだぞ。お前がちょっかいをかけなければ、アークライトに追われることもなかったかもしれん」
「まあまあ。で、どうすんだ?あの荷物。シグマ社のおっさんに、正直に話して、土下座でもするか?」
「……それしかないだろ。分割で払わせてもらうさ。何年かかるか分からんがな」
チャックが諦めたように言った、その時だった。レックスが、自分のデータパッドを操作して、ある情報をチャックに見せた。
「まあ、そう悲観すんなって。俺の情報網で掴んだ、この荷物の『本当の裏側』だ」
画面に映し出されていたのは、驚くべき内容だった。
「……密輸品だと?」
「ああ。シグマ社が、経営難に喘ぐ自分たちを足抜けさせないように、ヘリオス・エネルギー社に無理やり押し付けられた『汚れ仕事』だ。ヘリオス社が、非公式ルートで開発した軍用パーツを、記録に残さず別の研究所に運ぶためのな。シグマ社は、その運び屋をやらされてたってわけだ。アークライトが追ってきたのも、債権回収じゃねえ。口封じだ。この取引を知る、シグマ社の担当者ごと、消すつもりだったのさ」
つまり、チャックが運んでいたのは、最初から非合法な「闇の荷物」だったのだ。
「依頼主からして、真っ黒ってわけか」チャックは呆然とした。
「そういうこった」レックスは肩をすくめた。「だからな、チャック。あんたは、正直に話す必要も、謝る必要もねえ。むしろ、こっちが交渉のカードを持ってる」
レックスは、悪魔のように笑った。
「俺に、いい考えがある」
数時間後。倉庫には、シグマ社の担当者が、チャックとレックス、そして二つのコンテナを前に、青い顔で立っていた。
「……というわけだ」レックスが、腕を組んで言った。「あんたらの運んでた荷物が、ヘリオス社のヤバいブツだってことは、こっちで証拠を掴んでる。あんたらも、ヘリオス社に使い捨てにされるところだったんだ。俺たちが、アークライトを追い払ってやったおかげで、あんたは命拾いした。そうだろ?」
担当者は、わなわなと震えている。
「こっちの要求は、シンプルだ」と、レックスは指を立てた。「一つ、コンデンサが戦闘で『不幸にも』壊れちまったのは、仕方ねえよな?不可抗力だ。だから、賠償の話はチャラ。二つ、依頼料は、危険手当込みで、きっちり払ってもらう。ただし、半額でいい。残りの半額は、口止め料ってことで、あんたのポケットに入れな。会社がどうなろうと、あんたの人生は続くんだからな。三つ、そっちのコンテナBの『慣性制御ダンパー』。こいつは、戦闘で破損した俺たちの船の『修理費の現物支給』として、貰い受ける。どうだ?あんたにとっても、悪い話じゃないだろ?」
担当者は、他に選択肢もなく、その条件を涙ながらに飲んだ。チャックは、そのやり取りを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。レックスは、ただの乱暴者ではない。彼は、この世界の「汚いルール」を知り尽くした、狡猾な生存者だった。
ゾルタンの店に、チャックは手に入れた慣性制御ダンパーと、マス・ドライバーの残骸を持ち込んだ。
「ほう、こいつを手に入れたか。あのクソガキ(レックス)も、たまには気の利いたことをするじゃねえか」
ゾルタンは、感心したように言った。「これなら、反動の問題はクリアできるな。電力は……まあ、手持ちのクレジットで、中古の小型コンデンサをいくつか並列に繋いで、だましだまし使うしかねえだろうが。残るは射撃管制システムだが……」
「それなら、俺がなんとかする」チャックは言った。「元エンジニアなんでね。アイリーンのシステムと、この船のセンサー、そしてこのマス・ドライバーを連動させる、専用のプログラムを組んでみる。時間はかかるだろうが、やれるはずだ」
「へえ」ゾルタンは、面白そうにチャックを見た。「お前さん、いい顔つきになったじゃねえか。最初の頃とは、別人のようだ。……リナ!手伝え!面白いオモチャの組み立てだ!」
数週間後。『セカンドライフ』号の船体下部に、一本の、長大で、無骨な砲身が取り付けられていた。
「……で、こいつの名前は?」ゾルタンが聞いた。
「名前なんてねえよ。ただの『マス・ドライバー』だ」チャックは答えた。
ギルドへの登録も、あくまで「長距離資源探査用マス・ドライバー」としてだった。使用する弾体も、爆薬の入っていない、ただのタングステン製の杭。表向きは、完全に「工業用具」だ。
ビショップは、その登録申請書を見て、一度だけチャックを呼び出した。
「……チャック君。言い訳は、見事だな」
彼は、銀縁眼鏡の奥で、静かに笑っていた。「だが、覚えておきたまえ。道具は、使う人間次第で、神にも悪魔にもなる。無闇に使うなよ。これは、君の『最後の切り札』だ」
5
チャックは、かつてアークライトと戦ったデブリ帯に、一人で戻ってきていた。試射のためだ。
「アイリーン。目標、前方5万キロの、あのデブリ。アナライザーで、構造上の最も脆いポイントを割り出せ」
『了解。目標のコア部分をロックオンします』
チャックが徹夜で組み上げた、専用の射撃管制プログラムが、アイリーンのシステムと完璧に連動する。モニターに、緑色のロックオンカーソルが、寸分の狂いもなく目標を捉えた。
「エネルギー充填、開始」
船全体が、低く唸りを上げる。中古の小型コンデンサが、悲鳴に近い音を立てて、エネルギーを蓄積していく。フルパワーには程遠いが、それでも、今までのパルスレーザーとは比べ物にならない。
『チャージ、100%。いつでも発射可能です、キャプテン』
「……撃て」
ゴウン、という、腹の底に響くような、重い作動音。手に入れた慣性制御ダンパーが、船体の軋みを必死に抑え込んでいる。
次の瞬間、青白い閃光と共に、金属の杭が、音もなく宇宙空間へと射出された。それは、レーザーのような派手さはない。ただ、静かに、一直線に、闇を突き進んでいく。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、遥か彼方のデブリが、内側から弾けるように、無音のまま砕け散った。
チャックは、その光景を、ただ黙って見つめていた。
これまでの、その場しのぎの裏技ではない。初めて手に入れた、「確かな力」。
これがあれば、もう無茶な接近戦をしなくても済むかもしれない。アイリーンや、誰かを乗せている時に、もっと安全に、彼らを守れるかもしれない。
船への負担も、修理費も、少しはマシになるだろう。
「……アイリーン」
『はい、キャプテン』
「コーヒー、淹れてくれ。一番いい豆でな」
『了解しました。ゾルタン氏から仕入れた、スペシャルブレンドを淹れます』
コクピットに、香ばしい匂いが満ちてくる。
ローンは、まだ山のように残っている。船の傷も、完全には癒えていない。
だが、『セカンドライフ』は、また少しだけ強くなった。自分自身の知恵と、仲間の助けと、そしてほんの少しの悪運で。
チャックは、ゆっくりとコーヒーをすすると、ギルドの依頼リストを開いた。彼のブルースは、まだ、始まったばかりなのだ。