第八話 金の髪の子
崖を迂回し、山道を駆け上がる一行。
「竹生! お前は村へ戻りなさいッ!」
自然な流れでついて来ようとしていた息子に、岑守は声をあげる。
しかし。
「時すでに遅し。です! 野殿!」
ガサガサと藪の中から、何かが、勢いよく飛び出してきた。
それを、筋骨隆々な僧は、「フンッ!」と弾き飛ばす。
転がったモノを見て、竹生は思わず、息を飲んだ。
声を震わせる岑守に、空海はごくりと唾を呑み込む。
「空海殿……なんだ……? コレは!」
「私もこんな例は初めてですが……」
空海に弾かれ、転がって動けなくなったその子どもを守るよう、次から次へと、別の子どもたちが飛び出してきた。
しかし、その異様さを目にし、さらに一同はワケがわからなく、混乱しかける。
一同を取り囲むように対峙したその相手。
全員一様に、ボロを纏った、子どもたち。ではあるのだが。
「空海殿……」
「気を付けて! この子どもたちは、生者と死者が、入り交じっている!」
ギラギラとした、殺意という名の、生気を纏うモノ。
明らかに腐敗が始まり、怨念という名の、瘴気を纏うモノ。
「野殿! 此処は私にお任せあれ!」
錫杖を深々と地に刺し、空海は印を結ぶ。
「なぁに。子どもたちに、うってつけの真言があるのです! ……空海が、責任をもって、まとめて君たちを導きましょう」
地蔵菩薩は、死した人間を公平に裁く閻魔王の同一存在でありながら、同時、六道の責め苦の身代わりを受ける、子どもの守護尊。
往くべき道を照らす、慈愛の側面。
「oṃ hahaha vismaye svāhā!」
カッ! と、眩い光が辺りを包み、そして、その光が落ち着くと、子どもたちはその場で倒れ込んでいた。
生ける子は、一時の眠りを。
死した子は、永遠の眠りを。
「さて、我々も、先を急ぎましょう」
空海は錫杖を抜くと、少し微笑んで岑守たちを促した。
◆◇◆
「亞輝斗!」
「おうよッ!」
こっちはあらかた片付いたぞ! と、鬼の明るい声が響く。
が。
「………………」
「……なんだよ。どうした?」
言葉を失う一同に、うろんげに亞輝斗が赤い目を細めた。
暴れたせいか、長くまとめていた金糸の髪は、ほどけてざんばらに広がり、ところどころ絡まっている。
しかし、亞輝斗のその手に摘まみあげられている、首謀者とおぼしき、一人の子ども……。
「確かに、金髪の子どもがいると報告がありましたが……」
「亞輝斗ー! 私に黙って、いつの間に隠し子なんかッ!」
丸く甘めの表現を心がけようとしていた岑守の行為を無駄にして、一瞬、初見で皆の脳裏によぎった言葉を、空海が叫んだ。
「ちっがーぁぁぁう!」
亞輝斗が全力で否定する。
が、角は無く、瞳の色は金色と違うが、その子どもの面差しは、亞輝斗によく似ていた。
特に、子どもの髪も同様に手入れが行き届いておらず、ざんばらだったので、余計そう思えてしまう。
「ねぇ、亞輝斗。もしかして……」
岑守と義覚の後ろから、竹生が少年に駆け寄った。
牙をむく少年の顔を、竹生はじぃっと見つめる。
「この子、じゃないかな? 伊吹大明神の──あいたッ!」
突然、「伊吹」の名を出した途端、少年が竹生の顔をひっかいた。
慌てて亞輝斗が引きはがし、岑守が駆け寄る。
しかし、竹生は「待って」と、二人を止めた。
「ゴメン。君、あそこで、ずっと、ずうっと、嫌な思いしてたんだよね? 気を使わなかった僕が悪かったよ」
引っかかれてジンジンする頬を押さえながらも、竹生はにっこりと笑った。
「僕は竹生。君、名前、なんていうの?」
手を差し出す竹生を、唖然としながらも、少年は値踏みするよう、じぃっと見つめる。
しばし、無言の間が流れ、そして──。
「……外道丸」
金髪の少年が、ため息とともに、諦めたように答えた。
「よろしく! 外道丸!」
竹生は外道丸の手をがっしりと握って、ぶんぶんと、大袈裟に見えるほど、大きく縦に振る。
「はは……ナルホド。野殿。貴公のご子息は、祖父の豪胆さと、貴公の思慮深さ、両方を兼ね備えておられるようだ」
空海が、感心したようにうなずく。
竹生が目に見えて自分よりも年下であったが故に、芽生えつつある自尊心から、大人の対応を取らざるを得なかった外道丸。
竹生も竹生で、外道丸と手を取り合う事で、「和解した」と、周囲の大人たちに見せつけることで、彼を守ろうとしている。
「しかし……村を襲ったことに、間違いはないわけで……」
物申したげな岑守に、「あー、それだが」と、亞輝斗が口を開いた。
「確かに、今回の首謀者──というか、根本的にはコイツの能力の暴走が原因だが、コイツだけが原因じゃぁなかったな」
亞輝斗が顎で指した方を見ると、先ほどと同様に、腐敗しかけた一つの子どもの死体が、今は動かず、転がっている。
「本当の首魁は、そいつだ。このガキも、比叡山に向かう途中で、そいつに拾われ、境遇に共感したにすぎない」
声をあげることは無かったが、外道丸の目に、じんわりと涙がにじんでいた。
「捨てられた子どもが寄って集まっても、人数分の食べ物を手に入れる術は無い。徐々に餓死していく連中も増えてゆく」
そんな中、外道丸の生まれ持つ神力にを触媒に、死の際に祟神と化した子どもたちがあらわれ始める。
自分が今、生きているのか、死んでいるのか。周りの子どもどころか、本人自身が理解していない。そんな状況が、あの惨事を、もたらせた──。
「しかし……」
頭では理解できてはいるが、腑に落ちきっていない。そんな表情の岑守に、突然、背後から声がかけられた。
「では、当初の予定通り、その者の身は、私があずかりましょう」
「さ……最澄……」
げぇ……と、空海は、露骨に嫌そうな顔を向けた。
そこに立っていたのは、空海とは真逆の印象を与える、細面の一人の僧。
「なんでお前が此処に……」
「おう! オレオレ」
手をひらひらと振っているのは、国境警備に向かったはずの、広野だった。
「いやー。南都の件は、万事解決って連絡が入ってよ! 貞嗣殿から、こっちの応援に回れって言われてたら、この人が連れていけってさ」
「私も、心配していたのです。その子の祖父から、孫を弟子にしてくれと連絡があって以降、まったく音沙汰が無かったので……」
無事で、本当によかった。と、最澄はその細い手で、外道丸の手を取り、さめざめと泣く。
「私の元で修行し、罪を償うといいでしょう。生き残った子どもたちも、全員、一緒に私が引き取ります」
「けッ……いつもいつも例によって、肝心のところで、横取りして……」
「真魚……お前、そういうところだぞ」
実に不味そうなニオイがプンプンする、心の底から善意の塊のような最澄に対して、小声で悪態をつく空海を、呆れながら亞輝斗がたしなめた。
横取り云々を抜きにしても、最澄と空海の品格の有無は、目に見えて明らかだ。
鬼の亞輝斗も、思わず頭を抱えてしまう。
「どーせ、私はお育ちが悪い、ヒラ官吏出身ですよーっだ」
優等生のような最澄と、そんな彼に対して露骨に嫉妬むき出しの空海に、とうぶん、コイツが悟りをひらくことなど無いだろうし、そもそも、僧としてコレはどうなんだと、亞輝斗は再度、頭を抱えた。