第六話 祟神
朝日が昇るとほぼ同時、早々に都へ帰って行った空海を一同は見送り、例によって厨に立ちたがる亞輝斗に調理を任せ、それを腹に入れてから、しばらくして。
南都の上皇が東国へ向かっているとの連絡を受けた岑守と広野は、昨夜からバタバタと対応に追われていた。
逢坂関を完全封鎖するため、御長広岳が、夜のうちに関に向かったとのこと。そんな彼の交代兼、応援要員として、次いで広野が関へと派遣されることとなった。
「へー、もう、いい歳だろうに。頑張ってるんだな。アイツ……」
「ん? 御長殿と、知り合いなのか?」
出立準備をしていた広野は、部屋の隅でごろ寝をしている亞輝斗に向かって、怪訝そうに眉間にしわを寄せる。
鬼は、何かを懐かしむように、小さくため息を吐いた。
「知ってるっちゃ知ってるが……たぶん、本人は覚えてないだろうよ」
そんな時だった。
急にざわざわと騒がしくなり、突然、何かが部屋に飛び込んできた。
避ける間もなく、何かは、亞輝斗を押しつぶす。
「く……空海殿?」
呆気にとられた広野が、思わず唖然と口を開いた。
都に帰ったはずの空海が、何故かまた、寝そべる鬼を押しつぶし、締め上げる。
「なんだよ! 真魚ッ! 今度はッ!」
鬼の怒声が響き、パリッと小さな雷光がはじけた。
「大変です! 亞輝斗! 私と一緒に来てください!」
「はぁ?」
何言ってやがる──呆れながら、亞輝斗と空海はお互い、座り直す。
「どうかしたのか?」
「亞輝斗……貴方にとって、大変嫌な話だとは思いますが、すみません。私がこちらへ向かった時は特に異常無かったので、たぶん、昨晩の事だと思いますが……集落が一つ、夜盗に襲われ、壊滅しています」
空海の言葉に、広野の顔色も変わった。
広野は慌てて二人の側に腰をかがめ、「詳細を」と、空海を促した。
が。
「おい……どうした?」
鬼が、両腕を抱え、ぶるぶると震えていた。
肌に、うっすらと縞のような赤い斑紋が浮かぶ。息も荒く、牙をむき、顔色も悪いが、しかし、それは、自分の内から込み上げる何かを無理やり、押さえつけているような──。
「だ、大丈夫だ。続けて……」
それだけじゃ、お前は此処に、戻っては来ないだろう? 亞輝斗の言葉を肯定するよう、空海はため息を吐いた。
「えぇ。おっしゃる通り」
生存者が何人かおり、簡易的にではありますが、経をあげて、事情を聴いてきました。と、僧は深くうなずいた。
亞輝斗の様子を見ながら、言葉を選ぶよう、空海は口を開く。
「夜盗は、ほぼ全員、元服前後の年若い者たちで構成され、その首魁は……」
空海の言葉に、鬼が、赤い瞳を、見開いた。
「金の髪に、金の瞳の、子どもだったそうです」
◆◇◆
「ねぇ、亞輝斗、どうしたの?」
昨日、大蛇神があけた穴から、暖かい日の光が差し込む。
その下に二人は並び、座った。
大人しいを通り越し、一人静かな鬼の背中を、竹生は撫でる。
「ん……お前には、どう見える?」
「落ち込んでる……ように、見えるかな……?」
……あたり。と、肩を落として鬼は答えた。
「何か、あったの?」
じっと見つめる竹生の頭を、亞輝斗は長い爪で傷つけないよう、そっと撫でる。
「……昔話をしよう。つまらない話かもしれないが」
ため息の鬼に対し、竹生はうなずいて、亞輝斗を見上げた。
「オレな、元は人間だったらしい」
──もっとも、その頃の事は、憶えて無いから、本当かどうか、断言できないけど。と、鬼は肩をすくめた。
「オレは、元服を迎えることなく、邑を滅ぼされて殺された。一人生き残った族長が、恨みつらみを募らせ、邪法に手を染め──たまたま通りがかった名も無き神が、そんな父親に気まぐれに力を貸して、小さな息子の死体を黄泉還らせた──」
知ってるか? と鬼は赤い目を細める。
「子どもが死ぬと、成長して積めなかった徳の代わりに、賽の河原で石を積む……なんてのは、まだマシな話だ。分別の解さない子どもが、純粋に恐怖と恨みだけを抱いたまま死ぬと、最強級の、祟神になる」
どうして自分が死んだか理解できず、また、持ちうる能力の御し方も、抱える痛みの耐え方も解らず、人の声に耳を傾ける余裕も無く、感情の赴くがまま、人に害を与える──。
「オレは、目の前の|負の感情に呑まれた父親が何か理解できず、空腹に任せて父親を喰った。鬼を見て、敵意を向けてやってくる人間や、怯えて泣き叫ぶ人間を喰った。そうしてあらゆる人間を喰い続けて、何十年も経って、役行者に逢った」
実に、アイツは変な男だ。と、亞輝斗は笑った。
「アイツは、退治するつもりだった鬼を目の前にして、憐憫と慈愛の感情で接した。初めて向けられた、その不味そうな感情から、オレはアイツを喰らうことができなかった」
憐憫と慈愛を「不味そう」だと、独特の表現をする亞輝斗。
けれども、彼の口から放たれるその言葉に対して、憐憫と慈愛が決して、彼にとっても、嫌なモノだという様子は無い。
「喰っても良いモノ駄目なモノ。やっても良い事駄目なこと……アイツから色々教えてもらったことで、たぶんオレは分別を理解し、そのおかげで、ご覧の通り、神に属するモノなのに、人間みたいに成長できたんだと思う。でも、身体が成長するたびに、ふと、何かが引っかかった感じがして、立ち止まってしまうんだ」
──もし、オレがあの時死なず、人間としての人生を、まっとうに、最期まで、生きることができたなら──。
決して、過去の出来事を否定したいわけではない。
けれども、どうしても、もしもの話に、憧れてしまう。
「だから、かな。死にかけた子どもを見ると、何が何でも助けなきゃって気になっちまうし、一方的な暴力や蹂躙の話を聞くと、何故か心の底から、自分でも理解できない怒りが湧き上がっちまう」
自己投影したところで、どうにもならない話であり、相手にだって、鬼に身の上重ねられて、迷惑な話なんだろうけどな。と、鬼は自嘲を浮かべた。
「ねえ。亞輝斗」
静かに聴いていた竹生が、ぽつり。と、口を開く。
「僕はね、迷惑だなんて、思ってないよ」
ぎゅっと、大きな鬼の背中を、両手いっぱい広げた小さな少年が、抱きしめた。
「亞輝斗が何を思っていたかとか、行動理由だなんて、どうだっていい」
──でも、間違いなく。
「あの時、僕を助けてくれたのは、亞輝斗だよ」
目を瞑ると、月明りを反射して、煌めく銀色の光を思い出す。
今まで感じたことの無い、熱い激痛と、遠のく意識と──。
「だって、その話じゃ、亞輝斗に見つけてもらわずに死んでたら、僕もきっと、祟神になってたんでしょう?」
「ばーか、お前は、賽の河原で石積んでる方だろ」
そんなことないもんッ! と、ポコポコと亞輝斗の背中を叩く竹生。首だけを動かして、鬼は振り返ると、照れたように、頬を赤く染めて笑った。
そんな二人を、柱の陰から、そっと覗く大人が三人。
「意外というか、定番というか……広野。君、こういう話に弱いんですね」
「………………うっさい」
ぐしぐしと目と鼻をこする広野に、岑守と空海は顔を見合わせ、苦笑を浮かべた。