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第一話 英雄の子、二人

 大同5年、西暦換算810年。

 長岡京から平安京への遷都から16年が経過したこの年、桓武天皇亡き後の皇位をめぐる兄弟の対立で、都は混乱に陥っていた。


 発端は数年前。

 兄の安殿帝(あてのみかど)は病気の為、在位3年で弟の神野親王(かみのしんのう)へと譲位を行い、古き都である平城京へと住まいを移す。

 が、寵愛する尚侍(あいじん)、藤原薬子らの後押しを得て上皇は復位を要求。神野帝(かみのてい)はそれを突っぱね、かくして平城京と平安京、二つの都に二つの朝廷が存在する、異例の事態となっていた。


 ――という状況はさておき。


「おい、岑守(みねもり)。大丈夫か? 息してるか?」


 松明(あかり)を向けると顔面蒼白の年上の同僚が、膝を抱えてブツブツと呟いている。

 どこからどう見ても大丈夫ではないことは明らかで、広野(ひろの)は空いてる手で頭を抱えた。


「ったく、なんだってお前は辺境警備の任務に、元服前の息子を一緒に連れてくるんだよ!」

「だって、竹生(たけお)はとっても賢い子だから……今後の勉強の為にと思って……」


 遣隋使として有名な小野妹子(おののいもこ)。彼の玄孫(やしゃご)にあたる小野岑守(おののみねもり)は、顔を覆って肩を震わせる。

 かつての征夷副将軍であった父、小野永見(おののながみ)と比べると彼は華奢な文系ではある。が、観察使や弁官などの職を歴任し、東宮(皇太子)時代の今上帝の身の回りの世話係にも選ばれるなど信頼も厚く、この度近江介(おうみのすけ)として赴任することとなった。


 普段は滅茶苦茶有能なクセに、息子馬鹿もいいところだ――と広野はため息を吐く。


 近江国は平安京(みやこ)にほど近く、一日もあれば十分到着する距離である。のだが、いかんせん急な話で出立が遅くなり、日がとっぷりと暮れた中もうすぐ国府に到着する――といったところで小野親子と広野、そして数名の雑任(ぞうにん)を加えた一行は夜盗の襲撃に遭ってしまった。


 武勇轟く征夷大将軍、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ――の次男、坂上広野(さかのうえのひろの)による父親譲りの武術と指揮により、夜盗はなんとか撃退することができたのだがその騒動の中、岑守の息子である竹生の姿が忽然と消えてしまった。


「あぁ、どうしよう。竹生……」

「ったく、狼狽えるんじゃねーよ!」


 そんな時だった。


 広野の耳に()が聞こえた。

 それは確かに『言葉』であり、ほんの微かではあるのだが――だんだん間違いなく、この場に近づいてきている。


「本当だ! 亞輝斗(アキト)様! 明かりが見えます!」

「だーかーらー! 言っただろ? お前、ホント信用しねーなオレの言葉……」

「だーって、小さい頃から亞輝斗様にホイホイノコノコついてくと、大概ろくな目にあってないですもん」

「ひっでぇッ! 義覚ってばホント酷い! オレのことを毎度毎度、疫病神みたいに言っちゃって……」


 真夜中に響く、気が抜けるような実に能天気な会話の数々。

 思わずなんだと広野は言葉を失う。


 しかし。


「うわぁあぁぁあぁぁああああ!」


 ガサガサと茂みをかきわけて現れてた大男の姿を見て、あたりは阿鼻叫喚の事態に陥った。


 長い髪は松明の炎を反射して明るく輝き、爛々と輝く瞳の色は炎の色よりなお濃い紅。

 頭には二本の、細くて長い角――。


「鬼だーッ! 鬼が出たぞーッ!」


 混乱し逃げ惑う雑任たちを見て舌打ちをしながら、広野は先ほど収めた太刀を再び抜いた。


「えー……っとぉ……」


 ナニゴト? とでも言いたげに、鬼は首を傾げた。


「義覚。コレ、なんなの?」

「……うん、大体、亞輝斗様のせいです」


 鬼の後ろから、ひょっこりと顔をのぞかせる一人の少年。彼は諦めて開き直ったような、それでいて少々自棄になったような――笑顔眩しく、鬼に答えた。

 年の頃はいなくなった竹生より、少し上の十二、三歳といったところだろう。

 彼の頭に角はなく、普通の人間(・・)に見えるが、油断はできない。


「おーい、ガキンチョ。起きてくれ。こいつら、お前の連れか?」


 鬼がどさりと、背中から何かを落とした。


「痛たた……うぅ……何? なんなの……?」


 大きな音をたてて尻餅をつきつつ、のそのそと起き上がったのは、見まごうことなく居なくなった竹生だった。

 しかし、彼の着ている着物は大量の赤黒い血で、べっとりと濡れていて――。


「竹生!」

「にゃろうッ!」


 悲鳴のような岑守の声に、広野の怒りの声が混ざった。

 振り下ろす広野の太刀を、鬼は迷うことなく掴む。


「あぶねーな。子どもら(ガキたち)に当たったら、どうするんだよ」


 フンッ! と鬼が手に力を入れると、太刀がバッキリと砕けるように折れて、バラバラと散らばる。

 鬼の赤い瞳がギロリと広野を捕らえ、思わず広野は後ずさった。


「竹生……よかった……」


 刀を破壊され、鬼に掴みかかる広野の後ろから、フラフラとよろめきながら、岑守が竹生に近寄る。

 が。


「ち……ちち、うえ……?」


 ぎょっと、竹生は目を見開いた。

 ぺたりと地面に座り込んだまま、思わずじりじりと後ろにあとずさる。


「へー。ガキンチョ。もしかしてお前、其れ(・・)視えてる(・・・・)?」


 形勢逆転し、逆に広野を片腕で吊るし上げながら亞輝斗が目を輝かせた。

 鬼に向かって無言で――しかしぶんぶんと首を縦に振る竹生に、岑守は首をかしげる。


「どうした……? 竹生……」


 悲しそうに顔を歪める岑守の首根っこを、鬼ががっしりと掴んだ。

 雑任たちが更なる悲鳴を上げ、反対側の腕の広野が怒声をあげる。


「いやー。驚くと思ったから、今は見逃して、後でこっそり御馳走(・・・)になろうと思ってたけれど……それじゃ、遠慮なく……」


 亞輝斗は広野を空に向かって、思いっきり放り投げた。

 悲鳴を上げる広野をとりあえず無視し、あいた手を岑守の腹部に押し当てる。


oṃ(オン) māyūrā(マヤラ) krānte(ギランデイ) svāhā(ソワカ)


 ドンッ と、空気の震える音が響く。


 その衝撃で、岑守の体から黒い靄が、ぼやりとあがった。

 其れはさながら漆黒の炎のようであり、竹生は震えながらもしっかりと目を見開いて、父を――ことの成り行きを見守る。


「いいかお前ら! 怪我したくなければ頭下げてろ! ……namaḥ(ノウマク) samanta(サマンダ) vajrāṇāṃ(バサラダン) caṇḍa(センダ) mahāroṣaṇa(マカロシャダ) sphoṭaya(ソワタヤ) hūṃ(ウン) traṭ(タラタ) hāṃ(カン) māṃ(マン)……」


 バチバチと松明よりもなおまばゆい光が、亞輝斗の周囲にほとばしる。

 赤い瞳の鬼は満足そうにニンマリと笑うと、鋭い牙をのぞかせて大きく口を開けた。


jaḥ(ジャク)! hūṃ(ウン)! vaṃ(バン)! hoḥ(コク)!」


 再度、ドンッと空気が震える。

 空に向かって逃げるように、何か(・・)が岑盛の中から勢いよく飛び出した。


 しかし亞輝斗が大きく息を吸うと、其れ(・・)は彼のその大きな口の中に、勢いよく吸い込まれる。

 亞輝斗は咀嚼も程々に、ほぼ丸飲み状態でそのままごくりと一気に呑み込んだ。


 ぱったりと倒れて動かない父に、竹生は腰が抜けたままじりじりと近寄った。

 彼は穏やかな顔で、すーすーと寝息をたてていた。思わずホッと、竹生は胸をなでおろす。


伊闘那(イズナ)……ようは妖狐だな。いやー。こんなにイキのいい奴、久々に喰ったわ」


 御馳走様でした。と亞輝斗はパンっと手を合わせるように叩く。

 タイミングよく、かつ同時に悲鳴を上げながら広野が降ってきて、亞輝斗はその位置のまま両手を広げて、広野を抱きとめた。


「よっしゃぁ! こっちも無事!」


 一応生きてはいるが、完全に目を廻している広野に同情の視線を向ける顔が一つ。


「なんだよ義覚。……なんか言いたそうだな。その顔」

「いいえ。なんでも。そんなことより……」


 義覚の耳にも届く距離から、無数の足音が聞こえる。


 逃げ出した一部の雑任たちが向かったのはきっと、国府の在る町だろう。

 たぶんもうすぐ――此処からそう変わらない、目と鼻の先の距離のハズだ。


 だから……。


「まぁ、こうなりますよね……」


 近江国国府から派遣された武装した兵に囲まれ「抵抗する意思なし」と両手をあげながら、義覚は小さく、ため息を吐いた。

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