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猫の行商人

作者: 雨具

時に、目は口ほどに物を言うというけれど、それは猫にぴったりな言葉だと私は思う。

ヒトに愛情をたっぷりと注がれて、飼い慣らされた猫は警戒するべき敵も、侵される縄張りもない。人生への諦観と安寧がが入り交じった寂しい目をしている。

反対に、外に住む猫は自分を攻撃する者から身を守るため休まる暇がない。自分以外の動物は全て敵なのだ。命を殺す煌めきを宿した鋭い目をしている。

彼らの、丸く大きい瞳は神々しい程に内包した光をキラキラと放つ。光や感情によって大きく形を変える瞳孔が、真横から見た水晶の様な透明が、猫という動物の不可思議さを作り出しているのだと思う。




金木犀が香り始めた時期、玄関を開けた先にいた猫は波のように穏やかで槍の様に鋭く光る目をしていた。

艶のあるふさふさとした毛皮を着た行商人は緑色の風呂敷を首からぶら下げるように背負っている。

そんな重荷をものともせずに軽く愛想笑いをし、「どうも!おじゃまします〜」と、扉の隙間からぬるりと侵入してきたのだった。

突然の押し入りに驚いた私をよそにまるで家主のように無遠慮に風呂敷を広げ、玄関を布と売り物でいっぱいにした。

「あの、困りますよ。猫だからってそんな大胆に……」

「まぁ、見てってください。貴方に良いモノ!ありますから」

「はぁ…」

ふすふすと目を細めて自慢げにこちらを見る猫に動揺しながら、一応品物を物色する。猫が一生懸命運んできたというだけで付加価値が着くのだけれど、それ抜きにしても正直どれもが私にとって魅力的に感じるものばかりだった。動くことない懐中時計に、向こう側がモザイクに見える磨ガラスの花瓶、時期ではないチューリップの球根まで。

ふと、猫の傍に気になる本を見つけた。

防腐用であろうイチョウの葉が、分厚い頁の間から覗いていて葉伝いに大木の息根を感じる。思わず手を伸ばしかけたがすぐにその手は肉球に阻止された。

「お客さん。商品にはお手を触れないでくださいっ」

耳を限界まで伏せてアザラシの様な顔で威嚇されてしまった。

「猫だからってね。舐めてもらっちゃ困るんですよ。こっちだって必死にアキンドしてるんですからっ」

猫は全てを言い切らないうちに足の毛繕いを始めた。忙しない猫だが、商品を扱う時は爪を仕舞って丁寧に触れる。ひとつの動作をとっても、商品を愛するように優しかった。

「すみません。ええと、じゃあ、その本を見ても?」

「かしこまりました!」

一瞬、猫の目が光った気がした。はやる期待を抑えるために尻尾を丸めてこちらをまっすぐと見つめる。不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。

異様に惹き付けられる本を開くと、古い植物の匂いがした。特に、装丁が気に入ったので、あまり本は読まないが買うことにした。

代金を支払うと猫はさも離れがたそうに古本を撫で てイチョウの葉をそうっと抜き出した。時代の流れを感じる古本とは違って、葉は先程散ったみたいにみずみずしく開いていた。

「貴方、見境なくこういう押し売りを?」

「えぇ!路上で市をするのは少々危険が伴うので。猫には自分を害さないニンゲンがわかるんです」

なるほど。顧客への媚び売りさえ欠かさない立派な商売人だ。私は彼にとって立派なカモと認識されてしまったのだろう。

「お客さん。本がお好きみたいですね!また機会があればそういうのもお持ちしますよ!」

「たまたまです。私、小さな小物の方が好きですから、持ってきてくださるならそれをよろしくお願いします」

手際よくあっという間に風呂敷に包まれていく品物。なんでも入るポケットのようで不思議だった。

玄関を出た猫はこちらに会釈をして、アパートを後にした。肌寒くなってもその猫を見かけることは無かった。





次に会った時、その猫は人気のない公園の日向で寝転んでいた。目を引く緑色の風呂敷を隣に置いて、微睡みを満喫していた。私が猫を認識した途端に耳がこちらを向く。気付かれているのならばと、遠慮がちに声をかけた。

「お久しぶりです」

「イチョウのお客さん。久方ぶりですねぇ」

「えぇ。……良かったらまた品物を見せて貰えませんか?」

この猫の素性を知りたくて風呂敷を指差してみた。猫はなんだか少し面倒くさそうに良いですよ、と答えて商品を並べ始める。

「休憩中でしたか?」

「いえ、お気になさらず。ゆっくり眺めてってください」

前はもっと商売魂を感じた。今のやる気のない態度の差に戸惑ってしまった。しかし、猫ってそんな生き物だものなと思い、表情には出さない。

商品の顔ぶれは前と何ら変わりはなかった。

「前も思ってたんですけど、どこで商品を仕入れたんですか?」

「仕入れというより、世話になった人の私物を譲り受けたんです。けど私には使い道はないし、捨てるにはもったいないんで、相応しい人探して売ってるんですわ!」

死んだ飼い主の遺品整理、か。何となく猫の生い立ちを想像してしまった。

緑の風呂敷の上で、飾り用の皿がすぐ目に付いた。

「この金魚の柄のお皿、前にもありましたよね」

「えぇ。今どき実用性のない皿を欲しがる人なんておらず、長いこと一緒に旅してきましたわ」

皿は猫が背負うには大きくて重そうだった。別段、飾り物が欲しい訳ではなかったが、なんとなくそれを指さしてみた。

「お客さん、前買っていかれたモノはどうでした?」

「あ、えぇ!とても面白かったですよ!新しい感性を与えてくれました。貴方の飼い主、とてもセンスが良いですね。あれ以来、好きな本を聞かれたらあの本を答えているんです」

「へぇ……そりゃ良かったです!!商人冥利に着くもんですわ!で、この皿はその本よりも大事にする気あるんです?」

「……大事に、?」

「アンタ、この皿を見ながら呑んでくれるんですか?毎日磨いてやって、泳ぐ金魚を眺めて満足気に微笑んでくれるんです?」

そこまでは、と面を食らってしまった。妥協でモノを買おうとしていることが猫にはしっかりとわかっていた。

「すみません。貴方の助けになりたいと思って」

すぐに、猫は瞳孔を真っ暗にして、私を睨みつけていた。この一連の行為が猫のプライドに傷をつけてしまったことをすぐに理解した。私は、この行商人をただの猫としての色眼鏡でしか見ていなかったことに気が付いた。

「……アタシは、この商品達を相応しい人間に届けるために行商人をしています。……また、この商品達に相応しいアンタになったら、また行きますから」

この皿も、どこかに必要とする人がいるのだろうか。なんとなく気まずくて、私はすぐにその場を後にした。

家に帰って、改めて眺めてみると皿を飾れるような場所はどこにもなかった。買ったとしても、すぐに押し入れにしまっていただろう。安直な私の行いがとても恥ずかしかった。彼を軽んじているだけではなく、猫の魂とも言える大切な商品をも侮辱していたことにとてつもない後悔を感じた。

私は、わかりもしない骨董品の皿を購入した。似たような品を大事にすれば、自分を慰められるような気がした。

また来たら、あの皿に私が相応しかったと猫にそう思って欲しい気持ちの方が強かった。

家を片して、皿を置くスペースを作った。それを見ながら酒を飲んだりもした。




あれから、長い時間が経った。私は、あの時の自分への当てつけのように猫の風呂敷に包んであった物を集めていた。きっかりと時を刻む時計に、白い花瓶。何色に育つかもわからない花の種。似たようで、全然違う品物ばかりを集めた。形ばかりのそれが、段々自分の取り柄に変わっていくにはそう時間はかからなかった。




ある日、前に住んでいたアパートの前を通り過ぎると、緑の風呂敷を抱えた猫がいた。目を疑った。最後に会った時から、猫の寿命では考えられないほどに時間が経っていたからだ。猫の様子は、あの時と比べて寸分違いはない。あるとすれば、風呂敷が随分中身を減らしていることくらいだった。

「あ、あの。行商人さん?」

「イチョウの!」

猫は、ピカりと目を煌めかせ私の匂いを嗅ぐ。そして、押し売りのように私の靴を巻き込んで風呂敷を広げ始めた。

「どうしてここに?」

「お客さん!私が必要でしょう!?」

そういって、猫は風呂敷に臍を上にして寝転がった。思わず腹を撫でると、気持ち良さそうに目を閉じる、なんてことはなく私の手を肉球で弾き飛ばした。

「お客さん!!許可なく触れないでください!!私は自分の商品にプライドを持ったアキンドですから!」

「どうして、その商人がご自分を商品に?」

「そりゃあ、当然。仕入先の商品が無くなったからです!暫くは休業ですわ!」

どうするのだ。と瞳は問うている。鋭く、穏やかな目で。きっと、この猫は私が死んだら、私の遺品を他人に売り捌くのだろう。なんとなく、無駄に捨ててしまうよりかはそれがいいなと思った。

「じゃあ、買わせてもらいます」

猫はにこっと笑い、私のあとを着いてきた。緑の風呂敷を抱えようともしなかったので、それを私のポケットに入れて一緒の家に帰った。

猫は穏やかな顔をして、もう話すことは無かった。多くの人間に前の持ち主の私物を売り払っていたにも関わらず、どうして私を選んだのか。聞いてみたが、返事は鳴き声でしか返ってこなかった。

私は、買ったモノ達を手入れをして、眺めながら酒を飲んだ。その横にはずっと猫が居た。

猫の風呂敷は、ほつれた部分を治し、アイロンをかけて襖にしまった。猫にはそれを言ったが、返事はない。

確実に老いていく私をよそに、この商人はずっと若々しいままだった。今日も何かを諦めた目をして、日向で寝ている。












文学賞に応募した4000文字以内の短編です。

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