ゆいこのトライアングルレッスンU
初投稿です。大好きな巽悠衣子さん誕生日記念に。
廊下に響く白杖のカツ、カツ、カツという音が止まったと思ったら、バン!と勢いよく診察室の扉が開かれた。
「ひろし!おはよ!」
「ゆいこ、お前なぁ…いくら昔からの付き合いとはいえ、俺はお前の主治医なんだから、せめてひろし先生って呼べよな」
「えぇ、なにそれ。気持ち悪っ」
ゆいこは白い歯と舌を見せて笑う。その笑顔もお転婆な性格も小さい頃から何も変わっていない。唯一、変わってしまったのは、病気により、ゆいこの眼から光が消えてしまったことだけ。
「そこ座って」
「はーい」
椅子へと腰掛けたゆいこの眼に診察用のライトを当てた。
「もうゆいこの視力が回復することは一生ないんだって」
20年以上前の今日みたいな夏の暑い日だった。ゆいこの母親が泣きながら俺とたくみにそう伝えてきたその日を今でも鮮明に覚えている。たくみはボロボロと涙を流し、俺は悔しくて両手をグッと握った。そんなことがあってたまるか、そんな診断をした医者はヤブ医者に決まってる!って悔しくて悔しくて唇を噛み締めた。絶対に俺がゆいこの視力を回復させる方法を見つけるんだ!と猛勉強して医学部に入った。そして念願の眼科医にもなった。しかし、医者としての経験を積むほど、あの時ゆいこに診断を下した医師の見解は間違っていなかったことを痛感させられた。今の医療では、ゆいこの視力を回復させることは不可能なのだと。
「はい、終わり。楽にしていいよ」
ゆいこの目に当てていたライトを消し、パソコンに向かいカルテを打ち込むたびに俺は自分の無力さに唇を噛み締める。
「あのね、ひろし。私はもう白杖にも慣れたし、今は何にも困ってないよ。周りの人も親切にしてくれるし。目が見えなくても匂いや音で色々なことがわかるんだよ。たとえば今。…ひろしが何を思ってるのかも」
「…ゆいこはすげぇよ。超能力者みたいだな」
俺はそう言ってゆいこの頭をポンと撫でた。
「へへへっ、でもね、本当は見てみたかったものはあるんだぁ」
「見てみたかったもの?」
ミーハーなゆいこのことだから、今ハマってる男性アイドルグループのことだろうと、そのアイドル名を口に出そうとした時、ゆいこが顔を赤くしながら俯き気味に何かをボソッと呟いた。
「ん?なに?」
それはあまりにも小さい声で俺の耳には届かない。
「…ひろ…し…見たかったなぁって…」
先程よりも小さな声で何かをボソボソと言うゆいこ。
「なんだよ、ゆいこらしくないな」
ゆいこの顔を覗きこみながらそう言うと、ゆいこは「ひろしの白衣姿が見たかったって言ったの!」と大声で叫んだ。
「お、おぉ…」
その迫力に思わずビックリする俺。
「あのひろしが白衣着てるなんて、絶対カッコいいに決まってるもん!」
「シーっ」
ゆいこの唇に自分の人差し指をあて、落ち着かせる。
「病院内は静かにな」
ゆいこがコクン、と頷いたのを確認すると、俺はゆいこの唇から指を離した。
「ひろし、小さい頃からカッコよかったから、今はもっとカッコよくなってるんだろうなぁと思って…」
「いや、カッコよくなんかないけど…」
「え〜?ここの病院内イチのイケメンだって有名だよ〜」
どこからそんな情報を仕入れてきたんだよ、と笑ってしまう。
「ひろし?ちょっとこっちに来て」
ゆいこに、ちょいちょいと手招きされ、近くに寄ると急にゆいこの手がスッと伸び、俺の頭を撫でた。いや、撫でるというより、その感触を確かめるように、と言ったほうが正しいか。
「な、なんだ?」
「相変わらず、癖っ毛なんだねぇ。あ、これツーブロックっていうやつ?」
刈り上げたサイドのジョリ、っとした感触が気に入ったのか、ゆいこは楽しそうに笑う。
「今でも眼鏡はかけてるの?」
「かけてるよ。あの頃と同じ黒縁のやつ」
「白衣に眼鏡は最強でしょ」
「なんだそれ」
俺は笑いながら、ゆいこの手を取って優しく包み込む。
「白衣着てない俺も好きでいてくれますか?」
「そんなこと聞かなくてもわかってるでしょ」
俺はゆいこの小さい体をそっと包み込んだ。