モーニングボーイ・イブニングガール
日本の沿岸部にある暁海町には様々な特殊能力者が集う。暁海北高校に通う二年生、半田カオルもその一人で朝と昼は男、夜は女になるという特異体質を持っていた。
外は仄暗い今、自宅のベッドで眠る姿はどこにでもいる少女そのものだが、時間が経って朝日が昇り始めると、体に変化が表れる。丸みを帯びた体つきは角ばり、胸は平坦になり、股間が膨らむ。半田カオルは女から男へと変化した。
カオルは朝早く起床すると、眼鏡を掛けてパジャマのまま机に向かい、学校の宿題をこなし始める。これは朝の日課となっていた。宿題を片付けると大きく伸びをしてから学校の制服に着替える。
中性的な顔立ちで髪も長めのカオルだが、学ランを着れば女に間違えられることはない。着替え終えると教科書とノートを詰めた鞄を持って自分の部屋を出て、リビングへ向かった。
窓辺に朝日の光が差し込む。カオルはシリアルを皿に盛って牛乳をかけ、ハムと一緒に食べた。それからテレビと時計を交互に見て、時間を調節していた。
「おはようカオル」
「おはよう父さん」
カオルの父親がリビングに入ってきた。そのタイミングで登校することにして、カオルは玄関に行って靴を履く。
「今日こそ真知子さんに……いや……」
意中の人の名前を口に出すも、アプローチするのを躊躇うカオル。彼は奥手だった。
カオルは家を出て学校へ向かう。まだ早い時間なので通行人はほとんどいない。厳しい残暑が終わって秋の涼しさを感じさせた。ほどなくして、暁海北高校が見えてきた。
創立六十年の歴史ある学校だが校舎は新しくなっている。そんなピカピカの校舎の中にカオルは入り、下駄箱で靴を上履きに履き替え、自分のクラスの教室の前まで行き、深呼吸してから中に入った。
いつも先に来ているのは四五人だが、この日も四人いた。顔ぶれはいつもと変わらない。その全員にカオルは挨拶する。
「おはよう田中さん」
「半田君おはよう」
「おはよう鈴木君」
「おっす半田」
「おはよう山田君」
「半田おはよーさん」
「おはよう城崎さん」
「おはよう半田君」
よし、と心の中でガッツボーズするカオル。朝クラスメイトに全員挨拶するのは愛しの城崎真知子から自然に声を掛けてもらえるという作戦だった。
短い挨拶の間だけでも真知子が自分を意識してくれるだけでカオルには至福であった。夢心地で自分の席に座る。
しかしカオルは挨拶以上の会話を真知子としたことがなかった。なにしろ相手はクラスの男子に一番人気の美少女、所謂高嶺の花だ。そんなの気にせずグイグイいく性格でもなく、話しかける勇気がなかった。近くで眺めているだけで良かった。
クラスメイトのカオルに対する印象は概ね勤勉で真面目だった。ちゃんと授業を聞いてノートを取り、休み時間も予習をしているような生徒だ。ただ友達らしい友達はおらず、昼食を一人で食べていた。
一日の授業が終わるとすぐカオルは家に帰る。夜になると女になってしまうためこの特異体質を秘密にしておくには帰りが遅くなる部活には所属できない。そういう不自由さに鬱屈しているところがあったが、自分ではどうしようもなかった。
「ただいま」
「おかえりカオル、学校はどうだった?」
自宅に着くと母親に声を掛けられる。カオルはいつも通りだよとだけ答えて自分の部屋に向かう。
部屋に入っても着替えず制服のままカオルは授業の復習をする。それが一通り終わると窓に映る空はもう赤く日が暮れようとしていた。夜までのわずかな時間小説の文庫本を読む。数ページしか読み進められないとわかっていても心安らぐ一時だった。
やがて日が沈み、暗くなった空に月が輝く。するとカオルの体つきがだんだん丸みを帯びていき、胸は膨らみ、股間は萎む。男から女へと変化した。
カオルはすぐさま本を閉じ、眼鏡を外してコンタクトレンズに付け替える。そして服を全て脱ぎ捨て、女物の私服に着替える。
そのギャルっぽい格好を見れば、男の時とはまるで性格が違うのが一目瞭然であった。
カオルは自分の部屋を出て洗面台に向かう。そこで自前の化粧道具を手に取り化粧する。
「よし、今日のアタシもキレイ」
メイクの出来栄えに満足してカオルは洗面台を後にする。玄関で靴を履きながら彼女は大声で言った。
「出かけてくるー食べてくるから晩ご飯いらないー」
「お兄ちゃんまたー?」
「今はお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんでしょ」
「えーどっちでもいいじゃん」
妹の半田花火とそんなやりとりをしながらカオルは夜遊びに出かける。
カオルは携帯を取り出し、SNSに「今起きた」という文面を投稿する。すればすぐ「遊ぼうぜ。噴水広場で待ってる」と返信が付いた。「OK」と返信して携帯をしまう。
暁海町の中心部まで自転車で行って駅前の駐輪場に停める。そしてすぐ近くの噴水広場に行くと、カオルの姿を認めた少女二人組が手を振った。
「おーいカオルー」
「よーっす早希、綾瀬。待った?」
「おせーよタコ、もう七時だぞ。アタシお腹ペコペコ~」
「カオルの寝坊助は今に始まったことじゃないじゃん早希」
「そりゃまぁそうだけどさ……」
「メンゴメンゴ」
カオルは軽く謝るがいつものことだ。すぐに和気藹々としたムードになる。
早希と綾瀬の二人は暁海東高校の生徒で彼女たち同士はすでに友達であったが、カオルとはネットで知り合った遊び友達だった。
身長165センチのカオルは男としては低いが女としては高い。だが早希は身長170センチでさらに大柄で肉付きもよく、胸もGカップと豊満だ。対して綾瀬は身長155センチと比較的小さくスレンダーで、胸も控えめだ。
そんな対称的な二人だが、二人ともカオルと似たようなギャルっぽい格好をしている。これが彼女達の間でのトレンドのファッションなのだろう。
三人娘は談笑しながら夜の繁華街へと歩いていく。
「ところでさ、今日もアレやる?」
「やるに決まってんじゃん。な、綾瀬」
「ターゲット発見。早希、カオル、あいつどう?」
綾瀬が前方から歩いてくるラフな格好の青年を指差す。二人とも頷いたので全員で彼に近づいて早希が声を掛けた。
「ねぇお兄さん、ウチら金なくて丸二日食べてないんだ……お腹空きすぎて死にそう……助けてくれないかな、焼肉とか食べたいな……」
屈んで上目遣いで腕を組んで胸を寄せて上げて色仕掛けをする早希。青年はこれにたまらずその気になってしまう。
「いいぜ、焼肉だろ、俺が奢ってやるよ」
「ありがとうお兄さん!」
「その代わりみんなの電話番号教えてくれよ。それが交換条件だ」
うわぁこの男がっつくなぁと三人娘全員が思ったが、早希はいいよと承諾した。青年は三人を連れて焼肉屋に入った。
「特上ってのじゃんじゃん頼もー!」
「アタシタン! それとミノと……ホルモンも!」
「二人とも飛ばしすぎ、太るよ?」
「食べないと大きくなれないぞ綾瀬チャン~」
「アンタら巨人族が異常なのよ。後で体重計見て後悔しても知らないからね」
そう言う綾瀬も箸は進んでいる。カオルと早希の二人が節度を知らないだけで。青年は三人の食いっぷりを見て、次第に青ざめていった。
初めは威勢のよかった青年も財布を取り出して中身を見るなり席を立って、消え入りそうな声で言った。
「俺、金下ろしてくる……」
青年は店員に断りを入れた後、慌てて店を出て行った。
「金なくて下ろしに行くとかダッサ。マジウケる」
「てゆーか今のうちにフケね?」
「行こ行こ」
「えーまだお肉食べるー」
「カオル、食い意地張ってないでズラかるよ」
カオルは渋々席を立って早希・綾瀬と共に店を出た。適当な男を見繕って食事をたかるようなことはしょっちゅうやっていた。中々あくどい三人娘である。
「この後何する早希?」
「カラオケ行く奴ー」
三人とも手を挙げたので一行は駅前のカラオケ屋に向かった。
「ないないないないな~イエア!」
カラオケ屋の一室で熱唱するカオル。その時室内に設置されている電話が鳴って早希が受話器を取った。
「延長するかだって」
「朝まで歌お」
綾瀬はやる気満々だ。しかしカオルは申し訳なさそうに言った。
「わりい、アタシ帰るわ」
「えーこれからがいいとこなのにー」
「カオルはどーせ金欠だから節約してんだろ? いい加減バイトしなよ」
「じゃあなんか楽して稼げるの紹介してよ早希。じゃあね、また」
カオルは早希達と別れて一人カラオケ屋を後にする。夜の繁華街を抜けて駐輪場まで戻ってくると、自転車に乗って暁海町北部にある自宅へ帰る。
朝になったら男になってしまうから早希達と朝までカラオケなんてできないが、金がないのも本当だった。カオルは帰り道自転車を漕ぎながら呟く。
「あー金欲しーパパ活でもすっかな……でもそんなの昼のアタシが許さないだろうしな……」
男の時と女の時で性格は違えど記憶は共有していた。だから真面目な男人格がいる限り男に体を売って稼ぐなんてことは到底できなかった。
カオルの二重人格は一人の人間に二つの性別を内包したことで自然に精神が分裂したものだ。陰と陽、対となる性質を持ち、互いに互いを束縛していた。そのせいで人より不自由さを感じることが多かった。
カオルが自分の家に着いた時には夜の十時になっていた。
「ただいまー」
「おかえりカオル。まーた遅くまで遊んできて。夜の繁華街は危ないんだから。ちょっと、聞いてる?」
母親の小言を無視してカオルは洗面台に向かう。
「さてメイク落としてお風呂お風呂」
カオルは化粧を落とすと服を脱いで洗濯機に放り込み、浴室に入った。
入浴を済ませるとパジャマを着て自室のベッドに潜り込む。いつも朝早いので日付が変わる前に寝た。これがカオルの一日のサイクルだった。
次の日の昼休み。カオルは食事を済ませて図書室に向かう途中、真知子の姿を廊下で見かけた。しかしその隣にはクラスメイトの山田もいてただならぬ雰囲気だったので、思わず二人に気付かれないよう注意を払いながら近くの教室に入り、様子を窺った。
「山田君、さっきから黙って私の顔を見つめて……何の用かしら」
「すみません、ちょっと待ってください」
「なんだ一体」
カオルは二人の間に訪れた沈黙にやきもきする。だがやがて山田が沈黙を破って告白した。
「城崎さん、ずっと前からあなたのことが好きでした。俺と付き合ってください」
カオルは絶望した。山田は野球部の次期エースだしルックスもイケメンだからとにかくモテる。このままでは真知子を取られてしまう。
しかし真知子の返答は意外なものだった。
「ごめんなさい。私あなたとは付き合えません」
真知子がきっぱりと断ったのでカオルはホッと胸を撫で下ろす。山田はよほど自信があったのか、狼狽えて後ずさりし、そのまま逃げだした。
「山田君、ちょっと……」
真知子は呆気に取られていた。袖で涙を拭って走り去る山田を見て、カオルは自分にもチャンスがあると同時に人気のある山田でも無理なら自分なんてとても無理だとも思った。
山田みたいに告白する勇気は少なくとも今のカオルにはなかった。だから今まで通り眺めているだけにする。
「全く、しけた男しかいないね」
夜になって女になったカオルは今日も早希・綾瀬の二人と道行く男に晩飯をたかろうとしたが不発に終わった。そういうわけでハンバーガーショップで三人とも安いセットメニューを頼んでいた。
「警戒されてるんだよ。アタシら妖怪タダ飯食らいってウワサされてるからね」
綾瀬がそう言うと早希が爆笑した。
「妖怪って、妖怪が現代日本にいるかっつーの!」
「でもタダ飯食いたいよなぁ、だってお金ないんだもん。あー空から一億円降ってこないかなぁ」
カオルは非現実的な望みを口にしながらチーズバーガーを齧る。すかさず早希がツッコむ。
「だからカオルはバイトしな。先月貸した五千円、いつ返すんだよ」
「それはその……お年玉で」
「お年玉もらえる歳かよ」
「花火の財布パクろうかな……」
「アンタそういうのはマジでやめな。ちゃんと働け」
「だってバイトしたら早希達と遊ぶ時間が減っちゃうじゃん。つか今思ったけど早希はいつバイトしてんの?」
「早希は学校サボってバイトしてるよ」
「バ、バラすなよ綾瀬」
「マジか……不良じゃん」
「アタシは綾瀬みたいに金持ちの子じゃないからな。それにカオル、アンタだっていつも今起きたって昼間寝てんじゃん。よっぽど不良だろ!」
「何言ってんの。これでもアタシ優等生だよ」
「本当かー? じゃあ綾瀬、なんか問題出してみて」
「えー問題―? じゃあキューバ革命を成功させた英雄といえば?」
「チェ・ゲバラ」
「正解」
「アタシだってエバラぐらい知ってるっての」
「早希、ゲバラ……」
「早希は馬鹿だなー」
「クソ、なんで一番馬鹿っぽそうなカオルが勉強できるんだよ」
カオルはフフンと鼻を鳴らす。男の時に勉強に励んでいるのが活きた。早希はチキンバーガーを貪り食いつつ、これ以上馬鹿にされたくなくて話題を変える。
「秋だしこんなんじゃなくてもっとおいしいもの食べに行きたいよな」
「フルーツ狩りとか? りんごにぶどう、マスカット」
すかさず綾瀬が提案する。
「そんなの八百屋に売ってんじゃん」
「夢のないこと言わないでよカオル。じゃあスイーツパラダイス」
「暁海町にないじゃん」
「どうせなら暁海町の外に行きたいね。お泊り旅行とかさ」
早希がそう言うと綾瀬が乗っかる。
「それならアタシ鎌倉行きたい」
「海あるけど夏終わっちゃったじゃん。アタシは大阪だね。美味いもん食い放題だし都会だし。綾瀬、二人で大阪行こ」
「ちょっと待って、なんでアタシ抜きなんだよ」
「え、だってカオルは休みの日でも昼間は起きてこないじゃん。旅行とか無理っしょ」
実際カオルはその特異体質の秘密のために宿泊なんて不可能だった。なので慌てて旅行計画を中止させようとする。
「まぁまぁ、暁海町の外に出なくてもまだまだ遊べるところあるじゃん。今度湾岸地区に行ってみようよ。でかいクラブとかできたって聞くし」
「カオル、あそこは危ないよ。女の子を攫ってヤク漬けにして売るギャングがいるって話だし」
情報通の綾瀬が忠告する。それを聞いて早希は身震いした。
「おー怖、近寄らんとこ」
「なんでもそのギャングと地元のヤクザが抗争してるってウワサもあるし」
「なにそれ面白そう! 見てみたいわ~」
「カオル、アンタイカレてるよ」
早希は呆れて綾瀬を見るが自分とまるで同じ顔をしていた。カオルだけが浮かれていた。
「とにかくアタシらは湾岸地区には行かないからね。一人で行けよ」
「えーしょうがないなぁ。それよりウチの学校に山田ってイケメンがいんだけど、今日城崎って女に告ったら即断られて泣いて逃げてウケた」
「カオルが学校の話するのレアだね」
「何、山田って男狙ってんの?」
「オラついてる男はタイプじゃないし、もっと清純そうな……って何言わそうとしてんだよ早希」
「いいじゃんもっと聞かせろよ」
三人娘は話に花を咲かせる。結局その日は駄弁るだけ駄弁って帰ったカオルだった。
次の日、山田が学校を欠席した。よほど振られたのがショックだったのだろう。
カオルはいつものように朝真知子に挨拶して、授業を真面目に受けた。授業終わりのホームルームで文化祭の実行委員を決めるという議題が持ち上がった。男子と女子で一人ずつだ。もっとも文化祭の実行委員なんて面倒な仕事、誰もやりたがらない。
「では女子でやりたい人ー」
しかし一人が真っ直ぐ手を挙げた。真知子だった。
「先生、私にやらせてください」
「じゃあ女子は城崎。次男子ー」
「はいはーい」
何人かが手を挙げる。クラスでもお調子者に分類される連中だった。おそらく純粋に実行委員がやりたいわけではなく、真知子目当てなのは明白だった。
看過できない、とカオルは思った。連中に真知子を取られたくない。そのためにはまずは勇気を振り絞って手を挙げなければ。ええい、駄目で元々、思い切って挙手する。
「うーんこの中で一番まともそうなのは……半田、お前が実行委員をやれ」
すると先生の鶴の一声でカオルが実行委員に決まった。
カオルは信じられない気持ちでいた。あの今まで挨拶を交わすことしかできなかった真知子に近づくチャンスが生まれるなんて。ドキドキが止まらない。でも冷静になろうとする。慎重に、チャンスをふいにしないために。
ホームルームが終わってカオルは帰り支度をしていると、早速真知子から声を掛けられた。
「半田君、ちょっといいかな」
瞬間、心臓がバクバクしてカオルはどうしたらいいかわからなくなる。とりあえずああともうんともつかぬ返事をする。
「大変だと思うけど文化祭一緒に頑張ろうね」
憧れの真知子からそんなことを言われるだけでカオルは幸せな気分になる。しかし真面目な彼は思い出す、文化祭の実行委員という責務ある任を果たさなければいけないことに。その仕事は放課後することになるだろうことに。
「ごめん城崎さん、最初に言っておくけどウチ門限が厳しくて、日が暮れるまでに帰らないといけないんだ。なのであんまり遅くまで仕事できないんだけど……」
「そうなの? 大丈夫、私がカバーするから半田君は帰っていいよ」
天使だ……カオルには真知子がそう思えた。
「半田君、電話番号交換しましょう」
突然の提案にカオルはドキッとした。
「なんで!?」
「何か用件があった時に連絡できた方が捗るでしょう」
「そうか……」
真知子は鞄から携帯を取り出す。カオルは平常心を保とうとしたが携帯を持つ手が震えた。二人は電話番号を教えあった。
文化祭までに真知子と親密になれるだろうか……期待よりも不安が勝る。いや、ここで尻込みしてどうする、行け、半田カオル、男だろ、と自分を奮い立たせる。
「城崎さん、あの」
「それじゃあ半田君またね」
カオルが何か言うより早く、真知子は小さく手を振りながら教室を出て行った。
「はぁ、真知子さん……いい匂いしたな……」
カオルはしばし真知子の残り香に酔いしれていた。
夜になって女になったカオルはいつものように洗面台に行く前に自室で携帯を手に取った。
「番号は……あったあった」
ベッドに寝転びながらカオルは電話を掛ける。
「はい、城崎ですけど、半田君どうしたの?」
相手はなんと真知子だった。カオルは男の時とは打って変わって物怖じせず話しかける。
「こんばんはー真知子チャン、元気してるー?」
「……!? どなたですか?」
いきなりクラスメイトの番号なのに知らない女から声を掛けられて真知子は身構える。
「さーて誰でしょう?」
「……ご家族の方?」
「アハハハハ」
カオルは笑うだけ笑って明言しない。からかっているのだ。愚弄されていることは真知子も感付いていて、不快な笑い声を止めるために問う。
「あの、何か用ですか?」
「用がなかったら電話しちゃいけないわけ?」
質問を質問で返すカオル。真知子は呆れて物も言えなくなる。
「今日はほんの挨拶。またじっくり話そ。じゃあね~愛しの真知子チャン」
カオルは電話を切る。真知子は謎の女からの電話に唖然としていた。
「さて、そろそろマジで金がなくてヤバイ……背に腹は代えられないか……」
カオルは少し考えてからまた電話を掛ける。
「もしもし綾瀬? なんか一発で稼げるいい感じのバイト紹介してくれない?」
それから翌朝起きてカオルは戦慄した。夜の自分の、真知子に電話するという突拍子もない行いを思い返して。
一体何を考えているんだ、女の自分は。あの真知子にあんな気安く話しかけるなんて。カオルは悶絶して枕に頭を打ち付ける。
学校でどんな顔をして真知子に会えばいいのだろう……あれが自分の女人格だとは言えないし……困ったカオルだったが、言い訳を考えるより先に朝の日課の宿題に手を付けた。ルーチンワークをこなすことで落ち着きを取り戻そうとした。
なんとか冷静になったカオルは登校する。教室にはいつも通り真知子がいた。なるべく平常心を保ちながら挨拶する。
「おはよう城崎さん」
「おはよう半田君」
カオルは立ったまま昨日のことで何か話をされるのを待った。自分から話題に出すのは不自然だと思ったからだ。しかし真知子から話をする気配はなく、沈黙が流れる。
「あの、半田君、まだ何か?」
「いや、なんでもない」
慌ててカオルは自分の席に着く。真知子は昨日のことなど気にしていないのかと彼は思った。
だが放課後になって、真知子はカオルに昨日の電話について聞いてきた。
「あの、半田君、昨日半田君から電話がかかってきたんだけど半田君じゃなくて知らない女の人が出たの。何か心当たりはない?」
「それは……多分姉の仕業だと思う」
カオルはあらかじめ用意していた回答をする。
「お姉さんがいるの?」
「うん。ちょっとココがおかしいから勝手に僕の携帯で電話してきても相手にしないでくれ」
そう言ってカオルは自分の頭を人差し指でつつく。真知子ははいと頷く。
「教えてくれてありがとう半田君。それじゃあまたね」
実のところ電話の謎の女のことで神経質になっていたが、カオルと話したことで安心した真知子は笑顔を振りまきながら教室を出て行く。
「よし……これでいいだろう」
カオルは自分の女人格のことだから今日も真知子に電話するに違いないと予想したが、彼女が毅然とした態度を取って相手にしなければ諦めるはずだとも思った。なるようになると考えて帰途につく。
夜になってカオルは女として目覚める。着替えてベッドに寝転がると、案の定また真知子に電話を掛けた。
「はい、城崎ですけど、半田君? それとも」
「はいはーい、アタシでーす! 真知子チャン元気してたー?」
「半田君のお姉さんですね。半田君からお話は伺っております」
「あっそ。今日は真知子チャンと喋りたくて電話したんだけどさ、今暇?」
「あなたとお話することはありません?」
「いきなりよく知らない女とはトークできないってわけ。じゃあまずお互いのこと知るために質問し合いっこしよっか。アタシからいくね。どこ住み? 何人家族? 趣味は? 好きな男のタイプ?」
「なにも答えられません」
「は? シカトすんの? 真知子、そういうことするわけ」
ぴしゃりとはねつける真知子に対し、カオルは語気を強める。
「電話、切りますよ?」
「どうぞご自由に。電話なんかじゃ駄目だね、やっぱ直接会って話さないと関係が深まらないもんね。つことで絶対会いに行くから」
宣言して、カオルの方から電話を切った。
「さーて、遊びに行くかー」
カオルは自分の部屋を出て化粧してから夜の街へと出かけた。
いつものように早希達と合流し、またその辺の男を捕まえて回転寿司屋にやってきた。綾瀬が男の口説きを受け流している間に二人は会話していた。
「カオルがモデルのバイトー?」
「まだ決まってないけどアタシなら余裕っしょ」
「無理無理アタシくらい巨乳ならまだしもカオルにモデルとか無理」
「アタシのどこが無理なんだよ、早希なんて巨乳だけが取り柄で顔は並じゃん。メイクで誤魔化してるだけで」
「言ったなコノヤロー、殺すぞ!」
「あ? やってみろし」
お互い席を立って今にも取っ組み合いが始まりそうなカオルと早希を見て、綾瀬と男は慌てて仲裁に入る。
「落ち着いて、早希」
「まぁまぁ君達、喧嘩はよそう」
「絶交してやる!」
「邪魔したわ。アタシ帰る」
カオルはそのまま席を外して一人回転寿司屋を出て行った。
家に帰って、カオルは大きな溜息をつく。自分の部屋に戻ってしばらくベッドにうずくまっていたが、やがて携帯を取り出した。そして早希に「ごめん。許して。早希は一番の友達だよ」とメッセージを送る。するとすぐに「また明日な」という返信が来た。
「良かった~」
カオルは親友との縁が切れずに済んで一安心する。まだ寝るには早い時間だったので、起き上がってリビングで妹の花火とテレビを見た。
翌朝、男になったカオルは昨日の電話でのやりとりを思い返していた。
真知子がああもきっぱりとはねつけてくれたのは良かった。しかし女としての自分がそれで諦めなかったことにカオルは油断ならないと思った。
それでも夜の自分が真知子に会う手段がないからしばらくは安心してもいいのかなとカオルは考えた。このことは頭の片隅において宿題を済ませ、学校に向かう。
教室に入ると、カオルはいつものようにクラスメイト全員と挨拶する。当然真知子とも。しかしやはり挨拶だけで、込み入った話はしなかった。
一日の授業が終わって一息つくカオル。そのままホームルームが始まり、今日は文化祭の出し物を決めることになった。
実行委員であるカオルと真知子が進行役を務める、二人の初仕事だった。いくつか案が出されたところで採決を取り、票が割れたもののメイド・執事喫茶に決定した。
カオルは考える。衣装を用意しなくちゃいけないしメニューも考えなくちゃいけない、内装もそれっぽくしたいし……やることは山積みだった。
放課後、また真知子から声を掛けられた。
「半田君、文化祭の出し物決まったね。考えないといけないことが色々あるけど一つずつ片付けていきましょう」
「うん。まず衣装なんだけど……」
「レンタルできないかな? それか裁縫できる子に作ってもらうとか」
「自作は厳しいと思う……安く手に入らないかネットで探してみる」
「そうしましょう。メニューは紅茶とコーヒー、それから何か軽く食べられるものかな? ホームルームで案を出してもらって決めましょう」
「それがいいね」
文化祭の段取りが進む。文化祭について今話せることは話し終わったとして、真知子は昨日の電話の話を切り出す。
「それはそうと半田君、またお姉さんから電話があったのだけど……」
「ああ、あいつ、僕の言うことを聞かなくて最悪なんだよ」
自分のことだがあくまで「姉」がいるものとしてカオルは話す。
「お姉さんとは仲悪いの?」
「良くはないかな……」
「そうなんだ……」
「城崎さんこそ家族とは仲良いの?」
これ以上「姉」について訊かれるとボロが出そうなので、カオルは質問で切り返す。
「ウチはみんな仲良いよ。お父さんは仕事が忙しくてあまり家にいないけど」
「訊いてもいいかな? 城崎さんのお父さんってどんな仕事をしているの?」
「城崎エレクトロニクスという会社の社長をしているわ」
「すごい、城崎さんって社長令嬢なんだ!」
「社長令嬢だなんてそんな大層なものでは」
真知子の顔が照れてほんのり赤くなる。
「後を継ぐのは兄だし」
「お兄さんがいるんだ」
「はい。兄が三人いて、私が末っ子なの」
「そうなんだ……じゃあ姉妹が欲しいと思ったことはない? ウチは女だけで妹もいるんだけど小憎たらしい奴で弟なら良かったのにと思ったよ」
「そうなの? 私は今の家庭で満足しているし、これ以上を望むのは罰当たりだと思う。恵まれているのよね、私は」
最後の言葉を真知子は強調した。人より優れた容姿を持って裕福な家庭に生まれたことを自覚していた。だからといってそれに胡坐をかいて生きてきたわけではなかった。
「誰もが城崎さんを羨むだろうけど、恵まれているからといって負い目を感じる必要はないと思うよ」
そう言ってからしまったお節介だったかと思い後悔するカオル。しかし真知子はありがとうと素直に感謝の言葉を述べた。
「半田君って落ち着いてるね。話してると私も落ち着く」
真知子からそんなことを言われるとドキッとしてとてもじゃないが落ち着いていられなくなるカオルだった。
「そ、そうかな、はは、ボクはよく人から真面目とかガリ勉とかは言われるけどそういう風に言われたのは初めてだよ」
「へぇ、私が初めてもらっちゃったね」
真知子ははにかむ。カオルはそんな彼女の仕草がとてつもなく可愛いと思う。
しかしこのいいムードは真知子の言葉で突如終わりを告げる。
「半田君、時間大丈夫? 今日は七時間目まであったしホームルームが長引いたからもう夕方だよ」
「あー」
カオルは時計と窓を交互に見る。空はもう仄かに赤い。慌てて帰り支度をする。
「もう帰らなくちゃ。ごめん城崎さん、またね」
「またね、半田君」
カオルは真知子と別れて帰宅した。こういう時自分の特異体質が恨めしいと思った。
また夜が来た。カオルは自室でささっと女物の私服に着替えた後、携帯を手に取って検索サイトにアクセスした。キーワードに城崎エレクトロニクスと打ち込み検索する。
「社長さんの名前は……城崎吉晴と。真知子のパパの名前ゲット~」
今度は「城崎吉晴」で検索するカオル。ざっと調べて、目当ての情報を手に入れた。
「ビンゴ! 住所出た。なんでも載ってるねーネットって。怖い怖い」
カオルはにししと笑う。その笑みからは邪悪さが滲み出ていた。
携帯を持ったままネットをやめ、カオルは早希に電話を掛ける。
「もしもし早希?」
「なんだよカオル、昨日のことならもう気にしてねぇよ」
「わりいんだけど今日用事があるからいけない。メンゴ」
「おい、アタシらより優先する用事ってなんだよ……まさか、男か?」
「そのうち早希にも紹介するね。じゃあつことで」
「待てよ、抜け駆けは禁」
早希の言葉の途中で電話を切るカオル。それから部屋を出て化粧をして外に出かけた。
「うわ、家でっか」
カオルは一軒の豪邸の前まで歩いてきた。迷わずインターホンを鳴らす。
真知子が自分の部屋でくつろいでいたところ、使用人の年配の女性が扉をノックした。
「お嬢様」
「朝日、どうしましたか?」
「半田カオルという方がお嬢様を訪ねて参りました」
「半田君が?」
住所を教えてもいないのにどうして彼が来れるのだろうと真知子は訝しんだが、文化祭についての話をしに来たのかもしれないし会わないわけにはいかなかった。
「リビングにお通しして。私も行きます」
真知子は自分の部屋を出る。その時にはすでに朝日という使用人は玄関に向かっていた。
リビングで真知子は「半田カオル」と対面した。
真知子はロングスカートにカーディガンを羽織っていたが、相手はパンツが見えるギリギリのミニスカートを履いていた。顔は彼女の知る半田カオルの面影がなくはないが見た目が完全に女だった。
「こんばんはー真知子。来ちゃった」
「半田君のお姉さん……」
声が例の電話の主と同じだったために真知子は恐怖した。まさか本当に会いに来るなんて。どうやってここに辿り着いたのか見当もつかず、得体が知れなかった。当然姉などではなく彼女の知るカオルと同一人物など考えもしない。
「真知子すっぴんでそれ? 超可愛いじゃん。惚れるね~」
カオルは距離を詰めようとする。それを真知子は制した。
「席にお掛けになってください。朝日、お茶の用意を」
真知子に言われてカオルは椅子に座る。朝日は客人にお茶菓子を振舞う。
カオルはずぞずぞと音を立てながら茶を一気に飲み干すと、口を開いた。
「いいとこに住んでんね~流石社長令嬢」
「どうして父の役職を知っているんです!?」
「さて、どうしてでしょう」
カオルは翻弄する。真知子は相手のペースに乗せられていることを自覚して気を付ける。
「今日は何の用件で来訪したんです?」
「用? 真知子に会いたかったって目的は達したからどうしよっか」
「あのですね……」
「じゃあ今から駅前に遊びに行かない? カラオケとかさ、楽しいよ。他にも男引っ掛けて飯奢らせたり」
「そんなことしてるんですか!?」
「え? 何か問題でも?」
カオルはキョトンとして真知子を見つめる。
「とにかく私は行きません……ご飯ならもう食べました」
「そう? 外に出るのが嫌なら家でできることでもする? 例えば……」
少し考えてから、とんでもないことをカオルは口走った。
「セックスするとかさ」
「セッ……なんです?」
「セックスしようって言ってんのセックス! 女の子が喜ぶことは女の子が一番知ってるんだよ?」
そう言ってカオルは卑猥な手つきをする。
「ナメクジみたいにまぐわろうぜ。どう真知子、したくなった? セックス」
「不愉快です。帰ってください」
「あれ? 真知子怒った?」
「朝日、客人がお帰りになります。外までお見送りを」
真知子が命じると朝日はカオルを後ろから掴んで、無理やり席を立たせた。そのまま玄関まで連れていく。
「ちょっとアンタ、離してよ!」
カオルは抵抗するががっちり押さえられていて逃れることはできなかった。朝日によって城崎邸の外に放り出される。
「明日も明後日も来るからなぁ! 覚悟しとけよ城崎真知子ォ!」
月夜にカオルは吠えた。完全に彼女に火が付いてしまった。
それから朝になって男になったカオルは昨夜の自分の行いに恐怖し、悶絶した。
真知子の住所を割り出し家に行くなんて、完璧にストーカーじゃないか。その上遊び半分で性行為を迫るだなんてどうかしてる。カオルには女人格も自分のはずなのに全く異様な人物に思えてならなかった。
昨日明日も明後日も真知子の家に行くと宣言したことをカオルは思い出す。女の自分はストーカー行為を続ける気なのだ。どうしたものか、考えるも防ぐ手立てはないように思えた。
今日は土曜日で学校は休みだった。時間的に余裕があるにもかかわらずカオルは宿題をやり始める。あまり昨夜のことを考えていたくなくて。
宿題を片付けると、カオルは携帯を手に取って見た。すると留守電が一件入っていた。なんだろう、女の時の友達の早希か綾瀬からだろうがもしかすると真知子かもしれないと思い、再生する。
「なぁ半田カオル、真知子とセックスしたいんだろ? ドロドロのグチャグチャにさぁ、欲望に素直になれよ」
「うわあああ!」
女の時の自分の声がして、カオルは驚愕のあまり携帯を落として画面を割った。
「はぁはぁ……なんなんだ……」
多分公衆電話などから自分の携帯に留守電を入れたのだと推測できたが、カオルには全く身に覚えがなかった。今まで男の時と女の時とで記憶を共有していたのでこんなことは初めてだった。
女人格が暴走を始めている。何が起こるかカオル自身にすら予測がつかない。このままではいけないと彼は思う。
放っておけばエスカレートする。できれば今日、男でいる間になんとかしなければならない。でもどうしたらいいかわからず右往左往する。結局ある決心をした時には正午を回っていた。
カオルは真知子に電話を掛ける。
「もしもし城崎さん、半田だけど今大丈夫かな?」
「良かった、半田君で。またお姉さんかと」
「ごめん、怖がらせて。昨日も家まで行ったみたいで本当にごめん」
「半田君が謝らなくていいよ。それで何?」
「姉に関することで大事な話があるんだけど今日僕の家に来てくれないかな?」
「私が半田君の家に? どうして?」
「僕の家の中でしか話せないことなんだ。今はそれしか言えない。ごめん」
「でもお姉さんがいるんじゃ……」
「姉はいない。だから安心していい。お願い城崎さん、話を聞いてくれないか?」
「わかった。昼から用事があるからいけるのは夕方になるけどいいかな?」
「待ってる。場所は……」
カオルは住所を真知子に教える。
「それじゃあまた後で」
電話を切って、カオルはふうと息を吐く。もう後戻りはできない。平常心を保とうとして本を開いて読書を始めるが落ち着かず、そわそわしながら真知子を待つ。
インターホンが鳴ったのは五時頃だった。カオルは玄関に移動し真知子を出迎える。
「半田君こんにちは。お邪魔します」
「ようこそ城崎さん。上がって」
私服の真知子は普段の三倍は可愛いとカオルは思った。何事もなければ素直にときめいていられるのにと厄介事を持ち込んだ女人格を恨んだ。
「あ、お兄ちゃんが彼女連れてきたー!」
カオルの後ろから花火がひょっこり顔を出す。
「馬鹿! 花火、城崎真知子さんはクラスメイトで同じ文化祭の実行委員でけっしてか、彼女とかそういうのでは……」
「家で文化祭の秘密の相談? 怪しいなぁ」
「あっち行ってろ」
「はーい、お邪魔虫は消えまーす」
花火はそそくさと退散する。
「妹さん?」
「うん。前にも言ったけど小憎たらしい奴だろ?」
真知子は苦笑する。気を取り直してカオルは客人をリビングに案内する。
リビングにはカオルの母親がいた。カオルは母に真知子を紹介する。
「母さん、こちらクラスメイトの城崎真知子さん」
「カオルの母です。うちの子がお世話になっています」
「こちらこそよろしくお願いします」
挨拶が済むとカオルの母はリビングの傍の台所に行った。
「城崎さん、座って」
二人は向かい合って椅子に座る。カオルはチラっと壁にかかっている時計を見てから口を開く。
「時間があまりないから単刀直入に言うけど、絶対にびっくりすると思うけど落ち着いて最後まで聞いてほしい」
「うん。話って何?」
「僕は朝と昼は男だけど夜になると女になるんだ」
「え?」
相手が何を言っているのか真知子は瞬時に理解できなかった。カオルは自分の秘密を明かせば女人格が動きにくくなると考えた。話を続ける。
「姉だと言って城崎さんに電話を掛けていたのは実は女になった僕なんだよ」
「半田君が半田君のお姉さん? どういうこと?」
真知子は混乱する。今までカオルの姉だと思っていた人物がカオル本人だなんてにわかには信じがたい。
「でも二重人格とでも言えばいいのか……男の時と女の時で性格が変わってしまうんだ。女の僕は今よりもっと享楽的というか……実際に接した城崎さんならわかると思うけど」
「だとしても信じられない! 性別が変化するなんてそんな非科学的な……聞いたことないわ。半田君、もしかしてお姉さんと同じで私をからかっているの?」
興奮して真知子は疑念をぶつける。ある程度こういう反応になることはカオルも予想していた。なので証人として母親を呼ぶ。
「母さん、ちょっと来て」
カオルの母が呼ばれてリビングに顔を出す。
「何、カオル」
「僕は夜になると女になるよね?」
「そうね、女になるわね」
「そんな……!」
まさか家族ぐるみで自分を騙そうとしているのではと思い真知子は絶句する。
「お言葉ですがお母様、そんな特殊な人間いませんよ」
「あら、この暁海町にはカオルみたいな特殊な人間が少なからず住んでいるのよ。だから子供を育てるには良いところだと思ってるんだけど……」
「私の周りには普通の人間しかいませんし……」
「カオルと出会うまでたまたま出会わなかっただけじゃない?」
自分の常識はこの親子には通用しないと真知子は悟った。カオルの母は疑いの視線を感じ取って、提案した。
「じゃあ夜になるまで待ってカオルが女になるとこ見てもらえば?」
「ちょっと母さん! それは……」
「いいじゃない、それでハッキリするし。夕飯真知子ちゃんの分も作るからついでに食べていきなよ」
カオルの母は台所へ戻っていった。この状況で女人格に体を明け渡すのは不安だったが、母がいる手前真知子に妙な手出しはできないともカオルは考えた。
「あの、城崎さん……」
真知子は言葉を返さず黙っている。カオルもかける言葉が見つからない。重たい沈黙が漂う。
「テレビでも見る?」
カオルはリモコンを取ってテレビを付けた。しかし真知子はテレビには目もくれず、向かいの席に座る相手を見つめていた。いつ女に変わるのか、見逃さないために。
恋する真知子に真剣に見つめられて、カオルはドキドキした。心臓が高鳴る。テレビの雑音も母が使う包丁の音も、彼の耳には入らない。
やがて日没の時が来た。その瞬間からカオルの体つきが丸みを帯び、胸が膨らんでいくのを真知子はしかと見た。
変化が完了した途端カオルは唖然として口を大きく開けた。それから手で顔を覆った。
「最悪! すっぴんを真知子に見られるなんて。それに体質の秘密をバラすなんて何考えてんの男のアタシ……」
「お姉さんの声……本当に半田君が女に……」
真知子は目を疑う。だがこうなった以上半田カオルは男から女になるという事実を認めざるを得なかった。
「ありえない! どうすんのよこれ! 男のアタシめ、自分じゃなかったら百回殺してるわ……」
カオルは憤慨していたが、すぐに落ち着いて顔から手をどかし、真知子をじっと見つめた。
「こうなったらアタシも後には引けない……覚悟しなきゃね」
射抜くような視線に真知子は気圧される。カオルはテレビを消し、告白する。
「真知子、アタシと付き合ってくれない? アタシはアンタのことが好きで好きで仕方ない。セックスしたくてたまらないの……刺激的で情熱的な奴をさ」
「それは、今のあなたの気持ちですか? 半田君の意思は関係ない?」
「いや、男のアタシも女のアタシも半田カオルには違いない、これはアイツの意思でもある」
「そうですか」
真知子は一呼吸置いてからきっぱりと言った。
「私あなたとは付き合えません」
「はぁ? なんで? アタシが女になるから?」
「そういうわけではありませんが半田君はともかく今のあなたは人格的に好ましくないですし、それに私は人間には興味ありませんから」
「どういう意味?」
振られて内心ショックを受けつつカオルは問いただす。真知子はとんでもない回答をする。
「私無生物しか愛せないんです。建物とか車とか」
「へ?」
カオルは椅子から転げ落ちそうになる。
「私の初恋は小学生の時に歴史の本で見たパルテノン神殿でした」
真知子は顔を赤らめる。カオルには全然ついていけない世界だった。
「それでさ、今まで告ってきた男全員振ったわけ?」
「そうですけど」
「マジかー……」
カオルは引いた。今まで自分以上に特殊な人間はいないと思っていただけになおさらだった。
「用も済んだようなので私帰りますね。それじゃあええと……半田さん」
真知子は席を立ち、リビングを後にする。その背中をカオルは見送ることしかできなかった。
「カオルーご飯できたわよーあれ、真知子ちゃんは?」
「帰った」
「帰っちゃったの、あらま。真知子ちゃんの分はカオル、あんたが食べな。成長期なんだからたくさん食べないと」
「飯いい。そんな気分じゃない」
カオルは母親の前を通り過ぎて自分の部屋へ戻っていく。
「ちょっとカオルーカオルってば! もう、しょうがない子なんだから。カオルの分まで余って困ったわね……花火ーご飯よー」
カオルの母は花火を呼びに行った。
休み明けの朝、カオルはトボトボ歩いて登校していた。
まさか女の自分が真知子に告白するなんて予想だにしなかった。あまつさえ振られるなんて。とても立ち直れそうになかった。足取りは重い。
学校に着いて教室に入ると、いつものようにカオルの先に四人ほど来ていた。その中には当然真知子もいた。今は目を合わせることすらできない。
カオルは真っ直ぐ自分の席に向かって座る。少しして、クラスメイトの鈴木が近づいてきて話しかけてきた。
「半田、朝の挨拶はどうしたんだよ」
「鈴木君、今はとても挨拶する気分じゃないんだよ……」
カオルは投げやりに言う。朝の挨拶は元々真知子と言葉を交わすために始めたものだった。恋破れた今、最早する必要性はなかった。
机に顔を埋めるカオル。こりゃ重症だぞと鈴木が言ったが本人には聞こえなかった。
朝のホームルームが始まってようやくカオルは頭を上げる。
「突然だが今日から転校生がこのクラスに来ることになった」
先生が発表するとどよめきが起こる。この時期に転校生なんて珍しい。期待と不安の声が入り混じる。
「入れ」
先生に呼ばれて転校生が扉を開けて教室に入ってきた。そいつがブロンドの髪をしたまるで人形のように完璧な美少女だったので、クラスの男子から歓声が上がった。
「簡単に自己紹介を」
転校生はチョークで黒板に自分の名前を書いた後、クラスメイト達の方へ向き直って言った。
「天王洲アテネデス。ギリシャ人と日本人のハーフデス。ギリシャに長いこといたので日本語不自然なところあると思いマスが、みんなといっぱいお話して日本語上手になりたいのでよろしくお願いしマス」
転校生、天王洲アテネは丁寧にお辞儀する。
「天使だ……」
カオルはアテネに一目惚れした。失恋の痛みもすっかり忘れてしまう。
どうすればアテネと仲良くなれるかカオルは考えをめぐらす。女の自分という最大の障壁がいるにもかかわらず、もう次の恋に夢中になっていた。