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『探偵ごっこ』

作者: 手塚B

『探偵ごっこ』



 東北の冬は寒い。


 そんなことは誰もが知っている。

 九州の夏が暑いと言うように、それはもはや共通の認識だと言っていい。しかしどうだろう。九州の夏は暑いが、日本で一番暑い町は埼玉県熊谷市だし、熊谷市はもちろん九州ではない。

 せっかく日本一暑くて大変なのに、共通認識である暑地としての九州の存在のせいで、熊谷市の猛暑感は損なわれてしまうのではないだろうか。


 東北の冬はやはり寒い。

 極寒と言ってもいい。

 北海道よりは寒くない。だけれど地続きでここまでの寒暖差があると、それは身近な脅威に感じられるのだ。北海道は___あれは外国だ。


 そんな東北地方のリーダーである宮城県の仙台駅から、10分ほど歩いた雑居ビルの2階にその事務所はあった。

 壊れたエレベーターを脇に見ながら細い階段を恐る恐る上った先にそれはあった。

『佐藤たかし興信所』。

 そう書かれた看板。時代の流れに置いて行かれ、埃にまみれたそれは何とも言えない怪しさを漂わせた。


 本来ならばこんな場所に来てはならない人種が3つある。

 1つ目の人種は「金持ち」。

 仙台市の数ある興信所や探偵事務所の中で、ここ『佐藤たかし興信所』を選ぶ理由に上質さを求めてはいけない。

 所長の『佐藤たかし』は潔癖症だが、仕事が丁寧だとはいえない。それは探偵としての腕が云々というよりは、彼の性格が起因するところが多い。


 2つ目の人種は「真人間」。

 まともな人間はこんな底辺のゴミ溜めに来てはいけない。この空気に毒され堕落の道を歩むことになるか、もしくは自分より程度の低い人間を見つけることによって、過剰で安い自信をつけ自滅の道を歩むかのどちらかだ。


 3つ目は「うら若き乙女」。

 ある意味で人生の終着点であるここに来ることは、一言で言うと「親不孝」だ。若く未来のある者いとって得るものの無い場所。それこそが『佐藤たかし興信所』である。



 今日は何かが違った。

 狭くかび臭い12段の階段を、ゆっくりと上る音がした。

 いつものように、廊下を事も無げに歩いていたゴキブリがその圧倒的な異質感に驚き隠れ、袋小路に捨てられ数年間放置されていたズタ袋で遊んでいるネズミの兄弟も顔を隠した。

 ネズミの名は左からミッキーとミニー。ずっと昔から佐藤の友達だ。ちなみにどちらもオスだった。ゴキブリの名は無い。


 階段を歩く音は『佐藤たかし興信所』の看板を確認すると木製の味のあるドアをノックした。


 ___コンコン。


 実に控え目で優しい音だった。そんな音はずっと聞いていないとミッキーとミニーは思った。興信所を訪ねる者は大抵がドアをぞんざいに扱う。

 だが残念なことに佐藤は出ない。彼はきっと気付かない。おそらく何かの作業中、潔癖症の佐藤はきっと掃除でもしているのだろう。


 もう一度ノックの音が聞こえた。


 コンコン。


 すると室内から足音が漏れる。

 ズンズンズン。


 ガチャガチャ___


 ___ギギギィ。


 ドアが開かれた。

 黒縁メガネがやけに特徴的な『佐藤たかし』が、ヒンジの錆びた木製のドアを開けた___。




 ___僕は、佐藤たかし34歳。この興信所の所長だ。所長と言っても従業員は僕一人だ。

 この仙台駅から徒歩10分の好立地に興信所を構えてから早7年。数々の疑惑を晴らし、事件を解決へと導いた。仙台の治安は僕が守っていると言っても過言ではない。その証拠に今日も依頼が飛び込んできそうだ。まったく忙しいったりゃありゃしない。ろくに便所掃除もできねーぜ。


 1日2回の便所掃除は僕のライフワークでありワークアウトでもある。トイレを綺麗に保つのは営業の基本だ。まあ使っているのは基本的には僕だけなんだけど。しかしあれだ。トイレの神様は本当に居るのだ。綺麗な女神様かどうかは知らないが、少なくとも汚いおっさんではないだろう。綺麗好きなおっさんなんて逆に気持ちが悪い。あ、僕のことか。毎日しっかりとトイレ掃除を心がけるようになってからは客周りがよくなった。殆どが浮気の調査や身辺の調査だが、それだって立派な仕事じゃないか。仕事に優越をつける人間は嫌いだ。そういう奴は人を見下したくて仕方ないときてる。そうして安心しないと生きていけないとでもいうように。


 今日のお客さん___依頼人だが、おおよそこんな胡散臭い場所には、似つかわしくないくらいの美少女だった。


 一目で「いいとこのお嬢様」だって言うのが分かるほどに、整った顔立ちや、栗色の艶のある髪には気品が漂っていた。大きな瞳は僕をじっと見つめている。

 きっと迷子だ。

 お忍びで世間を見学したいだなんて言うもんだから困ったものだと、今頃、側近が血眼になって探しているに違いない。

 と、そんなことを思っていたので気が付かなかったのだが、どこぞの高貴なお嬢様はセーラー服を着ていた。どうやら学生らしい。


「どうしてですか?」


「え? 何がですか?」

「エレベーターです。どうして壊れているのでしょうか。」

「それは、故障の原因が知りたいってことかい?」

 少女の整った眉が顰められた。

「そうじゃありません。どうして故障したエレベーターが修理されずに放置されているのでしょうか。」

「そんなの、お金がないからじゃないのかい?」

「佐藤さんはお金がないのですか?」

「そりゃあ僕はお金を持ってる方じゃないんだけど、このビルのオーナーは僕じゃないよ。」

「そうですか。」

 少女は右手で顎を触って何かを思案している。


「三和不動産は、仙台ではよく見るお名前だと思ったんです。駐車場が仙台駅の周辺にもたくさんありましたよ? お金が理由じゃない気がするのです」

「そういわれればそうだな」


 三和不動産は仙台では大きな会社の部類に入る。それに、いつも挨拶する大家さんも、お金が無いようには見えない。大家さんが路上駐車している白いベンツはいつもピカピカに磨かれている。何をしに来ているのかは知らないが、5階には息子さんが住んでいるという。息子さんとは殆ど会うことは無いが、大家さんとはよく顔を合わせているから挨拶程度は交わす間柄でもある。

 ということを思っていて、ふと気付く。

 この女子中学生は、初対面の僕にいったい何の話をしているのだろうか。


「あの、お嬢ちゃん。そんなエレベーターの話より、何か用事が有って来たんじゃないのかい? 僕が言うのもなんだが、こんな雑居ビルの怪しい探偵屋に用事が有るようには見えないんだけれど。」

「うーん、そうですね。で、いつから壊れているんですか?」

 この子、僕の話を聞いていない。最近の女子中学生はこうなのか?

「いつからって______3ヵ月くらい前かな___」

「3ヵ月!?」

 突然の大声に後ずさる。そんなにおかしなことなのか?3ヵ月間エレベーターが故障しているからといって、どうなるというのだ。

「ますます怪しいですね___来てください!」


 僕は女子中学生から腕を掴まれると、鍵も掛けずに階段を下り、故障したエレベーターをやはり横目に見ながら外に出た。

 良く晴れたいい天気だった。

 1日中室内にいたもんだから、眩しくてよく眼が開かない。

 しかし、こんな天気のいい日に、女子中学生から腕を掴まれ外を歩くのも悪い気はしない。ただし、それが普通の女子中学生なら、だ。ちなみに僕はロリコンでは無い。


 まだ名前も知らないその美しい女子中学生は、外からこのビルを指差すと、説明するようにこう言った。


「このビルは5階建てです。1階は中華料理屋さん。いい匂いしますね。私、エビチリが大好きなんです。2階は事務所がありますね。3階から上の階は何が入ってるんですか?」

「確か、3階は空いていて、4階は倉庫、そして5階には大家さんの息子さんが住んでいる。息子さんとは全くと言っていい程、面識は無いんだけどね。ちなみにここのエビチリは日本一旨いよ。」

 僕は名前も知らない女子中学生にそう説明した。なるほど、探偵ごっこね。付き合ってやるか。


「エビチリのことは非常に気になりますが、今は置いておきましょう。さて、このビルは両脇を他のビルから挟まれているから、非常階段だって無いんですよ! 火災がこの狭い階段で起きてしまったらそれこそ袋小路じゃないですか。すごく危険なのに___

 」

 女子中学生探偵はそう言いかけて止めた。まあ確かにそうだよな。何気なく住んでいると危険なことにも気づかない。少し、自分の生活環境にも興味を持たないといけないな。そう女子中学生探偵に教えられた僕である。


「これは何か事件めいた予感がしますね。エレベーターの故障を逆手に取った何らかのトリックが・・・。例えば()()()()()()()()()()()()()()とか!」

 よっぽど推理小説が好きと見える。不思議な物や気になる事を見つけるとすぐにトリックを想像したり、小説の世界を夢想したり。僕にもあったよ。そういう時代が。



 そんなとき、道路の脇に白いベンツが停車した。

 ベンツからは紺色のポロシャツに色の薄いサングラスを掛けた大家さんが、白馬から降りる騎兵隊のように出てきた。

 大家さんは僕を見つけると、サングラスを胸ポケットに収め、右手を上げた。にこやかな白い歯が眩しい。

「明日から修理の工事に入るよ。長い間不便掛けたね。騒がしくなると思うけど我慢してね。佐藤君。ほら、あそこ」

 大家さんの指差す方向には工事現場でよく見られる表示板がある。なるほど。工事と言っても2日間で終わるようだ。日本の技術力はすごい。

「じゃあまた。若い子に悪いことしちゃ、ダメだよ佐藤君」

 大家さんはそう言ってニヤリと笑うと、ゴルフで鍛えた軽快な足取りで階段を上って行った。

「そんなんじゃ有りませんってば」

 僕の声が大家さんに届いたのかどうかはわからない。



 一方、少女は大家さんのことなど気にも留めず、表示板をしばらく眺めていた。

「ますます怪しくなってきましたね。3ヵ月も放置されていたエレベーターの故障が、たまたま私がやってきたタイミングで修理が行われるだなんて、やっぱり怪しすぎます!」

「べつに君がやってきたから修理が始まったわけではないと思うよ。このエレベーターは故障していた。それを修理することにした。それが例え3ヵ月の期間を空けて行われたとして、なにが怪しいって言うんだい?」

「とにかく怪しいんです! 理由は・・・わかりませんが」

 この子は身の回りの出来事に理由をつけたがるタイプのようだ。転んだのは段差のせい。財布を落としたのは自分の不注意のせい。雨が降るのは雲の中の氷の粒のせい。誰かが死ぬのは誰かのせい。そうやって理由を見つけないといけない生き方をしてきたのかもしれない___まあ、考えすぎか。ただの自己中ってやつだろう。

 それに怪しいと言えば、この女子中学生そのものが僕にとっては怪しかった。名前も知らなければ、僕を訪ねて来た理由さえもまだ聞いていなかった。勢いに流される形でビルの外まで出てきてしまったが、僕はこの子のことをまだ何も知らない。名前ぐらいは聞いておこう。


「急用ができました!」

 僕が名前を聞こうとしたその時、少女はそう言うと、逃げるように駆けて行った。


 _____一体、何だったんだ?





 翌日。



 僕は昨日の女の子のことをすでに忘れかけていた。

 謎と言えば謎であったが、僕の生活を脅かすような事件性は少なからず無いわけで、今日も今日とて同じ一日が過ぎようとしていた。

 いつものように便所掃除をしていると、同じ時間に昨日の彼女がやってきた。


「こんにちは。」


 今日は土曜日で、学校は休みだ。女子中学生は私服姿だった。

 高い位置で結まれたポニーテールに、大き目の黒いTシャツ。それを白いデニムにタックインしたラフな装い。足元はコンバースのオールスターだった。丁寧に履きこまれた好感の持てるスニーカーだと感じる。カジュアルだが、彼女の気品ある顔の作りはどんな服装でもランクアップさせるようだ。


「調べてきたんです。」

 睨みつけるような黒い瞳に圧倒される。綺麗に整頓された事務所に招きソファに座らせると、彼女は話を始めた。


「昨日、工事の表示板を見た時に思ったんです。どうやらこのビルには最新型のエレベーターが備え付けられるらしいんです。この、お世辞にも新しいとは言えない雑居ビルにですよ? 最新型ともなると勿論価格は高いはずですよね。今のいままで放置していたというのに、今更になって最新型を備え付けるだなんて不思議だと思いませんか?」


 ___確かにおかしい。

 大家さんはわざわざこんなボロくて汚いビルに、最新型のエレベーターを付けようとしているのだ。確かに引っかかる。しかし大家さんはこの道のプロだ。何か補助金やら税制やらの後ろ盾があるのかもしれない。


「最新型のエレベーターが火災を感知するとどうなるかご存じですか?」

「エレベーターの事故については詳しくないな。でも、テレビなんかでよくあるのは、まずは停止する、とかかな?」

「全ての予約をキャンセルさせて1階まで降りるんです。そしてドアが開かれて脱出することができるん。途中で停止しちゃったら絶望的ですよね。そのまま焼け死ぬしかないんですもん。」

 この少女は急いで家に帰ってそんなことを調べていたのか。

 彼女は人差し指を立てて結論を述べる。

「要するに、このビルで火災が起こった時に、上の階から逃げることができるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんですよ。」


 面白いことを考える。


 もしかしたらこの女子中学生は探偵ごっこがしたいんではなく、推理小説作家になりたいのではないだろうか。

「だが、大事なことを忘れてないかい? もしそんな事件があったとして、上の階でエレベーターに乗っている犯人が、どうやって下の階で火事を起こすんだよ。」

「んんん」

 そんなトリックどうやったって使えないじゃないか。犯人が2人いる場合は別だが。

 女子中学生探偵は立ち上がると、右手で顎に触れソファの周りを歩いて回った。推理小説の主人公のように。そして「ひらめいた」と手を鳴らす。


「そんなの簡単です! 火ってすぐに燃え広がりますよね? だけど一瞬でっていうわけじゃない。火災報知機が反応するのには、それなりの大きさの火や煙が起こる必要がありますよね?」

「確かに、火災報知機は天井に付けられているのが一般的だし、それが火災を察知するにはある程度の時間が必要だと思うよ。」

「例えば、1階の階段で犯人が小さく放火します。その火災が火災報知器に達する前に上階まで走って上り、エレベーターに乗り込めばトリック完成です。もちろん階段は燃えていて使えない。」

「___エレベーターは火災を感知し、1階に戻って扉は開かれる___。残された上階の住人は階段もエレベーターも使うことが叶わず・・・・・・」


 肌に粟が生じた。


 実によくできたトリックだった。

 僕や、大家さんの息子さんを事故に見せ掛けて殺害することができる。誰が? 犯人がいるとすれば大家さんになる。

 大家さんは僕や息子さんを殺すために、このビルに最新型のエレベーターを備え付ける。そして中華料理屋の火の不始末を装って発災させ、このビルもろとも殺人を達成することができるのだ。


「だけど、探偵ちゃん。そんなことを大家さんがすると思うかい?」

 人生を常に満喫しているようなあの男性が、そのような邪念を抱くとは思えない。僕たち2人は大家さんの邪な顔を想像してみる。


「ふふ、なんだか似合わないですね。」

「ははは、そうだね。」



 2人の笑い声はビルの廊下にまで響いていた。

 ネズミのミッキーとミニーは、ズタ袋の傍らから、事務所の入り口で聞き耳を立てている男の姿を眺めていた。

 ミッキーとミニーもよく知るその男は、しばらくその場で何かを考えると、「チッ」と舌打ちを残し足早に去って行くのだった。


最後まで読んでいただきありがとうございます!


もし心のどこかに引っ掛かったのなら是非評価をお願いします。


面白かったら☆5つ

面白くなかったら☆1つ


正直な評価をお願いします。


また感想、ご指摘も頂ければ幸いです。

次回作の活力です!

宜しくお願いします!

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