第七十話
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ギィィンッ、ギィィンッ、と鈍い音を立てながら、ヘレンの操る影を俺の≪血垂桜≫で捌いていく。
刀身から伝わる感触は、鉄。切れ味の悪い刀と鉄パイプで、やりあっているような感じだ。あくまで、そんな感じ。≪血垂桜≫の切れ味は最高で、影は鉄パイプに無い柔軟性がある。
一つの影を防げば、別方向からまた別の影が迫る。防ぎ方を間違えれば、うねって防御を避ける様に容赦なく隙間を突いて来る。
短期決戦とは意気込んで見たものの、攻めあぐねているのが現状。ヘレンの攻撃を防ぐたびに、傷から血が噴き出ている。このままでは、出血多量で俺が先にくたばる。
「どうしたのじゃ?お主の本気はその程度か?」
「……うるせっ」
俺を婿にって事は、殺すつもりが無くなったのだろう。先程と違い、持久戦に持ち込もうとしている節が見られる。なら、その隙を突くしかないか。
これまでは八割。ここからは九割で行こう。操作する魔力量を上げる。
『身体強化・極』は、普通の強化と違い大幅な強化が可能だ。それは、細胞レベルで強化するから。つまりは、リミッターを強制的に外している事にもなる。
人間の体にリミッターがあるのは、自壊を防ぐため。リミッターが外れた状態である火事場の馬鹿力も、肉体の耐久値を超えた力を発揮すれば、後々体を大きく痛める事になったり、下手すれば後遺症が残る。リミッターは、その耐久値を超えないように力をセーブしているのだ。
そんな、肉体を守るため常に存在するリミッターを外す。自らの意志では不可能なそれを、魔力を用いる事で可能にする。それが身体強化。しかし、普通の身体強化ではリミッターを完全に外す事は不可能だ。どうしても、肉体を守るべく無意識領域下でリミッターが作動する。
その為の『身体強化・極』。これは、完全にリミッターを外す事が出来る。しかし、これには超緻密な魔力操作が必要になってくる。
もし普通の身体強化でリミッターが外れていれば、肉体は耐えきれない。殴るだけで骨は折れるし、筋肉はボロボロになる。耐久値を超えているのだから、自壊する。
対して『身体強化・極』は。細胞レベルで強化する。筋肉などだけでは無く、皮膚や骨は勿論、血管から神経に至るまで、だ。当然、そうなれば肉体の耐久値は上昇し、魔力による強化幅も普通の身体強化の比じゃなくなる。
細胞レベルでの強化で必要な超緻密な魔力操作に、肉体の隅々まで強化する為のどこに何があるのかという知識。魔力操作を覚えた日から一日たりとも鍛錬を怠らず、地球の医療分野をそれなりに齧っていた俺だからこそ出来る業。
少しでも失敗すれば自壊する。そして、九割以上の強化は僅かながらだろうが、確実に自壊する。完璧に細胞の一つ一つを強化する事は出来ないし、血管や神経なども細部まで完璧には分からないから。
九割の強化なんて、する機会が無いと思っていた。いづれ再び相対するであろう、麒麟との再戦までは。
しかし、この夜魔族の長・ヘレンは強い。八割でも凌がれるほどに。そこに、あの厄介な影魔法だ。これ以上体への負担は避けたかったが、仕方ない。婿は嫌だし。
「ふっ!」
「なっ!」
それは一瞬。
八割の強化の速度に慣れていたヘレンは、反応出来なかったようだ。一瞬で懐に潜り込み、いつの間にかくっ付いていた腕を今一度斬り飛ばす。
「ぐっ!」
素早くその場で回転し、背後から迫っていた影たちを弾くついでに、ヘレンの足も浅くだが斬る。そして、バランスを崩した所にを押し倒し、馬乗りになり≪血垂桜≫を彼女の心臓に突き付ける。
「長っ!?」
夜魔族の娘達の悲鳴。
「動くな。俺の勝ちだ」
「……。うっ!?」
突き付けた≪血垂桜≫に少しだけ力を籠め、彼女の胸に食い込ませる。
「背後に影が三つ。次動かせば、容赦しない」
「っ!?……何故分かったのじゃ?」
「俺の身体強化は普通のとは違うからな。あらゆる感覚器官も強化されてる。背後くらい見ないでも分かるくらいには、な。それに魔力の質も覚えた」
先程は予想外だった。肝に銘じなければ、僅かな隙が命取りだと。
「なんと……っ!」
信じられないのだろう。挑発するように影が動く。その度に刀身が深く食い込んでいく。
「……まだやるか?」
「いや、妾の負けじゃ。……最後だけ動きが妾を優に上回っておった。『俺の身体強化』と言うからには、妾達のとは違うのか?」
少しだけなら答えても良いか。≪血垂桜≫を納めながら、口を動かす。
「まあな。詳しく言うつもりは無いが、俺は魔力量が人並みでな。他の奴らと同じ事をやってるんじゃ、強者には勝てなくなるかもしれないからな」
身体強化・極を発見した経緯なんて、ただの偶然なんだがな。言うつもりも、その必要も無い。
「そうか……妾達は手加減されておったか。察するに最後のは本気「九割だ」……は?」
「今寝転がっている奴らを相手にした時は、三割から四割。セーラ?だっけ?そっちの娘達を相手にするなら六割のつもりだった。そしてヘレン、お前は八割。最後は九割だ。勿論、身体強化の強化率な」
ヘレン同様皆が、愕然とした表情をしている。長までもが手加減されているとは思わなかったのだろうか。
「そうじゃったか……完敗じゃな」
「そうでもないさ。影魔法は厄介だった。心臓に穴開けられるは、初めてだったぜ?」
横腹になら麒麟にも開けられた事あるし、小さい穴なら地球にいた時に何度か経験あったんだけどな。まさか心臓を貫かれ、それを治せるとは思わなかった。最高級魔法薬様様だ。
今度エーミルにあった時は、礼を言っておこう。気前良く渡してくれた分の、お返しも考えておかなくては。
「くくくっ、それを目の前で、それもあのような手段で治されるとはの。それに、負けるとも思わなかったのじゃ。麒麟相手に生き延びたと言うのも、真か?」
「ああ、おそらく手加減はされていたがな」
こうして思い返せば、麒麟の反応に追いつけていたのはそういう事なのだと分かる。あの時は生身だったから分からなかったが、身体強化の繰り出す速度を知った事で気付けた。麒麟の本気は、十割でも勝てるかどうか分からない。
扉や指輪の事を知るには、アレともう一度戦わなくてはならないとか、普通に気が滅入る。
「くくくっ、それでも大した偉業よ。妾が負けたのも、納得じゃ」
魔族にも麒麟は一目置かれているのか。
「それで、賭けは俺の勝ちで良いんだよな?」
「うむ」
「なら、色々話してもらうぞ?」
「喜んで協力するのじゃ。……その前に、退けてはくれぬのか?それとも、このまま妾を孕ませるか?勝者の特権じゃ。好きにして良いのじゃぞ?」
そう言いながら、両腕で胸を挟むようにして強調し、誘惑して来るヘレン。
また腕が、いつの間にかくっ付いてやがる。
二度斬り飛ばしたが、その二度とも影が斬り飛ばされた腕を拾っていた。その後は、普通にくっ付けていたのだ。一度目は影と≪血垂桜≫の応酬の際に、二度目は今の会話の合間に。なんて回復力か。
「はぁ~~……」
「みゅ」
深く溜息を吐き、ヘレンの頬を軽く挟むように左手を添える。
「……」
真剣な目をして、顔をゆっくり近づけていく。
「……え?ちょ……本気で……?」
自分から誘っておいて、慌てるヘレン。
「グレン様!?」
「長!?」
焦ったようなクロエ達の声。
覚悟を決めたのか、ギュッと目を瞑るヘレン。
その艶やかな口に、俺は―――
「むぐっ!?んぐっ!?」
―――高級魔法薬を突っ込んだ。
「何馬鹿な事言ってんだ」
「んぐ、んぐ……。ぷはぁ、乙女の純情を弄びおって……っ!」
乙女なのか。
「そんな事より」
「そんな事じゃと!?」
一々相手にしていられない。
「そんな事より!協力してくれるんだな?」
「う、うむ」
「なら、信じる……ぞ?」
もう、限界だ。
気力・体力共に、既に尽きている。力を抜くと、体がヘレンの方に倒れていく。
「グレン様!?」
意識を失う直前に聞いたクロエの声と見えた表情は、今までの比じゃない程に焦ったものだった。




