第六十一話
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またしても、気まずい空気が流れる。
あの最後の呟きは小さかった。強化した聴力でないと聞き取れない程に。魔族であるフィロメーナ達も聞こえていたのだろう。フィロメーナの笑みが深くなっている。彼女はどうも、この展開を予想していたフシがあるな。仮だが娼婦、男女の機微には鋭いのか。
それにしても、クロエの変化はいつからだ?やっぱり昨日?胸を打たれたとか高鳴ったとか、言ってたし。でも、あんな偉そうな宣言なんかで変わるか?
今は自分の気持ちを理解・整理出来ていないようだから聞こえなかったふりをするが、その内自分の気持ちに気付いてナンシーやシスターみたく、押せ押せで来るようになったらどうしよう。なんかこの世界に来てから、女関係で深い泥沼に嵌ってるかのような錯覚を覚える。
『カカカッ、今は例えるなら、種を蒔いて水や肥料を与えておる段階じゃ。もう一つキッカケがあれば―――――――』
いやいやいやいや、占いは関係ないだろ。昨日の一件がそうだって?馬鹿馬鹿しい。もしそうだとしたら、姫様まで……無いよな。うん、無い。そんな単純な娘じゃ無いはずだ。
それに、クロエの態度も俺に気があると言うよりは、俺に対する様々な感情が入り乱れ余計気になってしまっているだけだろう。怒ったり呆れたり、悲しんだり。偶々、それが今日だったというだけで、昨日の一件が関係しているとは限ら………あ、もしかして。
「生理かぶふぇぁっ!」
鼻が痛い。思わず口をついたセリフが、クロエのストレートで遮られる。
「おおおぉ、ばなが……え゛?がっ!?ぎっ!?ぐっ!?げっ!?ごっ!?ぶべらっ!」
痛む鼻を抑え蹲っている所に、更なる追い打ちがかかる。
蹴り倒されたかと思うと、馬乗りになり顔を執拗に殴ってきた。不格好に腕で顔を覆うようにガードするも、隙間を狙って連打。最後は顎を蹴り上げられた。
「……」
「ひっ!ごべんなさい゛!」
過度なセクハラは命取り。そんなの分かりきっていた事じゃないか。以前にも、クロエにセクハラする危険度は姫様に教えて貰っていたのだから。俺のバカ。
こちらを見下ろすクロエの目には、何の温度も無い。ゴミを見る目というか汚物を見る目というか、もうなんと言うかただ怖い。
「馬鹿だねぇ。今のはお前さんが悪い。デリカシーに欠けてるよ」
分かってる。だから一つも避けず、甘んじて受けたんじゃないか。うっかりとは言え、口にしてしまったのは俺の落ち度だ。
高級魔法薬を飲み、顔に浴びるように掛ける。折れた鼻と打撃痕が治っていく。最後に洗浄魔法を発動させれば、血痕も無くなり綺麗になる。
「あぁー痛かった……と言うか今も痛い」
殴られ頭がクリアになった今なら分かる。俺、今パニックになっていた。それだけのインパクトが、クロエの最後の呟きにはあったのだ。ただ、聞こえなかったふりをすると決めた以上、今は忘れよう。
と言うか今の一幕のせいで、見限られたらどうしよう。ここで姫様にベラベラ喋られたら、計画がおじゃんになる可能性もある。どうしよう。無かった事に―――
「……グレン様」
「ひゃ、ひゃい!」
「……無かった事にしましょう」
「へ?」
それは、俺としても願っても無い事だが、だからと言ってどうするんだ?気まずい雰囲気は変わらないから、やはりそんな簡単に無かった事にはできないだろ。
「……作戦会議を続けましょう」
「……?」
「作戦会議を続けましょう」
「え?……え?」
もしかして、『分かりません』からの件一切を無かった事にするのか?確かに、あの時の雰囲気も良い物じゃ無かったが……。
フィロメーナもその考えに行きついたのか、口元を引き攣らせている。
「作戦会議を続けましょう」
「「は、はい」」
こうなったら、やけくそだ。
「夜魔族のアジトって――――」
かなり強引だが、俺も良く使う手だ。ここは彼女の案に乗ろう。悪いのは俺だし、反対する権利は無い。
そうやって、俺達は無かった事にした。
改めて夜魔族のアジトについて話を聞き、慎重に作戦を練る。
夜魔族を訪れるのは四日後。それまでは表向き娼館通いを続け、万に一つも警戒される事の無いようにする。姫様に話すのは直前。コナー家の執事、ギルを捕縛した時。
クロエもスラムの事は詳しくないようなので、当日は探索の時間も含めて早めに行動する事となった。
「それじゃあ、今日はここまでにしましょう」
もう、日も落ちかけている。良い時間だ。
「夜まで……いや、泊まってってくれても嬉しいんだけどねぇ」
「あははは。それはまた今度にします」
しな垂れかかってくるフィロメーナを躱しながら、席を立つ。
「本当かい!?いつでも歓迎だよ」
もう暫くは無理だろうけどな。
「あと、これ」
「何だい?」
紙切れをいくつか渡す。
「私の世界の料理のレシピです。今より数段美味しくなりますよ」
「へぇ、それは楽しみだねぇ。ふむふむ……」
レシピを眺めるフィロメーナを傍目に、サンドラの方に向き直る。
「サンドラさんにはこれを」
取り出し渡すのは女性用に仕立てられた執事服。勿論、防弾防刃性だ。服はそれぞれ二着ずつあるので問題無い。復元魔法と洗浄魔法を駆使すれば、一着で十分だから。
「収納の魔道具ですか……!?これは……?」
「私の世界の執事服です。異世界の物なので、復元魔法というのを使えば何度でも着れますよ」
「なんと……!ありがとうございます!グレン様!」
うん、喜んでもらえて俺も嬉しい。
「サイズは大きめですし女性物です。目測で測った感じ大丈夫だとは思いますが、キツイ所があったりしたら教えて下さいね。仕立て直しますから」
その際、俺の世界の糸とかを使わなくてはならなくなるから、スーツ系の服を一つばらす事になるかも。
「何から何までありがとうございます。大切に使わせていただきます!」
「はい、おねが……どうしました?クロエさん」
クロエが若干引いた目でこちらを見ていた。
「いえ、どうして女性物の服を男であるグレン様が持っているのかな、と」
「え゛!?……色々あるんです」
遠い目をして、そう言っておく。嘘じゃない。色々あるんだ。
「……そうですか」
「そうなんです。……で、フィロメーナさんはどうしたんですか?」
いつの間にかレシピから顔を上げていたフィロメーナは、ジト目ながらどこか期待したような視線をこちらに向けていた。
「……私には何かないのかい?」
「……料理のレシピを」
「それは、私達夢コホンッ『天使の涙』の皆にだろう?私個人には何もないのかい?」
無いです。
「……」
「……」
やべぇ、どうしよう。
「えっと……」
「……うふふふ。無理する必要は無いよ。ただの我儘さ。無理言って悪かったねぇ」
笑いながら言ってるが、これは無理してるな。サンドラには口止めしつつ、こっそり渡せば良かった。
「フィロメーナさん」
「っ!?何だい!?」
首に手を回すようにして、フィロメーナに抱き付く。
「今度デートしましょう」
「え!?」
耳元で小さく呟き、離れる。
「ふふふ、似合ってますよ」
「何がっ!?これは……!?」
彼女の胸元を示しながら褒めると、自分の胸元にある物に気付いたようだ。
「綺麗……」
サンドラが思わずと言った風に、呟く。
彼女の首には、翠に輝く石のペンダントが掛けられていた。マカライトだ。
「この宝石の意味の一つに『恋の成就』というのがあります。それに毎日願っていれば、叶うかもしれませんね」
「っ!?私が貰っていいのかい?高価なモノだろう?」
「はい、フィロメーナさんにこそお似合いですよ」
「うふ、うふふふふ」
お気に召したようだ。良かった。これもエリーの物同様、祖母の形見だ。
「では、帰りましょうか。クロエさん」
「……」
「クロエさん?どうしました?」
「……いえ、何でもありません」
向こうも無かった事にして振る舞っている以上、蒸し返すような事をしては無粋だからな。こちらも無かった事にした以上、触れない。例え、クロエがフィロメーナやサンドラを羨ましそうな目で見ていたとしても、今は触れない。
俺達は静かに部屋を後にした。




