第三十九話・前 ≪ヴィクトリア・ルゥ・ガルシア≫
ブクマ・評価ありがとうございます。
その日私は姫様から驚くべき話を聞かされた。
「そ、それは本気ですか!?」
「ええ、本気よ」
「し、しかし……」
迷い人を迎い入れるとの事だった。
「迷い人は貴重よ。知識も影響力も」
それは分かる。これまでの歴史で証明されているからだ。私自身、迷い人を迎え入れると言う姫様の意見には賛成だ。
だが、その迷い人に問題があるのだ。
「で、ですがその迷い人は……!」
「そうね、男よ」
「っ!?」
姫様にどこの馬の骨とも知れない男が近付く、そんな事が許されるはずがない。
「これは決定よ。よろしくね」
しかし姫様がそう決めている以上、私に否やは無かった。
その数日後。
「あぁ、グレンさん!」
「ヴィクトリア!止めなさい」
姫様に付き従いマフション商会を訪れていた私は、商会の応接室にて件の迷い人の男の胸を槍で貫いていた。
確かに顔は整っている。十人中九人は振り返るほどに。しかし、覇気が無い。言ってしまえば貧弱なのだ。それにわざわざ避けられる速度で槍を振るったにも拘らず、男は全く反応出来ていなかった。
そして、男の態度も気に入らない。妙な仮面を外さなかったり、ふざけたり、突然笑い出したり、そればかりか仕えるにあたって条件を出してきた。なんと不敬で、不快な男か。思わず槍が動いた。
「部下が失礼したわね。それで条件は?言ってみなさい」
表情こそ落ち着いているが、言葉がやや硬い。恐らくクロエも気付いている。この状況で堂々と条件などと口にするとは、姫様も思っていなかったのだ。ふざけたものだったら絶対に許さん。
男の出した条件は二つ。一つは奴隷の少女を一緒に引き取る事。姫様に説明するその口振りから、相当仲が良いのが窺える。大方、その見た目と良く回る口で誑し込んだのだろう。益々気に入らない。
そしてもう一つの条件を男が口にした時、私は怒りで目の前が真っ赤になった。気付けば私の槍は男の胸を貫いていた。致命傷にならない様にやや上部なのは、咄嗟に私の理性が働いたのか、それとも逸らされたのか。いや、目の前の男にそんな事が出来るとは思えない。やはり理性が働いたのだろう。
「いいえ、姫様。こればっかりは引けません」
暫し姫様と睨み合う。
この男は姫様の奴隷になるという事を理解していない。それがどういう事を引き起こすか。考えただけで、怒り支配されそうになり槍を握る手が震える。穂先が震え、男の傷を抉る。気にしないが。
「はぁ、分かったわ。好きになさい」
「ありがとうございます」
許可は貰った。いかにそれが我々の怒りを買い、姫様に迷惑を掛けるか教えるとしよう。
「では、こうしましょう」
何が気に障ったのか。痛みに呻きながらも、どこかへらっとした雰囲気で私の話を聞いていた男は、妙に引き締まった顔をして提案してきた。
それは最終的に、『三ヶ月以内に、流れる事が想定される不快な噂を無くす』というモノになった。
普通に考えれば、そんな事不可能に近い。ましてや、目の前の男は戦う事など出来無い筈で、何をするつもりなのか見当もつかん。
「貴様に稽古をつけてやる」
この男は事も有ろうか、上等な服を着て私の気を惹き、体を触らせて来た。それを如何にも私が自分から触ったかのような風に振る舞うのだ。なんと下劣でハレンチな男か。
そこで私は稽古をつけてやることにした。思いがけず触ったこの男の体はそれなりに鍛えられていたが、見て分かる通り全く戦えない。だから稽古をつけるのだ。もしもの時には姫様の事を守る肉か……盾役として必要な事だ。
断じて、私の憂さ晴らしが出来るからとか、厳しく扱けば自ら出ていくだろう、などと言う下卑た思惑がある訳では無い。
「どうだった?」
「やはり全く戦えないようです。剣の持ち方すら知りませんでした。才能の方も全くと言っていい程ありません。魔力に関しても人並みの様です」
「……そう」
グレン・ヨザクラが陛下の元に連れていかれた後、稽古の事を詳しく報告する。
「孤児院での評判も良いです。たった一日ですが、シスターすら絆されているようです」
「なっ!?」
そんなクロエの報告に確信する。あの男は顔と口で女を渡り歩くタイプだ、と。ますます姫様の傍に置いておく訳にはいかなくなった。
「トリア」
いかにして追い出すか。その算段を頭の中で立てていると、姫様からいくつかの書類を渡される。
「これは……?」
聞いた事が無い内容の事が書かれている。フヨウド、とは一体何だ?
「グレンの知識の一部よ。これが本当ならサブリナの農産業には革命が起きるわ」
「っ!?」
サブリナは姫様の持つ領地で、領土こそ広いもののそれだけに問題が多い。氷山の一角とは言え、安定しない農産業に革新をもたらすほどの知識を有しているとは。
「彼を引き入れたのは英断だったかもしれないわね。自分で言うのも何だけど」
「っし、しかし!その知識が本当かどうかなんて……!」
「そうね。でも、口約束とは言え彼の命は三ヶ月よ?ここで嘘を吐く必要あるかしら?」
「そ、それは……」
それもそうだ。私ならその三ヶ月に出来るだけの事を全力で行い、結果を残す事に尽力する。必死になるはずだ。文字通り。
「私的には、彼の命は諦めていたのだけど。これはもしかしたらもしかするかもしれないわよ」
「ぐっ……」
「クロエはどう思う?」
「性格に難はありますが、知識は馬鹿にならないかと。これの説明も筋が通っていましたので、やはり頭も相応にいいのでしょう。そこだけを見れば、素直に手放すのは惜しい人材かと」
ク、クロエまで認めるとは。
サブリナは姫様の目的の重要拠点だ。ここを円滑に治められるようになれば、大きな一歩となる。
グレン・ヨザクラは下劣で不敬で、ハレンチな男だ。今すぐにでも叩き出したい。しかし、もしかしたらあの男は姫様にとってなくてはならない人材なのかもしれない。
私はどうすればいいのか分からなくなってしまった。
「キャメロン・コナー。殿下の婚約者を調べる事です」
陛下の元から戻ってきたグレン・ヨザクラは、奴隷紋の事など一悶着あった後にそう言った。私達は暫く、驚愕と疑問に開いた口が塞がらなかった。
キャメロン・コナー。コナー侯爵家次期当主で王国第三騎士団団長。幼い頃より王国最強と名高いオスカー・ルゥ・ガルシアに師事し、国内トップクラスの実力を持つ。容姿に恵まれ、また侯爵家と血筋にも恵まれ国内外問わず女性の憧れの的である。その輝きは外側だけでは無く内側からももたらされ、英雄・英傑として名を馳せる。姫様の婚約者。そして私の幼馴染。
彼を調べるとはどういう事か。なぜ陛下の元に行ったグレン・ヨザクラが、そういう話を受けてくる事になる。キャメロンに関しては陛下どころか姫様も調べている。それも二度。
誰もが頭に疑問符を浮かべている。最終確認だろうか。
「そんなわけあるかっ!キャメロンはそんな男じゃないっ!」
事もあろうかこの男は、キャメロンが本当はとんでもない悪なのでは、などと抜かしてきた。私は幼い頃からキャメロンを見てきた。それに、姫様や陛下が調べて何も出て来なかった以上、キャメロンが悪などという事はあり得ない。
余りに馬鹿な事を言うので些か感情的になってしまった。
「わ~ん、ごめんなさい~」
目の前でグレン・ヨザクラが、孤児院の少女たちを撫で回している。勿論、卑猥な目的では無くあやす目的でだ。その手つきが少しでも卑猥なものになれば即刻切り捨てる事になるだろう。ただでさえあいつをフィオランツァ様と呼んでいる事に腹を立てているんだ。
そんな事を思いながらその様子を見ていると、少女たちがおかしな事を言い出した。
「グレンお兄の白くてドロッてしてて、おいしいの!」
は?一瞬何を言っているのか分からなかった。
次第に今の言葉に対する理解が追い付いて来る。
「ききき、貴様!こ、ここ、このハレンチなっ!!」
事もあろうか、このような幼き少女に自分のせ、せ、せいモニョモニョを……っ!おのれ……!ハレンチ、許すまじ……っ!!
だが、落ち着け私。今感情の赴くままに槍を振るえば、少女たちを巻き込んでしまう。そんな事は出来ない。
そうやって自分を抑えていると、少女たちとグレン・ヨザクラの楽しそうな話の続きが耳に入ってくる。
「一緒に入っていた野菜もちゃんと食べたか?」
「うん!あれならいつもより食べれる!」
「あれは牛乳をベースにしているから、体にも良いんだぞ~。大きくなれるぞ~」
「ホント!?リューもおっきくなれる?」
…………勿論、分かっていたとも!グレン・ヨザクラはハレンチではあるモノの、救いようのない変態とまでは行かないという事ぐらい!
「ヴィクトリアさんもどうです?俺の白くてドロッとしたヤツ」
「ふんっ」
「あでっ」
ニヤニヤとした表情でセクハラをかましてくるいけ好かない男の眉間を、十二分に加減した威力で突く。少女たちの事を配慮した結果だ。
これで許した思うなよ。明日の稽古では徹底的に扱いてやる。
―――カチャ、チン
静かな空間に食器の重なる音だけが響く。今日はグレン・ヨザクラが、姫様に異世界の料理を振る舞う日。
あの日あの後、シチューなる物に興味を惹かれた姫様に、グレン・ヨザクラは異世界の料理を振る舞う事を提案した。
私は猛反対した。当然の事だ。奴が腹に一物を抱えていたらこれを機に、毒を盛り姫様を亡き者にしたり、媚薬や媚薬そして媚薬などを盛りあんな事やこんな事をするかもしれないのだ。
しかし、私が反対の意を声を大にして言う前にクロエを付けるから、と封殺された。こうなったら当日、何が何でも奴の料理を認めない。そう意気込んでいたのだが……。
「……うむ」
目の前では父様が、何時になく機嫌良さそうにスプーンを口に運んでいた。対する私も、スプーンを口に運ぶ手を止められないでいた。
料理の名はカレー。これを姫様の屋敷から届けてくれたメイドによると、大量のスパイスを使った料理らしい。見た目こそ茶色で躊躇われるが、野菜や肉がバランスよく入っており、そして何よりその香りに食欲を刺激された。
今日は父様に呼ばれたため、王都内の姫様とはまた別の区画にある実家の屋敷に帰って来ている。お蔭で直接料理を酷評する事が出来なくなった。
だが、これでよかったのかもしれん。美味しいのだ。心が震えるほどに。流石にこれを美味しく無いとは言えない。
「くっ……」
悔しい。正直認めたくない。だがこれはこの世界の料理に革新をもたらすほどだ。
せめてもの抵抗として決して美味しいとは口にすまい。
「……」
「……」
父様と二人して終始無言で食べ進めた。




