第二話
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『―――では行くぞ?』
麒麟は小さく呟くと一瞬にして、俺の懐に首を垂れた状態で潜り込んでくる。
「っ!!?」
そのまま流れるように首を貫かんと下から突き上げながら迫りくる角を躱し、すかさず露わになった首にナイフを走らせる。
ギィィィンッ バチッ
「痛っ!」
途轍もなく硬い鱗にナイフは弾かれ、お返しとばかりにナイフを伝って電流が流れてくる。腕が痺れる程度ではあるものの、これは無視できない。感覚を鈍らせてくる。
「ふっ!くっ!」
絶え間無く仕掛けてくる麒麟の攻撃を紙一重で避けていくが、息つく暇もない状況に疲労が溜まり時折感電するのも相まって動きが鈍り、深くは無いが確実に傷が増えていく。麒麟は角で牙で蹄で、俺もナイフで拳で蹴りでと時間にして一分弱、されどその攻防は優に百に迫る。
『驚いたな。魔法は言わずもがな、魔力すら無しに此処まで粘るとは思わなんだ』
「……はぁ、はぁ」
皮肉の一つでも返してやりたい所だが、如何せん息を整えるので精一杯だ。
『人の気配がする。其れと同胞の匂いも』
麒麟は何か呟くと風の方角に首を向ける。
「?……ふぅ~」
麒麟が何かに気を取られている間に、息を整える。ついで最後の手段である、いくつかの武器をチェックしていく。
大丈夫だ。問題なく使える。後はタイミングだけ。絶対に外さない瞬間を見極める。その瞬間が勝敗を、命運を分ける
『まだ距離はある。我が雷の全力を持って、貴様を屠るとしよう』
麒麟の躰が先程までとは比較にならない程、放電し始める。前足を広げ首は深く沈み、黄金に輝く角がこちらに向けられる。
静電気で全身の毛が逆立つ。周囲の温度も上がっていく。奴の纏う電気の凄まじさが分かる。
恐らく今までよりも格段に速いスピードで突っ込んでくるのだろう。そしてあの角で貫かれると。一瞬たりとも気が抜けない。貫かれた事を認識する前に絶命するだろう。
睨み合うこと数秒、体感時間はもっと長い。
「……」
「……」
そして、ヤツが動いた。
「っ!しまっ!」
いや、正確には動いていない。角が伸びたのだ。いや、これも正確ではない。一際大きく輝いたと思ったら、角から放たれる眩い電気が槍の様に伸び俺を貫いていた。
「ぐぅ、がはっ」
くそっ!見誤った!
昇って来た大量の血が口から溢れる。内臓が大ダメージを受けたようだ。
今までの攻撃が肉弾戦みたいなものばかりだったため、この魔法的攻撃を失念していた。だが魔法なんて知らない者からすれば、これは必然の結果だろう。
直前に違和感を覚えた為、横に飛ぶことで角の直線上から逸れるも時既に遅く、左の脇腹を貫かれていた。
それが引き抜かれると同時に、仰向けに倒れる。体は痺れ思うように動かず、貫かれた腹からはズブズブと煙が上がり、微かに肉の焼ける匂いがする。
『ふっ、旨そうな匂いだ』
「ごほっ……うるせー」
『楽にしてやる』
麒麟の牙が首に当たる。噛み切るつもりなのだろう。一見絶望的だが、俺にとっては又と無い最大のチャンスだ。痺れる腕を必死に動かし両腕で麒麟の頭を抱え込む。
『無駄な足掻きよ』
左手でナイフを振るい麒麟の注意を右手から逸らす。痺れのせいで覚束ない右手を懸命に動かし、それを鬣に括り付ける。
『鬱陶しいわっ!』
ナイフで執拗に目を狙っていたのだが、癇に障ったらしい。頭を軽く振り電撃を放ち、左手を弾かれる。その弾かれた勢いで骨が折れた。もう左腕は使えない。
だが十分に時間は稼げた。
「ただでは……死なんぞ?」
ピィィンッ、という音と共に安全ピンが引き抜かれる。
そう鬣に括り付けたのは、爆風効果などにより狭い範囲での殺傷に適したコンカッション―――所謂攻撃手榴弾だ。
『何!!?』
ドガァァァァァンッッッ!!!!!!、と耳を劈くような爆音が轟き、灼熱の爆風が吹き荒れる。
『―――ガァァァァァッ!』
さすがの麒麟も首の真後ろでの爆発は効いたのか、悲鳴を上げる。
斯く言う俺も無論無事では済まず、麒麟の首を隔てているとは言え熱風に巻き込まれ、あちこちに火傷を負う。そんな傷だらけ火傷だらけの体は爆風で吹き飛ばされ、容赦なくダメージに追い打ちが掛かるが、最早痛みを感じなくなってきた。結構な量の血も流れているし、あばらなどの折れた骨も内臓に刺さってしまっている。痛覚も麻痺しているのだろう。今はただ呼吸が儘ならなくて苦しい。
殺し屋として育ち、屑とは言え多くの人間を殺してきた奴の最期にしては上出来だろう。伝説の神獣・麒麟と相打ったのだから。それも異世界で。
胸張って死んでやろう。
『ふふふふ。魔力を感じぬ故反応が遅れたわ。斯様な物を隠し持っていたとはな』
……は?
突如麒麟の笑い声が頭に響いてきた。
「おいおゴホッ、ゴホ、本当…かよ」
恐る恐る首を向けると、千切れて然るべき首がしっかりとくっついた状態の麒麟が、煙の中から現れた。鬣はやや煤け、後ろ首を中心に流血を数か所確認できるが、致命的な傷などは見当たらない。
モロに手榴弾の爆発を受けたはずなのに、負ったのは掠り傷程度。対してこちらは最早満身創痍。
まだ催涙弾や六インチのコルト・アナコンダなども有ったのだが、これでは使えないな。指一本、ピクリとすら動かせない。この惨敗という結果に呆れて笑えてくる。
「ははガハッゲホッ、ぜぇぜぇ……」
笑う事すら既に満足にできなかった。
『傷を負ったのは実に数千年振りだ。同胞との諍い以来か。誇って良いぞ、中々に痛かった』
麒麟は上機嫌に近付いて来ると、楽しそうに話しながら俺の事を覗き込んでくる。
目が霞んできた。麒麟の顔もよく見えん。
「そ…かよ」
話すのもしんどい。これはもう十分と持たんな。それでも焦りも恐怖も無い。
死ぬというのにどこかホッとしている自分がいる。
『満足そうな顔だな。死が怖くないのか?』
「死…ん……だ…会い…行……たい……が…る……ね」
『ふむ。近しい者を亡くしていたか』
「ま……な」
『左様か。―――ともあれ実に有意義な時間であった。小僧、貴様の事は此の麒麟生涯忘れん』
異世界人を食ってみたいが為に、俺を殺しに来た奴なのにどこか憎めないのは、人柄というか麒麟柄というかが良いからだろうな
「ぐ…れん……だ」
『グレン?名か?ふむ、其れが貴様の名か。我が魂に刻んでおこう』
死にたい訳では無かったつもりだが、あいつが死んでから一年半強。半年間生ける屍と化し、一年間休む事無く仕事に明け暮れた。哀しみを辛さを紛らわせる為に。いや、ずっと死に場所を探していたのかもしれない。だからホッとしているのだろう。
俺の世界はあいつのお蔭で色を取り戻した。中学生の頃に殺し屋デビューし、醜い世界に人に絶望し、壊れかけていた心を救ってもらった。
その瞬間から彼女が俺の全てだったから。
愛していたから。
勿論他にも大切な人はいた。友人達、仕事仲間、商売敵。色んな顔が浮かんでは消えていく。これが走馬燈なのだろうか。
そして、俺を生み育て愛してくれた両親。ありがとう。先に死ぬ親不孝を許してくれ。
あぁ春香、今会いに逝くから。
雨は既に止んでいるが、最後に見上げる空は真っ黒な雨雲で……?あまぐも…あれ?
雨雲が物凄い勢いで流れて行く。ただ風が強いからというのでは無く、ある種暴力的な流れ方だ。
『此の風、索冥か。ふんっ、又しても我の邪魔を。相も変わらず気に食わん奴だ』
サクメイ?索冥か?確か麒麟の白い奴だっけ。
足音も無しに、複数の気配が近付いて来る。
「母から貴方様のことは聞いていましたので。雲が無ければ、得意の電気の量も威力も格段に下がると」
『あぁ、娘を拾ったと言っておったな。で、そっちは獅子神の血縁か』
「おうよ。神獣に知ってもらえているとは光栄だな。カール、にぃちゃん?ねぇちゃん?の傷を見てやりな」
「はい、了解です」
『そして、エレノア教の枢機卿か』
「……これは重症ですね」
霞んでよく見えないが、杖みたいなのを持った女性と顔が毛むくじゃらに見えるムキムキのおっさんが麒麟と対峙し、カールと呼ばれた男が俺の傍に膝をつき光る手を翳している。ヒールみたいな感じの魔法なのだろうか。何やら暖かいものが体を包み、心身ともに癒されていく。
佐久間に付き合ってゲームを嗜んでいて良かった。未知に対してもある程度許容できる。
『其れは我の獲物なのだがな』
「それでは私共と一戦交えますか?雲も無く、傷を負っていて本調子には程遠い様ですが」
「俺は大歓迎だぜ」
女性が杖を麒麟に向け、ムキムキは拳を打ち鳴らしている。
『止めて置こう。興が削がれた。我は帰る』
「ちぇ、つまんぶふぇっ」
明らかに落胆した様子のムキムキが、女性に杖で小突かれ吹っ飛んでいく。とんでもないパワーだ。
「それでは彼女?はこちらで預からせて貰いますので」
『好きにせい。只帰る前に少し、其奴と話をさせよ』
怒涛の展開に正直付いて行けてないが、どうやらこの三人に助けられたらしい。魔法のおかげか小さな傷を中心に少しずつ治ってきている。先程まで死に掛けていたのが嘘みたいだ。それでも限界である事は変わらない。気を抜くと落ちそうだ。
「……カール?」
「あまり歓迎出来ませんね。彼女、正直生きているのが不思議なくらい酷いです。急いで治療を始めないとっ!?そんな無茶です!」
カールの肩を掴みセリフを遮る。そのまま肩を支えに立ち上がる。
「かーる…だっけ?まほー…ありがとね。とり……あえ…ずは……これで…いい」
鈍くなっていた痛覚などの感覚器官が戻ってきたおかげで、少し動くだけで言葉に出来ない程の激痛が全身に走る。だけど今はこれでいいのだ。常に痛みを感じていないと気を失いそうになるからな。
そう言えば腹には穴も開いてるんだったっけ。微妙に風が通るのを感じる。中々に新鮮な感覚だ。
おっと。
足がふらつき倒れそうになる。
「ちょっと!?」
すかさず女性が抱き留め支えてくれる。近くで見ると結構な美人さんだ。
「何してるのよ!?危ないじゃない!」
「はは。…すまん。けど……俺も…まだ……麒麟に…用ある。それと…俺…男……だから」
「「「え?」」」
美人さんとカールは驚きの表情を向けてき、吹っ飛ばされた後ピクピクやっていたムキムキも、声を挙げながらピクッとする。
どうでもいいけど、あれはツッコミ待ちなのだろうか。どうでもいいけど。
ねぇちゃんや彼女と言われていた時点で薄っすらまさかと思っていたが、やはり女だと思われていたらしい。確かに色々と便利だから髪は伸ばしているし、両親のおかげで自分でも美人だとは思うが、決して女顔では無いので男前なはずなのだが。異世界補正でも入っているのだろうか。
彼らの反応に言いたい事はあったが、気力・体力共に限界に近い。急ぎ用を済ますとしよう。
チラチラと訝し気な表情で俺の顔を盗み見てくる美人さんに、肩を貸して貰いながら麒麟の方へ足を踏み出すと、あちらの方から寄って来てくれる。
『死に損ねたな』
「まあ…な。喰……損…ね……たな」
『まあな。くっくく。くははは』
「はは。あーはっゲホッゲホッ……あ゛~~……ほれ」
共に笑い合った後、麒麟に向かって左腕を差し出す。
あれ?形が変だぞ?関節の数が増えている。
『?何だ?』
「喰って……いいぞ。俺も…あん…が……気に……入った。左…なら……構わん」
隣で美人さんが何やら喚いているが無視する。
『ふははは。グレンよ、やはり貴様は面白いな。此れが人で言う所の好意と言う奴か、貴様との会話は実に愉快だ』
かなり気に入られたみたいだ。ストレート過ぎてちと照れるな。
「で、どーする?」
『ふふ。止めて置こう。我は心臓が好物なのでな。そうだな……之で良い』
そう言って腹の傷を舐めてくる。
「っ―――――!!」
超痛いです。風通しの良い腹の穴に、遠慮無しに舌が突っ込まれる。
又も隣で美人さんが騒いでいるので、立てた人差し指をキレイな唇に当て『しぃ~、ね?』と痛みに耐えながら笑顔を向ける。
顔を真っ赤にしてコクンと頷く美人さん。効果は抜群だ!!
正直やってしまった感がありありだが、とりあえず後回しにしよう。
『美味い。満足だ』
「そ…か。なら…俺の……用は……終わり…だ」
『我の方は情報を一つくれてやる』
情報?地球に帰る方法だろうか。
『我がグレンの出現に気付けた理由だ。人の時間で言うと数ヶ月程前だったか、全く同じ場所で空間の揺らぎを感じてな。其の時は間に合わなかった故、次こそはと近くで張って居ったのだ』
「という…ことは?」
『あぁ。貴様が通ってきた扉を、他にも通った者が居る』
「!!」
全く同じ場所という事は、繋がっている先も同じだということなのだろうか。そうなると両親が来ているという事になる。扉があったのは我が家の居間なのだから。
今思えば家の様子はおかしかった。今日帰るからと連絡を入れていたのに親父は兎も角、息子LOVEな母さんが居なかった。二人共完全に引退しているので、仕事だという事もあり得ない。
二人ならどうするかなどを考えてみるが、如何せん血が足りず頭が全然働かない。今なお、あちこちから流れ出ている。ここらが限界のようだ。
死ぬつもりではあったが、折角救って貰った命。無駄に散らすのは失礼ってもんだ。
美人さんも心配そうだし、素直に休むとしよう。
「情…報……ありが…とな」
『何、血の礼とでも思えばいい。さて我は帰るとしよう。グレンよ、扉の事・指輪の事、知りたくなったら雨の日に此処に来い。我を打ち負かす実力を付けてな』
そう言うと流れた雨雲の方に向かって、あっと言う間に空を駆けていった。麒麟は俺が生き延びる事を確実視しているようだ。
そしてあれに勝てれば色々教えてくれる、と。ハードル高ぇなぁオイ。
麒麟を見送ったのを合図に、体が崩れ落ちるが予想していたのか、カールが寄って来ていて美人さんと一緒にゆっくり横たえてくれる。
流石に酷使し過ぎた。この感じ数日は目を覚まさないだろうな。
というか、このボロボロの体は治るのだろうか?数日じゃなくて一生なんじゃないか?
一応魔法のお蔭で、十割瀕死が九割瀕死ぐらいにはなったが。
「後…の事……」
「ええ、私たちに任せて。君はゆっくり休んで。出来る限りの治療をして置くわ」
異世界の治療法に任せるとしよう。
「あり……がとう…ござい…ます」
俺を見つめる美人さんの、瞳に宿る僅かな熱に若干の後悔が押し寄せる。が、後の祭りだ。
そんな美人さんがムキムキを蹴り起こしている光景を最後に、意識を手放した。
「あ、無闇…に…俺の……持ち物…弄ら…ないでね。麒麟に……血…流…させた……爆弾…とか……危…ない……あるから」
「え゛」
そんなカールの呻きはもう聞こえない。