第一話
「は?」
草原だった。青々とした広大な草原。右の方面には深そうな森が、左の方面には所々動物らしき影が見える。
「何処だ、ここは。いや、なんだこれは」
後ろを見ると、今しがた通ってきた扉がある。かなり古びた、今にも崩れてしまいそうな扉。それは、約一年ぶりに帰ってきた我が家の居間に不自然に佇んでいた。勿論俺は置いたことなどないし、一緒に住む両親も同じだろう。一瞬の逡巡の後、扉を開き通ってみたらこの有様だ。ど○でもドアかよ。
「あっ」
扉が崩れていく。上の方からボロボロと。
数秒と経たない内に崩れてしまった。そこにもう扉は無く、つまりは帰る手段が失われてしまった。
不測の事態だが、こんな時こそ落ち着いて対処すべきだ。幸か不幸か仕事柄、不測の事態には慣れている。今回はちょっと、いや、大分おかしいが即時命の危機が無い分余裕が持てる。
「ふぅ~~~、うん、いい天気だ」
とりあえず大きく息を吐き、気持ちを落ち着ける。
「……うん?」
扉があった場所に何か落ちているのか、キラキラと光っている。
指輪だ。シンプルなデザインで宝石なども付いていない、銀色の指輪。
「これは家の家紋だよな。だがこの翼はなんだ?」
その指輪には家紋である桜と、それを覆うように翼が描かれていた。
「とりあえず貰っておくか」
何かの手掛かりになるかもしれない。右の中指にはめる。ぴったりだ。
「さてと」
此処が何処だか分からない以上、人に会いたい。他にも色々と確認がしたい。
「やっぱり異世界というやつだろうか。明らかに鳥じゃないのも飛んでるし。佐久間の話じゃ異世界転生って言うんだっけ?あ、この場合転移か?」
学生時代から仲の良いオタクな友人のことを思い出しながら、荷物の確認をしていく。
仕事道具一式
財布
家の鍵
数種類の飴玉が大量に入った瓶
拾った指輪
「まずいな」
水と食料が無い。となると街や村を探すべきか、水場を探すべきか。最終手段として飴玉があるが、腹を満たすのは無理だろう。2~3個で口の中が確定で切れるし。やはり肉などが食いたい。仕事が仕事な為、狩りには困らない。普通の動物相手なら。
「森に入るのは危険だよな」
一応道っぽい所を歩きながら、食えそうな生き物がいれば狩る。
人がいたら声を掛ける。
村や街などを探す。
水場も見つかればいいが、無ければ最悪草や木から絞る。
「方針としてはこんなものか。よし、行こう」
確認のために広げた荷物をキャリーバッグに詰め直す。仕事帰りでよかった。バタフライナイフなどいくつかの武器を装備しながらそう思う。流石に素手で狩りはきつい。
今回の仕事先が海外だったので、道具一式がかなり多めだ。バッグも特注の特大サイズなのにパンパンだ。……ホントに多いな。だが、今の状況においては大助かりだ。普段から念には念を入れていて良かった。
ただキャリーバッグだからコロコロ出来るが、サイズがサイズなのでそれなりに重い。どうにか軽くならないものか。
「……うおっ!!」
荷物を詰め終わり、『タクシーとか来ないかなぁ~』なんて思いながら抱えた瞬間、バッグが消え去った。目の前で、ヒュン、と。
「なんてこった……」
足元に大きな穴が空いていて、そこに落ちたとかではない。文字通り跡形もなく消え去った。慌てて周りを見渡したりしてみるが、何も見つからない。
「もうやだ。異世界怖い」
大事な荷物が目の前で消えるという摩訶不思議でショックな出来事に、出発前から心が折れかかる。思わずorzの格好で数分固まってしまうが、ここに留まっていても仕方がない為、荷物のことは諦め、憂鬱とした気分で重くなった足を引きずるようにして歩き出す。
ゴロゴロ ポツ ポツ ポツ ポッポッポッ ザ―――
歩き出して物の数分、あれだけ晴れていた空が急に曇り雨が降りだす。土砂降りだ。折り畳み傘も持っていたが、バッグと一緒に消失。雨を凌ぐ術がない為、あっという間にずぶ濡れになっていく。
「厄日だ」
見知らぬ土地に放り出され、頼みの綱だった荷物も失い、土砂降りの中茫然自失と佇む。
そして、ドォォォンッ!!という耳を劈く音。
「ぐっ!」
テンション駄々下がりな所へ、追い打ちを掛けるように爆音を轟かせ、目の前に雷が落ちる。衝撃で軽く体が吹き飛び、ぬかるんだ地面を転がる。泥で汚れ、雷の余波で全身が少し痺れているが、そんなことは全く気にならない。それもそのはず、落雷した場所には雷が球体を形成し、黄色い稲妻を迸らせながらスパークしているからだ。そしてその中心では『何か』が、圧倒的な存在感を放っていた。
嘗て無いほどに心臓の鼓動が激しい。忘れ去られたはずの人間の野性的本能が、今すぐ逃げろと叫んでいる。だが、そんな意に反して体はピクリとも動かない。痺れのせいではなく、恐怖が体を支配しているからだ。
やがてスパークも収まりそれが姿を現す。古い文献や調度品などで見られるその姿は……伝説の生物、龍を思わせる頭。鹿のような体形でいながら地より二メートル程ある体格はがっちりとし、全身が黄色の鱗で覆われている。また馬の蹄に牛の尾、体毛は黄色く特に鬣から背毛にかけては黄金に輝き美しい。そして何より目を引くのは、額にある立派な角。イッカクのように長さがある訳ではないが、それでも人を突き殺すには十分な長さと鋭さを持ち、発電しているのか稲妻を迸らせている。
『ふむ。此の辺りの筈だが』
っ!なんだ?
頭の中に直接声が響く。
それはゆっくりと辺りを見渡すと、次いで俺に目を向ける。
あぁ、これは無理だ。流石異世界、とんでもないのがいるな。
『貴様がそうか?』
「……そうとは?」
恐怖が一周回ったおかげで落ち着いてきた脳を、素早く回転させ状況の打破に臨む。人以外と会話することになるとは、人生とは分からんものだ。
『迷い人かどうかと聞いている』
迷い人?迷子の事か?それとも異世界に迷い込んだ人、という意味か?
「いや俺はた『恍けるなよ小僧。此の世界の人間が軽装で街の外を出歩くものか。それに貴様の着ているモノ、この世界のモノにしては些か上等すぎる。貴様は異世界の人間だ』だの…旅人で……」
出来るだけ情報を得るためにぬらりくらりと躱そうとしたが、言葉を被せられたうえ断定してきた。
それにしても、22歳にもなって小僧と言われるとは。
とりあえず言葉も通じるようだし、どうにか会話を繋いで情報を得なければ。案内とかしてくれないかな。
「おそらくそうだ。変な扉を通ってきたらここに出た。軽装なのは持って来ていた荷物が消えたからだ」
『……ふふふふ。ふはは。はーはっはっは』
早速途切れた。何がツボだったのか笑い出し、収まる様子がない。頭の中にふははと笑い声が響くのが、かなり不快だ。そして大笑いしているにも関わらず、本体が無表情なのが実にシュールだ。
『くっくく。くは、くははは』
やっぱり逃げようかな。でも逃げ切れる自信ないし。せめて隠れることが出来る遮蔽物とかがあれば、いや、無いものねだりしても無駄か。
「えっと……」
『ふははは。ん?あぁ、くふっ暫し待て、くっくく。……ふ~、よし。良いぞ小僧。どうせ聞きたい事があるのであろう?今の我は気分が良い。答えてやる』
そう言って目の前で寛ぎだす。妙に上から目線なのも、奴のペースなのも気に入らんが仕方がない、せっかく答えてくれるようだから一つずつ聞いていくか。奴が此処に現れた理由はなんとなく分かってきたけどな。どれほど時間が稼げるか。あぁ、厄日だ。
「じゃあ遠慮なく、まずあんたは麒麟ってやつでいいのか?俺の世界の古い文献などで見たことがある」
『ほう。我が同胞の中には此の世界より飛び出して行った者もおるでな、そ奴らだろう』
つまり昔の人は地球で麒麟を見たということか。細部はともかく大まかにはそっくりなんだし。
話によると麒麟は数万年生きるらしく、その長い生に刺激を求めて多くの麒麟たちが飛び出して行ったらしい。意味が分からんスケールの話だが、これは朗報だ。世界を渡る術はある。
「どうやって地『あぁ、世界を渡る術については答えん。貴様が此処に居る理由、通ってきた扉についてもまた然り』……さいですか」
地球に帰る方法を聞こうとしたが、また被せてきた。
こいつ心を読めるんじゃないだろうな、タイミングが的確すぎる。
『心など読めん。貴様が分かり易いだけだ』
読めてるじゃん!とツッコみたくなったが我慢し、自らの状態を今一度確認すると身体は小刻みに震え、顔には力が入り強張っていた。
話しているうちに麒麟が此処に現れた理由について最悪な展開がよぎり、ポーカーフェイスでいたつもりだが思った以上に動揺や焦りなどが顔と態度に出ていたみたいだ。
俺もまだまだ青いな。小僧呼ばわりも納得だ。
今一度大きく深呼吸し、麒麟と対峙する。雨足も弱まってきた。
『ふんっ。生意気な目をしおって』
「覚悟を決めたんでね」
『なら早うせい。雲も流れてきた、時間は無いぞ』
俺が奴の目的に当たりを付けたことも、時間を稼ごうとしていることすらも察しているようだ。
そしてあの雨雲とは密接な関係にあるらしく急かしてくる。電池みたいな役割なのだろうか。
「この指輪について何か知っているか」
『指輪?』
例の拾った指輪を見せながら聞く。
『貴様、どうやって其れを手に入れた』
僅かに麒麟の眉が動く。
「件の扉が崩れた場所に落ちていてな」
『扉が崩れただと?真か?』
「あ、ああ」
凄まじい気迫で聞いてくる麒麟に若干気圧されながら答える。
『という事はこの小僧があの女の……?』
あの女?誰だ?
やはり色々と知っているみたいだ。
「そ『荷物が消えたと言っていたな。おそらく其の指輪の中だ。我に言えるのは此れだけだ。此れ以上は聞いてくれるな』……はいよ」
また被せて、いやそれより、指輪の中だと。異世界特有の魔法的なやつか?
「荷物よ出てこい!!」
右手を掲げそう叫んでみる。
『……』
「……」
恥ずかしい。途轍もなく恥ずかしい。麒麟の白い目が容赦なく突き刺さる。
『……』
そんな目で見るくらいなら、使い方を教えてくれ。恥か死ぬ。
「……そろそろ時間切れか?」
『……そうだな、戯れも此処までだ。ほれ、最後の質問をせい』
共に先程の一連の流れを無かったことにし、互いに闘気を漲らせながら対峙する。
麒麟は立ち上がり軽く稲妻を躰中に迸らせ、俺はバタフライナイフを取り出しバックステップで距離を取る。
「じゃあ最後の質問だ。何しに俺の前に現れた」
『貴様を、異世界人を喰らう為よ。如何なる味なのか興味が尽きぬ』
思っていた通りだ。最初の会話から異世界人に用があること、重要なことは何も教えてくれないことから親切で現れたのでは無いことはすぐ分かった。やはりこいつもこの世界に留まっているだけで、刺激は欲しているのだろう。それで先程のセリフだ。
これが人だったら勝てるかどうかは別として戦うだけで済んだだろうが、生憎と目の前に居るのは地球では神獣扱いで会話も出来るとはいえ、結局は獣だからな。そりゃ喰われるわ。
「せめて片腕だけとか一部位で勘弁願いたいのだけど?」
『我の好物は心臓だ。次に内臓、そして頭。どれを差し出してくれる?』
そう言う麒麟の口が弧を描く。立派な牙だ。あれで骨ごとバリバリ行くのだろうか。ライオンとかが可愛く思えるな。
「そいつは無理だ」
『であろうよ。だが心配するな。此れでも我は貴様の事を気に入っているのでな、生きたまま喰らう様な酷な事はせぬ』
気に入ってくれているのなら食べないで欲しいのだけど、言っても無駄なことか。
「はは、それは嬉しいね。嬉しさの余り涙が出るぜ、ちくしょうっ」
『何、貴様が真にあの女に選ばれた存在であるなら、そう簡単には死にはせぬ筈。強運の証故な…………些か喋り過ぎた』
そう言うと本格的に電気を纏い始める。最早問答は期待出来そうにない。
最後の最後で新たに気になる言葉が出てきたが、麒麟は完全に戦闘態勢に入っている為、こちらも隙を突かれぬようにナイフを構え、奴の一挙一動に神経を尖らせる。
麒麟が現れた時の状況から察するに、恐らく電気形態になれるのだろう。となると闇雲に攻めても容易く躱される。なれば狙うはカウンター。光速で動くであろう麒麟の攻撃を躱し、その際に出来る隙を狙いこちらの攻撃を的確に叩き込む。改めて言葉にすると難易度が高いのが分かる。てか無理だろコレ。
『―――では行くぞ?』