【メイドと嫉妬】 其之壱
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ここは……どこでしょうか?ああ、私の部屋です。
いつの間にか私は、自室へ戻ってきていたのでした。ここに来るまでに何人かのメイド達に声を掛けられたような気がしますが、殆ど何も頭に残っていません。
「…ぅ……ぁ………あぁ……っ」
残っているのは、私が叫んだ醜い言葉。そして、グレン様に寄り添うお二人の姿。
あんな事を言うつもりは無かった。紛れもなく、私の弱さが生んだ言葉。あの言葉は本心からのものでは無い。でも、心の何処かに密かに潜んでいたもの。グレン様と、何より私自身への苛立ちが混じり合ったもの。
ドタバタと走り回る女性達。全員が夜魔族。先程まで敵意と殺意を向け、グレン様に叩きのめされていた方々。そんな方々が必死な表情で走り回っている。グレン様を助ける為に。
「急ぐのじゃ!時間の問題じゃぞ!流した血が多すぎる!」
かなり焦った表情で、夜魔族の長であるヘレン様が指示を飛ばしています。どの顔で……っ!そんな思いが、私の胸中を渦巻きます。グレン様が血を大量に失う事になった原因は、貴女が心臓に穴を開けたからに他ならないのに。
戦い終わった後に倒れるようにして気を失ったグレン様の顔は、青を通り越し白くなっていました。取り乱すなという方が無理な話です。
「長……アレをなさるおつもりですか?」
「うむ」
「そう……ですか」
何やら真剣な顔で不穏な事を話す、ヘレン様とその右腕セーラ様。胸の傷は、普通なら有り得ない方法でグレン様自身が治しました。これ以上何をすると言うのでしょう。失った血は、よく食べよく眠る事でしか戻って来ないはずなのに。
「……何をなさるおつもりですか?」
何も出来ない私は、その行き場の無い焦りを隠しながら問い掛けます。
「ん?なに。血を分け与えるだけじゃ。妾の血をの」
「ヘレン様の、ですか……」
それは何か嫌だ。とても嫌です。
「うむ。これは夜魔族に伝わる秘儀なのじゃがな。如何せん、流した血が多すぎたのじゃ。妾達は元を辿れば吸血鬼族。血の事はよく理解しておる。心臓に穴を開けた妾が言う事では無いのじゃが、今とても危険な状態にあるじゃ」
「それで秘儀……」
「そうじゃ。あれだけの血を流しながら妾を圧倒しておったが、既に体は大分弱り切っておったのじゃ。己で血を作れない程にな。じゃから、外から持ってくる。誰にでも出来るモノでは無く、誰にでもして良いモノでは無い。故に、秘儀じゃ」
ヘレン様の血をグレン様に。血に長けた夜魔族だからこそ。どのような方法かも想像出来ません。しかし、それ以外の方法は無い。少なくとも私には何も思い付けません。
「安全なのですか?」
「分からぬ。妾も初めての事じゃから。ただ、伝え聞く話ではいくつか副作用が出ると」
「っ!そ、それは……!」
安全では無いのなら、その方法を取るべきでは……、しかし他に方法が……っ。
「そう深刻な事では無い。少々体が、夜魔族に近付くだけよ。治癒力が上がったり、夜に強くなったりとの」
「……それだけですか?」
「じゃから、分からぬと。詳しい事は分からぬのじゃ。一応過去の症例も文献として残っておるが、結局は個人差がある」
苛立ったようなヘレン様の声。それだけ、グレン様の心配をしているという事なのでしょうか。自身がそれだけ追い込んでおいて、図々しいと言うか何というか。
「何故そこまでしようと?最初は殺す気だったはずです。しかし、今の貴女方からはそんな様子は見られません。私に向けられていた敵意も殺意も、今は一切感じられませんし。一体何を企んでいるのですか?」
「企むとは穏やかでは無いのう。妾は惚れただけじゃ。いや、それは正確では無いか。そうじゃな…、惹かれたのじゃ。グレンという強い雄に。妾達はそういう種族じゃからの」
「それは……」
心臓が激し鼓動する。ヘレン様の言葉に感じているのは、焦り。私の中に、言いようの無い焦りが生まれていました。
それに気付きたくなくて、必死に目を逸らします。
「長!準備が整いました!」
「うむ。では、始めよう」
「……ヘレン様。グレン様の事よろしくお願いします」
私にはどうする事も出来ないから。だから、この方に任せるのです。他に方法があれば、迷いなくそっちの方を……。
「任せるのじゃ。必ず助ける」
私に出来るのは祈る事だけ。ほんの一時間前なら、絶対にグレン様の為に祈る事などしなかったでしょう。姫様に説教する姿に感心し、守られて心変わり。軽い女と思われるでしょうか。
気を付けないといけないかもしれません。今まで通りに振る舞って、『少し素を見せれば扱い変わるとか……結局はその程度かよ』なんて、そんな事を思われたくありません。それは、何か嫌なのです。
ヘレン様の後姿を見詰めながら私はゆっくりと深呼吸をし、心を落ち着かせるのでした。
それから30分程の事。
「……終わったのじゃ。秘儀は上手くいった。もう大丈夫じゃろうて。最も秘儀が本当に必要だったかも分からぬのじゃがな」
思ったより早く、ヘレン様達は部屋から出て来られました。
「……?」
しかし、何故でしょうか。殆どの方がボロボロです。怪我という怪我をしている方はいないようですが、服が引き裂かれたようになっていたり打撲痕があったり。ヘレン様に至っては、左手首が変色しています。
「全く。意識を失っていてもアレとは、恐ろしい男じゃ」
そんな事を言いながら腕をさするヘレン様。痛そうに顔を顰めていますが、どこか……そうですね、発情とでも言うべきでしょうか。頬を染め口元を歪めた、そんな顔をしています。
それが、酷く気に入らない。
「どう…されたのですか?」
「なに。悲しい事に、妾達はまだ『敵』であったという事よ」
「……?」
言っている事が理解出来ません。ただ、笑っていながらもヘレン様の表情はどこか寂し気でした。
「出来れば妾が看病したかったが、それは望まれておらぬようじゃ。頼めるかの?」
「……元よりそのつもりです」
看病くらい私にも出来ます。私はメイドなのですから。態々頼まれるまでもありません。
「気を付けるのじゃぞ」
「……?」
またも良く分からない事を呟いたヘレン様の言葉に首を傾げながら無視し、グレン様の眠る部屋に入る。
「……」
綺麗な姿勢で眠るグレン様。顔には赤みが戻ってきています。もう大丈夫。顔を見てやっと安心感が下りてきました。
「……でも、こういう場合の看病って」
何をすればいいのでしょうか。これまでした事があるのは、風邪を引いた姫様の看病が主。そして、偶に騎士団員の時も。怪我の時はしっかりと救護部隊がいますし……。怪我のチェックとかでしょうか?
「……っ!」
怪我の状態を看るという事は、勿論服を脱がせなければいけない訳で。で、ででで出来ませんね。ここはヘレン様達を信じましょう。ええ。
何をすべきか、そう思いながら覗き込むグレン様の顔は、とても美しいです。元々興味が無かったので、そんなにじっくりと見た事は無かったのですが、やはり恐ろしい程に整っています。これほどまででしたか。メイド達の中にも、見た目だけならとキャーキャー言っている者達はいましたが、それにも納得です。
元より整っているのは理解していましたけど、なんて言うのでしょうか、明確に認識したとでも言いうべきですか。それは夜魔族に襲われた際に、力強く抱き寄せられた時でした。蝋燭の仄かな明かりの中、至近距離で見たのが初めてです。この時、グレン様の見た目の良さを認識しました。
そして、今。こうして蝋燭よりも明るい魔道具の下で見るグレン様の寝顔は、とても美しい。普通の男性ならカッコいい等の褒め言葉の方がよろしいのでしょうが、どうもこの言葉はグレン様には似合わない気がします。女装でもすれば、男だとは簡単に見破れないくらいに美しいのですから。いえ、これは極論ですね。流石に女装は……。
「うぅ……くっ……」
「……グレン様?」
どれくらい眺めていたでしょうか。突然苦しげな表情をしたかと思ったら、うなされているような声を上げ始めました。
悪夢でも見ているのでしょうか。普段の様子からは考えられない苦しそうな顔です。額には大粒の汗が浮き始め、本当に悪夢だとしたら相当なモノです。
「っ!?痛っ!?」
常備している薄手の手ぬぐいでグレン様の汗を拭こうと、顔の近くに手を伸ばした途端力強く手首を握られました。物凄い力です。骨の軋むような音がする。
「ぁぁあああっ!」
このままでは折られると思い、力強く引き抜く。幸いグレン様の手は外れました。しかし、握り締められた私の手首には、赤い手形が。合点がいきました。
「ヘレン様方のはグレン様が……」
なんて恐ろしい方なのでしょう。血を失い死ぬかもしれない状態で、更に気を失っている状態でも常に警戒しているとでもいうのですか。寧ろ寝ているからこそなのでしょうか。寝ている時こそ無防備になる人間の習性。それを克服する為に、グレン様は寝ていても近付く気配に反応出来るように己を鍛えているという事。どうすればそんな事が可能になるのかなんて分かりませんし、想像も出来ません。
だけど、部屋を出て来たヘレン様方の酷い有様の原因はこれにあったのは分かります。秘儀の最中どうしても近付く必要があったのでしょう。その際ヘレン様は手首を握り潰され、他の方も抑えようとして反撃にあった、と。それも想像出来ました。
「『敵』ですか……」
ヘレン様が言っていた事。私もそうなのでしょうか。そうなのでしょうね。だからこうして……。胸が…胸が痛いですね。握り潰されそうになったのは、手首のはずなのに。
でもヘレン様に比べれば、私の方が長く一緒にいる時間は多かったです。今日会ったばかりで殺し掛けた方と比べると、雲泥の差でしょう。だから私にはまだ、付け入る隙がある、そんな気がします。
「くぅ……か……っ」
「……」
意を決して、もう一度手をグレン様に近付けます。
「痛っ」
やはり掴まれます。寝ていても正確に手首を掴んできますね。顔を近付けたら、首を掴まれるのではないでしょうか。まぁ、顔を近づけるなんて、キスでもする時くらいしか……。
「~~っ!」
何でしょう。今の思考は物凄く恥ずかしかった。少し顔が熱いです。
ともあれ、こうしている間にもグレン様は手首を握り潰さんとしています。それは嫌なので、次の行動に移りましょう。
「……っ!?」
ピクンとグレン様の手が小さく跳ね、握り締める力が弱まりました。私がもう片方の手で、握り潰そうとするグレン様の手を撫でた事に反応したのでしょう。
「グレン様、クロエです。貴方様の共犯です。手を離してもらえませんか?敵ではありませんから」
痛みに耐えながら、それでもそんな事は表情にも出さずに、優しくその手を撫でながら、優しく語り掛ける。互いに心を開いていた訳では無かったとは言え、一緒に行動してきた間柄で敵とまで思われるのは心が痛みます。明確に敵だった夜魔族の方々と同じ扱いなのは嫌です。
姫様が一番なのは変わりませんが、男性の中ではそこそこ信頼が置けると思ってます。ま、守ってももらいましたし。
「…は……っ……んぅ……」
悪夢が酷くなってきているのでしょうか。グレン様の呼吸が荒くなってきています。直接は何も出来ませんが、それでも汗を拭く位は出来るでしょう。
「大丈夫です。クロエは貴方の、グレン様の味方です」
手が、離れました。受け入れてもらえたみたいです。
素早く手首の確認をし、赤くなっていること以外異常が無い事を確認。であれば本来の目的。汗を拭いて差し上げましょう。
「ぅあ……る……か……」
どんな悪夢を見ているかなんて、私には想像も出来ません。掛けてあげる言葉も思い浮かびません。ですが、私は守ってもらった身。今グレン様の為に出来る事は全てしましょう。それが、汗を拭き寄り添う事だけだったとしても。




