第百四十四話
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息子の凶行を前に改めて覚悟を決めた王様の命で、王国最強と名高い近衛騎士団長・オスカー・ルゥ・ガルシアが前に出てくる。槍も構えてはおらず、無手。にも関わらず、騎士擬きなバカ共は気圧される。それだけ地力が違う。数で優っていようと、『もしかしたら』という考えが脳裏にこびり付いている。
ディエゴも一瞬気圧されるが、すぐに気付いたように厭らしい笑みを浮かべた。
「くっくくく、貴様には何も出来んぞ。オスカー」
「……?」
ディエゴの言葉にオスカーは、ただ首を傾げるのみ。歩みは止めない。
「グレン!」
「はいはーい、……オスカーさん、ストップです」
内心嫌々ながら、指示通りオスカーの前に進み出て、彼の前でいちまいの誓約紙を掲げる。そして、それに目を通すオスカーの顔が憤怒に歪んでいく。
「……貴様ら」
「あ、読みました?でしたら、分かりますよね?余計な動きはしなひゃっ!?」
瞬きの瞬間、以前俺が圧し折ったモノとは違う槍が、俺の首に添えられた。
急激なオスカーの変化に、誰もが戸惑う。誓約紙に注目が集まる。
「……殺す」
「あわわわわ」
ディエゴの手前、情けない声を上げながら慌てふためく。そして、腰が引けたかのように後退り、怯えながらディエゴを盾にするように肩にしがみ付く。うわぁ、生温かいぃ……。
「チッ、堂々とせんか!」
「でもぉ~……」
「おい、オスカー。妙な真似はするなよ。貴様はこの誓約紙の意味を正確に理解していない」
「……」
オスカーが本気で怒っている。それもその筈、娘を満足するまで犬にする誓約紙なんて親として認められるものでは無い。ましてや俺は今ディエゴ側。もしかしたら、という最悪の可能性を捨てきれない。知らされてなかったが故に、この誓約紙は執拗にオスカーの疑念を煽る。
ヴィクトリアも言えるはずがない、実の父親に『グレンが満足するまで、彼の犬になる事になりました』なんて。俺だって言えない、『貴方の娘を、満足するまで犬にする事になりました』なんて。王様近辺にも伝わる事が無かったのだろう、ヴェディがストーカーと化して役立たずになったために。
そもそもだが俺は、ヴィクトリアを犬のように扱うつもりなど一切無かった。では何故、こんな誓約を交したのか。
本当は『俺の言う事を一日聞く』でも良かった。もしもの時の命令権を持っておきたかっただけだから。嫌われ……好かれていない以上、俺からの頼みは姫様を介する必要があると、緊急時に困る。そういう判断の元だった。
しかし、あの時のテンションと売り言葉に買い言葉。そして、ヴィクトリアってアリシアの忠犬だよなぁ、と常々思っていたせいで『犬になれ』となってしまった。日頃の鬱憤を晴らすなんて小さいものじゃない。ないったら、ない。だけどまぁ、少し調子に乗った感は否めない。
反省はしている。しているのだが、折角なので今回利用させてもらう事にした。場に更なる緊張感を求めての事だ。
「え、えっとですね。コホン、私『犬』にも種類があると思うんですよ。ヴィクトリアさんはどう思います?」
「は……?え?き、貴様……まさか!?」
首を僅かに傾げて俺達を見ていたヴィクトリアは突然の問いに戸惑っていたが、俺の言葉に引っかかるものがあったようで次第にその顔を青褪めさせる。
「『忠犬』として、私達を守ってもらうのも良いですね。その場合は親子で死闘を演じてもらいましょう。どっちが死にますかね」
「こ、この……っ!」
「『狂犬』ってのも良いですね。手当たり次第に暴れ回ってもらいましょう。その場合は一番近くにいる、貴女の敬愛する姫様を自らの手で……ふふふふ」
「キサマァ!……っ!?」
激昂したヴィクトリアが槍を手に足を踏み出すが、俺はその前で誓約紙をヒラヒラ。途端に足を止め、悔しそうに俺を睨む。槍を持つ手は震え、怒りに赤く染まっていた。
「そうそう、余計な動きはダメですよ」
優位に立った途端、軽やかな足取りで彼女の前に躍り出る。どうだろうか、この圧倒的小物感。俺は今、見事にディエゴの仲間を演じている。
この道化物語の主演はディエゴだから、助演男優賞は獲れるな。
「くっ……」
「ふふふふ。その槍で刺しますか?良いですよ。私弱いですから瞬殺でしょうね。でも、死の間際に誓約紙を発動させる事ぐらいは出来るでしょうね。あっ、『発情期の犬』ってのも良いですね。はしたなく淫らに、そして下品に。男達を性的に襲ってもらいましょうか」
「~~っ!グレン・ヨザクラァッ!そこまで堕ちたか、この下種がっ!!!」
ああ、落ちました。今日までコツコツと積み上げた僅かな評価が。真っ逆さまに地の底です。いや、そんなに変わってないかもだけど。ただ、キャメロンの件が終わった後の夜に植えた、信頼関係の種は無駄に……まぁ、この件の後にも十分に花開くような種にしたから良いんだけど。
「大丈夫ですよ。ふふふふ。貴女は私のモノにしますから……堅いな」
「くっ……このっ、…………ぎっ」
調子に乗ったように、指先で彼女の体をなぞっていく。最後は軽装の鎧で包まれた胸を、デコピンで弾く。
と。ドォォォンッと、城が揺れるほどの地響き。震源は俺の真後ろだった。
「うはいひゃぁっ!?」
「なっ!?」
「お、おい。割れ……」
情けなく声を上げ、腰を抜かしながら後ろを振り返る。そこには玉座の間の床に、槍を振り下ろしたオスカーの姿。床は割れ、俺のすぐ後ろまでひび割れていた。
これには今まで黙ってディエゴに従い、貴族や他の騎士達を牽制していた忠臣(笑)のバカ共も騒めく。
「……調子に乗るな」
「オ、オ、オスカーさんこそ、わ、わわ、分かってるんですか?し、ししし、死んだ人間は満足しませんよ?」
「……」
凄まじい怒気を発しているオスカー。その怒気に、バカ共は震え上がっている。
オスカーも分かっているのだろう。俺を殺せば、死の間際に発動した誓約が止まる条件が『ヴィクトリアの死』しか無くなると。死んだ事を気付かせない速度で俺を殺せばいいのだが、そんな事が出来る保証はどこにもない。オスカーに出来るのは黙って見ている事だけ。
最後通牒として、彼の前で誓約紙をピラピラ。
「そ、それとも、どちらかが死ぬまで娘と戦いますか?」
「……くっ」
初めて、彼の口から悔しそうな声が漏れた。
「オスカー、下がれ」
潮時と感じた王様の命。オスカーは静かに一礼して、玉座に一番近い所まで下がった。しかし、その怒気は一片たりとも収まってはいない。
「ほっ……」
「くくくっ、やるではないか」
嬉しそうなディエゴの声。静観していたのは、どうやら俺を試していたらしい。
「さ、先程、もっと堂々としろとおっしゃられたので……、貴方様の配下になる以上必要な事かと。でも、もう嫌です。怖いです。ちびります」
「俺への忠義ゆえか。頼もしいぞグレン」
目をギラつかせ、肩に手を置いて来る。うわぁ、湿ったぁ……。
「アリガタキシアワセ」
「くはははははっ!さぁどうする!?クソオヤジ!頼みの綱のオスカーは動かせんぞ!」
「……」
「無駄な抵抗は止めて、俺にさっさと王位を譲れぇ!!」
ディエゴのテンションが上がっていく。そして、オスカーが動かない事に安堵するバカ共の表情に、厭らしい笑みが戻って来た。身の毛がよだつ。
「あ、あのぉ、殿下。魔法使いっぽい綺麗な女の人は大丈夫なんです?」
どうもヒルダの事を忘れているっぽいディエゴに注意を促す。ぶっちゃけ、彼女をどうにかする手段が思いつかない。思いついているのは、はったりをかます事だけ。俺の演技力なら、言葉に気を付けていれば可能だと思うが100%じゃない。
魔法なんて、未だに良く分からない事ばかりの力で滅茶苦茶にされるのは困る。この計画は根幹は、この隣で鼻息荒くしている豚に絶望を与える事なのだから。何と言うか、魔法で纏めてチュドォォォンは本当に困る。
予想外の存在に、やや計画に心配事が。
「フンッ!心配いらん!アレはこういった状況では、役立たずだからな」
「へ?そうなのですか?」
「ああ。アレが出来るのは、広域殲滅魔法。こういった場ではただの人形に成り下がる、殺戮兵器よ!」
「……」
本気で言ってるのだろうか。曲がりなりにも武に通じていながら、アレに気付けないとは。
それにしても言い方が癪に障る。その下を引っこ抜きたい気分だ。
「まだそこをどかねぇか、クソオヤジ。チッ……見せしめが必要か?」
「っ!?」
マズイ。その展開はマズイ。一応止める言葉は用意しているが、このまま事態が動かないとこいつが凶行に走る。
俺と王様の時間稼ぎが限界に近付いた。




