第百十六話
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動揺を隠す為の無表情だろうが、それは悪手だ。俺が抱いた疑惑が大きくなるだけ。突然の表情の変化など、疑って下さいと言っているようなものだ。
疑いを持たせない為には完全に惚けた表情で首を傾げるか、困った顔で首を傾げるかが有効。あくまで自然に。口元にも目元にもそして視線にも、決して動揺を表してはいけない。
「……何の話だ?」
「ギルさんは女だから、男とは体の使い方が違いますよって話です」
「俺が女だと?何を馬鹿な……俺は男だ」
気付いているのかいないのか、口調が固くなる。
「あはははは、そんな無表情で怖い顔されても説得力ありませんよ」
「……」
ギルの指先がピクリと動く。得物にでも手を伸ばそうとしたのだろう。
「良いですよ。鉈に手を掛けても」
「……そのつもりは無い」
「そうですか?まあ、無駄ですしね」
ギルも俺に勝てない事はしっかりと理解している。だから反射的に俺の口を封じようと考えたが、理性でそれを押さえ付け指をピクリと動かすだけに留めた。
「……だ、誰にも言わないでくれ」
「誰にも、ですか」
「頼む!閣下も妹も、誰も私が女だとは知らないんだ……!」
だろうな。ヘンリーもギルの扱いは男に対するものだった。女だと知っていたら、同性という事で娘の側近か何かにしていたはず。妹であるエリカも、ごく自然に兄と呼んでいた。あの娘に姉の性別詐称の手伝いなんて、面倒で器用な真似は出来ないだろう。
なぜこれほどまで徹底して、男であろうとしているのか。……トランスジェンダーとかだったら地雷だな。その時は詫びとして俺に出来る事は何でもし、彼の為に手を尽くそう。
「何でまた男のふりなんか?ヘンリー様どころか妹も知らないなんて、普通じゃないですよね?」
「……」
「あ、別に言いたくないなら言わなくても結構ですよ。単なる興味なんで。体捌きを教える上でも重要なんですけどね。ああ、秘密をばらそうとかも考えてないですから」
ギルからすれば、容易には信じられない事だろう。だが、俺は本当にばらすつもりも、このネタで脅迫するつもりも無い。好感の持てる人柄、人格の彼女の力になれる事があるかもと思っているだけだ。興味が大部分だが。
「くっ……何をすればいい」
「え?」
あれ?ギルは俺の言葉を、遠回しな脅迫と受け取ったらしい。非難の視線で俺を睨み、心做しか庇うように己の体を抱く。
「黙っていてくれるなら何をしても良い……から……だから!」
「いやいやいやいやいや!しねぇよ、てかいらん!お前は俺を何だと思ってるんだ!?」
くそっ、調子が狂う。
気丈な態度で俺の前に立ってはいるが、体は小刻みに震え唇は青褪め、血の気が引いている。明らかに異常な状態。
「お、男はいつもそうだ……!あの時も……あいつも……っ!」
「おいおいおいおい!?落ち着けって……!」
マズいな。地雷どころか、核弾頭。かなり根深いトラウマを抉ってしまったようだ。
どうする?どうする?どうする!?叩いて正気に戻すか?いや、ギルの言葉からトラウマの要因は男だ。女装していても、紛れもなく男である俺が手を上げるのはダメだろう。
では、誰か女を呼ぶ?論外だ。男として過ごし、女である事を隠してきた彼女正体がばれる事は避けるべき。当人も、知られたくないと必死だ。完全に兄だと思っているエリカも呼べない。
そして、今のギルは女としてのしなも出て来ている。恐らく、トラウマがギルの女を刺激しているのだ。この変化は、見る者が見れば分かるだろう。
となると、取れる方法は一つ。
「ちっ……仕方ないか」
不完全にやるのは俺のポリシーに反するが、状況が状況だ。この手段で行こう。
俺は指輪からメイク道具を取り出す。そう、俺が女になればいいのだ。幸いすでにメイド服。薄化粧で十分。二分も掛からない。やるなら完璧にやりたいのだが、ギルの精神状態が不安、サッサと済ませよう。
薄くファンデーションを塗り、軽く目元にライン。そして、ピンクの口紅を引く。はい、顔は完成。元が良いから手間が掛からない。髪も下ろして流すか。雰囲気が出るだろう。
後は発声練習。
「あー……あー、あ~~……んんっ」
そして、震えながら自分を抱き締めるように両腕を回し、足元を見ながらブツブツと呟くギルに近付く。
「…………だ――――……ゆ………」
そんな危険な状態のギルは、俺の接近にも気付かない。だから、俺は優しくギルの頬を両手で包み、顔を上げさせ目を合わせる。
「ひっ……」
「大丈夫。大丈夫ですよ」
「あ……?」
そして、女の声で優しく声を掛けた。
暗く沈んでいたギルさんの瞳に、僅かな光が戻る。そして、それは懐疑的な色に染まる。
「ふふふ、落ち着きました?」
「え……?あ……え?何………?……だ、誰?」
目が点になっているギルさん。私の顔と胸の辺りを往ったり来たりしています。理解が追い付いていないようですね。
「はい、私ですよ」
「は?あれ?……え!?」
「宜しいですか、ギルさん。何があったかは詳しく知らないので、私に言える事は少ないです。ですが、一つだけ……。先程貴女が思い浮かべた男と、彼グレン・ヨザクラという男を一緒にしないで下さい」
私も彼の事は最低な男だと思っていますが、女にトラウマを植え付ける様な真似はしないと思っています。そんな事をすれば『お尻ぺんぺん』程度では済まない事は、想像に難くないですし。
「彼……?」
「聞いていましたよね。彼が妻を亡くした話。一人の女を深く愛し、亡き今もなお愛し続けられる男です。大丈夫ですよ。彼は貴女の考える男とは違います。貴女に酷い事はしませんよ」
「いや、彼も何も……グレン・ヨザクラは貴方だろう?大分違っているが、化粧をした事は分かるぞ」
冷静なツッコミ。大分調子が戻って来たようですね。
「……自分が何を見ているのか分からなくなってきた。これは現実か?」
そう言いながら、遠慮無しに私の体をペタペタ、ペタペタ。顔にも血の気が戻ってきています。
「いやん、えっち」
恥じらいながら身を捩れば、ギルさんの顔は何とも形容し難いものに。
「本当に訳が分からん………変装なんてレベルじゃない。声なんて全くの別人。顔も面影はあれど、上手く結びつかん。胸や喉のおかげで辛うじて分かるが、それは事前に貴方の顔を見ているからか。………本当に何なんだ」
「ふふふ、そんなに褒められると照れてしまいますね」
ギルさんの頬から手を離し、右手を右頬に添えながら首を傾げて、恥ずかしがりながらしなを作る。
「……っ!」
暫くポーッと惚け、ハッとした表情になる。
「ふふふふ、見惚れました?」
「あ……いや………そ、そんな事は」
初めて見る照れた表情のギルさん。トラウマのせいで女を刺激されて、その余韻が残っているようです。照れる彼女は可愛いです。
「良いですよ、見惚れても。随分と落ち着けたようですし」
「あ、ああ……そうだな。済まない。見苦しい所を見せた」
謝罪し頭を下げるギルさんに、私は手を振って否定します。
「そんな事無いですよ。元はと言えば、彼の無遠慮な物言いですし。こちらこそ、申し訳ありませんでした。その、本当にもう大丈夫ですよね……?」
「ああ。よくよく考えてみれば、この屋敷に来てからの貴方の態度だけで、そういう事はしないと分かるはずなのに……少し、過剰に反応してしまったようだ。心配かけたな」
「いえいえ。その……詳しく窺っても?」
隣の部屋は未だ騒がしく、『派手なモノから右に並べるのですわ!』とか聞こえて来ます。話を聞く位の時間はあるでしょう。というか、もうこのまま永遠に来ないで欲しいですわ。
「っ!そ、それは……っ」
「力になれると思いますよ。私はこれでも色々と経験豊富です。それに、同じ女として理解しあえる部分もあると思うのです」
「………貴方は男だろう?」
「それを言ったら、ギルさんも似たようなモノなのでは無くて?」
男のふりをしている女に、女のふりというか成り切っている男。どちらも違いは大きくないでしょう。
「……ふぅ~。昔な、エリカが産まれて間もない頃だ。5歳ぐらいだったか、襲われたのだ。それも実の父親に」
私の言葉にまだ言いたい事は有ったようですが、それを一旦呑み込み、ギルさんは静かにされどどこか苦しそうに、ゆっくりと話し始めたのでした。




