第百六話
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「くくく……」
笑いを堪えながら、一枚の紙を見るディエゴ。俺が以前、ヴィクトリアと誓約を交した時の誓約紙だ。
一通り嘘の計画を話すと、ディエゴとダンディなおじさまは食い付いた。このダンディ、名前をヘンリー・ルゥ・フローレス。フローレス……そう。フローレス公爵その人で、フィオランツァのパパさんだ。
彼女がディエゴの婚約者な理由は、ここら辺の政治的な部分にあるのだろう。貴族社会とは全くもって大変なものである。
因みに、彼が取りだしたモノクル。至って普通のモノクルだったらしい。嘘を見抜く方法は存在しないんだと。俺はまんまと乗せられただけだったのだ。何でも、ああゆう風にやればビクついてボロを出す者が多いのだとか。俺には意味が無かったがな!ビクついたけども。
話を戻そう。俺の話に食い付いた二人は、早速とばかりに穴埋め作業に入った。つまり、計画を遂行するのに邪魔になる人物をどうするかという事。この場合、オスカーや親父達暗部を指す。
「でかしたぞ、グレン!これがあれば、確かにオスカーは止められる!」
ヴィクトリアとの誓約をどう使うのか。誓約の内容は、『俺が満足するまで、ヴィクトリアは俺の犬になる』というモノ。どうしてこんな誓約を交したのかは、絶対に触れないで欲しい。
あの時は、ちょっとムキになっていたんだ。お互いに。言い合いのような取引が、ヒートアップして。という訳である。彼女には少し悪い気がするが、我慢してもらおう。
この誓約、履行開始の時期が書かれていない。つまり、何時でも良いのだ。オスカーが邪魔になった時に、誓約を使ってヴィクトリアに忠『犬』になって貰うという算段だ。番『犬』になって、守って貰うのも良い。狂『犬』になって、見境なく暴れて貰うのも良い。
本当にそんな事をするつもりは無いが。と言うか出来ないし。要は、二人を納得させられれば良いと言うだけだからな。
「はい……しかし、暗部の方が懸念です。こちらは私にはどうする事も。案としては、暗部を動かさざるを得ない事態をでっちあげる事ですが……」
「ふむ。ならそちらは、儂に任せてもらおう」
何か策があるのか、ヘンリーがそう言う。何をするのか気になるが、暗部の長は親父だし心配は無用だろう。
「あ、ではお願いします。あの、でも、そんなホイホイ私の言う事信じても良いので?一応私は新参者なのですが……」
「ん?まあ、普通ならな。だが、お前は自分から誓約で誓ったではないか」
そう言って、ヴィクトリアの物とは別の誓約紙を、ピラピラさせるディエゴ。それは、俺の方から信じてもらうために提案した誓約。内容はシンプル『ディエゴを直接的にも間接的にも裏切ったら、その場で自害するという事』
つまり俺は、ディエゴを裏切ったその瞬間、誓約による強制力で自殺する事になっている。例えば、今ディエゴ達と話した事を姫様や王様に漏らせば、その瞬間俺は死ぬ事になるというものだ。信じて貰うには、これ以上ない程有効な誓約だろう。普通なら。
「それもそうですね」
「あの脳筋女にこんな下劣な誓約を持ちかけた事を知った時点で、お前の事はかなり信用しているがな。くっくっくっくっくっ……」
「あ、あははは……」
こいつだけには言われたくない言葉だな。確かに内容は下劣だけど、勢いだったし。そもそも俺への態度とか、もう少し柔らかくなるように躾けるつもりだっただけで、それこそ下劣と言われるような事はするつもりなかったし。
「くくく……ああ、仕掛けるタイミングについては、何時でも良いぞ。お前が決めろ」
「何時でもよろしいので?」
「元々力ずくで行くつもりであったからな。それも、近い内に。準備は既に出来ている」
「ははぁ……流石です」
初耳だな。情報収集に動いて貰っている、夜魔族からもその話は聞いていない。王様達も知らない可能性がある、か。俺がいなかったら、案外上手くいっていたかもな。
恐らく、この台本を考えたのはヘンリー。余り主張が強くない為不気味で分かり辛いが、この部屋に入った時からずっと観察されている上に、ちょくちょく挟む言葉でディエゴを操っているような節が見られるのだ。
元々俺の話を聞いた時も、一言『これは良いかもしれんな。殿下が王なった時、民を支配するのに有効かと』と言った事で、ディエゴは完全に乗り気になった。
この男の事は最大限警戒しておく必要があるかもしれんな。
「おべっかは良い。俺が声を掛ければ、騎士と兵の大半が動くからな。王位の簒奪に関する計画は、俺と叔父上だけで十分だった。今回お前の計画に乗るのは、その方が後々楽だと思ったからだ。だから、お前は他の貴族共のように媚びを売らず、頭だけ働かせろ」
「はっ、気を付けます」
「まあ、いい。おいっ、そこのお前!」
何を思ったかディエゴは立ち上がると、部屋の隅に立つメイドを呼びつける。彼女の首には、鉄製の首輪が嵌められている。誓約紙があるため、この世界の奴隷には首輪なんてものは必要ない。
言うまでも無くディエゴの趣味だろう。つくづく、下種な男だ。
「ひっ……」
メイドは小さく悲鳴を上げた後、諦観の表情で進み出る。そして、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「どうだ?お前も楽しんでいくか?これが中々に良い締まりでな。最近のお気に入りの一つだ」
「……っ」
危うく殺気が漏れる所だった。いや、理性を総動員させなければ、感情のも向くままに殺していたかもしれない。危なかった。
「その顔だ。女には困ってはおらんだろうが、あの女の下にいたから色々と溜まっておるだろう。特別だ。使っていいぞ」
「殿下……失礼します」
溢れ出る殺意を懸命に抑え、メイドに近付く。顔が引き攣るのを懸命に堪える。
「……」
メイドは完全に諦めているのだろう。もう、その表情には何も浮かんではいない。
俺はそんなメイドに近付き―――
「……え?」
―――脱ぎ散らかされたメイド服を着せてやった。
「おい、何をやっている」
ディエゴの押し殺したような声が聞こえる。だが今は後回し。呆けた表情のメイドに服を着せていく。
「……よし。さぁ、行って良いよ。ほら」
「……っ、……あ」
何度かディエゴの方を見て渋るメイドだったが、気にせずに強引に部屋の外へ押し出した。
「何のつもりだ、グレン・ヨザクラ。死にたいのか……?」
さて、気合を入れろ夜桜紅蓮。俺は下種だ。俺は下種。救いようのないクズだ……良し。
「殿下、今私はあのメイドに希望を与えました。小さな希望を」
「……だから、何だ?」
「私はこれからも殿下のメイドには優しくするつもりです。やがて小さかった希望は大きくなるでしょう。私は顔も良い。ここのメイド達の中には、優しくされて惚れてくれる者もいるかもしれません」
一時的なモノでしかないが、ある程度効果はあるだろう。
「だから何が言いたい!」
「その時、絶望に落としましょう」
「っ!」
俺が今まで殺して来たクズ達が、一様に浮かべていたゲス顔を張り付ける。今の顔は、女の子に見せたくないな。死にたくなる。
「どういう顔をするでしょうか。泣き叫ぶかもしれません。心が壊れるかもしれません。ああ……!何にせよ楽しみですね。ふへへっへへ、ああ!本当に楽しみだ……!」
「お、お前……」
ディエゴが驚いたようにこちらを見ている。
「殿下も手伝ってくれませんか?希望に満ちた表情が絶望に変わる瞬間は、とても興奮しますよ?」
「くっくくく、くはははははっ!!中々、面白い事を考えるではないか!いいぞ、乗った!暫くお前の存在を理由に、アレらには優しくするとしよう!」
「私の趣味に付き合って頂きアリガトウゴザイマス」
おっと、ちょっと失敗。これ以上は無理だ。早いとこ退散しよう。
「くくく、礼などいらん。俺も楽しめそうだからな。それより、疑って悪かったな」
「いえ、あの状況では当然かと。では、今日はコレデ」
「うむ。ご苦労であった」
一礼した後、部屋を出る。直前に見たヘンリーの俺を見る目には、蔑みと失望が浮かんでいた。
そして、来た時同様リカルドに連れられて城を後にした。姫様の屋敷はすぐ傍。リカルドとはすぐに別れたのだが、その際の彼の何かに耐えるような顔が印象的だった。
綺麗に整頓され、清涼感のある部屋に男が荒々しく入ってくる。
「はぁ~、どうしてこうも上手くいかないものか……このままでは……!」
椅子に深く座ると、天井を見上げ呟く。
「キャメロンを捕らえたと言うから、如何なる男かと思うたが、ディエゴと同種の下種とは……。ただの下種なら良いが、奴は頭が回るという話。儂の計画に使用が出る可能性があるな。さっさと消しておくのが吉、か」
パンッパンッ、と乾いた音が部屋に響く。
「……こちらに」
どこからともなく、黒尽くめの人物が現れた。
「グレン・ヨザクラを消せ。ただし」
「標的以外は巻き込むな、ですね。承知しております」
「うむ。頼んだぞ」
「はっ……」
黒尽くめは跪き首を垂れると、闇に紛れるように消えていった。
「この国は強くしなければならない……!兄上のままでは……!」
熱き決意の炎が灯っているその瞳は、壁に掛けられた一枚の美しい女性の絵に向けられていた。




