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夢のほころび3

■葬儀屋が見るほころび


 馬車に揺られながら舗装された石畳の道を長く進めば、その先には大きな門構えの屋敷が姿を現す。

 古き時代をその身に留めた骨董品達が並ぶ古美術商の棲まう家は、どこか博物館めいた印象を与えていた。


 中に一歩踏み入れば、その印象が間違いでないことを証明してくれる。

 やわらかな絨毯を進み、〈葬儀屋〉アリィルファルテは、使用人に案内されながら主の待つ部屋へと向かう。

 廊下の壁に掲げられた絵画や調度品はどれも目を引くものだ。金にあかせた収集ではない、趣味の良い、蒐集家のこだわりが見受けられる逸品がバランスよく配置されている。

 しかし、それらには一瞥をくれるのみで、感心する素振りも見せず、淡々と使用人の背を追う。


 目指すべきはひとつの扉。

 エリザベス・エリオットの私室だ。


 押し開かれたその部屋に漂うのは、ほのかな薔薇の香りだった。

 それに包まれ、訪問者を迎えるのは、この屋敷の主と、そして並々ならぬ情熱を注いで蒐集したと思われる古今東西のドレスをまとった人形たちだ。

 もの言わぬ〈彼女〉たちはアンティークの飾り棚やチェスト、椅子に腰掛け、こちらを見つめている。


「こうしてお会いするのは初めてでしょうか」

「ようこそいらしてくださいました、〈葬儀屋〉さま。この度は妻のために本当に有難うございます」


 迎えるエリオットとの、儀礼的ともいえるやり取りを一通り終えると、アリィルファルテは彼女のコレクションを吟味するように、飾られた人形たち一体一体の瞳を覗きこんでいく。

 嵌め込まれたガラス玉はどれも、哀しみに沈んでいるようだった。


「妻はアナタをとても頼りにしていたようです……私にも言わずにいたことを、アナタには打ち明け、託したのですから」

「同好の士であり、そして約束をしていた。彼女が私に手紙をしたためたのは、ただそれだけの理由です」

「ああ……私は、アイツの趣味を最後まで理解してやることはできませんでしたからな」


 ポツリと、彼は呟く。


「ここにあるアイツのコレクションは全て、アナタへ譲渡することになるでしょうな……」


 淋しげな溜息が、呟きとともにこぼれ落ちた。


「私が彼女から譲り受ける人形はただひとつです。ですからどうか、それ以外のものは大切にしてあげてください」


 穏やかに否定を口にし、そしてアリィルファルテは、ガラスケースに収まる一体の人形の前で足を止めた。


「……そう、一体だけなのですから」


 そこにあるのは、純白のシルクとシフォンを幾重にもかさねて羽根のごとくまとった美しい少女人形だ。

 長い黒髪を金のリボンやレースとともに編みこみ、まとめ上げている。

 双眸に嵌め込まれたグラスアイは光の加減で赤にも金にも色を移した。

 精緻にして精巧。そして、繊細。

 百年も前に没した偉才、〈人形師〉ルシーダ・ファルラードの最期の作品は、時を経た今も色褪せることなく見る者を魅了する。


 沈黙が落ちた。


 蜜月のような甘さを含んだ沈黙だ。

 アリィルファルテはコレクター特有のいとおしげなまなざしを注ぎ、しばし、ガラスの中の少女と無言のままに時間を共有する。


 かつて少女だったエリザベスは、この人形を抱いて、『運命を感じるの』と言った。

 長い時を経た人形だけが持つ『物語』の中に自分の運命を重ねみて、そして微笑み、いつかこの子を手放す日がきたら、その時は必ずあなたに譲るから、だから代わりに弔いの鐘を自分のために鳴らしてほしいと、そう告げたのだ。

 あの日、あの時、あの石造りの塔の上で交わした約束のために、自分はここにいる。


「エリザベスの死について、その状況を含め、もう少し詳しくお話願えると嬉しいのですが。彼女がここで何を調べ、何を知り、そしてどこへ行こうとしていたのか、あなたはご存知ですか?」


 おもむろに、アリィルファルテはエリオットを振り返った。

 表情からは熱も感情も消え、無機質な職業人のカオとなる。


「は、はい……」


 唐突な切り替えに戸惑いながら、それでもエリオットは頷きで返した。


「では、まず、そのお話を聞かせて頂きましょうか」

「はい……、ああ、ではそちらのソファへお掛け下さい」


 席を勧める主の、そのタイミングを見計らったかのように使用人が紅茶を運んできた。

 人形たちの視線を一斉に受けながら、葬儀屋と古美術商は、ティーセットの並べられたテーブルを挟んで向かい合う。


「どこからお話すればよいのかも、どのようにお話すればよいのかも、本当は分からないのですが」


 まるでぬくもりを求めるようにカップをそっと両手で包みこみ、エリオットはとつとつと話し出す。


「……妻はもしかすると心を病んでいたのかもしれません」


 疲れたカオで深い深い溜息をつくその姿は、今にも床に崩れ落ちそうなほどに疲弊していた。


「子供が攫われ始めて少し経ってからでしょうか、ふたり目が消えたという報が入った頃からか、妻はどうも何かに怯えだしたようなのです」


 使用人や町の者の話では、と彼はつけたし、俯いた。


「それについて、あなた自身がエリザベス本人に問い質したり、調べたりは?」

「していません……できなかったと言うべきでしょうか。ちょうど買い付けがあってちょくちょく家を空けていたせいで、私は妻が死を迎えるまで、ほとんど何も知らなかったのです」


 彼の精神を磨耗させるもののひとつは、この『悔恨』なのだろう。

 伴侶の異変に気づくことなく仕事に没頭し続けた、そんな自身への叱責が滲んでいる。


「子供たちの失踪について、警備隊による捜査は行われなかったのですか? エリザベス以外に興味をもって調査しようとした者は?」

「そこらを探しまわるといった、通り一遍のことはしているようです。なのにここの住民たちは祈ることはしても、子供たちの行方を積極的に探ろうとはしない。犯人探しもしない。それどころか、王宮に事件の発生を連絡することすら厭う有様で……」

「なぜ?」

「隣人を疑うことは、すなわち神の祈りに背くから、と」


 その感情や考え方そのものは理解できないことはないと、エリオットは告げる。

 教会にあしげく通う日々の中では、自分もまたそう感じる瞬間があるから、と。


「子供たちの失踪は魔物のせいと考えているようですが、その件については? あなたはそれを信じていないのですか?」

「あいにくと、お伽噺を信じられるほど夢のある生活をしてこなかったもので。この町の人間たちはあまりにも迷信深い」


 世界中を駆けまわり、審美眼を駆使して美術品を探し求め、ソレを交渉の道具として立ち回ってきた実業家には理解を超えたものらしい。

 矛盾を感じ、おかしいと思う。

 にも拘らず、自分もまたソレになぜか倣ってしまっているのだと、諦観にも似た感情を抱いて告げる。


「教会で神に祈りを捧げ、その足で妻は歩きまわっているようでした。森の奥を、どこまでもどこまでも、まるで庭園の主と同じように。妻が何を捜し、何を見つけたかったのかは分かりませんが……」

「庭園の主というのは?」

「ああ、森の向こうに住んでいる館の女主人ですよ。マリアン・ロゼッタ、といったような気がします。妻の幼馴染でしてね、広大な薔薇園を所有しておりまして、この辺りではそう呼ばれているのです」


 告げた古美術商の表情には、何とも言い難い色が滲んでいる。

 語る相手を、憐れむべきか、厭うべきか、鷹揚に受け止めるべきかで迷っているかのような色だ。


「あの人も、可哀相な方ですよ。自分の子供を失うことで心を病んでしまった」


 結局、彼は当たり障りのない言葉だけを選んでいた。


「その方も子供を〈神隠し〉で?」

「ああ、いえ、彼女の娘は不幸な事故でしてね。転落したのですよ、塔の上から。ロゼッタ夫人の屋敷はずいぶんと古い建物でしたから、手すりが老朽化していたのでしょうな」


 どこか遠くを見るようにして、溜息をはきだす。


「それももう一年も前になります。早いような遅いような、まったく、月日とは何とも不可思議なものですな」


 疲労の蓄積した表情に、物憂げな影が色濃く落ちている。

 続く溜息はより深く、遣る瀬無さを吐き出していた。

 彼の肩には、すべての事実が重く圧し掛かっているのだろう。

 アリィルファルテは指先でそっとカタチの良い唇をなぞり、思案する。

 長い長い黙考だ。

 次の言葉を待つ間に、さらにエリオットの背は丸くなり、顔は俯き、視線は床の下に落ちていく。


 そしてついに耐え切れなくなったのか、沈黙を破るように、おずおずと彼は声をかける。


「あの、〈葬儀屋〉さま」

「なんでしょう?」

「妻の死が事故ではなかったとしたら、では、この町で一体何が起きているのでしょうか?」

「それを見極めるために私は来ました」


 静寂を宿した漆黒の〈葬儀屋〉は、つい、と、彼に視線を向ける。


「彼女のこの部屋を少し調べたいと思います。手掛かりがあるかもしれません。例えば日記のようなものが出てきた時、ソレを紐解く許可を頂けますね?」

「……わかりました」


 ごくわずかな逡巡を見せながらも、結局、エリオットは葬儀屋の申し出に従順に頷いた。


「ありがとうございます」


 丁寧に礼を述べると、アリィルファルテは席を立ち、彼と人形が見守る中、エリザベスが残していったエリザベスの思考の軌跡を求めて調査を開始する。


 葬儀屋のために用意されたカップは手づかずのまま、そこに注がれた紅茶がテーブルの上でゆっくりと冷えていった。

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