夢のほころび2
■少女とコマドリ
「どうしよう……これじゃつくれない……」
エプロンのすそを握りしめ、幼いリリンは、水車が回る小川の土手で途方にくれた顔で立ち尽くす。
友達がいなくなってもうどれくらいになるだろう。
分からない、けれど、大事な友人たちのために、教えてもらった〈花のおまじない〉を毎日毎日続けてきた。
毎日毎日。
毎日毎日毎日、二ヶ月間、ずっと続けてきた。
なのに、もう、あんなにたくさん咲いていた花は、今日までにどれもすっかり枯れて茎と葉だけになってしまった。
この場所を、『ナイショよ』と言って教えてくれたメアリーもいなくなってしまったから、もうどこに行けばいいのか見当もつかない。
みんな、帰ってきてほしい。
早く、戻ってきてほしい。
どこまでもどこまでも気持ちだけがつのっていく。
「……どうしよう」
そこへ、不意に聴きなれない声が飛び込んできた。
「レイチェル? レイチェール!」
驚いて、びくりと肩が跳ねる。
ドキドキしすぎる胸を手で押さえながら、リリンはキョロキョロと辺りを見回した。
「レイチェール、どこにいるのぉ?」
また声がする。
声がして、ソレを頼りに目を凝らすと、緑と緑の合間を危なっかしく歩く黒い服の少女を見つけた。
この土地の者では考えられないほど、不器用に草や木の根、ごろつく石に足を取られながら、不安定に森の中を進む。
彼女は絵本で見たお姫様のような格好で、誰かの名前を呼んでいるのだ。
リリンは以前母親から、『黒』は特別な色で、喪に服しているか、もしくは特別な職業を持っている者しか使ってはいけないと聞いていた。
だから考える。
見慣れない顔の彼女は、はたしてそのどちらなのだろうと考えながら、ついついじぃっと眺めていた。
「……やっぱり温室から出るとダメね」
ひとりごとと一緒に溜息をついて足を止めた彼女は、ついに、じぃっと見つめていたリリンの存在に気づく。
「あら、ごきげんよう」
小さく首を傾げながら、にこやかに手を振ってきた。
ひとなつこいその仕草にドキリとしつつ、慌ててリリンも頭を下げる。
「あ、えと、こ、こんにちは」
「あのね、探しものをしているんだけど、見かけなかったかしら?」
とてとてと、彼女はすごく歩きにくそうにしながら、リリンのもとへと降りてくる。
見ていてあまりに危なっかしく、彼女のほうが年上であろうはずなのに、こちらが不安でハラハラしてしまう。
「なにをなくしたの?」
「レイチェルといってね、駒鳥なんだけど、見かけたかしら? 胸が赤くて、あなたの手の平よりほんのちょっとだけ大きいコトリよ。薔薇の花がいっぱい咲いてる場所にいるの。この辺で薔薇がたくさん咲いている場所ってどこになるのかしら?」
駒鳥が見えているモノが何かは分かる。けれど、駒鳥がどこにいるのかはまるで分からないのだと、彼女は困ったように笑った。
よく分からないけれど、そういうモノなのかなと思いながら、リリンは懸命に考える。
「こまどり……むねが赤……えっと、えと、バラがいっぱいあるのって、たぶん、マリーさまのバラ園、かな?」
あちこちに薔薇はあるけれど、一面に広がる庭園となると、リリンはそこしか知らなかった。
鉄の柵で囲まれた広い広い庭園は、一体どんな魔法が掛かっているのか、この時期でも枯れずにたくさんの花を咲き誇らせている。
「行き方、教えてくれる? わたし、ちょっと道に迷いやすくって、できるだけ簡単な道だと嬉しいわ」
「まよいやすいの? まいごになっちゃうの? えと、ええとね、よかったら、あたし、あんないしてあげようか?」
「いいの?」
ぱぁっと、彼女のカオが華咲くように輝いた。
けれど、すぐに首を傾げて、心配そうな表情に変わる。
「あ、でもあなたは何をしていたの? お邪魔しちゃうなら悪いもの」
「えと、ええと……いいの。バラのおにわはすぐそこだし。はやく帰ってきますようにって、お花のおまじないしたかったけど、でも、もうかれちゃったから、できないの」
ふるふると首を横に振って、そしてリリンは少しだけ俯いた。
「帰ってきてほしいのは、大事なひと?」
「だいじなおともだちなの……メアリーもアンもジミーもルーもデイジーも、みんないなくなっちゃったけど」
「どうしていなくなったのか、わかる?」
「……わからない……マモノにさらわれたんだって、ママは言うけど……」
分からないと、繰り返す。
表情が曇り、視線が自分の足元に落ちる。
あんなにみんなで仲良く遊んでいたのに、リリンにはもう、遊んでくれる友達はほとんどいなくなってしまった。
「帰ってきて欲しい?」
「うん」
「そう。じゃあ、お花を咲かせてあげましょうか?」
「え」
いきなりの申し出に、何度目かの驚きの声をこぼす。
「はやく帰ってくるようにってね、大事な人の帰りを待ってる気持ち、わたしはすごくよくわかるから。だから、おまじないのお手伝いをさせて?」
「でも、お花はもう」
「ねえ、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「えと……、リリン」
バラバラと繋がらない言葉たちになんとかついていきながら、リリンは不思議なほど胸を高鳴らせて、彼女の次の台詞を待っていた。
「リリンね。リリン、リリン……うん、覚えやすい名前でよかったわ」
何度か口の中で反芻し、それから彼女はにっこり笑った。
「かわいいリリンの願いを聞き届けるわ」
鳥籠から夏の青空よりも晴れやかな色の石を一粒取り出すと、すっと枯れた草花の前にその手を差し伸べる。
ぱきん。
ガラスよりもなお脆く、ドライフラワーと化した薔薇よりもさらに儚く、彼女の指の間で石は粉々に砕け、雨のように光の粒子となって緑の野に注がれた。
ふわり……と、光の波紋が足元に広がっていく。
広がり、そして光の波にふれた場所から緑の中に白や青や黄色の花たちが時を巻き戻したように再び咲き始めた。
泉が湧くみたいに、辺りに花があふれる。
「どうかしら、リリン?」
「あ、あ、えと、ありがとう……」
そこに続けるべき言葉を探し、リリンははじめて気づく。
「あ、あのね、えとね、お名前は? あたし、なんてよんだらいいの?」
「ん~……、みんな好きに呼んでるから、リリンもリリンの好きな名前で呼んでくれてかまわないんだけど」
「好きな名前?」
「うん、そう。たとえば、そうね……、アンジェリカ、フレアローゼ、ラスティネール、ほかにもたくさん、みんな呼びたいように呼んでるわ」
わたしを『名前』で呼ばないのはひとりだけよ、と小さく小さく付けたして笑う。
それが何故かとても嬉しそうに見えた。
「ほんとうのお名前はないの?」
「あんまり長くて、ちゃんと発音もできないから忘れちゃったわ。わたし、モノの名前を覚えるのがあんまり得意じゃないの。多分、わたしの名前をちゃんと覚えてる人もいないんじゃないかしら?」
「あのね、お名まえわすれちゃうなんて、とってもこまる気がするの」
「ん~、そんなに不便じゃないのよ? ああ、でも困ることもあるかしら」
ふむ、と思案するように人差し指で唇をなぞり、目を細めて彼女はあたりを見回して。
「じゃ、ローザにしましょっか」
「ローザ?」
とうとつに提案されたその名前を口にした時、リリンの胸はチクリと痛む。
「薔薇という意味なの。わたしをそう呼びたがってるヒトがいるから、ね、これにするわ。薔薇、好きだし」
呼びたがっているのが誰なのか、彼女は言わない。
リリンもそれを聞かない。
聞かずに、まだ少し痛む胸をさすりながら、笑う。
「あたしもバラだい好き。マリーさまのバラ園でね、いっぱいかこまれてたら、すっごく好きになれたの。あとね、おんなじ名まえの子がいてね、その子のこともすんごく好きだったから。だからね、えとね、ステキな名まえだと思う」
「ありがとう」
自分でローザになることを決めた彼女は、パチン、と手を打ち合わせて、にっこりと笑顔を浮かべると、今度はリリンへと黒のレースに包まれた華奢な手を差し出した。
「さてと、じゃあ、わたしを薔薇園まで連れていってもらえるかしら、リリン?」
「うん! よろこんで」
手を繋ぎ、とたとたと二人は向かう。