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葬儀屋は鐘を鳴らす2

■葬儀屋は鐘を鳴らす


 教会の鐘が鳴っている。


 小高い丘の上に立ち並ぶ十字架と添えられた花々のただなかで、〈葬儀屋〉は木々に囲まれた教会とそこに集う人々を遠くに望む。

 鐘の音にまとわりつくのは参列者たちのすすり泣き。

 そこで行われているのは、エリザベス・エリオットのための葬列。


 明け方、教会の裏手に広がる森の奥、崖の下に転落している姿が発見されたのだという。

 黒々とした木々の合間に隠された奈落の底で、流れる小川に長い金の髪をばら撒き、浸して、静寂とともに横たわっていたのだと。


 伏せられた虚ろな瞳の中になにが写りこんでいたのかはわからないが、彼女の死を見つけたモノたちはそこに『不運』を見、嘆き悲しんだ。

 取り巻く花々の多さは、そのまま死者の存在の大きさと裕福さとを物語っていた。

 喪主を務めるのは彼女の夫だ。

 一代で財を為し、審美眼に定評のある古美術商。けして若くはないその顔にはいま、深い疲労と悲哀と苦悩の皺が刻まれている。

 どこまでもどこまでもどこまでも深く深く沈みこんでいく哀しみ。

 葬列は、写真を手に先頭を行く喪主の行き場を失った胡乱な感情を飲み込んで、ゆらりゆらりと墓地を這う。

 とつとつと執り行われる葬儀には、陰鬱な影がじっとりと落ちていた。

 もう戻らない、不可逆の変化によって、彼女は永遠の眠りについたのだ。


「けれど教会の鐘では、あなたは安らかな眠りにつけないということですね」


 死者を送り、残されたものにいたわりを与える弔いの鐘を聞きながら、アリィルファルテもまた手の中で小さな銀の鈴をころがす。

 そこにはいかなる表情も浮かんでいない。

 ただ、土の下へと葬られていく櫃の中の『彼女』にひっそりと想いを馳せる。

 お願い、とあの人は言った。

 かつてかわした約束と引き換えに、彼女は果たされなかった無念を自分への手紙に託したのだ。


「彼女の探し求める相手はどこにいるのか、彼女は死の瞬間までどこで何をしていたのか」


 右手の中指に嵌る銀のバジリスクに口付けて、〈葬儀屋〉は目を眇め、ゆっくりと白い石の十字架に手をついた。


「エプシロン、調べておいで。エリザベス・エリオットの痕跡を」


 つむがれた『呪』に乗せて、葬儀屋の足元で闇が踊る。

 精巧な銀の指輪がそろりとうごめき、嵌め込まれた紅玉の瞳をチラリと閃かせて、音もなく、白く細い指を伝い、そして、壁に映る主の影の中へと滑り込んでいく。


「……それにしても、何をしているんでしょうか、あの人は」


 寄りたい所があるからと、駒鳥を連れてふらりと姿を消してしまった。

 この場所も、そしてしばらく滞在することとなる屋敷の場所も知らせてはいるが、はたして無事に彼女ひとりで辿り着けるのかどうか。

 そろそろ迎えに行くべきか。

 そう考えた、そのタイミングで、小鳥のさえずりが耳に届く。


 刹那、光のカケラが振り撒かれ。

 ふわりと漆黒の鳥を模した彼女が、街を見下ろす墓地へと舞い降りる。


「きゃぁ」


 ただし、その着地はあまり成功していない。

 地に足が着く瞬間に大きくバランスを崩した彼女の体を、アリィルファルテは片腕でとらえ、支える。


「えと、お待たせ」

「それほど待ってないですよ。誤差の……いえ、予定の範囲内です」

「なんか、それはそれでせつないわ」


 乙女心って微妙なのよ、などと彼女は不満そうに小さくごちる。


「さて、それでは仕事の詳細、話しても構いませんか?」

「ええ、お願い」


 視線は、再び教会へ。

 すすり泣く声が風に乗って聞こえてくる気がした。


「依頼は葬儀が執り行われている女性からです。この町で古美術商を営むエリオット氏の奥方、エリザベス・エリオットより手紙を頂きました、個人的に」

「直接の依頼? 〈協会〉に届く〈死者からの手紙〉じゃなくて? めずらしいのね」


 彼女の指摘に、葬儀屋は微かに目を細める。


「以前にちょっとした付き合いがあって、その縁で。今回は断らなくてもいいかと思ったものですから」

「ふうん?」

「なんですか?」

「なんでもないわ。かわいいヤキモチよ。気にしないで。それで?」

「ヤキモチ……、……まあいいです。それでですね、彼女は殺されました。もし自分が殺されたら調べてほしいことがあるという依頼だったので、それを実行した次第です」


 視線を合わせないままにスーツの内ポケットから一通の封書を取り出し、彼女へ寄越す。


「あら、ホントに普通のお手紙なのね。封筒も便箋も黒くない」

「友人として頂きましたから」


 少し背伸びをして彼女がそれを受け取り、開けば、赤い蝋で封印されていた白い封筒の中から出てくるのは、急いた文字で綴られた長い手紙だ。


「この便箋、ステキね。蔓薔薇のモチーフが美しいわ」


 好きになれるかも知れないと呟きつつ、コマドリは、アレイ、とそう呼びかけ、この街で起きる不可解事件のいきさつを語る彼女の『願い』を追いかける。


「……そう、キミと約束をしていたのね」


 文字を辿りながら、綴られた文字の向こう側にある想いを拾いあげるように、彼女は指先で唇をなぞりながら呟く。


「だから、来たの? 彼女の為に?」

「こういう話、気になるでしょう? この案件ならあなたも気に入るだろうし、なによりあの鳥籠から連れ出すいい口実になるとも思ったんですが……」


 言いかけて、


「どうしました?」


 真っ赤な顔で、夜色の瞳を丸くして、何かを言いたいのに言葉にならないのか、首が痛くなりそうなほどまっすぐこちらを見上げる彼女を、長すぎる前髪の合間からちらりと確認する。


「顔、赤いですよ」

「……不意打ちで喜ばせないで。ちょっと心の準備ができてなかったわ。その一言を聞けただけで、わたし、来てよかったって心底思っちゃったじゃない」


 こんなとき、観客を意識したような舞台で演じるための作られた表情ではない、素のままの自分を彼女は見せる。

 そこに静かな満足を覚え、〈葬儀屋〉はくるりと踵を返した。


「ひとまず、教会へ挨拶に行きましょうか。喪主も参列者もいるべき場所へ戻っていったようですから」

「はぁい」


 弾むような、軽やかで上機嫌な声が返ってくる。


「それから、自分の屋敷でだってときどき迷うのですから、〈外〉であまり好奇心は発揮しない方がいいですよ」

「ん、レイチェルがいれば大丈夫よ」

「でも見失うでしょう?」

「〈仕立屋〉さんに、なくすなら紐で括っておけって言われたわ。美しくないから丁重にお断りしたけど」

「まあ確かに美しくはないでしょうね。彼に会いにいってたんですか?」

「ええ」

「よく、彼への発注を口頭で伝えられましたね」

「あら、ちゃんとお手紙を渡したわ。とっても長いやつ」

「どこに書く時間が?」

「わたし、ときどき未来を読むこともできるのよ。だからあらかじめ、バレンにお手紙を用意することだってできるわ」

「……べつに、もっとゆっくり会っていてもいいんですよ? 細かい打ち合わせもしたいでしょうし、あなたは彼がお気にいりなのだから」

「ん? 必要ないわ。キミとの仕事のために会いに行ったのに、そんなことしたら本末転倒じゃない」

「そうですか?」

「そうよ」


 歩きだした背を追いかけるように、彼女は一瞬相手に手を伸ばしかけ、ためらい、結局その指は自身の袖をつまんで下ろされた。

 視界の端にそれを認める。

 けれどあえて手を伸ばさずに、ただ、歩調だけをゆるめた。

 そうすれば、彼女は少し安心したように、とてとてと、バランス悪く歩きながらついてくる。



 壮麗なパイプオルガンを背景に、天井近くに掲げられた神の像、そして薔薇窓のステンドグラスに描き出された巡礼者たちが、礼拝堂の床に色味豊かな光を落とす。

 慈愛よりも憐憫を感じさせる眼差しが、訪れた者たちへと密やかに注がれる。

 悲嘆にくれるもののために鐘を鳴らし、祈りの言葉を与える〈司祭〉デュラン・フロウもまた、憔悴しきった喪主と近親者たちが嘆きを引き摺りながら教会を去っていく姿に同じ視線を投げかけていた。


「司祭さま、有難うございました」

「司祭さま、お疲れなのではありませんか?」

「司祭さま、どうかご無理はなさいませんように」


 参列者の数名は、後ろ髪を引かれるように、デュランの前に歩み出、そんな言葉を落としていく。


「ああ、私は大丈夫です。でも日暮れ頃にまた祈りの時間がありますから、その時はみなさんにまたお集まりいただかなくてはなりませんね」


 そんな彼らを安心させるために微笑み、そうして最後のひとりが教会を出たところで、尾を引くような深い溜息をついた。

 やはり疲れているのだろうか。

 人々の祈りと懺悔を受け止めながらの一年、そして、『子供の神隠し』がはじまったこの二ヶ月の間、ほとんど気の休まる時がない。

 アーチを描く天井に近くに掲げられた神の視線を背に受けながら、もう一度深い溜息をつき、気を取り直すように勢いよく顔を上げ。

 デュラン・フロウの瞳は、再び開け放たれた扉かやって来た〈漆黒の使者〉に釘付けとなる。

 たった今閉じられたはずの扉より音もなくしなやかに、小鳥のような少女を引きつれた優美な闇が、彩あふれる光の中に入り込んできたのだ。


「あなたがこの町の司祭ですね?」


 空気を震わすのは、一瞬でヒトを惹きつける、凛と通った涼やかで清廉な声。


「あ、あの、あなたは?」

「失礼。私は〈葬儀屋〉アリィルファルテというものです。アレイと呼んで頂いても結構ですが。本日葬儀を行われたエリザベス・エリオットの死について〈調査〉を行いますゆえ、葬列を取り仕切るこの教会へ挨拶に参りました」

「〈葬儀屋〉アリィルファルテさまというと、あの……?」

「あなたの『あの』がどのことを指すのかは存じませんが、葬儀屋を冠するこの名は他にはいないかと思われます」


 自身にまつわる噂のすべてを否定も肯定もせずに受け、そうして司祭に視線を定めて、次の言葉を待つ。


「ああ、ああ、そうですね、そうですよね。それでは、その……協会の〈葬儀屋〉さまが、なぜこのような」

「彼女より生前、自身が死んだ際にはその状況を調査してもらいたいと、そう依頼を承りましたので」


 教会に懺悔に行ったはずの彼女は、神への祈りが足りなかったのか、それとも捧げた祈りが神を冒涜するものであったのか、儚く命を散らしてしまった。その事実は、司祭もよく知っている。


「あなた方〈教会〉が生者のために弔いの鐘を鳴らすように、私ども〈協会〉の〈葬儀屋〉は死者の魂の安寧を護るためにおります」


 ならば、その声を聞き届けるのが自らの勤めだと、そうアリィルファルテは説いてみせる。


「あの、では、彼女の死に関して何か不審な点が?」

「それはこれから調べます。不可避の運命であったのか否かも含め、死者に安らぎを与えんがために尽力いたしましょう」

「〈葬儀屋〉さま……」


 なんと言葉にすれば良いのか、惑うように視線のやり取りがなされる。問うべきことをまとめられず、聞くべきことも見つからず、ためらいだけが増えていく。

 だから、途切れた会話の接ぎ穂を見つけた時、司祭の表情がわずかにほっとした。


「あの、ところでそちらの方は?」

「紹介が遅れました。彼女は助手です。……ご挨拶を」


 アリィルファルテの視線に促がされ、彼女はかすかな笑みをたたえながら、無言のままにドレスの裾をつまんで一礼する。

 ヒトとしてはぎこちなく、人形にしては滑らかな、ひどくアンバランスな印象を与える動きだ。

 自然、〈人形師〉が作ったという人間そっくりの〈自動人形〉を連想する。

 精巧なるそれらは食物を摂取することすらできるのだと聞く。


「それでは、しばらくの滞在をご了承ください。後ほど、またお話を伺うこともあるでしょう。その時はどうぞよろしくお願いします」


 淡々とした声でありながら、厳格さが滲み出る。


 言葉もなく見つめる司祭の視線を受けてなお、〈葬儀屋〉は温かくも冷たくもない完全なる無表情で一礼し、自動人形と思しき〈少女〉を従え、出て行った。


 闇が消え、光と影だけが再び礼拝堂に残る。

 わずかな邂逅だ。

 しかし、ひどく緊張していた。

 もうずいぶんと長く呼吸することを忘れていたかのように、いやにはやる鼓動をなだめながら息をつく。


 協会の〈葬儀屋〉が来た。

 罪を暴きに。

 罪を告発しに。

 真っ黒な少女人形を連れて。

 かわいそうなエリザベスの為に、エリザベスの死がいかなるものかを調べに来たのだ。


 そのウワサは、瞬く間に狭い町全体に駆け巡った。

 そのウワサは、隅々にまで行き渡った。

 そのウワサは、扉という扉を叩き、そこに住まう者たちに様々な想いを呼び起こした。


 太陽が中天を越える頃には、アリィルファルテの来訪を知らぬ者はほとんどいなくなっていた。

 死者のために働く〈葬儀屋〉の調査に、誰もが好奇心とも畏怖ともつかない複雑な感情を抱き、身構え、それでいて浮き足立つように落ち着きを失う――

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