コマドリの葬列
■コマドリの葬列
男は教会の庭から町を見下ろす。
薔薇園とその館を侵食する鮮やかな火の手を、そこに幻視する。罪を浄化すべく放たれた炎の赤い揺らめきは、黒煙と共に夜空に立ちのぼり、いっそ美しくすらあるかもしれない。
「すべてが罪と共に燃え尽きる、か」
自分の子供が死んだ季節が巡ってきた時、クルイの女はついに自分の子供を生き返らせるために行動を起こす。
人形に捧げるため、ただそれだけのために他の子供達を次々と襲い、殺し、その心臓を奪っていくのだ。
繰り返し繰り返し、ただひとり残った使用人を〈月の魔物〉に仕立て上げ、彼に子供を攫わせ、そうして背徳に溺れていった。
哀れな女の狂った願い。
その背景を知った町人たちは、扱いなれた農具や仕事道具を武器代わりに、たいまつを掲げ、あの屋敷に押し寄せていってしまった。
ずっと手を出せずにいた不可侵の存在を、葬るために。
誰に勧められたのでもない、自分たちの意思で、人々は断罪者となる道を選んだ。
子供たちは失踪したのではない、殺されたのだと、その事実を知ってしまったからには後戻りはできないのだ。
縋っていた僅かな希望を打ち砕かれた者たちの悲鳴は怒りとなり、あふれ出す。
そうして、すべてが焼き尽くされて。
騒動は一応の幕引きを迎えるだろう。
罪を暴きにきた〈葬儀屋〉の目の前で、ゆっくりと一連の事件は収束に向かうのだ。
あとに残るのは、遣る瀬無い嘆きと虚脱。
自分はココで、ソレを受け止める。
彼らの祈りの聞き、彼らとともに祈りながら。
「我ながらよくできた筋書きじゃないか」
くつりと、歪んだ笑みが口元に浮かぶ。
一度笑ってしまえば、ソレを押しとどめることは困難だった。
くつくつくつくつ、おろかな者たちの悲喜劇を眺め、いまだ熱を持つ銃を掻き抱いて、嘲笑う。
「貴様の大事な奥様も、これからあの娘のもとへ旅立てる。喜んであげるといい」
足もとに転がるのは、男の死体だ。
延々と墓穴を掘り続けた、おろかな男の末路がそこに転がっている。
「これもまた神の意思だ。ヒトは自らに課せられた役回りを全うしなければならない。途中で放棄することも、神を疑うことも、神の代弁者である私を告発することも、許されざる罪だ」
だから、男は死んだ。
これは仕方の無いことだ。
「道化役にアンタはもってこいだった。たっぷりと証拠を残しておいてやるから、安心して眠るといい」
心臓を打ち抜かれた男は、永遠に沈黙したままだ。
床に広がる暗赤色は、事切れるには充分すぎるほどの量になっていた。
「私のものにはならない、永遠に私以外のものに所有される女は、跡形もなく燃えてしまえばいい」
レオンが告げたのは、駒鳥を連れた〈夢視〉の出現だ。
少女が持ち歩く鳥籠に入っているのは、ありとあらゆる願いを叶えるとされる石。
叶うはずのない願いが叶うなら、ただ、自分の望む世界の構築を、石に託そうと決めた。
「……もう、いいんだ。アレさえ手に入れば、すべては私の望む世界になる」
赤い赤い炎の踊りを眺めるうちに、ふとした不安に襲われる。
「それにしても、遅いな。あいつはどうして……ん?」
じわり。
足元が揺らぐ。
急速に、遠のいていく現実感。
いつの間に出ていたのか、窓という窓、扉という扉の隙間から、乳白色の霧とも靄ともつかないものがじわりと足元まで這い寄り、辺りを取り巻いていた。
視界が徐々に明瞭さを失っていく。
薄ぼんやりとした膜の中に閉じ込められていくような、不可解な感覚。
心臓を直接なであげるような冷気に怯え、焦り、言いようのない恐怖に駆られてむやみやたらと周囲を見回す。
何が起きているのか。
何が起きたのか。
分からずに惑う彼に、フッと、言葉は投げかけられた。
「どうやらお困りのようですね」
そこに、葬儀屋がいた。
「な」
何故、ここに。
そのセリフが喉の奥から呻きとなって漏れる。
「……ご無事でしたか」
凍れる視線を受けて、ようやくそんな言葉を絞り出すが、それ以上には何も言えず立ち尽くす。
「〈司祭〉デュラン・フロウ、〈葬儀屋〉の名の下に、断罪の儀を執り行いに参りました」
厳かに告げる、〈葬儀屋〉の宣告。
だが、ソレに続く言葉はデュランにとって想定外のものだった。
「……と言いたいところですが、今宵の私は彼女の付き添いに過ぎません」
「は?」
「ごきげんよう、〈スズメ〉さん。月がとてもキレイな晩に、〈コマドリ〉を殺したあなたへステキなユメを届けにきたわ」
漆黒のドレスをまとった少女が、葬儀屋の背後からふわりと現れ、優雅に一礼してみせる。
流れるような振る舞いはまるで舞台女優、あるいはオペラのプリマドンナのようで、絶対的存在感を放ち、そこに立つ。
「おまえ、は……」
礼拝堂にやってきた時の、あのぎこちなさはかけらもない。
「庭師さんをも手にかけて、コレであなたはひとつの美しいものを決定的に壊してしまったという咎を得たわね」
少女の瞳が、一瞬だけ切なげに、床に転がる男へ注がれた。
「あの男、しくじったのか……」
知らず、デュラン・フロウの口から忌々しげな呟きが洩れる。
「ああ、そうだわ。あなたがリリンから奪おうとしてまで欲しがっていたモノ、〈始末屋〉さんの代わりに持って来たのよ?」
掲げて見せたのは、漆黒の鳥籠。
そして、白い指先を差し入れて取り出したのは〈Robin's egg〉だ。
「これが、欲しかったんでしょう? かわいいリリンにコワイ思いをさせてまで、手に入れたかったあなたの願いってなにかしら、ね?」
凍れる冬の空よりなお蒼い、海よりもなお深い、酷薄な光を放つ美しい〈夢視〉の石。
いかなる願い事も叶え、ともすればそれを巨万の富に変えられるという逸話を持つ幻の石を、少女の指が掲げて見せる。
「……やはり、〈夢視〉は実在していたのか」
手を伸ばしたところで到底届くはずのない、思い描くだけで罪となる、そんな願いすらもたやすく叶える奇跡の呪を封じた石が、今まさに自らの前に存在している。
その事実に目が眩む。
「あの始末屋の情報も、ただの戯言ではなかったということだな。迷信で終わるかもしれないと思っていたが」
「迷信でかまわないのよ。ただ、ねえ、知っていたかしら? お伽噺にはね、いつだって大切な教訓とひとつまみの真実が織りこまれているものなのよ」
「教訓、だと?」
「"ガラスの城に棲んでいる、漆黒のコマドリに手を出してはいけないよ。それはそれは恐ろしい、真っ黒な災いが降りかかってくるから"……ね」
少女は赤い唇で弧を描き、眼を細め、艶然とした笑みを浮かべる。
「真っ黒な災いが一体どんなものか、アナタはこれから体験するの。始末屋さんに降りかかったものとも違うから、きっと驚いてもらえるはずよ」
少女の、闇よりなお濃く深い夜色の瞳が、ガラス玉のように透き通る。
「美しい小鳥をその手に掛けたスズメさん、あなたに贈るわ」
ぱきん……。
空を切り取ったかのような〈夢視〉の石が、指の間で砕け。
刹那。
鳥が、やって来る。
無数の羽ばたきでもって聴覚を侵しながら、ヒバリが、ツグミが、リネットが、ミソサザイが、ありとあらゆる闇色の小鳥たちが一斉に虚空よりあふれ出す。
「〈コマドリの葬列〉を」
一斉に、降り注ぐ花びらのように、雨のように、雪崩のように、滝のように、美しい小鳥たちが〈スズメ〉目掛けて急降下する。
白を侵す黒の色彩。
凄絶な。
顔を皮膚を目を手を足を胸を、いたる所をついばまれ、裂かれ、吐き出される悲鳴は、無数の羽ばたきの中に埋もれ。
デュラン・フロウの中に封じ込められていた〈罪〉の映像が、ほとばしるはずの血の代わりに空間へとはじけた。
――これは、罪の記憶、罪の記録、罪の告白。
*
薔薇の庭園を一望できる、螺旋階段を内に持った塔の上。
デュラン・フロウはそこにいる。
闇の中に我が身を浸しながら、じぃっと静かに見つめている。
華月の祭り、夜の茶会、遊戯の合間に、彼女を過去に繋ぎ止めるあの男の忘れ形見は、子供らしい潔癖さで持って自分をここに呼びつけた。
『司祭さま』
『ごらん、その窓からなら華のカケラを掴めるかもしれない』
『司祭、さま……』
『ん?』
『あたし、神様の教えに背くことは罪だと思います』
黒い瞳だ。夜を映した漆黒の瞳が、開け放たれた窓の向こうで花びらをきらめかせる月を背景に、純白のドレスをまとった黒髪の少女は糾弾する。
『司祭さま、ママに近づくのはやめて。ママはあたしと死んだパパのものよ』
あなたが入り込む隙なんかどこにもないと、鋭い視線で貫く。
『な、何を言っているのだね、ローザ?』
『来ないで!』
こちらが伸ばした手を振り払うように、後ずさりする。
『ローザ、一体』
『聖職者の目じゃないわ、あなたがママを見る目は、すごくみにく――』
最後まで聞きたくはなかった。聞くつもりもなかった。聞かずに済んだことを心から安堵する。
少女が視界から消える。
実にあっけなく、突きだしたこの手によって、細い体は脆く腐食したバルコニーの手すりをたやすく越えた。
落ちていく。
少女は夜闇の向こうがわに落ちていく。
ちらりと窓越しに視線に下界に投げかければ、子供たちがこちらを見ていた。
彼女の悲鳴を聞きながら、カオははっきりとしないが、子供たちの目はこちらに向けられていた。
塔の上から落ちて行くひとりの少女、その背後にいただろう自分を、伸ばされた腕を、指先を、存在のカケラを、あの子供たちは目撃しただろうか。
月の魔物だと、誰かが言った。
けれど、本当にそうだろうか。
調べなければならない。
そこにいたのが誰だったのか、そしてそこにいた子供たちは何を見たのか、自分を見てはいなかったか、探し、監視しなければ安息は訪れない。
知られたら、彼女の傍にいられなくなる、彼女の前に立つことが許されなくなる、彼女を見ることも、彼女の心を手に入れることも、一切が許されなくなってしまう。
ただ、彼女を手に入れたかった。
ただ、神に祈りを捧げる儚く美しい存在を、抱き寄せたいと願っただけだ。
彼女の視界に映ることを許されたかった、彼女の心を占めたかった、彼女という、神の作りだした美しい軌跡を抱き寄せたかった。
なのに。
少女は死に、彼女の心は遠い世界へと遊離し、そうして、罪だけがこの手に残されて。
華月の祭りの日が再び巡りくる。
網膜に焼きつく、あの花々の降りしきる祭りの日がやってくる。
特別な日、光の守護を得るその祭りの日に、いかなる奇跡が起こるとも限らない。
花を縫いこんだ衣装をまとい、花が舞い落ちて来る特別な夜を迎えて、あの日、あの時、その場にいた者たちが蘇ってはいけない記憶、気づいてはいけない事実、見つけてはいけない証拠を見つけてしまわないとも限らない。
どうしようか。
どうすべきか。
華月は再び巡り来る。
だが、ふと気づいた。日々の懺悔を聞きながら、日々訓戒を述べながら、再び巡ってきた華月の日に向けて、やれるべきひとつの可能性を見つけた。
怯える日々を終わらせ、安寧な日々を取り戻すための方法を――
*
「マリアンを愛するあまりに罪を犯したというのなら、ねえ、どうして保身に走ってしまったのかしら?」
純白の空間に映し出された過去の記憶を眺めながら、コマドリは、足元でノドや胸を掻きむしり、悪夢に悶え、苦しむ男へとやわらかく問いを落とす。
「命を奪うなら、その行為に真摯であるべきだわ。愛を語るなら、ただそれだけに自分の全てを賭けなければダメよ。始末屋さんを雇って、庭師さんの想いを利用して、ねえ、あなたがしたことはとても醜いわ」
だから、と彼女は続ける。
「小鳥たちが飽きるまで、夢の世界で遊んでもらいなさいな。それが終わったら、長い長い懺悔の時間よ」
よく晴れ渡った空のように一片の黒さも、翳りも、憎悪の片鱗すら窺えない純粋な笑みは、あまりにも場違いで無垢で優しげだった。
「いいんですか、殺さなくて?」
「せっかくのお洋服がこの人の血で汚れちゃうのはいやだもの。バレンの愛情は大事にしなくちゃ」
それに。
「それに、この人を裁く権利は子供たちと子供たちを愛していた人にあると思うの。だからね、委ねることにしたわ」
ふふ、と意味ありげに微笑んで、演技がかったわざとらしい表情を作って自身の手のひらを見つめる。
「ひとりひとりがこの人をどう裁くのか、この町の人たちがどんな結論を出すのか、わたし、見守ることにしたの。……、ああ、ほら見て、できたわ。彼から生まれた罪の記憶よ」
いつのまにか彼女の手の中には、砕けた黒水晶の欠片が山を作っていた。
「レイチェル、お願い。葬儀屋さんの影にコレを」
ざらり。
手の平をするりと傾ければ、落ちていく。
床に、そこに広がる影に、闇に、夢の境界から繋がる世界へ、水晶の欠片が吸い込まれていった。
それをじっと見届ける。
冬の夜空よりも、ガラス玉よりも、なお深く冷たく静かな眼差しで、彼女は夢のカケラが人々の中に落ちていくのを眺めていた。
「赦しを請うべき相手に赦されたなら、あなたの心は戻ってこれる。けれど、赦されなければ、あなたはずっと病んだ悪夢の世界の住人」
それに耐えられなくなったら、そのときは。
「その時は、夜の小鳥の糧となるといいわ」
やがて辺りを覆っていた霧がゆるやかに晴れていく。
夢は現へ。
現は夢へ。
境界線が入れ替わる。正しい位置へと。
「お疲れ様でした」
「譲ってくれてありがとう。あともうひと仕事あるんだけど、付き合ってもらえるかしら?」
「それはむしろ私の役目でしょう。あなたはまた自動人形のふりをしていればいいんです」
「ん」
コクリと小さく頷き、かすかな頬の火照りに指を添える。
「あら、この町全体に眠りの魔法をかけたのね」
教会から見下ろす町は、人も動物も植物も、石や水や建物や、あらゆるものがひっそりとした眠りと静寂の中に落ちていた。
「あの屋敷を燃やしたくはなかったので」
「ステキ。キミの仕事はいつもとても美しいのね」
うっとりと目を細め、少女は微笑んだ。
「終わりの時が来たわ」
日が変わり、華月の時が訪れる。
嘆き悲しむその魂に、星々の瞬く真夜中の空の色の向こう側から、優しい雪のような花がふわりちらちらと舞い降り始めた。
「マリアンとローザ、そして庭師さんをあの薔薇園に弔ってあげたら、そうしたら、ね、最後の夢をこの町に届けましょ?」
■これもひとつの夢のカケラ
「ねえ、マリー」
シャボン玉がうたかたの夢を運び、月光色の花が咲き乱れる庭園で、子供たちがはしゃぎ回る。
それを愛しげに眺めるマリアンへと、エリザベスはそっと声をかける。
「マリー、私、あなたに謝らなくちゃいけないことがあるの」「え?」
「私はあなたに人形をあげたわ。想いを傾ければ人形にも魂が宿るからって言って、あなたに〈人形師〉の少女人形を贈ったわ」
指輪をはめた白い指が、不安そうに何度もテーブルの上で組みかえられる。
「ねえ、そのせいで罪を犯しているんだと、そう思ってしまった私を許して」
「リズ、あやまらないで」
手を取る。
「あの素敵な人形、私、とても嬉しかったわ」
ローザそっくりの、可愛らしい人形。今は娘達と一緒に、駆けまわっているあの子の存在にどれほど救われたかしら、と続ける。
「マリー……?」
「リズ、長い間、あなたを苦しませてしまってごめんなさい」
「マリー、よかった……あなたとまたこうして、一緒にお茶会ができて、よかった……」
まるで少女のようにふたりは手を取り、瞳に涙を滲ませながらも、花がほころぶように微笑み合う。
「そういえば、あなた、あのコマドリさんを連れた葬儀屋さんとお知り合いだったのね」
「あの人はね、少女時代に出会った、私の約束のヒトなのよ」
秘密めいた彼女の言葉に、心引かれ、その物語を聞かせてほしいとマリアンはねだる。
そんな彼女たちの傍らでは、ほほえましげに、まぶしげに、笑みを浮かべた庭師が大きな手で器用に薔薇の木々を剪定していた。
美しい夢の世界で、白い夢が花びらのように舞い落ちる。




