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「内緒だよ」
子供二人が潜り込んでも十分な広さのある、グランドピアノの下。僕らは、玩具を沢山持ち込んで、練習の合間をぬって二人だけの未来の話をした。「僕は、こういう感じでいきたいんだ」入り組んだ木の合間に、2両編成の列車を通して彼は言った。「決まった間をね、すいすい、って動いてね、どーん、って」入り組んだ木から列車は豪快に飛び出したかと思うと、勢いとは裏腹に僕の目の前に綺麗に着地した。
「すいすいっていく感じ、一定にしなさい、ってよく先生に怒られるんだけど、最後は綺麗に止まるんだから、許してほしいよねぇ」
「すいすい、っていく感じ?」
「そう。音足りないなぁ、って思うとこは、増やしたいじゃん?そっちのほうがかっこいいし!」
「ふーん?」
「そうそう!でね、すいすい、だけじゃなくて、すすすい、とか、すっすっすすっ、とか、いろんな感じで進みたいんだよ」
「すいすい、って、お魚さんみたいだね」
「えへへ。僕、お魚さん大好き。あ~あ、また水族館行きたいなぁ」
「僕も、行きたい!」
「ねぇ。早く行きたいねぇ。夏休み、頼んでみよっか!」
「うん!」
「僕が、いっぱいすいすいしたい、って言ったの内緒だよ。たくやには、特別。だって、二人で一人だもんねぇ」
無邪気に僕に話してくる顔、一緒にピアノを弾くこと、一緒にみる魚たち。何の違和感もなく、ただただ大好きだったんだ。
あの頃は、本当に二人で一人だった。僕たちは一緒に音を紡ぐことが日常だったんだ。でも、才能は時として残酷だ。人と通じ合えもするし、決裂もできる。そして、運の悪いことに、本当に僕らは二人で一人だった。だから、片割れが紡ぐのを止めたとき。外の世界の声を聞いてしまったとき。もう一方は、嫌でも現実にさらされることになった。
♢
音のない家に戻る。
鈴村さんはいない。お昼の買い出しにでも行ったのだろうか。生活感のない、広くて無機質な空間。花影、お前、こんな世界で生きてたんだな。華やかな勝ち組の高校生って、肩書きだけみた俺の思い込みだったんだな。嫌味言ってごめんな。普段の、あいつらとの楽しい学校生活と天秤にかけるのがこの生活なのだとしたら、あまりにも格差が大きいよな。大人である、俺も中々しんどいぞ。前の生活もしんどいけど。
悶々としながらも、無意識的に楽譜の山に触れる。
何弾こう……。
色々考えたくない時にも音楽を欲するんだな。否、逆に音楽の世界に浸れるから欲しているのか。習慣がすっかり花影になってしまっているのに軽く失笑してしまうが、それ以上に戸惑うことが俺にはあった。
頭のもやもやを払うように、手を動かす。何か……新しい曲はないだろうか。没頭できるような。ひたすら楽譜の山を探っていると、数々の冊子の中からハードカバーのケースに入った楽譜を見つけた。
……?コピー譜?
ケースを開けるとそこには。楽譜と幾つかのインタビュー記事の切り抜きがあった。
……!
手が止まる。写真や雑誌の記事、ステージプログラムの切り抜きまである。
今一番考えたくないものを目の当たりにしてしまった。
……そういう、こと、なのか?花影……。
『天才ジャズピアニスト 霧島拓人』
『最年少でベストオブジャズ • ブルーリボン賞受賞』
拓人……。
幼く無邪気な横顔。そして数回しか見なかった、学ラン姿。最期に見た悲しい微笑み。
拓人がピアニストとして活動したのは、ほんの数年。内、表舞台で話題になったのなんて1年あったかどうかである。きっと、これらはその時の記事の一部だ。
……なぜ、そんな短期間だけの活動なのに、沢山の切り抜きを持っているんだ?
……花影は霧島拓人のことを知っていたのか?知っていて、俺に声をかけたのか?じゃないと平凡な会社員であった俺に接点を持とうとする理由がない。