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「「「いただきます!」」」
「どうぞ、召し上がれ~!」
食べ盛りの子達だから、お米が足りるか心配だわ~なんて利人のお母さんは呟きながら、にこにこと沢山の料理を出してくれた。回鍋肉に、唐揚げ、麻婆豆腐、卵スープ。そして山盛りの白米。中華のフルコースみたいに豪華だ。
「お替わりもあるからね!」
「は~い!」
「おばさん、お替わりください!」
「あらら、カズくん早いのね~!」
「おばさんの料理、とてもおいしいです!」
「あら~嬉しいわ~もっと食べてね!」
「トシはこんなご飯いつも食べれて幸せだなぁ」
「いや、今日だけだよ?」
カズは天性のコミュ力、というか人たらしだと本当に思う。人を怖い、とか負の感情を抱いたことは本当にあるのだろうか、と疑いたくなってしまうほどだ。
璃子ちゃんもにこにこしながら、小柄な見た目に反してよく食べている。
「父さんの分は大丈夫なの?」
「それはもう冷蔵庫にとってあるから、これらは全部食べてもらってよいのよ~」
最近太り気味だし、ちょっとは自制してもらわないとね、なんて可愛らしく利人のお母さんは笑っていた。
「そうそう、漫才?のほうは良い感じ?」
「うーん。今は練習中だからなんとも言えんけど、楽しい」
「カズくんも、花影くんも、ありがとうね。どうせ利人が急に言い出したんだろうに、一緒にやってくれて。二人とも忙しいんでしょう」
「いいえ、おばさん。僕も全力で楽しんでます!」
「はい、俺も。体力がない自分のせいだから」
「体力?ふふ、いろいろあるのねぇ。ご飯いっぱい食べて体力つけてね」
「いや、でも利人のお笑いセンスはすごいと思います。僕最初にネタ見たときめっちゃ笑いましたし」
「あら〜利人、よかったじゃない!」
「そうなんだよな、今回はいいのができそうで今から楽しみなんだ」
「すごいわねぇ。よかったら母さんにも見せてね」
にっこりと利人のお母さんが微笑む。
「璃子もやるー」
「璃子は大きくなったらな」
「やだやだ、やるのー」
「そんなこと言う奴には、こうだ!」
利人が璃子ちゃんの唐揚げを盛大に皿から奪っていった。
「やー!お兄ちゃん、嫌いー」
「もう、利人、良い歳していたずらしないの。そこにまだあるでしょ」
「今日はこいつらいるから。璃子のわがままは一つまでしか聞きませんー。璃子、練習付き合ってもらうんだろ?」
「うん!花影さんにみてもらう!」
「じゃあ、良い子にしないとな!」
「……はぁ〜い」
「……え、今のはトシが悪くない?」
「カズ、うるさいよ」
「ごめん」
楽しい時間が贅沢に、ゆっくりと過ぎる。この子達……いや、この家族、仲が良いなぁ……。いいな。兄弟ってこういうものだっけ……。ぼんやりと、窓から差す西陽を背景に、目の前の光景を見守る。まるで自分と、目の前の空間の間に、薄い壁の隔たりがあるように。あちらだけ異世界であるかのように。
だけど、世間でいう理想の家族とは、きっと、こういうものを言うのだろう。そして、こちら側が、異世界と揶揄されてしまうほうなのだろう。最も、俺は前者とは一番遠い場所にいるのだが。それはきっと、花影も。
遠いところにある光には、誰しも憧れを持つものだ。
「兄さん、今日はコレが良い!」
ずきっ、と頭が痛む。
「兄さん、今日はお魚見に行こう!」
……あぁ、また、だ。
「……っ」
「奏汰?大丈夫?」
カズの声でもとに戻る。またやってしまった。
「悪い、フリーズしてたわ。大丈夫」
「そう?」
「うん。……おばさん、ご飯とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
「はーい!気に入ってもらえてよかったわ~」
「僕も、ごちそうさまでした!」
「璃子もごちそうさまするー」
「璃子ちゃん、ゆっくり食べてからで良いよ」
「璃子お腹いっぱい!」
「うん、今日はこいつだいぶ食べてるほうだわ」
「そうね~璃子、よく食べました!えらい!」
「えへへ~ピアノ弾く~花影さん、いーい?」
「璃子、お願いします、だろ?」
「いいよ、やろっか。でもお片付けやってからでも良いかな?」
「いいのよ、花影くん。せっかく貴重な時間を使って璃子の面倒みてくれるのだもの」
「そうだよ、その分僕がここの手伝いするから大丈夫!奏汰は璃子ちゃんのために頑張ってよ。おばさん、お皿あっちに運びますね!」
「カズくんも、気を遣わなくて良いのよ~」
「いえいえ、ここはぜひやらせてください」
「ありがとうね~」
「璃子、手洗ってくる~」
パタパタと遠ざかる足音。可愛いなぁ。
「……カズ、ありがとう」
お言葉に甘えて、そして温かい言葉に後押しされ、ピアノのほうに目を向ける。
「ピアノ、お借りします」
開かれた鍵盤。呼吸をするように、当たり前に指を置いた。
ポーン♪
目を閉じた。よく響く。浮かぶのは、森。水辺。例えるなら、湖畔。音の粒が、一粒水面に落ちたような響き。
小さな足音が近づいて来る。
「花影さん、お待たせ!」
幼い声で、目を開けた。
「璃子ちゃん、よろしく。曲はある?」
「うーん、これ?」
差し出したのは、バイエル。
「もう、こんなのやっているんだね」
「うん……」
眉毛がわかりやすくへの字になっている。よっぽど乗り気じゃないみたいだ。
「あんまり楽しくない?」
「……え?」
「だって、指の練習でしょ、これ」
「うん。……でも、先生はこれが大事だ、って」
「そうだね。指は運動しないと動かないから」
「運動?」
「そうだよ。準備体操みたいなものかな。璃子ちゃん、これで一緒に指の運動してみようか」
「うん……」
この困り顔には見覚えがある。まぁ、気持ちはわかるしなぁ。
「大丈夫。魔法をかけてあげるから。それに、一緒にこれやったら、好きな曲やろう?」
「…….魔法?」
「うん。きっといつもよりも、もーっと楽しいよ」
「……うん!」
鍵盤に璃子ちゃんが向かう。
ゆっくり、ゆっくりとスケールの練習を始めた。
そうそう。じゃあ……。
「……!」
璃子ちゃんがびっくりしてこちらを見る。
……ね、と表情を窺うと、かなりびっくりした様子ではあったものの、手が止まることなく頬を赤らめ、興奮した様子で弾き続けていた。
「そうそう。もうちょっとゆっくりでもいいよ」
紡がれる音に合わせながら、1オクターブ下で調を合わせた伴奏を続ける。
時に声で誘導はするものの、音で導くのを忘れずに。
まるで、相手が弾かないではいられないように。
途中、スケールから脱線することも、バイエル自体から離れることもあったが、お構いなし。彼女の行きたいほうへ、伴奏としてお供した。
周りでは、カズと利人、利人のお母さんまでもが、手を止めて璃子ちゃんと俺を見ているのが何となくわかる。
あぁ、この感じ、懐かしいなぁ。
暫く、幼い少女の赴くままに旅をした。湖畔の周りを、行ったり来たり。たまには森から出そうになったり。
15分くらいだろうか。集中力が切れたのか、璃子ちゃんのミスタッチが増えてきた。
「璃子ちゃん、次のページで一旦休憩しよう」
「……」
「璃子ちゃん、」
「はぁーい」
一旦鍵盤から手を離し、休憩を挟む。
「ブラボー!」
「花影、やっぱお前すごいな!」
「やっぱりプロなのねぇ」
「えへへ〜やったぁ」
3人から盛大な拍手をもらい、璃子ちゃんはとても嬉しそうだ。よかった、ちゃんと楽しさを感じてもらえて。安心した俺をよそに、拍手の中、そっと璃子ちゃんは話しかけてきた。
「花影さん、」
「ん?」
璃子ちゃんがにっこり微笑む。
「ピアノって、すっごく楽しいねぇ」
……そうだね。自由に弾けると楽しいね。準備運動も楽しいでしょう?これで、好きなの弾く時はもっと楽しいよ。
そう言おうとするも、無邪気な笑顔と言葉に遮られてしまった。
「きっと、花影さんが、あれをすごい曲に変えてくれたからだねぇ。花影さんがいないと楽しくないよねぇ」
俺の口から空気が漏れ、背中を冷たい汗がつたう。あぁ、なんでまた、そんなこというんだ。
「璃子ちゃん、」
僕は、一緒に旅をしただけだったのに。
♢
レッスンが終わり、カズたちと散々ゲームで遊んだ後。ネタ合わせもそこそこに、日付をとっくに越した時間、ようやく布団に入る。
二人が寝息をたて始めた頃。俺も眠りにつきたかったのだが、楽しい時間を過ごしたからだろうか。その反動で、俺の脳裏にはずっと声がこだましていた。
「兄さん、」
「兄さん、僕たち、ずっと一緒だよねぇ」
それはもう、一種の呪いのように。社会人の端くれになって数年、最近はようやく離れられたと思ったのに。楽しいはずだった青春時代、信頼できる友達、才能を信じてくれる周りの人たち。そして守られた、自由な音楽。そんな環境に再度触れてしまったからだろうか。再び、俺に語りかけてくる、彼。
思い出してしまった。
……ごめんな。
拓人、もう、俺たちは一緒にいられないんだ。