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「俺、こんな感じのやりたいんだよね」
机上に数枚の紙を並べ、いきいきした表情で利人は話す。ベッドに寝そべっていたカズは、にょきっと起き上がると、置かれた紙を手にとった。横から俺も覗く。
「あははは、めっちゃ良い!」
「これ、二人でやるの?」
「そう、なんだけど、三人バージョンも考えてみた!」
「トシ、お前天才か」
「今日の現社の時間の努力の賜物だ」
「授業聞け!」
「そこな」
「だから、どっちかノートみせて!」
「「嫌だよ!」」
悪魔の持久走から数日後の放課後。俺は、利人の家にネタの相談に呼ばれていた。夕食の準備中なのだろう。煮物の良い匂いのする中、エプロンをした優しそうなお母さんと、二つ結びの可愛らしい妹さんが迎えてくれる。
カズは完全な野次馬根性でついてきただけであったが、漫才のやる気に満ち溢れたトシは、カズも来たがっているという話を聞くや否や、三人用のネタも考えてくれていたらしい。すごすぎないか。花影、お前の周りはどれだけの個性的な才能に恵まれた奴らがいるんだ。
「いいじゃん、ケチ!最近ノリが良くなった花影と、笑いが好きなカズとなら、絶対良いものができる、って僕の本能が言ってるんだ!」
「利人のその情熱はどこから来るんだ……」
俺自身も乗り気なほうではあったが(花影ごめん)、利人を前にすると、勢いに押され気味…というか冷静になってしまう。
「いいよ!しょうがないな。僕も一緒にやるよ!」
「カズ、正気?」
「イェーイ」
「だって、楽しそうじゃん。トシもせっかく考えてくれたんだし!それに、こういう機会ってそうそうないよね!」
「俺だけ突っ込み?」
「え、花影ボケがよかった?」
「なんでよ。誰もそんなこと言ってないでしょ。いや…えっと、2人ボケ?俺突っ込みきれるかな…」
「奏汰ならいける」
「俺の台本に任せな!」
「……」
若さってすごいな。怖いもの知らずとはこういうことだ。
「でもよかった。奏汰、ちょっと元気戻ったみたいで」
「えっ……」
「最近、元気なかったじゃん?なんやかんや、ノリは良いけどさ」
確かにあの日以来、定期的な頭痛が俺を苦しめていた。誰かが話しかけてくるんだ。
「ははは…….」
「何かあったら言うんだよ?っていっても天才の考えなんて理解できるかわかんないけど」
「そうだよ。花影何も言わんから。たまに心配になる」
この子達はそんなこと思ってたのか。
「……ありがとう。その言葉だけで十分だよ」
花影が言うであろう言葉を、彼らしい穏やかな表情を作って返した。
そう、頭痛は彼じゃない。俺の問題な気がしてならない。
「利人ー!」
遠くで彼を呼ぶ声がする。
「母ちゃんかな、わりぃ、ちょっと待ってて」
「おう!」
「わかった」
利人が部屋を出ていく。
「さて!」部屋主がいなくなった部屋で、目を輝かせるカズ。
「ここは、お約束のアレ探ししようぜ!」
「カズ……」
ほんとこのお年頃の青年は、遠慮がないというかバカというか、単純すぎないか?さっきの優しさどこいったよ。頭のもやもやに悩むのもアホらしくなってくる。
「やっぱ、ベッドの下かな~?……あれ、これかな?」
「え、マジであったの?」
カズがベッドの下から取り出したのは、アレ……にしては丁寧すぎるハードカバーの装丁である。
「「……?」」
「ちょ、それおれの卒業アルバムじゃん!」
「「……!??!」」
いきなり現れた利人に心臓をつかまれた気分になった。
「卒アルか~い!」
「なんだ……」
「なんだと思ったんだよ!人の部屋勝手に探りやがって!」
「違う、探ってはいないよ。ベッドの下から出てきたんだ!」
「それを探る、っていうんだよ」
2Lのペットボトルを片手に、呆れた表情で利人は言った。紙コップとともに渡してくれる。
「ありがとう」
「ちなみに、エロ本は俺はもってません(キリッ)」
「トシ、本気か?」
「ネット派なんで」
「なるほど」
「今時の子はネットなのか……」
「奏汰、何て?」
「いや、何でもないです……。ジュース頂きます」
「何かごまかされたけど、いっか。トシ、卒アル見て良い?」
「いいけど、君たちネタ合わせにきたんだよね?」
「そうだけど~!ちょっとだけ~」
「……まぁいっか。そんな君たちに朗報です!母ちゃんが、明日土日だし、せっかくなら今日泊まっていっていいよ、って言ってたんだけど、どうする?カズは部活あるだろうし、花影も練習あるだろうから、無理は言わないけどさ」
「僕、部活午後からの日だから、泊まりた~い!」
「お……俺も、レッスン入ってるの午後からだ」
そして、父親も帰ってこない日だったと思う。家に電話しても、鈴村さんしかいないだろう。よかった。……けど、もし何かの間違いで、親がいたら?……寒気がする。まぁ、その時はその時か……。
「じゃあ、いいじゃん!やったー!」
「ちょい、家に連絡して良い?」
「おっけー!」
「俺もするね」
「うん!俺も母ちゃんに行ってくるわ!」利人が部屋から出ていく。
「あ、利人!」
「ん?」
利人がひょこっと閉めかけたドアから顔をのぞかせる。
「その……」
(ピアノ、少しだけ借りても良い……?)
思わず喉まで出かかった言葉が詰まる。個人的なことであるが、今日は寝坊をしてしまったため、朝から一度も鍵盤に触れていない。ピアニストが、一日ピアノに触れなかった日があるなんて存在するのだろうか。否、本能的にわかる。それに、1日練習を休むと、戻すのに一週間はかかると聞いたことがある。そして、仮にも学生の身分でありながら、ピアノでお金をもらっている身分なのだ。自分は、プロなのだ。
……だけど。素で過ごさせてくれる彼らの前では、違った我儘がでてしまう。
(……そう、この子達の前で、“ピアニスト 花影奏汰”にはなりたくないなぁ……。)
「どうしたん?大丈夫?花影」
不思議そうな顔をした利人が、声をかけてくれる。
「ううん、何でもない。引き止めてごめん」
脳裏に花影の顔が浮かぶ。奴は、こういうことも想定して、きっと入れ替わっているはずだ。手が鈍っても、自己責任だろう。
「……わかった。とりあえず、母ちゃんに行ってくる。何なら、ご飯食べてくだけでも良いからな」
「ありがとう」
電話をかけるカズの横で、手汗を感じながら、同じくスマホで呼び出しボタンを押す。どうか、奴が出ませんように。暫く鳴らすが、応答はない。鈴村さんにlineでも入れとくかな……。切ろうと思ったその時。
「はい、花影の家の者ですが」
「!」
「もしもし?」
「あ、あの。えっと……鈴村さん?奏汰ですけど」
自分の家への電話でどもってどうするんだ、俺。
「あら、奏汰さん。家に電話なんて。どうしました?」
「あ、あの、クラスの友達、利人、っていうんだけど、そいつの家に、今日泊まっていっても良いかな?」
「急ですね。利人くんのお家の方々は大丈夫なのでしょうか?」
鈴村さんに色々聞かれたが、最終的には、
「お気を付けて。何かありましたら、いつでも連絡くださいね」と言ってくれた。
「旦那様には……」
「親には言わなくて良いよ。帰ってこないでしょ?もし帰ってきて、聞かれたら話してもらえば良いから。じゃ、お願いします」
一方的に電話を終わらす。
「大丈夫だった?」横にいるカズが聞いてくる。
「うん。……カズも、大丈夫?」
「もち!ろん!」
「そっか。やったね」
多少は複雑であるが、とりあえず、友達の家でお泊り会ができるのだ。嬉しいことは違いない。自然に口元が緩むのがわかった。
「花影~」
部屋に帰ってきた利人の横に、緊張した面持ちの小さな来客があった。
「俺の妹なんだけどさー、前も言ったっけ、ピアノを習ってるんだけど、お前のちょっとしたファンでさ。よかったら、少し練習みてあげてくれないかな~、なんて。もちろん、ちょっとでいいんだ。数分だけとか。ネタ合わせが主で良いからさ」
「あ、勿論、無理にとはいわないよ。こいつ、俺が聴くだけでも、めちゃ下手くそ、ってわかるから」
「ちょっと、お兄ちゃん!」
少女は慌てて利人を叩く。「ちょ、璃子。痛てーよ」
あぁ、この家のピアノ弾きは、この子だったんだな。この家に入ったときに、ふと目に入ったピアノ。楽譜が立てかけてあり、物置と化されていないところをみると、誰かが現役で使っているのだろうと想像はついたのだが。
「ネタ合わせが主なんだな」ふっと笑みがこぼれる。
「良いよ。俺で良ければ」
「ほんと!?」先に声が出たのはカズである。
「いや、なぜお前が先にいうんだよ」
「だって、絶対僕たちの前ではピアノ弾いてくれないじゃん!」
「僕が弾くわけじゃないからね?それに、今日は泊めてもらってるから。御礼……にはならないかもだけど、特別」
「璃子、やったな!」
「よ、よろしくお願いします」
「璃子ちゃん、よろしくね」
そうして、俺は利人家で夕食をごちそうになった後、妹さんのピアノの練習に付き合うことになったのだった。
横で笑い合う彼らを見て思う。こいつらの前でピアノを弾かないのは、花影、きっと、同じだろう?そういうことなんだろう?