表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

5

 初めて出会った時を思い出す。


 幼き頃、親に連れられて行った、とある接待。普段立ち入らない、暗い空間にドキドキしながら、地下に入り組む通路を進んだその先で、貴方を見ました。

 小さなステージ上で、サックスがメロディーを奏でている横、ドラムとベースと共に、ピアノでセッションをされていましたね。今とは想像もつきません。

 暗い照明や、高そうなお酒の瓶たちに囲まれた、スタイリッシュな空間、スーツを着た大人たちが集う場所。慣れない場所で落ち着かない僕は、父に言われるまま、目の前の知らない大人に挨拶をし、大人しく、ふかふかの椅子に座りました。大人達が談笑を始めた横で、ステージから聴こえるピアノの、左手の低く響くベースラインになんとなく引き寄せられて、ずっと曲を、いえ、ピアノを聴いていました。

「どんな人が弾いてるの?」気になって視線を上げると、制服を着た貴方がいたのです。「僕以外にも、子どもがいる!」そうお兄さんに興味を持ったのは一瞬のこと、あまりにもピアノを弾いている姿が静かで、主張がなくて、響く綺麗な音とは裏腹に、この人やる気あるのかな、というのが、幼い僕の第一印象でした。

 暫くして、サックスから、アイコンタクトを経て、ピアノのソロへ移りました。弾く姿は、変わらず静かな感じでしたが、明らかにステージの空気の流れが変わったのがわかりました。

「何か……くる?」

 そして次の瞬間、お兄さんはにやっと笑って、さらに今までとは違うフレーズを弾きだしました。


「……!」


 あの時の、ワンフレーズ目の僕の鳥肌の感触は、未だに覚えています。さっきまでと主旋律のベースは同じ。同じなのに、違う。階段状の音の羅列。何個もの楽器が、一斉になっている感じ。共演していた大人たちは、歯を見せて笑いました。周りのお客さんは、微動だにせず、一心にステージを見ていました。隣の父たちも、いつの間にか話を止めて、ステージに目を向けていました。

 後から知ったことですが、あそこは、毎回、アドリブの場所だそうですね。楽譜も、コード進行のみが書いてあり、音符は書いていないそうで。

“やってくれたな、坊主”

 そんな大人達の声にならない言葉が、あのステージから聞こえてきた気がしました。


「お前も行ってくるか?」

 そう言った、父の言葉には、全力で拒否をしました。この頃の僕は既に、人並み以上にはピアノが弾けたはずでした。しかし、わかってしまったのです。

「このお兄さんとは、今の僕では、格が違いすぎる」。

 実際、音楽に関して素人である父からは、その弱気な意気込みについてひどく怒られましたが、この件に関しては、僕はちっとも、気にすることはありませんでした。


 未だに、あのアレンジされたメロディーは、何度脳内リピートができても、僕は音にできません。




「ただいま~」

「お前、どこ行ってたんだ」

 学校帰り。今日はレッスンがない日であり、学校の図書館で宿題を終わらせてから帰宅した俺に向かって、開口一番に向けられた言葉がそれであった。

 初めて見る中年の男性の顔。上質なスーツを着ており、何より気難しそうに眉間に皺が寄った表情をみると、俺よりは断然年上……というか俺の父親と同い年くらいに見える。

「は?学校に行ってたんですけど」

バンッ!

 顔の横を鋭い風が切る。

「お前、いつからそんな口を利くようになったんだ」

 一瞬音に怯んだが、そんなこと言っている場合ではない。

「質問に答えただけじゃん。宿題終わらせてから帰ってきたんです」

「宿題?レッスンがないからって、いい気になってんじゃないぞ」

 ……こいつ、頭大丈夫か?

「……。すみませんでした。お父さんも、今日はお早いんですね。お疲れ様でした」

「ふん。せいぜい腕は落とすなよ。お前には金かけてるんだから」

「……はい」

 静かに頭を下げる。視界に、乱雑に捨てられた片方のスリッパが見える。さっき投げられたのはこれだったのか。立ち去る背中を横目に、スリッパをそっと拾い、玄関先に揃えておいた。

 自分の感情もコントロールできないなんて、なんて父親だ。ばかばかしい。そういえば、俺の上司もそんなようなやつだったな。久しぶりに思い出したわ。




「奏汰さん……どうかされたのですか」

「え……?」

「いえ、その……いつもと様子が違いますから」

「……そうかな?」

「そうですね……。何か考え事されているのかなぁ、なんて。奏汰さんにしては、珍しい音だなぁ、って思いまして、つい。どうかお気になさらずに。戯言だと思って、聞き流して下さい。きっと、曲想の問題ですね」


 曲の合間。食事の支度をしていた鈴村さんが、珍しく、そう、感想を述べた。

 曲想……。今、俺何の曲を弾いてたんだっけ。

「……俺、今何の曲弾いてました……?」

「えっ……。」

「あ、いや……けっこう、無意識に弾いてたから……」

「ジャズっぽかったですね。題名は、私もわかりませんけど……」

「ジャズ……」

 目の前の楽譜は、ショパンなんだけどな……。俺、何弾いてたんだ?


「そういえば、奏汰さん、旦那様に会われました?」

「あ……はい、先ほど」

「そうですか……」

 鈴村さんは、それから静かに微笑んで、「お邪魔してすみませんでした」と再度食事の支度にとりかかった。


 無意識下で、振り回されているのか?俺が?他人の親に……?なぜ?

 深呼吸する。

 今俺は花影の身体であり、弾こうと思えば、指は勝手に動く。

 あぁ。今はこいつと一心同体だからな。もう、身体に染み込んでいるんだ。親に対する、嫌悪感が。色々考えるのが嫌になって、目の前の楽譜に集中する。そうか、花影。お前は、こうやって……。




「兄さん、ごめんね」



「……!」


 懐かしい声に思わず手が止まる。


「どうかしましたか?」

 再び不自然に演奏が止まった俺に、鈴村さんがびっくりした様子で声をかけてくる。



「……。今、俺に何か言いましたか?」

「いえ、私は特に……」

「……そうですか」

 周りを見るが、鈴村さん以外誰もいない。

 再びピアノに向かう。人の声がしたと思ったのだが……。疲れているのか?頭が痛い。それに、あの声は聞き覚えがある。……なぜ?項垂れながら、思考を巡らせるが、俺の頭が重くなるばかりであった。


 兄さん……?俺に……?誰、だ?花影?それとも……、……?


 聞き覚えのある声。そう、あれは……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ