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チャンチャラランラン♪チャンチャンチャンチャン♪チャン♪、チャン♪
「……!」
スマホのアラーム音で俺は目覚めた。
「……?!ここは……?」
見覚えのない部屋の中。だが、俺は知っている。ここは、自分の部屋だ。電子時計を見る。今日は土曜日。レッスンが午後から入っていることも知っている。
先ほどの花影の発言が、脳裏に浮かぶ。
「意識だけ入れ替えるとはこういうことか……」
何でも既にわかってしまっているんだな。この部屋はどこなのかも、自分が誰なのかも。違和感は残るが、大方目の前の事柄を理解してしまえる訳だ。
もう一度、電子時計を見る。AM:08:35。さっきまでは花金の夕方だったはずだ。意識を飛ばしてからそんなに世間の時間は経っていないことに、謎の安堵を覚える。
起き上がって、自分を見下ろす。本当に俺は青年になってしまったのか。それにしても、こんなに長くて綺麗な指は初めて見た。着ているのがTシャツと短パンなのは、いかにも高校生、な恰好で俺は少し笑ってしまった。あいつにも、学生らしいとこあるじゃん。
コンコン♪
「奏汰さん、ご飯できてますよ」
タイミングよく、ドアノックと女性の声がした。
「今行きます」
自分で発した花影の声、綺麗な声を他人事のように俺は聞く。あいつ、寝起きのくせにこんな柔らかな声がでるんだな。俺は先ほどの女性の声の主を知っている。家の使用人の鈴村さんだ。確か、社会人になる娘さんがいたはずだ。
ベッドから起きて、身支度をする。ふと窓ガラスに映った自分……否、花影の顔をみる。そして、映った顔のさらに奥、目に入った景色は、見覚えがある。大きな川を挟んですぐの、そびえたつビル街。その中でも一等高い、あの建物は、まさに俺が勤めていた会社である。となると、ここは隣町、辺りだろうか。現状をあっさり受け入れている自分にも驚くが、身近に有名人がいた事実にも驚かされる。俺は、本当に会社と家の往復で、社会を知らなかったんだな。思えば、目の前の仕事をこなすだけの日々だったかもしれない。それに、こうなってしまったからには今更しょうがない気もする。しばしこの、おそらくイケメンと称される顔立ちと、恵まれた才能とともに、勝ち組人生を楽しむのも悪くない。
逆に、花影、はきっと俺として起きるのだろう。最も、この時間はまだ寝ているだろうが。俺、がいなくても、きっと世界は回るのだ。花影に、おっさん人生をしばし託してみても良いじゃないか。
着替えをして、俺は部屋を出た。階段を下りて左、すぐの部屋がリビングだ。体にしみ込んだ動線で、俺はリビングへ入った。パンの焼ける良いにおいが鼻を覆う。真ん中に置かれたスタンウェイのアップライトピアノが朝日を浴びて黒光りしていた。
「おはようございます」
「おはようございます。あら、珍しいですね」
鈴村さんがやや驚いた表情をする。
内心ドキッとした。何か不自然なことをしてしまったのだろうか。
「何がですか」
「もう着替えてきたんですね」
「あ……」
そこ?あいつ、いつもパジャマ派だったのか。すまん。
「良いことですけどね」
鈴村さんがにっこり笑う。
「どうぞ」
チーズとハムを挟んだトースト、サラダが机に並ぶ。
「……いただきます」
俺は促されるがままに、席についた。
上質な食器に用意された、おいしい朝ごはん。花影、ここまできたら、やっぱり暫く満喫させてもらうわ。夢にあふれていた、この青春時代。おれは、もう一度、恵まれた才能とともにとことん味わってやる。朝食を食べながら、俺は呑気に身構えていた。
この後、想像外の日常が待っているだなんて思いもせずに。