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「やられた。
誰も乗ってないぞ。少年はまだ中にいるかもしれん」
門の外に走って行った二人の声が予想以上に早く戻ってきた。
やばい、まずすぎる!
小説では何回か主人公のピンチを書いたことがあったが、自分が人生でこんな目に会うとは思ってもいなかった。今まで生きてきた中で経験したことが無い究極のピンチ。
でも、その時後ろから「レナ様」と呼ぶ声がした。
甘い艶のある腰砕けになる声は、まさかここにいるはずがない今日初対面の存在しか浮かばない。
まさかと思って振り向くと、本当にその人物がいて思わず声が出そうになってしまい、彼の手で口をふさがれた。
口を塞がれるという状況の中、彼の腕の中でその存在に目を見張る。
「静かに。とりあえず、ここから逃げましょう」
木立の陰から現れた人物は後ろ抱きに驚きの声を上げるレナの口を塞いだまま辺りを窺っている。
この後ろ抱きという状況だけでも頭に血が上ってくらくらする。時と場合によっては凄く美味しいシチュエーションなのに、今は命の危険があるわけで、のぼせている場合ではない。
「こちらに。この建物は裏に裏門があるのです」
植え込みの木立に隠れながら、いきなり現れたハイトに手を取られるまま速足で進んで行く先に、裏の通用門が見えた。
けれど、安心したのは早かった。
「おーっと、残念だったな。心臓に穴開けられたくなかったら手を挙げな」
辿り着く前に既に銃を構えた男、猫背のヒースが立っていた。
「建物の中を突っ走れば裏門は外を走るより近いんだよ。残念だったな」
先ほどの建物の最上階に両手を縄で縛られた状態で連れこまれた。
部屋の中は外と同じ濃い青の絨毯が敷き詰められていた。
カーテンといい寒色系の色調でまとめられた部屋だが、花梨素材の重厚な家具が高級感を漂わせている。
警察の紺の制服を着たオブリー長官とメアリーにお茶を飲んでふんぞり返っているマクブライト外務大臣は夕日がさす応接間に揃っていた。
部屋の奥、寝室と思われる部屋の大きなベッドの上では、手足を長い鎖に繋がれた白っぽい服を着て横たわる金髪の青年が見える。
おそらく先ほどの話の通り、薬で眠っているのだろう。
この部屋にたどり着く前の間に、まず何を聞いたか銃を突き付けられたので、王子達を誘拐した話を聞いたと白状させられた。
白状した私に対し、ハイトの表情は無表情で無言のまま。
しかも、ヒースが何も反応しない彼に腹を立てて殴ろうとした瞬間、その綺麗な顔にどこか狂気を醸した凄絶な笑みを浮かべたものだから、彼も振り上げた手を止めてしまったほど。
しかも、この部屋に入って右足はベッドの柱に鎖で繋がれている王子の無事に眠っている姿を見てハイトは再びその笑顔を浮かべた。
――とりあえず王子が無事で安心したのかしら?
「こいつらは誰だ? ヒース」
「いやいや、まだこれから名前を白状させる段階なんですがね」
まじまじと銃を持ったヒースがハイトの顔をもう一度見分して顔色を変えた。
「銀髪の兄さんは、確か、見たことあるぞ。
あの王子の従者じゃねえか?」
開け放たれた寝室のドアの方を指差すヒースにハイトは「そうだ、と言ったらどうするつもりかな?」と余裕の微笑みを浮かべたのには大したものだと思った。
「そりゃ、まあ、大いに困るな。
さっきこのチビから話を聞かれた以上、俺達は王子を助けたってふりが出来なくなる」
「なるほど。
ブラックバーン伯爵に貸しが作れなくなるということだな。
だったら、どうして君達は捕まえるなら私も一緒でなく王子だけを狙ったのかな?」
ハイトは捕まったにも関わらず、毅然とした態度で威風堂々と誘拐犯三人を睨みつけた。
「二人も誘拐したら手間も人数もかかる。
俺も今、兄貴が捕まったあの事件以来部下が少ない。一人で出来ることをしなくちゃいけねえ。
もうさっきこのジャリの話聞いたあんたに今更綺麗事言っても仕方ねえけど、俺は今、大きな仕事でさっさと元の稼ぎを取り戻したいんだ。
でも神様は味方してくれたわけさ。
兄貴の敵のレッドフォード公爵の長男が旅行先からおキレイな男二人と一緒に船に乗ってきた。
エリスフレール王国出身の部下の話じゃ、あの顔は王子とその従者だと。
そこで、俺らは船から降りた後港で待ち合わせていた長官にそのことを話した。
そこでいいアイディアが浮かんだわけさ。
誘拐された王子を助けて、伯爵や王子に恩を売るってな。
見た限りじゃ、正式な訪問じゃなさそうで従者も一人だ。
そこで長官も話に乗って、俺は王子を誘拐する。俺達は念を入れて姿を隠して宿場町まで尾行し、王子をかっぱらった。で、部下を先にレッドフォード公爵家の見張りに走らせる。
で、さっき息子が連れと馬で帰ってきたと俺の部下から知らせが報告に来たから、そろそろ警察に助けを求めるかと思ったら、助けを求めるどころか、屋敷に出向いた長官の話しじゃ家にも居なかったそうだが、あんたらどこに隠れていたんだ?」
「なるほど。大した熱の入れようですね。
そこまで行動されていましたか。
ところで、私から質問です。あなたは、先日ウィンバー王国で密輸の罪で見つかったオービックの弟、盗品をさばくのが得意な大陸側で活躍しているヒース・オービックですか?」
ヒースからの質問は無視して人を威圧する雰囲気は損なわず穏やかな微笑を浮かべたままいきなり爆弾発言を投下するハイト。
「なっ、どうして名前を?」
正体をあてられて動揺したヒースを始め、オブリーとサラ、そして私も驚く。
「なぜって、先ほど兄の事件以降とご自分で仰っていたじゃありませんか?
伺った話からして大体の話からどの事件かは推測できますよ。
それに、兄上のオービックの風貌を聞いたことがあるからですよ。
密輸犯を捉えるのに躍起だったジュリアンから弟の存在も聞いていますしその似顔絵も拝見しました」
状況が状況なのに、碧い瞳をきらめかせて答えるハイトの姿に、その精神力の強さと推理力を感じてクラッとする。
だが、その感覚もサラのセリフで一気にかき消された。
「頭も相当切れる方のようですわね。
あの聡明なジュリアン様とお友達と言うのも頷けますわ。でも、我々の計画を知られた以上、このままと言うのはどうでしょうか?
まずヒース、とりあえず、その横の小さな少年は始末して」
感嘆の眼差しでうっとりとハイトを見つめながらも自分達に不利益な目撃者は片付けたいと語るサラ。ヒースはサラの指示に渋々と言った顔で近付いてきた。
「それ以上近づかないでいただこうか」
それをさせるまいとハイトは自分の背後に庇うように部屋の隅に私をいざらせた。
「ハイト、危ないです。
庇ってくれなくても大丈夫です。何かあったら大変です」
庇ってもらうという経験が乏しい私は、自分のせいでこの美しい方に何かあってはまずいと思い、慌ててその行動を制止しようとした。
「だめです。あなたは私の後ろに隠れていなさい。
元はと言えば巻き込んだ私達が悪い」
だが、その押し問答の合間に外の物音に気がついたヒースが、窓に近づいて顔色を変えた。
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