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次の日の朝、ふとあることを思い出した。
「昼からちょっと出かけてもいいかしら?
レックスがいれば、何があっても大丈夫でしょう。ジュリアンもハイト様も暫くここにいれば安全だし」
彼はレナの言葉に苦笑いを浮かべた。
「それはただの外出ですか?」
「もう、レックスも分かっていて聞くかしら?
すぐ着替えて出かけるわ。ちょっと気になることがあるの」
断りを入れてその日の午後、秋深まる街へ外出した。
王宮のある王都ウェンズレイは王宮を除き区画が三つに分かれる。
大貴族が住む広大な邸宅がある地区と、それとは若干規模が小さくなる紳士・官僚クラスなどの裕福層の邸宅の区域、郊外の貴族や金持ちが持つ瀟洒なアパートの区域。
今、私は長い髪をハンチング帽の中に押し込め、茶色のキュロットに、同じく茶系のチェックのジャケットに白のシャツ、度の入っていない厚めの牛乳瓶の底のような黒ぶち眼鏡をかけた少年の姿で栗毛の馬に跨って自称少年「アリソン・リー」の姿でウェンズレイのアパート区域を一人闊歩している。
男装の服は、レッドフォード公爵夫人に頼んで譲り受けたジュリアンの十二、三歳の頃のお古だ。
足の長さは別にしてジュリアンが細身のため部分的に若干サイズが合わない場合もあるけれど、たいてい変装時はそれで十分間に合う。
いつも着ているドレス姿で下町の一歩間違った危ない場所に踏み入れれば、それこそ誘拐されかねない。
でも小説のネタの情報収集のために「アリソン・リー」の姿に変装は欠かせないし今日みたいな日は街で何かあるかもしれない。絶好の外出日和だ。
着替えて部屋を出るとその姿に、何も知らない来客のハイトが目を丸くした。
だから、小説家の話は伏せて
「上流階級の世界なら今の姿で十分なのですが、街中の市民の話などを聞いて、情報を集めるために出歩くには、この格好でないと、逆に危ないのです。
何かとハートリー公爵の肩書と姿は街では不便なのです」
と彼に説明すると「なるほど」と、あっさりと納得して貰えたのは若干拍子抜けした。
今回、公でなく内緒で渡航してきた王子の気持ちが分かる部下だからだろうか。
普通、もう少し「貴族の令嬢とあろう方が」とかそういう反応を期待したんだけど、とりあえずそんな彼らをおいて私は目的地に向かった。
「確か、あのオブリーの個人資産のアパートがこの辺りだったかな」
なぜ私がそんなことを知っているかと言えば、このあたりで執筆のために、邸宅以外の場所で出版社に近い場所で執筆でこもるアパートを探していた際、偶然知ったからだ。
こっちのアパートの存在を軍部が知っているか疑問に思い、自ら行動したというのもある。
想像したくないが、最悪の事態、もし、今回の事件オブリーが何か後ろめたい行動を何かを起こしているとすれば、屋敷かこのアパートで何か動きがあるはず。
勿論、先ほど家令のレックスだけには行き先は告げてある。
ハートリー公爵邸からひっそりと、街へ外出する他の使用人と紛れて外出したが、どうやら途中から誰かが後を付けてきているような気配を感じ、尾行を撒くために道をぐるぐる移動していたら、意外と時間がかかってしまった。
その時、一台の馬車が後ろから通り抜けた。
その時馬車の窓から見えた姿は外務大臣の娘のメアリー。淡い白金色の髪に紫の瞳。今日はその瞳と同じ色のドレスを着ている。
一見儚げな彼女は性格と見かけは大違いで気性が激しく気位が高い、とは人のことが言えないから表立って口にはしない。私と彼女の仲は良くもなければ悪くもない。お互い相容れない性格と価値観の持ち主だから敢えて接触しない。
彼女の馬車は私を追い越した数ブロック先で止まり、その馬車は無造作に伸ばした茶色い髪の齢四十歳ほどの猫背の男を拾った。
――あの男は誰?
未婚のメアリーが一緒に乗るにしては年齢も見かけもおかしい。
あの娘には貴族の子弟以外近づけさせないマクブライト外務大臣に見つかったらどうなることか。特にジュリアンを狙っている今、他の男と一緒にいる姿など知られたら致命的だろうに。
二人の行方が気になった私は馬の脚を進ませて、闊歩する他の馬の紳士達に紛れて普通のペースで進む馬車に近づこうとした。
その矢先、その馬車は私がオブリー長官のアパートと目を付けていた建物とはまた一筋違った道に入って行き、暫くして止まった。
そのアパートは大通りから数本中に入った人通りが全くないわけではないけれど、閑静なアパート街で、割と新しい大理石造りの五階建て以上のアパートが立ち並ぶ地区だ。
だからこそ、人通りもあるけれど、住人達は新興住宅地であるからか、それほど交流がない地区。
だから、普通の古い住宅街でよく見かけるお互いご近所同士挨拶をしあう光景がほとんどない。
そして止まった馬車のドアがやっと開くと、まずは男が当たりの様子に気を配りながら降り、その後、帽子を深く被ったメアリーが降りた。
そのアパートらしき重厚な建物の入口の門から背の低いオブリー長官が現れた後、マクブライト外務大臣が現れた。
(な、何であの二人が?)
今見た光景に思わず乗っている馬の手綱さばきを間違えそうになった。
外務大臣は娘のメアリーが連れる男に対し、とても親しげに接しているし、その傍らのオブリー長官は、なにやら必死の形相で街中に関わらず人目もはばからず難しい顔で三人に話しだし、門の中に入って行った。
(あの猫背の男、今回オブリーがエリスフレールの王子の誘拐情報をつかんだことに関係ある人物か? しかしどうして外務大臣父娘が?)
早速確かめるために、彼らが入って行ったアパートの門の前に行くと、鉄柵のドアは開きっぱなしで、石畳の敷地に入ると誰ひとりいなかった。
これ幸いと、馬に乗った街の人間が良くやっているように、馬の手綱を門近くの樫の木に結って中に入る。
招かれてもいないアパートに入ってまず違和感があった。
普通、この近辺のアパート、特に中級クラスの物件なら玄関には必ずドアマンがいるのだ。ましてあの二人ならそれくらいのクラスかそれ以上の物件を好みそうなのに、ここにはドアマンどころか管理人も誰もおらず、簡単に中に入り込むことが出来た。
濃い青の絨毯のロビー。そこから奥にいくと各階に上がるための螺旋階段がある。
見上げると階段の手すりの蔦の葉の細工が、螺旋とあいまって上に伸びて行くかのような錯覚を起こさせる見事な逸品だ。
さて、そんな階段の細工の感想はいいとして、自分より先に入っていった奇妙な四人に気が付かれないように、彼らから死角になる場所を極力選びながら階段を上がっていくとなにら話し声が聞こえた。
どうやら建物の構造上、下に声が流れやすいらしい。
「・・・・・・ヴィンセンテ王子は」と少し掠れた抑揚のないオブリー長官の言葉への返事は、巷で「鶯嬢」と呼ばれるメアリーの高い声で、大体想像できた。彼女の声は、普段聞いているとたまに神経に触るのだけれど、今回はよく通るのが幸いだ。
「王子はまだこの最上階で眠っているはずですわ。
誘拐された同行した王子をお父様とオブリー長官殿が救助し、その見返りにサラはジュリアン様との婚約、あたくしは王子との婚約を承諾して頂く計画、上手く行かせましょう」
(な、なんてこと? オブリー親子もマクブライト親子の二組が協力して誘拐?
結婚のためにそこまでする?)
その話の衝撃に一瞬階段につまずいて転びそうになった。
「だが、メアリー嬢、昨日レッドフォード公爵は、息子はまだ屋敷に帰っておらず、「知らぬ、存ぜぬ」の一点張りだった。実際、居なかった」
「長官、屋敷に押し入ったのですか?」
猫背の男が見た目とは違った美しいテノールの声で驚いている。
「人聞き悪い事を言うな。
向こうから屋敷の中を見せるように話を持って行っただけだ」
どうやらこの男は仲間のようだが、誰だろう。
だが、とりあえず、この話を聞いて一気に事件解決のめどが立った。
王子がここにいると分かった以上こうなったらすぐに屋敷に戻って、レックスに知恵を借りて最悪の場合は軍で踏み込めばいい。我がハートリー家はこのウィンバー王国の群を動かせる家の一つなのだから。
こんな話を自宅じゃあるまいし階段でするなんてバカだな、と内心笑って再び彼らの話に耳を傾ける。
「でも、我ながらいい計画だろう?
部下が船場で見たときびっくりしたんだ。まさかエリスフレール王国の王子が一緒に旅しているとはってな」
「ヒースのお手柄ね。
王子を誘拐して公爵に貸しを作る案をすぐ浮かべるなんて、キレ者ですこと。
一応王子はずっと眠ったまま、あたくし達の顔は知られないでお返しするつもりですから、丁重にね」
可愛い声で含み笑いと共にヒースと呼ばれる男を窘めるメアリーに思わず鳥肌が立つ。
ああ、女って恐ろしい、と自分のことは完全に棚に上げて思わず十字を切る。
「でも、あの王子様は、噂にたがわない美少年だったが、二十一歳には見えないというか、武術の達人には見えないくらいあっさり捕まったのが不思議だな。
エリスフレール王国の騎士達の腕が大したことないということか。
あとはブラックバーン伯爵が警察に助けを請うのを待つだけだな」
「さすが長官。
それでブラックバーン伯爵の弱みを握って恩を売って、娘さんがレッドフォード公爵家の一員になれば、運輸大臣も兼ねる公爵家は一族の船も車も密売の荷物は公爵の船に積んでしまえば検査は甘くなるし、今回の事件で恩を売り我が娘をエリスフレール王国の王子と結婚させれば、二国間を行き来する船は思いのままだ」
「その上、荷物がばれても、今の私の立場ならうやむやに出来る」
その言葉はとても一国の外交の長と警察の長と思えない内容だ。
しかも二人はすでに自分達の野望が叶うと思いこんでいるのか更に饒舌になって行く。
「俺は密輸、お二人のお嬢さんはあのそれぞれ大貴族や王族の嫁、そして大臣も長官も長年望んだ貴族称号を得るって野望はもうすぐ叶うってわけですな」
「そうだぞ。
いくら政府の役人でも貴族とただの役人じゃ権力も財力も違うからな。
貴族になればもっと豪遊できるしな、メアリー」
欲にまみれた四人、いや、ここにいないサラを入れれば五人か。その言葉があまりにも俗物すぎて吐き気がこみあげてくる。
確かにジュリアンは女好きでどうしようもない奴だけれど、こんなに汚れた奴を身内にしなくてはならないほど悪い事はしていないはずだ。
話の内容が聞いていられなくて、さっさと家に戻ろうと踵を返した瞬間の動きが危機を招いた。
読んでくださってありがとうございます。