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案内するように伝えると、間もなく再びノックの音がした。
「失礼いたします。
ローレンハイト・レニエ様をご案内いたしました」
メイドの声とともに、扉を開けて現れたエリスフレール王国の王子の部下の姿が現れたとたん、部屋に銀色の光が差し込んだ気がした。
長めの銀髪に、知的かつ神秘的な青と緑を混ぜ合わせた美しい碧色の瞳、高潔かつ上品さを醸し出すその顔立ちのその姿は従者じゃなくて王子と言っても過言でない。
思わず「ゴージャス・・・・・・」と呟いてしまう始末。
その容姿はジュリアンと対極の位置にあるグッドルッキングといっても過言でない。部屋に入ってくる優雅でかつ無駄のない動きに思わず目を見張る。
しなやかで逞しい長身はジュリアンより少し背が高い。
「ハイト、どうしたんだ?
我が家で身を隠しておいてほしいって言ったのに」
自分の連れが外出先まで後をついてくるかのように訪問してきたことに驚いているジュリアンに、すまない、と謝って表情を曇らせるエリスフレール王国からの来客はやるせなさそうに眉間に皺を寄せた。
彼はジュリアンに訳を話す前にこちらに向かって深く一礼した。それに気が付いたジュリアンが彼を紹介する。
「彼はエリスフレール王国の第二王子ヴィンセンテの腹心の部下、ローレンハイト・レニエ大尉。
ハイト、彼女が前話した俺の従兄妹のレナ・キャロライン・ハートリー公爵。
俺が親父の跡を継がない限り、彼女の方が俺よりも身分は上だ」
「初めまして、ハートリー公爵。
突然お邪魔した無礼をお許しください。
ローレンハイト・レニエと申します。
ハイトとお呼びください」
頭から腰まで突き抜けるような低く甘い艶のある美声に一瞬で腰砕けになった気がする。
――この声は犯罪だわ。
思わず手を腰に添えて、力が入っているか確認したからきっと挙動不審に思われただろう。
彼は部屋の中に足を踏み入れると優雅な動きで膝を折り、右手に恭しく口付けて挨拶され、鼓動が大暴走。
全身の毛細血管まで血行が良くなった気がした。
美男子で王子の腹心の部下なら、例え海を越えた国の王宮に居ようとも噂が流れてきそうなのに……。
確かエリスフレール王国は美男子が多いと評判だったけれど、この目の前の人間を始め、エリスフレール王国はハンサムの宝庫なのか?
だったら、私もエリスフレール王国に留学は無理としても、遊びに行くのも良いかもしれない、なんて邪な考えが浮かぶ。
「お会いできて光栄です」
私が内心どう思っているかは勿論伝わっていないから、その言葉で思わず現実に引き戻される。
「は、初めまして。レナとお呼びください、ハイト様」
緊張して声が上ずってしまうほどの美貌。彼が手から顔をあげた瞬間、視線と視線が交差した。
それは刹那の時間なのに、甘い何かが全身を貫く。
だが彼は私の緊張に気付きもせず素早く立ちあがりジュリアンに苦々しい顔つきでここへ来た理由を告げた。
「ジュリアン、レッドフォード邸にオブリーと名乗る者が現れた。
しかもその人間は、エリスフレール王国の王子が誘拐されたという知らせが入ったと言って公爵の許にやって来たんだ」
「なんだって? オブリーが?」
私達がオブリーと呼んで浮かぶ顔は一人、いや二人しかいない。
先ほどの話題に登場したジュリアンにお熱な娘とその父の警察省の長官だ。
「どうしてオブリーが知ってるんだ?
届けも出していないのに」
確かに言われてみれば、おかしい。
ジュリアンの話では王子の訪問も内密だから、勿論誰一人国賓に値する人間が国内に入国していることは知らないわけで……。
ジュリアンの驚きをよそに、やって来た麗しい来客は、淡々と話して行く。
その話す姿は本当に美しい彫像のようだ。でも、その見た目に騙されてはいけないと理性が警告を鳴らす。
「類は友を呼ぶ」と言う言葉があるくらいだ。
ジュリアンの友達ってことは、この人に一目惚れは危険、と思っても、あまりの華麗さに目が離せない。
事件とは全く関係ない来客の容姿の美しさに思考を占領され、動悸が上がりっぱなしで、肝心の会話が頭に入って行かない自分を叱咤する。
見とれてないで、誘拐事件に関する話を聞かなきゃ。
意識を二人の話にやっと集中させて耳を傾けると、どうやらここに彼をよこしたのはジュリアンの父上、私の伯父上の公爵様らしい。
「君の父上が機転を利かせて、私をこのハートリー公爵家までよこしてくれた。
公爵殿は私がレッドフォード家にいるのはまずいと瞬時に判断を下されたんだよ」
とりあえず、二人の話を聞いてみる。
王子誘拐後、二人はとりあえずハイトの身柄だけでも安全なところにと思ったジュリアンが、宿場町から馬車に乗って安全な自宅レッドフォード公爵邸に帰り、遅めの昼食を取っていた父親の許に行き事のあらましを告げた。
レッドフォード公爵は、一大事と瞬時に判断し、まず国賓の部下であるハイトを匿うことにし、その間、誘拐されたヴィンセンテ王子を探すのに姪のハートリー公爵家に行き、知恵を借りるように差し向けた。
まずレッドフォード公爵はハートリー公爵家がこの国の軍を動かす権限を持ち、軍は警察より強い力を持っていることに目を付けたのだ。
ジュリアンが出かけた後、ハイトが公爵家の二階の客間に案内されて一息ついて間もなく下の階が騒がしくなった。
何事かと聞き耳を立てていると、その部屋にレッドフォード公爵自身がハイトの部屋にやってきたという。
「君が来たことは誰も知らないはずなのに、我が国の警察省の長官オブリーが事の誘拐事件を知っていた。
彼はジュリアンが帰国の際同行していたエリスフレール王国の第二王子を連れていたことも、その王子が誘拐されたという知らせが入ったという事まで下の階で喚いている。
ジュリアンと君を探しているようだが、今彼に会うのはまずい。
オブリーがどこまで知っているか分からないが、何かきな臭い。
まず私の姪でジュリアンの従兄妹のハートリー公爵家に向かってくれ。
そこにジュリアンが今いるはずだ。
くれぐれも私が早馬を出すまでこの家に戻ってこないように、と息子にも伝えてくれ」
ジュリアンを二十数年老けさせたらそうなるだろうと思わせる黒髪の伊達男の伯父様が、客人のハイトを送り出す姿は容易に想像できる。
カスパール・レッドフォード公爵は王宮で五本の指に入る有能な政治家でもあるのだから。
ハイトはその後言われた通り部屋を出て、裏口に用意された馬車に乗りこの屋敷にやってきたそうだが、その間ずっとそのオブリーという名を忘れないようにしていたそうだ。
話を着終えた後、ジュリアンは膝に両肘をついて「なぜオブリーが知っているんだ?」と眉根を寄せる。
「今朝のあなた達の宿場町の騒動が住民の口から伝わったとか。
警察の情報部が動いたとか。
でも、今朝の一件で他国の王子が誘拐された、なんて話をつかめるほどじゃないと思うんだけど、とりあえず、落ち着いて考えましょう。
ところで、ハイト様は我が国の言葉がお上手ですね。
まるでこの国で育ったみたい」
まずは気分をほぐそうと今までの会話を聞いて、感じたまま褒めてみた。
ただ褒めただけなのに、なぜかジュリアンが面白くない顔をするのか少し疑問だ。
説明によれば、ハイトはエリスフレール王国の王子の母上の故郷、隣の大陸の国の一つ、ゲラニオール選定王国から供で連れてきた貴族の侍女を母に持ち、王子とは生まれた時から乳兄弟の間柄で常に一緒に勉強していたため外国語が得意なのだという。
また武人としての腕前も素晴らしくエリスフレールの王宮でも一目置かれる存在とのこと。
「ヴィンセンテ王子って、ジュリアンが留学していた間に仲良くなった物凄いハンサムっていう王子でしょう?
部下のハイト様もこんなに素敵な方なんて、エリスフレール王宮の女性達は幸せですね」
事件の話はよそにハイトをべた褒めすると、またジュリアンが若干嫌な顔をする。
初対面の来客を褒めるのは社交辞令だって気がつけよ! と目で睨んでもそれにも気付かない。こんなに鈍い男だったっけ?
「おいおい、話が横道にそれてないか、レナ。
それよりオブリー、奴は何を掴んだんだろう。
あいつには密輸犯のオービック捕獲のとき、鈍い動きをされて相当煮え湯を飲んだんだが、今回の動き早くないか。それともその時に俺らが怒り狂ったのに懲りて早く動くようになったのか。
でも掴むも何も、俺達はエリスフレール王国の王子と同行していることは一言も言ってないよな、ハイト?」
「そうだ。君が言う通りだよ、ジュリアン」
となると、この事件は物凄くおかしい。まさかオブリーが一枚かんでいるということ?
だとしても、オブリーは王子が今回同行してくる事なんて内密で決まったことなんだから知らないはずだし、例え港で見たとしても、そんな誘拐計画考える暇あるかしら。
「でも、あの抜け目ないオブリーが直々にカスパール伯父様の許に行ったということは、絶対何かを掴んでいるってことだしね。
そうだ! レックスを呼んで!」
ハイトからレッドフォード公爵邸で起きたことを聞いたことと、さっきジュリアンから聞いたことを頭で整頓しながら、この場合私達では解決できないと判断して、お父様の代から仕えていて、私が生まれた時から世話をしてくれる頼もしい家令のレックスを呼んでもらうようメイドに頼んだ。
彼は私以上にハートリー公爵家に詳しい、我が家が一番誇れる最高の家令。
黒のジャケットにクロスタイを身にまとったレックスはすぐに扉を開けて現れた。既に年齢は五十歳を過ぎているが、若者と大して変わらない背恰好で背筋もしっかり伸びている。
白髪の混じった黒髪は撫でつけられ、綺麗な額が現れるオールバックの髪型に口髭姿は私が小さな頃から寸分も変わっていない。変わったと言えば、目じりの小じわと少し白髪が増えたくらいだ。
彼は若い時から先々代公爵、つまり私の亡き祖父の代は祖父の指揮する隊に入隊し、祖父の覚えめでたい若者だったそうだ。
祖父が軍を引退して数年後に彼も軍を退役し、ハートリー家の家令として我が家に仕え、祖父や両親が他界した後も私の傍で常に親代わりのように仕え続けてくれて、気が緩むと昔のように「お嬢様」と今でも呼ぶ古参の使用人の一人だ。
彼は部屋に入ってくると、客人に一礼した後、私の傍らにやって来た。
「レナ様、どうなさいました?」
「レックス、このジュリアンがちょっと厄介なことを起こしたの。
煩わせて悪いけど、あなたの軍人時代の人脈と力を貸してくれる?」
と上目遣いでお願いすると、いつも優しい柔和な笑顔のレックスが相好を崩して「もちろんですとも」と頷いてくれるのは良く分かっている。
レックスは何かと言って私に優しいのよね。
ジュリアンには厳しいけど。
「仰せのままに。
どのようなことが起こりましたか?
ジュリアン様の女性関係に巻き込まれたという話でしたら、このレックスもお力添えはしかねますが」
ほら。こういうところがレックスがただの家令じゃない所。
「違うよっ!
どうして話がそっちに行くかな?
話を聞いてくれよお」
親戚の家の家令にまでおちょくられて形無しのジュリアン。
家令の身分で彼がジュリアンをからかえるのは、彼が私達二人の幼い頃の養育係で、剣や乗馬の教師でもあったからだ。
「なかなか面白い家令殿ですね」
今日初めて訪れた客人のハイトまでその様子に笑いをかみ殺していて、レックスは「お見苦しいところをお見せいたしました」と一礼するものだから、彼は笑いが噛み殺せなくなって思わず噴き出す始末。
お陰でレックスにさっきの話を話まで少し時間がかかってしまった。
読んでくださってありがとうございます。