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「はあ? ゆ、誘拐? エリスフレール王国の王子が?
このウィンバーで?
いつ? どうして?」
恋の話でもなんでもない、極めて予想外の話をされたせいか、単語の羅列しか出てこず、声が上ずる。
ジュリアンが相談に持ってきた話は、国家の一大事件に相当した内容だった。
まず、我がウィンバー王国は、この大陸一を誇るカレンデュラ帝国に追い付け追い越せと頑張っている国の一つで、ジュリアンがこの前まで行っていたエリスフレール王国はウィンバー王国も一目置く同盟国だ。
もしその国の王族が我が国を訪れるなら、国を挙げての一大行事になる。
勿論貴族は王宮にご招待されるから、彼らがいつ訪れるかというのは、数ヶ月前から知らされているのが普通だし、王族だったら例え国王の弟だろうが、甥だろうが従兄弟だろうが、それなりの賓客扱いとなるし、他国でもそれなりの爵位の貴族ならかなりの賓客扱いとなる。
逆に言えば、私やジュリアンが公にどこかの国に使者として赴くとなれば、向こうでそれなりの待遇となるし、政治の駒にもなる。
だからこそ、その中の一国の王子が、例え次男だろうが、三男だろうが、誘拐となれば場合によっては戦争にすらなりかねない。
「し――っ! 声が大きいぞ、レナ!
下手にメイドとかに聞こえたらどうするんだ?」
向かい合って座っているテーブルの向かい側から手を出して、口元を塞ごうと慌てるジュリアンの顔は真剣そのもの。確かに真剣にならざるを得ない状況だと思う。
「うちの使用人達は口が堅いから大丈夫だと思うけど」
それに関しては自信を持って言える。
なのに、ジュリアンは首を大きく横に振る。
「確かに、正体不明の謎の売れっ子小説家のアリソン・リーがお前だということを、この家の使用人達は誰一人洩らしちゃいない。
彼らのお前に対する忠誠心と口の堅さは称賛に値するよ。
けど、それとこれは話が違う」
アリソン・リーとはウィンバー王国で最近推理小説の新鋭ベストセラー作家として知られる性別も正体不明の作家で、今は三カ月に一度の割合で新刊を出している。
それが私のもう一つの顔なのだ。
二年前、公爵を継いで間もない私は、投資やボランティアなど両親の行事を引き継いで行うことが多く、顔を覚えられないくらい多くの人間と会っていたが、子供のころから親の姿を見て知っていることなので、その変わらない生活に若干飽きがきていて、どこかに籠って自分なりの仕事がしたいと思い始めた。
その時、出版社を興したい青年がいて彼の話が面白く投資したのだが、その時彼が、偽名で短い何か小説でも書いてみたら? と言いだし、あれよあれよという間に書かされることになってしまった。
しかもその話を世に出してみたところ当人達の予想以上に当たってしまって、今に至っている。
私の書く小説は誘拐事件や、盗難事件に頭を悩ませるハンサムな探偵を気取った青年貴族と、その青年の家に仕える可愛らしいメイドが二人で解決するというのが概ねの筋の物。
その小説は現実味を帯びた色恋沙汰も時代背景も実際にあったことに近い事から、毎回登場人物のモデルの貴族は誰かと読者の憶測を呼び、別の意味でも人気がある。
今日はジュリアンが来なかったら、次の作品のために集めた資料を読むはずだった。
締め切りが来月末なんだよねえ。
「そうかな。ずっと彼らは私がアリソン・リーだって言う事を知っていても黙っていてくれるよ」
「それはそれ。
黙ってくれているのはお前のことだけだろ。
お前の家のメイドが俺のことまで黙ってくれるのか?」
「そう言われればそうかもね」
「だろ?」
主人に対しての忠義はあっても、私の亡き母親の血族にあたるジュリアンに対する忠義は無いに等しいかもしれない。
「もし聞かれていたら口止めしておくわ」
少し横道にそれたけれど、ジュリアンの話によれば、この誘拐事件。
事の発端はジュリアンがエリスフレール王国を訪れた先月から、つい最近までの滞在期間に起きた。
ジュリアンの帰国が決まった際に、彼と仲が良いエリスフレール王国の第二王子が、内密にジュリアンと一緒にウィンバーに遊びに行きたいと言いだし、その話がエリスフレール国王夫妻を交えた家族の食卓上で出されて、国王夫妻の了解を得て約束が交わされた。
そして一週間前、ジュリアンと王子と王子の腹心の部下の三人が、極秘でウィンバー王国の港町にたどり着き、港町からゆっくりと馬で都に戻ってくる途中、昨夜泊まった宿で明け方、賊に王子が誘拐された。
ジュリアンと王子の部下がすぐさま王子の行方を探したけれど、内密で渡航している以上、彼の素姓をばらして大っぴらに探すわけにいかず、自分達ではらちが明かないと分かった時点で、この王都ウェンズレイにあるジュリアンの生家レッドフォード公爵邸に馬を走らせ、まずは内密の渡航であることから、王子の部下を内密で匿っているというのだ。
「うーん、第二王子って名前何だっけ。
他の国の国王夫妻と皇太子の名前は覚えているけど、それ以外って覚えてないかも」
「お前の記憶力が一部おかしいことは知ってる。
お前、お勉強はできても、妙なところで脳みそ働かないことは。
社交界の必須条件の貴族名鑑の名前もろくに覚えてないし」
と、深く溜息をつかれる。まあ、確かにその点は私に非があるんですけど。
通常、貴族なら、この国の王侯貴族何百人という名前だけでも覚えておかなくてはならない。
なぜか私の場合はその部分の記憶力が欠如していて、王宮の役人や、政治家の一部の名前しか覚えていない。
だから、覚えている貴族というのは、ある意味何か特徴がないと覚えていられない。
「だって、別に覚えなくても向こうが名乗ってくれるし。
滅多に王宮にも社交界の集まりにも行かないから、覚えるのは女性達の顔と役人と政治家だけで充分よ。
でもまあ、息抜きしたくて腹心の部下と気心知れた友達だけで秘密で行動したい気持ちは分かるけれど。
それって密入国じゃないの?」
「違う、ちゃんと渡航証書は発行して渡ってる。
ただ、あいつの肩書に「エリスフレール王国第二王子」と明記してないだけだ」
「確かに渡航証書の肩書は無記名でもいいけど、国家の賓客は書かないとまずいんじゃないの?
あ、それかエリスフレールの直系って紋の入った矛持ってるからすぐわかっちゃったとか?
ウィンバーとかカレンデュラの剣と違って目立つでしょ」
「矛持ってって、いつの時代だよ。
今はどこの国も式典の時だけだろ?
まあ、確かにうちの国王陛下は常に帯刀してるが。
後、渡航証明書の件は調べた。書かなきゃならない、っていう法律はない。
慣例になってるだけだぞ。覚えておくといい。今後海外に行く時役立つぞ」
お、覚えておくといい、ってそんな立場を隠して渡航をする予定はありませんけど! と思ったところでふと、このことは小説に利用できるか? と頭の片隅に覚書をするようになったのは職業病かしら。
「ところで、喉が渇いて仕方ない。
朝からずっと何も飲んでないんだ。宿出てから飲まず食わずでさ。
お前のカップ使っていいなら、このティーポットのお茶飲んでいい?」
「別にいいけど。よかったら、何か摘む?」
「うん。頼みたい。
すまないな」
呼び鈴を鳴らし、ジュリアン用に食べるものを用意して、と頼むと、すぐさま先ほどの来客用に用意してあったと思われる軽食達が届けられる。勿論、彼用のお茶のポットおカップもだ。
メイド達が去ると、ジュリアンは無言で一心不乱で用意されたサンドイッチやスコーン等を口にして皿を綺麗にしていく。
無言でたいらげていく姿からしても、朝から何も口にしていなかったのは本当のようだ。
胃が満たされようやく一息ついたのか、彼は「ふうっ」と溜息をついた後、彼にしては珍しい憤怒と後悔の言葉を漏らした。
「誘拐なんて我が国の恥だぞ。俺はもう情けなくて、情けなくて」
ジュリアンは基本陽気で、滅多に憎しみとか、後悔とか怒りといった負の感情を表さない。
だからこそ、今日の事件が彼にとってどれほど衝撃的なのかよく分かる。
確かに今回の内密の渡航ということで彼らに非があるとしても、誘拐自体は許されない犯罪だ。
確かにその件に関してジュリアンがこの国の人間としてそう感じても仕方ないだろう。
「どうしたらいいんだ?
なんであいつが誘拐されるんだ? 訳分かんねえ」
「確かに、大問題、だよね」
まあ、起こったことは仕方がない。と割り切れないほどの大問題だ。
しかし、今日ジュリアンがまさかそんな話持ってくるとはびっくりした。ジュリアンは再び自らカップにお茶を注いで口に含む。
本来ならお茶を入れるのはメイドの仕事だけれど、話の内容が内容だけに室内は私達だけだし、ジュリアンはそういうことに関して「貴族的」な部類ではないから自分でやることに抵抗がない。
たまに男女問わずいるのだ。お茶にしろ何にしろ、誰かの手を使わせて自分の立場を強調する人間が。
「今日来た理由は、てっきり婚約者がいるエリナ・イマリー子爵令嬢との火遊びがエリスフレール王国に行っている間にばれたから、何とかしてほしいって話かなと思ったのに」
「・・・・・・!」
再び口に含んだお茶をブッ、と吐き出すようにむせて、目を見開くジュリアン。
液体は全部口の中から出なかったからいいけれど、ちょっとはしたないわ。
読んでくださってありがとうございます。