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瞳の中に君がいる

作者: 羽場速雄

「あ、流れ星」


 地球の大気上層にて毎日起きている現象ゆえに実際はさして珍しくないのだが、地上に住んでいる人間にとってみればそうそう見られるものではない。


 誠司せいじは野球場の片隅に置かれた横椅子に仰向けに寝転がりながら、天からの贈り物を目にして呟いた。


 時節は秋季キャンプまっさかり。


 九州の地方球場を利用して行われている千葉城南フェニックスのキャンプに、主力選手である彼も当然参加しており、日々練習に汗を流していた。


 今日の練習はもう終了していたが、関係者が皆引き上げた後もホテルに帰らず、グラウンドに残って満天の星空を眺めていた。ここ数日はそれが日課のようになっていた。


 誠司――松葉誠司が六大学野球で一世を風靡し、鳴り物入りでフェニックス入りしてから既に3年目。年齢も25歳を迎え、そろそろ若手から中堅に差し掛かろうとしている所謂スター選手である。


 富も名声も十分過ぎるほど得ることができたし、さらに鰻上りときている。技術的、肉体的、精神的にも日々進化し、さらなる向上が期待できた。誰もが羨む存在に彼はなっていた。


 それでも、誠司の心にはどこか空虚感が漂う。天幕を彩る星々の瞬きを見つめるその目元も寂しげだ。


 秋の綺麗な星空を見ると、必ず思い出してしまうからだ。遠い昔の、あの楽しかった日々を。楽しかった日々を演出してくれた、1人の女性のことを。


 彼女は秋の宝石箱のような天幕が大好きだったのだから。


 霧葉きりは。見た目は20歳前後で、漆黒の艶やかな長い髪がよく似合う、当時少年だった誠司の目から見ても美しい女性だった。白い着流しが彼女の純和風な雰囲気に彩りを添えてもいて、とても綺麗だったことを覚えている。


 反面、見た目と違って大層気が強く、容赦ない言動が玉にキズであったが。白い着流しを見、子供心に『雪女みたいだ』と言ったら『あんなものと一緒にするな! 私はもっと上位の存在だ!』と怒鳴り散らされながら、思い切り叩かれたのを誠司は覚えている。


 そう。彼女は人間ではなかった。


 彼女は……霧葉は風の聖霊だったのだ。


 父子家庭で、さらに半単身赴任状態の一家を、当時まだ10歳にもかかわらず誠司は立派に守っていた。


 物心つく前に母親を病で亡くし、父親に育てられてきた彼は、早い段階において1人で何事もこなせるようになっていた。小学校に上がる頃には簡単な家事をこなし、当の10歳時分には彼が松葉家の家事総括となっていたのである。


 そんな誠司が開かずの押入れを綺麗にする決意を固め、それこそ引っくり返すようにして掃除していた時、見つけたのが厳重に桐箱に封印されていた古いカセットテープだった。


 好奇心にかられた彼は、それを再生したのである。


 まさか再生したとたん、流れ出した音楽が実体となり、霧葉を形成するとは思いもよらずに。


 それが、霧葉との出会いだった。


 彼女は自然を守護する風の聖霊であり、人間側が用意した法術師と、かつて自然を守るために戦い、敗れて封印されてしまったということだった。カセットテープに封印されたのは、戦闘中に封印石を彼女が破壊したため、たまたま近くにあったそれを利用されて無理やりやられてしまったと語っていた。


 始めはそれはそれは驚いたものだったが、彼女があまりにも自然であったし、口調は偉そうだが特に危害は加えられそうもなかったので、誠司は意外なほど落ち着いていられた。


 そんな霧葉は、守るべき自然、長野のある地方の自然をいまだ心配し、さらに自分を封じた憎き法術師について、いきり立って現状を知りたがった。


 彼女が封印されたと思われる時代から、もはや20年以上が過ぎている。推して知るべし、であるが、さすがに可哀想に思った誠司は、彼女が居た時代にはなかったもの――インターネットを使って調べてみたのである。


 すると、意外にも簡単に調べはついてしまった。霧葉が守ろうとした自然は既にダムと化し、さらに彼女を封じた法術師もとうにこの世になく、守るべきものも復讐すべきものもなにもなくなっていたのだ。


 あまりにショックだったのか、聖霊のくせに哀れなほど霧葉は落ち込み、うな垂れてしまう。そんな彼女に心を動かされた誠司は気遣いの優しい言葉をかけてしまったのだが、それがいけなかった。


 それまでの落ち込みぶりが嘘のように彼女は復活し、なんと封印を解いてくれたお礼に誠司の守護聖霊になってやると言い出したのだ。


 とんだ押し掛け守護聖霊である。だが、誠司が状況を理解する前に、彼女は驚くべき速さで彼の生活に溶け込んでいた。勝手にソファに横になり、テレビをつけ、さらに煎餅を食べていたのだから。


 こうして松葉家には新たな住人が加わり、波乱万丈の毎日が始まったのだった。


 霧葉はぞんざいでトラブルメーカーではあったが、実際同居人として迎えてみると誠司にとっては嬉しい存在となった。


 元々友達も少なく、ましてや父子家庭で父親が半単身赴任状態なのである。どんなにしっかりしていても、彼はやはりまだ少年なのだ。話相手も欲しかったし、何より頼れる存在、甘えられる存在が必要だった。


 それら全てを彼女は満たしてくれた。時には友達として、時には母親として。厳しいところや、偉そうな口調は変わらずだったが、それでも霧葉は誠司にとってかけがえのない存在となっていったのである。それが、より深い『想い』へと変わるぐらいに。


 あの頃のことは本当によく覚えている。何にも替えがたい、思い出の日々だ。


 まぶたを閉じ、綺羅星の光を無に変えてから、誠司はあの頃の記憶を呼び覚ますのだった。






「まったく、調子が悪いなら家で休んでいればいいのに。どうして出歩いたりするんだよ」


 夜の帳が降り、すっかり暗くなった路地を、誠司は霧葉を背に自宅への道のりを歩いていた。当の霧葉は、彼のお説教にバツが悪そうにそっぽを向いたまま黙っている。


 そんな彼女の態度に、誠司はまったくと溜息を吐くのだった。


 事の始まりは学校から帰宅した時、留守番役の霧葉の姿が無かったことだ。


 普段は守護聖霊としての役目を果たすだのなんだのといって、普通の人間にはその姿が見えないのをいいことに、四六時中誠司の背中をうろちょろくっついているのだが、その日は体調がすぐれないと言って朝から家で休んでいたのである。


 人を超越した存在が体調不良もなにもあったものではないとも思うのだが、とにかく心配だったため、授業が終わるとすぐに小学校を後にして帰路を急いだのに、彼女は不在。


外を出歩けるぐらいなら心配いらないじゃないか、と当初は腹に据えかねた誠司だったが、さすがに日が落ちても帰ってこないとなると急に心配がぶり返した。いてもたってもいられなくなり、探しに出たのである。


 ただ、捜索は意外とすぐに終了する。近所の公園のベンチでのびている所をすぐに見つけたからだ。


 こうして、まだ10歳の少年の背を借りた嘘満点の自称20歳の聖霊は、無事すっかり住み慣れた我が家へ搬送されることとなったのであった。


「心配したんだからね。学校終わってすぐに帰って来たんだし」


 見た目も言動もオトナなのに、たまに素行に子供じみたところがある霧葉。本当の子供に呆れられるなよな、と胸中で愚痴る。すると――


「……すまん。少しよくなったからといって、散歩に出かけたのがいけなかった。もう無茶はせん。……怒っているのか?」


 いつもの勝気な様が嘘のように珍しく素直でどこか不安気な霧葉。誠司はちょっと驚いたが、そんな彼女の言葉が嬉しくもあった。


「いいよ、もう。それより、身体、まだ辛いの?」


「……大分楽になった。……お前、重くないか?」


「大丈夫だよ。霧葉、すごく軽いから。無理して浮かんで、軽くしたりしなくてもいいからね」


 風の聖霊ならでは、霧葉は天を飛翔することができたため、それを気遣ってみる。すると、彼女は一呼吸置いた後、小さな声であったが『ありがとう』と。


 勝気な霧葉にしては珍しい言葉続きだ。ただ、今はそんな彼女も悪くなかった。


 とにもかくにも大丈夫そうで、誠司はホッと胸を撫で下ろす。


 なんだか肩の荷が降りたようで気が抜けた感じになった。そうすると、ふとしたことからこれまで意識していなかったことが感覚の中に自然と飛び込んできたりもする。


 背中に当たる、柔らかい2つの膨らみ……。


 誠司も人並みに成長はしているし、この時期の少年ならば多少なりとも異性を意識し始めてもおかしくない。むしろ自然なことであった。


 ただ、誠司の場合は単に異性を意識しているだけではなく、『相手が霧葉だったから』なのだ。


 霧葉は友達であり、母親であり、姉であり、ともかくこれまではそれ以上でもそれ以下でもなかった。それがここのところ、急に友達とも母親とも姉とも違う印象を少しずつ抱くようになっていたのである。


 霧葉と共に居る時間がたまらなく嬉しいし、極稀に見せる彼女の微笑は目にするだけで心音が高鳴るのを感じていた。『それ』が心理的にどのような感情を意味するのかということも、彼はもう理解できる年頃でもあった。


 いつの頃から霧葉に対して特別な感情を抱くようになったかはわからない。


 ただ、彼にはその感情をどう扱えばいいか、明確な意思を以って行動するまでには至っていなかった。


 それでも、こうして背中に霧葉の温もりを感じられるだけで嬉しかったし、なにより彼女が無事だったこと、それだけで十分だった。


「やはり、怒っているのか……」


「どうしてさ。別に怒ってなんかいやしないよ」


 背中から聞こえてくる霧葉の沈んだ声。どうしてそこまで気にするのかと戸惑いつつ、誠司は彼女の言葉を否定する。


 対し、彼女はやはり悲しげな声で再び口を開いた。


「お前、黙って歩いているから……」


 泣き出しそうな、弱々しい声。こんなにも霧葉が弱い所を見せたことがあったろうか。


「本当にすまなかった……。上手く言えんが、心配をかけた……」


 何も言っていないのに、彼女は次々と謝罪と悔恨の言葉を口にする。


「お前に、――お前に嫌われたくないから」


 いかに少年だとしても、そこまで言われればもはや彼女の気持ち――彼女の想いがどういうものなのか気づかないわけがない。


 どういう類のものかはわからない。弟に対するものか、息子に対するものか、それとも。ただ、1つ言えることは――


「嫌うなんて、そんなことあるわけないよ! だって僕だって霧葉のことが大好き! ――な、なんだから……」


 言ってしまった。誠司は大きな声で途中まで言って、自分が何を言ったかに気づき、言葉が尻すぼみになってしまう。恥ずかしさに、頬が急激に熱くなってくることが嫌でもわかる。


「私のこと……大好きなのか……?」


 聞き逃していてくれば――などという期待は、あれだけ叫んでいれば無理であることが明白だ。現に、霧葉は確認してきたのだから。


「そ、そうだよ。僕は霧葉が大好きなんだよ」


 もうこうなったらどうにでもなれと、誠司は彼女の問いに真っ向から答えていた。


 恥ずかしくて溶けそうなぐらい、顔が熱い。口から心臓が出てきそうなほど、動悸がする。胸が苦しい。


 そんな、初々しい態度の少年に、風の聖霊は黙って彼の背中にさらに身体をもたせかけることで彼の想いに応えていた。


「――お前の背中、とっても温かいよ。ついこないだまで子供としか思っていなかったのに、こんなにもお前が恋しくなるなんて……私もいよいよ焼きがまわったのかもしれんな……」


 そう呟く霧葉に、普段の毅然とした様子はまったく見受けられない。とてもか弱く、なにより可憐だった。後ろを見ずしても分かる。いや、今彼女を直接見たら、おそらく顔から火がでるほどに恥ずかしくなるに違いない。


 なにより。


 彼女もはっきりと自分のことを恋しいと言ってくれている。こんなに嬉しいことはなかった。


 母親がいないことも、父親が仕事で在宅していないことも、あまり友達がいないことも、今は気にならない。一番傍に居て欲しい人がいるのだから。


 誠司の心の中にとても温かい感情が満遍なく広がっていく。


「――落ち葉。そうか、もうそんな季節か。そう言えば、星が綺麗だな……私は秋の夜空が一番澄んでいるように感じられるから、一番好きだ」


 ゆるやかな風に吹かれて紅葉した落ち葉が2人の前を横切る。それを見た霧葉は、言いながら夜空を仰ぎ見た。


 雲一つない天幕には、宝石を散りばめたように星々が瞬いている――想いが通じ合った2人を、暖かく見守るように。






 誠司は一番幸せだった記憶を一通り脳裏に呼び覚まし、過去との邂逅を果たすと、閉じていたまぶたを開いた。


 霧葉が好きだと言った夜の秋空は変わらずに目の前にあった。年月を経て、彼女のいない今を照らす夜空として……。


 霧葉は、もうこの世に存在していなかった。誠司を守るために、彼女は火に飲み込まれていったのだから……。


 2人の想いが通じ合ったあの日からほどなくして、松葉家の向かいの家が火事にみまわれた。その家には年老いた身体の不自由な女性が1人で暮らしており、火事が発生した時も当然在宅していた。


 それを知っていた誠司は、学校帰りに向かいの異変に気づくと、その火勢から消防隊が到着するまでにはとてもその老女がもたないことを子供心に悟り、とにかくなんとかしようとランドセルを放り出して形振り構わず飛び込んだのである。


 猛炎に恐怖し、煙に苦しめられながらも、どうにか軽い火傷をするだけで老女の元へと辿り着くことに成功。彼女を背負い込み、脱出にかかろうとした。が、来た道を既に火勢が塞いでしまっていたのである。


 まさに絶対絶命。その時だった、霧葉が現れたのは。


 回復傾向にあるとはいえ、やはりまだ体調がすぐれずに自宅で横になる日々が続いていた霧葉が、炎を突き破って助けに来てくれたのだ。


 彼女は必殺の疾風を巻き起こし、炎をかき分けて退路を作ると誠司らを先に行かせた。そして己は四方から迫る炎の手から彼らを守るため、その場にとどまったのだ。


 最初、当然誠司は一緒に来るように言ったのだが、火勢を押さえるにはその場に留まらなくてはならないとの返事が。私は天下の風の聖霊だぞ、と一笑に伏して彼の心配を吹き飛ばそうともしていた。


 だが、霧葉が無理をしているのは一目でわかった。炎の明かりに照らされた彼女の頬は、普段から白いのに加えてさらに透き通るように真っ白くなっていたのだから。


 しかし、背中の老女は煙に咽び、誠司自身も危険な状態に刻々と近づいていたのである。


 誠司は霧葉を信じた。だから、彼女に託したのだ。


 すぐに追いかけてくるように言い、霧葉が作ってくれた退路を走る誠司。そんな彼に、霧葉は優しい微笑を向けながら、何かを口にしていた。だが、その言葉は炎の轟音にかきけされてしまい、彼の耳には届いていなかった。


 誠司らは命からがらながらも、どうにか大した怪我もなく脱出することに成功する。


 しかし……それを見届けたかのように、彼らの脱出と入れ替わるようにして家屋は業火に包まれたのだった。


 それからのことは、誠司はあまりよく覚えていなかった。直後に到着した消防隊の制止を振り切って、火の中に飛び込んで行こうとしていたという。もちろん、彼は取り押さえられてそのまま病院に搬送されたのだった。


 事件後の報告はその病院で聞いた。誠司は必死に霧葉のことを訴えたのだが、現場検証でも遺体など見つからず、なにより彼に救い出された老女が霧葉を見ていないという証言が決定的となった。


 結局火事によるPTSDと判断され、カウンセラーによる治療が行われもした。


 所詮、霧葉の姿が見えない、見たことがない人間に何を言っても通じないと気づくまでそれほど時間は要しなかったし、なによりも彼女を失ったショックが、彼の心を広く、深く占めていた。


 最初は信じたかったのだ。彼女は自分でも言っていたが、天下の風の聖霊である。世の常識を超越する超自然的存在として、いかなることからも干渉されない守り神だったのだから。


 だから、ひよっこりまた姿を現れると思っていた。温泉につかって火事で受けた傷を癒していたとでもうそぶいて、帰って来てくれると思っていた――思いたかった。


 彼の想いは、虚しく霧散した。霧葉は、帰ってこなかったのだから。


 哀しみだけが誠司の心を支配し、抜け殻のようになった。彼を心配し、父親は仕事を替えて同居し、彼とともにあるようになった。それでも、彼が回復するには数年を要した。


 中学に進む頃には普通に生活できるようになっていたし、気晴らしに始めた野球にのめりこんだりもした。才能があったために抜きん出た成績を次々と残し、結果今はプロ野球選手にまでなっている。


 ただ、彼の心の空虚を取り除くまでには決して至らなかったのである。


 これまでに何人もの女性が想いを寄せてくれたが、誠司は一度として受け入れたことはなかった。


 全ては、あの日あの時から姿を消した、1人の女性のために――


「――俺もたいがい、馬鹿なヤツだよな」


 自嘲気味に鼻で笑いながら呟く。端から見れば、変わったヤツに間違いなく見える自分。けれど、それでいいと思っていた。


 自分にとって想いを寄せる相手は――


 と、軽く頭を振って身を起こす。考えても詮無きことだ。


 誠司は気持ちを切り替え、宿舎のホテルへと帰るべくベンチから立ち上がろうとする。


人の気配を感じた。


 見ると、ベンチの傍らにいつの間にか1人のブレザー姿の少女が立っていた。セミロングの髪を少しだけ茶色に染めた今時の娘だ。化粧はしていないようだが、目鼻立ちがくっきりとしており、至極可愛らしい。一目見て、素直に綺麗な娘と思える――そんな少女だった。


「ファンの子か? てか、こんな夜更けに君、こんなところに居たらダメじゃないか。高校生みたいだけど、未成年が出歩いてちゃいけないよ」


 一瞬その面持ちに見とれてしまいそうだったが、我に返った誠司は大人として当然の対応を取る。


「とにかく、球団マネージャーに対応してもらうから、宿舎にまずは行こう。ご両親も心配しているよ」


 立ち上がって宿舎の方へ促す。すると、少女は掌を上に向けつつ眼前にゆっくりと突き出した。


 その掌には落ち葉が一枚、静かに佇むようにして置かれている。少女は誠司に優しい微笑を投げかけると、そっと息を吹きかけて飛ばした。少女の息吹に、落ち葉はひらひらと宙を舞い、そしてグラウンドにゆっくり落ちる。


 一連の様子をどういうことなのかと訝しがりながら見つめていた誠司に、少女は初めて口を開く。


「――風を起こして、落ち葉を舞い上がらせたりすることはできなくなっちゃったけど……」


 耳を疑う誠司。この子はいったい何を言っているんだ? と困惑と動揺が心を占めていく。そんな彼の心に追い討ちを駆けるように、少女は続けた。


「狐につままれたような顔してる。でも、そうよね、そうなるよね。けどね、間違いないから――」


 少女は間を置くように目を伏せ、一拍置く。続けてゆっくりと再びまぶたを開き、


「忘れたか、誠司。私だよ。――霧葉だ」


 声こそ違うが、その口調は間違いようがない。彼女の、霧葉のものだった。


「遅くなってすまん。ただ、人間に生まれ変わってから、聖霊の頃の記憶を取り戻したのがほんの一週間前のことでな。それからお前のことを調べた。お前がプロ野球選手なんてものになっていたおかげですぐにわかったがな。再会までは15年かかってしまったが――」


 独白していた少女の、霧葉の台詞が止まる。


 誠司が彼女に駆け寄り、抱き締めたからだ。いきなりのことではあったが、彼の好きなようにさせている霧葉。


「たくましくなったな、誠司。まさかお前にこんな力強く抱き締められるとは思わなかったぞ」


 少し照れているようだったが、それでも心の底から湧き上がって来る歓喜を彼女は隠すことなく口調に載せて表現している。


「お前は、今まで私のことを想い続けていてくれたんだな……」


「当たり前だ! どれだけ、どれだけ俺が君のことを――」


 霧葉の言葉に、誠司は15年間溜まりに溜まった想いをぶつけようとした。が、それは果たされず、暖かい温もりの中に消えていく。


 目を丸くした誠司の表情を愉しむかのように、彼の唇から唇を離した霧葉は、彼の瞳をまっすぐ見つめながら、言った。


「あの時。あの、火事の時、私が最後にお前にかけた言葉……聞こえてなかったろう?」


 忘れもしないできごとだ。頷く誠司。


 霧葉は悪戯っぽく微笑を浮かべ、そして――


「お前のことを、誰よりも愛している――それがあの時、お前にかけた言葉だ。その想いは今も変わらない」


 誠司の面持ちを見上げる霧葉。彼の両頬にそれぞれ両手を添え、その瞳全てに自分を映りこませるようにして、言った。


「そう。お前のことを、誰よりも愛している」


 誠司の瞳の中に霧葉がいる。その彼女が精一杯の想いをぶつけてきていた。


 多くの言葉はもういらなかった。ただ、一言だけ――


「二度と離さない、離すもんか!」


 これ以上もなく愛しい人をしっかりと抱き締める。誠司にとって、いや、2人にとってそれだけでよかったのだから。


 年月、そして生死。


 それぞれの隔たりを超越し、2人の想いは『形』となって今、結実した。


 想いは、必ず叶うものなのだから――。








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