第9話 : 子供
俺とへっぽこの、じとりと据わった白い目線を受けて、少年は苦笑しながら名を”樋口 流三郎”と口にした。
「偉いってなんだそりゃ」
どうみたって一番ちびっこの間違いじゃねーのか。
「………」
へっぽこの沈黙が肌を刺す。うざい、わかってんだよ。忌々しいことに、誰かに膝をつかせることが偉いというのならば、確かにこの少年はこの中の誰よりも偉いんだろう。それはきっと、俺たちの想像をはるかに超えるほどに。あれはそういう空気だった。俺の微かな糸一本の緊張をするりと避けるように、少年の目が前髪隠れる。
「まぁ、冗談はさておき。俺はちょっとばかり特殊でな、こんななりだがこれでも佐伯の上司にあたる。そして
先ほどお前たちを追っていた女、グレルに、姿を消したメネアとも懇意にしててな。事件の真相解明へ尽力する覚悟だ」
「……お前も、俺を疑ってんのか」
メネア。
あいつ、そんな名前だったのか。ひどい怪我だった。姿を消した少女に、いったい何があったのか。どこにいっちまったのか。俺だって知りたい、俺だってわからない。それなのにどいつもこいつも俺に真相を吐けとそればかりで。いい加減、文句が爆発しそうだ。苛立ちと焦りが脈を速める。
「疑ってなかったといえば嘘になる。だが、」
いつの間に手にしていたのか、少年が音もなく銃口を俺に向けていた。
「………」
あまりに流れるように向けられた死に、もう言葉すらでない。
突然の展開にそりゃあ驚いてるけどよ、俺は今日、何度この場面に立ち会えばいいんだって達観の方が遥かにでかくて。
髪の隙間からこちらを見据える少年の瞳は揺れることなくあまりに静かだ。
先刻の女の銃が、荒れ狂い立ち上る炎のような動だとしたら、少年の銃は、どこへ行こうが逃れられない空のような静。
静寂が思考を進める中で、密かに足へ力を込める。
たとえ無理だろうが、まぁ足掻くだけ足掻いてやる。
さっきは足掻きに足掻いて、そしたらここまで辿りつけたんだ。今度だってやれるとこまでやってやる。
へっぽこに視線を向ければいつの間にか佐伯が前に立ち構え、やつの様子を伺うことはできなかった。
ふいに佐伯の視線が少年へ向き、おもむろに佐伯が首を横に振る。
少年は意外にも息を詰めていたのか、瞳を閉じて一つ息を吐いた。瞼と共に銃口も下に落ちる。
「……やっぱな。お前じゃメネアを害することは到底無理だ」
「意味がわかんねぇ上に、言い方がなんかムカつく」
本当になんだってんだ。
今のでいったい何がわかったっていうんだ?
命の危機に突然落とされたかと思えば、なにやら、たぶん不躾な言葉を投げられた。
とりあえず俺だって機嫌のひとつやふたつや、百や二百、悪くなるってもんだ。
佐伯が「あいつは口が悪いんだごめんな」と眉を下げている。
一歩後ろでは、へっぽこが妙に眉を潜め俺をじっと見ているのが目に入った。
「なんだよ、気持ち悪りぃ」
「気持ち悪いって……君、ほんとひどい奴だよね」
思案気に組んでいた腕を解くと口を尖らせながらこちらに寄ってきて「大丈夫か」と心配げに聞かれる。
極めて遺憾。極めて不本意だ。
「……大丈夫に見えるか?」
「まぁ、割と元気そうだけど」
へらりと答えるへっぽこにムカついて、思い切り足を踏んでやる。
こちとら意味不明が限界点突破しやがって内心冷や汗ものだってのに。
なんでてめーはそうのんきなんだ。てめーの脳みそにはのんきしか詰まってねーのか馬鹿たれが。
「いてっ」
「けっ」
顔を上げれば、少年と佐伯がひどく微笑ましげにこちらを眺めていた。
まるで見守るような目線にむずがゆくなる。はぁ!?なんでこんな恥ずかしいだせぇ気持ちになんなきゃいけねーんだ!急に居心地が悪くなる俺に、少年が微笑みを深めると、一転して表情を引き締める。
「お前が目撃した少女は、特徴から言って間違いなく俺たちの探し人であるメネアだろう。自ら命を捨てることもなければ簡単にくたばるやつでもない、何か事件に巻き込まれたのだと考慮している。頼む、もう一度状況を詳しく教えてくれ」
頼む、とまっすぐこちらをみる少年は俺の半分くらいの身長しかない。小さな存在だった。がきんちょが一著前な顔をしてこちらを凛と見据えている。その様が気にくわなかったのかもしれない。もしくは俺が甘えていいものだと判断したのか。子供が大人に我が儘を言って困らせて、相手の持つ大きさを測るように。
「……まだ、謝ってもらってねぇ」
子供だって馬鹿じゃない。許されるとわかっているからこそ、甘えるんだ。
我ながら本当にガキくさい駄々だった。俺を連れてきたのはへっぽこたちだし、長い間永遠と取り調べしてきたのも奴じゃない。本気で殺そうと血眼で追ってきたのはグレルという女であって、少年に謝罪を求めるのは筋が違うだろう。……でも奴だって、俺の命に遊びのように銃口を向けてきた。言い訳のように胸に言い聞かせる。ならば、奴からも謝罪のひとつもらわないと俺の中の踏ん切りがつかない。
目の前の少年が一番大人の目をしていたからこそ縋りたくなったのかもしれない。ずるずると続いてきた得もせぬ不安を断ち切るために。
少年は一瞬きょとんとした顔をした。もしかしたら、大人びて口の悪いやつのことだ、両手いっぱいの皮肉と、からかいを投げつけられるかもしれない。言ってから後悔が浮かぶ。だが後悔を募らせるよりも先に、少年は申し訳なさ気に苦笑すると、深い礼を向けてきた。はたから見れば滑稽でひどい景色だろう。年下を、それも小学生を俺がいたぶっているようにしかみえねぇ。優越感は一切感じない。与えられたのはわずかな罪悪感と、圧倒的な安堵だった。
「これまでの無礼の数々、本当に悪かった。決して戯れでもいたぶりではなく、俺たちも事件の真意がわからず多方で混乱し常軌を削いでいた。胸糞悪い思いをさせちまったな、すまない」
「……苦しゅうない、許す」
何言ってんだ俺。まったくもってキャラじゃねー!
ただ、この空気をどうにかしたかったというか、少年に頭を下げさせたのがやっぱりどうにも居た堪れなかったんだ。
俺の返答に、へっぽこが顔を手で覆っている。
佐伯に関しては、ツボに入ったのか肩を震わせて目じりを拭っていた。
「いやぁ、無事に若き殿のお許しがもらえて俺たちほっとしたな、なぁ流三郎殿?」
「……ったく、よくもまぁ、こんな生意気な殿様がいたもんだぜ」
「おら、突っ立たままじゃおちつかねぇだろ。場所変えるぞ」そういってスタスタと歩いて行くがきんちょ、樋口少年の機嫌は、俺にはどうにもそう悪くなさそうに見えた。