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神様に捧ぐ  作者: 古代いせき
第一章 白き者
22/22

第22話 : 柔軟


流三郎は、一切振り返ることなく建物の中へと消えていく。

蝉の声。駐車場の植木草が風にさわさわと音を立てる。

足首をくすぐるように柔らかな毛が触れる。

猫は気まぐれだというけれど。

例に違わず、腕から逃げ出した子猫が足元にまとわりついていた。

しゃがみ込んで正面から顔を合わせれば、どうしたと言わんばかりの生意気な顔つき。

……お前が先に俺んとこ来たんじゃねーか。


「へ、へっくしゅんっ」


隣で鼻を啜る音がする。


「……てめーもかよ」


坊さんのみならず、この男までも。

妙に着古した黒いスーツ。先祖代々受け継いだスーツでも来てんのかてめーはとおちょくれば「仕事柄着る機会が多くてこんなになってしまった」と苦笑した男。目は、笑っていなかった。冷静にも、冷めているようにも見えた姿は、慣れ故なのだろうか。俺もあんな目をしているのか。鏡でも見ればわかるのかもしれない。


動かない俺に興味がなくなったのか、子猫はそっぽを向いて歩き出す。

子猫の影が、へっぽこの影と重なった。

そろりと自分の足を見る。

きったねぇスニーカー。

まったく、どうしちまったっていうのか。

そこには、あるべき影がなかった。


昨日まで普通に生活していたというのに、今の俺はなぜだか靴の影さえなくなってしまっていた。

訳が分からな過ぎていっそ笑えてくる。


顔を歪める俺の目の隅で、上から伸びてきた腕が子猫を恐る恐る抱き上げていった。


「わぁ……小さい。可愛いねっくしゅん!」

「…お前、完全に猫アレルギーじゃねぇかよ。可愛がってる場合じゃねーだろ」

「いや俺アレルギーなんて信じてないんで」

「馬鹿かよ……」


俺らを、というか主にへっぽこを弄ぶかのように、子猫はすりりと奴に頬づりした後、腕を抜け出し、よれたスーツの肩に着地する。ただでさえボロい黒スーツがもう見るも無残なほど猫の毛まみれになっている。


「うわっ、危ない危ないって!ちょ、木戸くん、黙って見てないで、ほら危ないから!」


焦りながらもどこか嬉しそうに上ずった声。

……猫好きなのに、猫アレルギーとはなんたる皮肉。

とんだ不運野郎じゃねーか。


「……つーかどっちかつーと、今、お前が一番危ねぇ野郎だぞ。はたから見ると」


なげぇ葬式がようやく終わったのか、建物から出てきた人々がへっぽこを怪訝そうに見ては囁き合っている。

そりゃあそうだ。

なにせ今の俺は人の目には見えないらしい。

他からすりゃあ、ひとりぼっちで猫と騒ぐ成人男。

やべー寒い絵図。


「き、木戸君!もう限界だって、落ちちゃうから!!」


本気で焦り帯びてきた声にこれ見よがしにため息をつく。

しかたなく近づいて子猫の首の皮をひょいとつまみ上げると「おぉっ!!」と、持ち上げられた猫よりもへっぽこが驚いたように声を上げた。


「なんでお前が驚いてんだよ」

「いや、慣れてるんだなって」

「はぁ?慣れてるも何も、よくこうやってんだろ」

「?」

「だから、よくこうやってばあちゃんが……」


はっとして言葉に詰まる。

子猫は、安心したのか遊び疲れたのか、すっかり大人しく俺の腕に収まっていた。


「……白猫、女の子かな?名前は決めた?」

「はぁ!?」

「あ、まだ考え中?こんなに可愛い子だもん、素敵な名前つけてあげなきゃね」

「いや……」


名前を付けるも何も。俺の猫じゃねーし。

ドタバタしていてすっかり預かっちまってるけど、本来ならばこの猫は店の売り物であって返却するのが筋ってもんだろう。

だが、昨日から俺の周りを付いて回るこの白猫について、それこそ取り締まるべき警察官である流三郎も佐伯のおっさんも何も言わない。それどころか、へっぽこさえもこの調子だ。


「意味わかんねー…」


腕に顔を埋めている猫の頭上をつんと突けば、もぞもぞと顔を上げる。

触れる身体は温かく柔らかい。

とくりとくりと小さいのに一著前な心音が腕に触れて、やり場のないもどかしい気持ちが湧き上がる。

大きな青い瞳に反射して、俺の姿が映っていた。


なぁ……、どうしたら、いいんだろう。


「……猫の気持ちなんて人にはさっぱりわかんねーし」

「うん」

へっぽこの微かな相槌に、言葉が堰を切ったようにあふれ出した。


「人だって、周りで見聞きしてようやく俺たちは将来死ぬんだなって知るわけで。たぶんこいつ、同類といっしょに育てない限りさ、一匹で飼われちまったらきっと“死ぬ”って知らねぇまま生きて、んで死んでいくわけだろ。それってすげぇ怖いことなんじゃねぇか?死ぬってことを知らないで生きていくって、毎日どんな感じだ?死ぬってことを知らないまま死んじまうってどういう感じだ?」


俺と一緒にいてしまったならば、こいつは死ぬとき、何を思うのだろう。


別れはいつの日も突然だ。

……ばあちゃんは、最後に何を思ったのだろう。

せめて苦しまずにいてくれただろうか。

死を知っているが故、人が最後に感じるのは恐怖か安堵か他の何かか。教えてくれる人は誰もいない。

ならば、死を知らずに逝く命は如何ほどのものか。なんて考えてしまう。

俺と一緒にいたら、この命はどうなってしまうのかと。その責任を持てるのかと。


「んー、僕の予想だと“くそねみーな”」

「はぁ?」


上がったのんきな声に、思わず険のある声が出た。

それを聞いていたのかいないのか、へっぽこは至って真面目な顔で言葉を続ける。


「前にね、聞いたことがあるんだよ。実は眠りが一番死に近くて、僕らは毎晩生と死を行き来してるんだって。そうだとすればさ、死ぬってことがなんだかわからないとしても、みんな寝てるでしょ?人も猫も犬も。だから、なんかやけに眠たいなぁ…いい夢みれるといいなぁ…ってそんな感じかもしれない」


眠たげにも聞こえるのんびりとした声色があまりにも平和的すぎて。

これが、肩すかしっていうんだろうか?とにかく。


「すっげー、へっぽこな回答」

「悪かったね……!じゃあ、君はどう思うのさ?」


恨めしそうに茶色い半目を向けるへっぽこに、思い切り肩を竦めてやる。


「……猫でも犬でもないんだから、わかるわけねぇだろ」


妙にすっきりした身体の中で子猫の鼓動だけがやけに感じられた。

俺の言葉にへっぽこは空を見上げ、これ見よがしの片言でつぶやく。


「うわー、スッゲーヒドイ回答」

「悪かったな……!!?」



―…なぁ、ばぁちゃん


俺さ、よくわかんねぇけど、身体からその、たぶん、羽根が、生えてきてよ。

悔しいけどやっぱ馬鹿だから流三郎の説明、全然わかってなくて。でも身体が人とは違うものになったらしいっていうのだけはすげーわかんだわ。だって、葬儀屋のおやじも近所のばばあ共も、俺のこと全然見えてないんだぜ?不思議だよな。けどよ、ならいっそさ、さっさとそうなってりゃあ火に突っ込むのもだいぶ楽になってたよな?姿が見えねぇなら、消防のあんちゃんにも止められねーわけだし。そしたら、もっと早く店に入れて、もっと早くばあちゃんを見つけて、そしたらもしかしたら、今頃ばあちゃんは生きてたかもしんねーんじゃねぇか。まぁ、ばあちゃんにも俺は見えなくなっちまうけど。でももっと一緒に、今だって傍に居ることができたんだんじゃねーだろうか。ったく、おせぇよな。するならするでさっさとこの身体にしてくれりゃあよかったのに。あ、この身体って、世間様では“天使”って呼ばれてるんだって。笑えるだろ?俺が天使だって。



……って、ばぁちゃんもしかすると天使って知らねぇかもなぁ……。世話になってたのって寺が多かったし……。


「にゃぁー」


子猫の鳴き声に脳みそが現実に戻る。

腹でも減ったのか、やけにミャアミャアと白猫が鳴く。

ったく、うっせーぞ!……って、そうか名前。


うるせーって文句言うにも、名前がねぇとしまらねえな……


「名前、なまえ……」


ふと先ほどの思考が甦る。

ばあちゃん、天使、寺。……寺。


「……じゃあもう寺で」

「ん?」


目の前でへっぽこが首を傾げる。


「だから、こいつの名前。命名“寺”」

「あぁ。えっと、ティラ?うん!可愛い響きだね、ね?ティラ」

「にゃあ」



……なんかもう。

いいや、それで。


息の合ったへっぽこと子猫、ティラの野郎を目の前に、俺が空を見上げたのは仕方ないことだと思う。


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