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神様に捧ぐ  作者: 古代いせき
第一章 白き者
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第21話 : 祝詞


クーラーが効きすぎた会場の中で、かったるいお経が飽きることなく続いていく。

時々、坊さんがくしゃみをしていて、5回目のくしゃみが鳴ったあたりで、俺は外へと出て行った。


足元を見れば、ちっさい猫がよたよた付いてくる。


「……あの坊さん、ぜってー猫アレルギーだな」


単調に続く経は子守唄にしかならず、参列者の数人がくしゃみに反応して首をびくりと起こしていたのが、すこしばかり面白かった。


外に出れば、夕方にも関わらず日差しは高くまだ明るい。

昼の水色の空と夕日の橙色が混ざりはじめた空は、それでも最後の一時まで互いを相容れないとでもいうようにはっきりと空に色の境界線を引いている。


今日は、ばあちゃんの葬式だった。


夏の匂いの中、風に運ばれて葬式場から線香の匂いが僅かに漂う。

式は質素なものではあったが、それでもに何やら佐伯のおっさんが近所への知らせやら会場の手配やらを手早く進めてくれたおかげで、滞りなく上げてやれた。参列者は少ないながらも知った顔が足を運んでくれているようだった。俺にとってばあちゃんがただ一人の家族だったように、ばあちゃんにとっても俺がただ一人の家族だったのだ。何十年と生きてきたばあちゃんを思うのが俺みたいなのただ一人だとしたら、それはあまりにも世知辛い。


腹が減ったのか、構ってほしいのか、子猫がなぁなぁと鳴いている。仕方なく腰を折ると、足元の子猫を両手で包み抱き上げる。


「マジでお前、どんだけ汚れてたんだよ……」


火事の中、ばあちゃんが胸に抱いていた子猫だった。

出会った時は黒っぽい煤けた毛並みに見えたそれは、どうやら白猫だったようで、すっかり洗われた身体はぽやぽやと白い毛を揺らしている。きょろきょろと好奇心旺盛に動く目は真っ青で、獣らしい縦長の瞳孔が青い目の中で浮かぶ島のようだった。内側がピンク色をしたちっさい耳がピクリと動いたかと思うと、子猫は俺に目を向けて、俺の小指の爪の三分の一もないだろうこれまたちっさい歯を見せて文句を言うようにひとつ鳴く。構ってほしいのかそうじゃないのか。どうやら今度はさっさと手から離れて歩きたいらしい。ったく、お前なんてその辺のんきにうろうろしてたら、カラスにでも掻っ攫われてぱくっと食われちまうぞ。


「おい、あまり一人でうろつくなと言っただろう」


背後から幼い声が耳に届く。声色に似合わない柄の悪さを持って。

振り返れば、もっさりとした黒髪に、律儀にも上下真っ黒の服を着込んだ流三郎が歩いて来ていた。白いアスファルトの上で黒い服がやけに浮き出て見える。滑るように音なく歩く様と合わさって、その姿はさながら小さな死神のようだった。

目の前までやってくると流三郎は俺を見上げ口を開く。


「ったく、どこにいったかと思えば。あまり不用意にうろつくんじゃねーよ」

「……うろつくなっつたって、つまんねー坊さんの経なんざいつまでも聞いてられっか。……つーか、どうせ誰にも見えてねぇんだから支障ねーだろ」

「“誰にも”じゃねぇ。“大抵の人間には”だろうが、お前の場合。本来は等しくすべての人間の視界に映り得ないのが透過期だってのに。危なっかしくて見てられねーんだよ、この雛っ子が」

「ひ、雛っこ……」


俺のことかよ、おい。

腕の中で子猫が身を捩り、器用に隙間から地面へと着地する。こうなれば奥の手。駆けだそうとする子猫の首根っこへ手を伸ばし摘み上げる。アスファルトの上にはきょとんと大人しくなった子猫の影と、流三郎の影が二つ。どれだけ目を凝らそうと、あるべきはずの俺の影はこれっぽっちも見当たらない。


「不思議なもんだな」


片手を掲げて手のひらを見やる。いつも通りに見えるのに、少し手の平の角度を変えてやれば束の間キラリと指先が光り空が透けて見えた気がした。俺の様子を流三郎がじっと見つめている。


「もうしばらくは、そんなんだな。といっても慣れたころには終わっちまうが」


流三郎の言葉に口の中で「へぇー」とつぶやく。慣れる時がくんのかこれ。

良いんだか、悪いんだか。


「……お前も、そうだったわけ?」

「まぁな」


空に溶けてしまいそうでなかなか溶けない手の輪郭。確かに俺はここにいるはずなのに。目を下せば、角度によって透けて見える身体。映らない影。通り過ぎる視線。過ぎ去る人々。


ばあちゃんが死んだあの日から、俺の姿は人に見えなくなっていた。


流三郎が言うには“透過期”といって身を守るための防衛本能が著しく働いているのだという。


「つーか、流三郎こそ見えてんぞ。なんてんだ、その、……それ」

「ん?あぁ、雛っ子には共鳴しちまうんだよ。いわば、母性本能みてーなもんだな。無意識に出ちまうもんだから、こっちも制御しずれぇ」

「ぼ、母性本能……」


絶句しかねぇ。


「なにか、おかしかったか?」俺の様子に首を傾げる流三郎の姿に、諦めにも似た徒労を覚える。感覚がちげぇのは生まれ持った個性の違いか、それとも人ではないものとして歩んできた年月ゆえの相違なのか。どちらにしろ予想外の返答に眩暈すら覚え頭を抱える俺に、流三郎は肩を竦める。


合わせて流三郎の背に生えた白い翼の羽根先がサワリと開き、細やかに揺れている。隣り合う羽根先同士が時折風に揺れて触れ合い、風鈴のような涼やかな音が控えめに鳴っていた。


“天使”


流三郎は、自分のことをそういう生物なのだと言った。


流三郎の羽根の音色に答えるよう、俺の背でやけに膨らんだコートが揺れる。

コートは目覚めてすぐ、流三郎から与えられたものだ。薄手で白く滑らかなそれはコートというよりもマントで、俺の身体をすっぽりと覆う。姿を消しきれていない俺のそれを、()()()()()隠すために必要不可欠の代物だとすぐにわかった。


「人の目から、か……」

「どうした」

「いや、なんか色々、まだ信じられねーや」

「そうか」


流三郎はそれ以上なにも言わない。


「あ、ふたりともいたいた……」

「げっ」

「え、あ、なんか邪魔しちゃった!?……でもなんていうか、木戸君があんまり危ない人に見えて思わず……」

「はぁああ!?」

「いやだってさ。はた目からすると、片手に子猫を摘み上げて、小学生睨み下ろす超ヤバいお兄さんだからね君」

「っざけんな!!!」

「事実を言ってあげた俺、言っとくけど凄い優しいと思うんだけど!?あ、でも声かけて大丈夫でしたか?」

「お前、マジでふざけんなよ……!?」


流三郎がくすくすと肩を震わせて息を漏らす。


「大丈夫だ、むしろいいタイミングできてくれた。ほら木戸、言わんこっちゃない。お前はあまりちょろちょろとうろつくな。こうやって多少免疫のあるやつには見えちまうんだからよ」

「……へーへー」


状況を把握できていないへっぽこが、話について来れずおろおろしている。その目線は変わらず流三郎と俺とを行き来していて、確かに茶色い瞳は俺の姿を映していた。


葬式の会場から出てくるとき、参列者も会場スタッフのやつらも俺のことが見えない様子だった。その証拠に、誰に振り向かれることも声を掛けられることもなかった。だがどうやら、普段から流三郎と接している佐伯のおっさんや、事件現場にいたへっぽこには俺の姿がチラチラと見えるらしい。


流三郎は釘を刺す様に俺をじっと見つめてくる。首を縦に振るか、わかった!と声鷹高に宣言しなけりゃあ承知しそうにない。こいつはマジで子供扱いだ。さっきの母性本能うんぬんというのは、あながち冗談じゃねーのかもしれない。つーか、流三郎って冗談いうのか……?俺の思考がそれていくなかでも、流三郎はじっとこちらから目を離さない。一心に目を向けられる居心地の悪さに頭をかきむしり、そのまま手を挙げて宙で振る。


これで勘弁しろ。これ以上はマジでうざくて切れるぞ。

どうやら流三郎は十分満足したようで、ようやくへっぽこへと目線を移した。


「佐伯が俺のこと呼んでんだろ?」

「あ、そうです!佐伯さんがそろそろ時間だと……」

「そうか。じゃあ後は、この雛っこのお守り頼むな」

「誰が雛っこだ、誰が!!」


やっぱ我慢できなかったクソうぜぇ!!

流三郎の口元が少し上がる。だが、それも一瞬で、次の瞬間には揺れた前髪の隙間から大きな黒い視線が俺を静観に見据えていた。


「望むがままの、道を行け」


言ったきり。流三郎はあっという間に背を向けて遠ざかっていく。小さな身体は一度も振り返ることはない。


それは、昨日も聞いた言葉だった。

流三郎は、まるで俺の胸へとその言葉を打ち込もうとするように何度も何度も繰り返す。

忘れられるわけがない。


それは、この姿になって一番初めに流三郎から聞いた言葉だった。


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