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神様に捧ぐ  作者: 古代いせき
第一章 白き者
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第18話 : 不変


静寂の中、外では未だにざわめきと、どこかでまた火柱が立ったのか破裂音がいくつか続く。


「……何が、起こってんだ」


口を開けば、唇はカサつき喉の奥がひりりと痛む。周囲の熱気に身体の水分が蒸発しているのだろう。喉の痛みに、舌を動かし唾を飲み込もうとしても、ただ乾いた口腔の肉がさらりと舌先に触れるだけだった。


メネアと、そして血まみれの少年。

まるで最後の別れの挨拶だと言わんばかりの言葉だけ残して、あっという間に二人は消えちまった。跡形もなく。いったいどこへ。

そして今さらながら、いやこんな時だからか。外で聞いた女の話がふいに引っかかる。確かデパートの中でダチが若い男に食いちぎられたって。


若い、男。

あの話は、少年の仕業だったんじゃねーのか?それにこの店の、この火災。どうしてこんなことになっている?あのとき、少年が俺に迫ってきたあの時、凄まじい鉄みてぇな血の匂いと一緒に、ほのかに、ほんの、ちょっとだけだけ、ガソリンみてぇな……、鼻をつく匂いが、確かにしなかったか?


「……おい、流三郎」


炎の中で、流三郎の髪が靡く。

煙が重く漂う空間の中で、あいつの目だけはまるで爛々とした輝きを放つように、光って見えた。


決して視線が合わない。ただ静かに、一心に、メネアと少年がいた場所を見つめている。

そこは数歩で埋まる距離であるはずなのに、やつはまるでひどく遠い場所を見つめるように目を細めていた。


なぁ、答えろよ。

お前は何か知っているんじゃないのか。

けが人の、火災の犯人はあいつだったのか?なんでメネアと消えちまった?いったいどこへ?

答えろ。お前は何を知っている、何がどうなって、何をどこまで知ってやがる。何が、起こっていやがる!


乾きは俺の言葉を奪い取り、ただ音なく口が開いては閉じる。

滑稽な光景だったろう。だが、俺の言葉にならない空気を喘ぐだけの挙動は、微かな振動を生んでいたのか。視線を遠くへやったまま、それでも流三郎がゆるゆると細い首をこちらへ向けた。いつの間にか宙に漂う煙は濃さを増し、今や暗闇とも言える黒々しさで。帳のような黒い煙の中で、小さな首筋の白さは妙に浮かび上がり、幼い皮膚の柔らかさが思考を絡め取る婀娜っぽさをちらりと見せた。今にも一歩先へと手を伸ばしそうな、何かを必死に求めるような切望の眼差し。それは俺が知っていそうで知らない感情のように見えた。この僅かな共鳴と暴力的なまでの理解しがたさこそが、人に好奇心という名の欲を浮かばせる遡源かもしれない。



「とにかく、外へ出るぞ」



かけられた声にはっと顔を上げれば、すぐ近くまで来ていた流三郎と、ぱちりと音がしそうなほどに目が合った。

前髪の下には、先ほどまでの蜃気楼のように容易く揺れる瞳は露程も見つけられず、ただ深々とガキらしくない思慮に富む黒目が図々しく鎮座している。

ちっさい手で腕を掴まれ、身体をぐいと宙に引き上げられる。そこで初めて、自分が床にぼけっと座りこんじまったままだったことに気が付いた。


「……だっせ」

「無理もない。運んでやることもできるが、ちと時間がかかる。歩けるか」

「……お前は、平気なんだな」

「?」

「血だらけの化け物みてーなガキと、メネアなんて腹に穴開けて消えちまって……。何が何だかさっぱり訳わかんねーよ。でもなんでだ?お前はなーんも驚いても怖がってもいねぇ。それにさっきの姿……。はっきりいって今のお前、不気味きわまりねぇよ」


小さい手を振り払い立ち上がる。できる限り目の前の少年を見下ろしてやる。

わからないことに囲まれる中、思考が読めず答えを知っていそうで教えてくれない流三郎への馬鹿みたいな猜疑と反抗心が、胸中の言葉に手をかけていた。相手を挑発、傷つけたいがためだけに向けた言葉。流三郎はひたすらに俺の目を見据えながら、ゆっくりと弾かれた手を下げていく。その表情は、不快感も嫌悪も怒りも戸惑いすらなく、ただサラリと前髪が揺れるだけ。


暴言に慣れ我慢しているとも諦めているともまた違う、流三郎はただただまったくの平然を向けてくる。


「……平気か否かと問われても、俺にとって今のところ何一つ深層への衝撃が、驚きや緊張といった類の動揺に値する伝導がない。お前とは状況が違いすぎるゆえ、比べるも並べるも困難だろうさ」


すまないな、さぁ行くぞ。

気を取り直す様そう言って、小さな歩幅でちゃきちゃき歩いてっちまう背中を見やる。

……なんだってんだよ。


「ちくしょーめが!」


あいつ、ちっとも振り返る気ゼロだ。

この場でどれだけ問い詰めたところで、とにかくこの場から脱出することを決めたらしい流三郎はしらっと俺の言葉を風に躱して歩いていくだろう。というか、予想をはるかに裏返る流三郎の様子に肝を抜かれてしまった。

まさかのきょとんとした顔でまったく平素を保ったままに反応されるとは。いつぶっ倒れちまってもおかしくないショッキングすぎる出来事が目くるめく繰り広げられたってのに、流三郎がこれだけ平然としてんならもうなんかいいや。別になんてことない出来事なんじゃないかって、大丈夫なんじゃないかって気がしてきた。つーか、もう一人で気に病むだけ無駄な気がしてきた。我ながら見事な投げだしっぷりだとは思う。とんでもないことが起きすぎててこちとら頭が麻痺ってんだよ。文句があんならてめーが俺になってみろ馬鹿野郎。


眉間を揉みながら、すっかり距離が開いた流三郎に続いて歩き出す。


「……あ?」


それは躱しようのない事象であった。


突然、背中にピリリと走る柔らかな電気。

くらりと頭の中が波打ち水滴が瞼の裏を跳ねたような眩暈。


「……、木戸…?」


足音を止めた俺に気が付いたのか、数メートル先でぼんやりと流三郎の声が落ちる。

だが、今の俺にはその声を拾ってやる余裕も意識も残っていなかった。


「ば、ぁ…ちゃん?」


俺の腕の中に、ばあちゃんがいた。

ばあちゃんの身体は、ジリジリと電波の悪いテレビ映像みたいに所々が歪んで霞む。

それでも、確かにばあちゃんだった。

違うのは、触れた身体がいつも以上に冷たくて、白くて、目が開かないってことだけで。


なぁ、さっきは咄嗟のこととはいえ思い切り投げちまって悪かったよ。

でもぽーいって飛んで行っちまうとか軽すぎンだろ。いくらシワシワのよぼよぼだからって、もっと食わねーと、ぽっくり逝っちまうぞおい。いや、俺も馬鹿力すぎたのかもしんねーけどさ。それはばあちゃんだってよく知ってるだろ?でもまぁ、あそこまでとは俺も思ってなかったけど。あれっ、これってもしかして火事場の馬鹿力ってやつだったのかな。なぁ、どう思う?ばあちゃん――。


返事はない。閉じた瞼が動かない。

惨たらしいほど青白い肌色のくせに、表情は憎たらしいほど健やかで穏やかで。




「……百歳まで生きるんじゃなかったのかよ」



なぁ、ばあちゃん。




返事がない。




あぁ、今日いまこの時。

たったひとりの家族が死んだ。

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