第12話 : 底光
家まで送るぞという佐伯の言葉を両断するように断りながら、部屋を出る。
「ビップ待遇、せっかくパトカーで送ってやるつってんのにー。おじさんゴールド免許だから快適ドライブだよ?サイレン鳴らしてかっ飛ばせば帰宅もあっという間!楽ちん激早!」
「だから!!誰が、んな目立つ車で帰れっかよ!?」
それじゃなくても、パトカーでここ連行されて散々な目にあった。
……死んでも歩いて帰ってやる。
流三郎や佐伯のおっさん、それにへっぽこも、この後は科捜研に顔を出したあと、すぐ現場へ向かうとのことで、皆でエレベーターがある広場へ向かっていた。とはいっても、俺たちが乗ってきたエレベーターは木端微塵に等しくぼろっぼろに爆破されてしまっていて使えねぇ。どうすんだ?と聞いてみれば、代わりに先ほどメネアたちも撤退時に使ったのだろう、すぐ脇にある非常階段は用途らしく頑丈にできていて、地上に上がるのに十分使えるはずとのことだった。
古臭い部屋を出て、ガラス張りの廊下を歩く。相変わらずひと気は少なく、機械の方が多いんじゃないかという具合に、暗闇の中でチカチカと小さなライトが点滅している。……なんか星みてーだな。いや、どっちかつーと夜景か?星はどれだけ目ぇ凝らしてもまっ白に見えるが、ここで点滅してるのは青、赤、緑、……早すぎて判別できない色もある。色鮮やかな光。
そう、キラキラと瞬く、七色の、光。
「――……あっ!」
突然叫んだ俺に、流三郎と佐伯のおっさんが振り向き、隣にいたへっぽこは顔をしかめて一歩仰け反る。
周りの様子が視界に入りながらも、俺は暗闇の中で点滅する光から目を離せなかった。
ぱちり、ぱちりと、瞬きをするたびに色が変わる。赤、青、緑、白。
俺は昼間、同じような景色の前にいなかったか?
闇の中と、日の中と、違いはあれど、似たような分陰の煌めきを見たはずだ。
何回、何十回と聴取を受けて話す中で、あまりにも警察連中に怪訝と疑惑を向けられるもんだから、さすがの俺も話の終盤になるにつれて毎回話す意味さえ見いだせなくなり、尻すぼみになっていた。だから、メネアが消えてへっぽこが現れたところまでで、話す気力がすっかりなくなっちまってるし、警察も違わず話を切り上げるしで、毎回話はそこで終わってたんだ。けどよ、
「なんか、光る水」
「ん?」
へっぽこが首を傾げる。
「あの女の子の……、メネア、だったか?とにかく、倒れてた女の子が消えちまった後、なんか、こう、光る水?みてーなのが残ってたんだよ。最初はただの水にしか見えなかったけど、日が当たるとチカチカっと七色くらいに光るよくわかんねー水で……」
……って、思わず思い出した勢いで話しちまったが、別にこれ、こんな叫んで足を止めてまで話す内容じゃなかったんじゃね?ただ水たまりが日に反射して光ってただけじゃね?
やっちまった、と顔を覆いそうになったところで異変に気が付く。
「……おい、流三郎?」
「――……っ」
ピクリと大げさなほど流三郎の小さい身体が揺れる。
黒い瞳はまんまると開かれて、瞬きを忘れて俺を見ている。これまでのくそ生意気で余裕ある形相から一変して、流三郎の顔色は隠しきれない動揺と驚愕を滲ませていた。幽霊でも見たガキのように、流三郎の視線は俺を捉えて動かない。信じられない、信じるものかと、まるで俺の存在を切り取るように。
どうしちまったってんだ。
あまりに異常な様子が伝染し、動揺しそうになる。それでも、俺よりよほど動揺している流三郎の様子を見ていると、周り巡って冷静になってくるというもんだろう。硬直した流三郎に代わり、答えを求めるよう佐伯のおっさんに目を向ける。おっさんは流三郎の様子に束の間目を瞠るも、すぐに平静を取り戻したのか足をそろえて首をすっと伸ばし、主の結論を待つように控えの姿勢を取りやがった。その口は堅く一文字に結ばれて、流三郎の傍らでただ沈黙を守っている。
張りつめた空気だけが、廊下を支配する。
「おい、流三郎?マジでお前、どうしちまっ」
「木戸、お前家族はいるか?」
「…………はぁ!?」
まじで、どうした。
いきなり180°方向転換した話についていけず呆気にとられる。
なにが、どうなって、どうなりやがって、そんな質問が出てくんだよ!?
驚きすぎて呆然とする俺を余所に、いや、気にする余裕すらないように流三郎は腕を組み、指をとんとんと絶え間なく揺らす。
「いや待て……、家の門限がどうとか言ってたものな。じゃあ、家族は健在だな?寮とか、施設に入ってるわけじゃねぇーんだな?」
「俺の学校、寮とかねぇし。ふつーの、どこにでもある家だけど。まぁ、ばあちゃんは最近腰が痛いやら足が痛いやら言ってっけど、100歳まで生きて何たら賞もらうって張り切ってっし。まだ元気でくたばりそうにねぇなぁ」
「そ、うか。……ならいいんだ。んじゃ、さっさと帰らねぇと暗くなるな」
急ぐぞ、と流三郎は振り返り歩き出す。動揺に震えていた声はすっかり元通りになっている。
なんだってんだ。
流三郎のあまりに動揺した姿に、柄にもなく流暢にしゃべっちまった。なんで俺が生意気がきんちょに気を使ってんだ。ふざけんな!!結局なんだったんだよ!!
……ただ、何となく流三郎に問い詰めるのは難しくて。
急き立てるように隣のへっぽこを睨みつけると、状況が理解できていないのはへっぽこも同じようで「俺もわからない」とばかりに肩を上げて無言を返された。
流三郎は、振り返ることなく進んでいく。ちっさいくせにスタスタと器用に歩いて行くせいで、突拍子もない質問に若干思考が停止していた俺たちはあっという間に置いて行かれた。一息遅れてドタバタと後を追う。
「……そ、ういえば、俺たち、地下6階に、いたんだもんね……」
「……うっせー、死ね」
「言われなくても、ホント死にそう。そういう君も、もう三途の川みえてるよね」
「マジ今なら一秒もかからず死ねる」
エレベーターがぶっ壊れているおかげで、唯一の連絡通路である階段を6階分駆け上がることになった俺たちは、地上らしき階に辿りついた頃には息も絶え絶えだった。流三郎と佐伯は慣れているのか、けろっとしていたが、さすがの俺も膝に両手をついてどうにか息を整える始末だ。へっぽこぐらいになるともはや生まれたての小鹿並みに膝の震えが収まらず、両手と頭を壁についてへたり込んでいる。
絶対6階以上あった。なげぇし急だし、ちょっとした登山を終えた気分だ。
……明日でも倉木や真谷をひっ捕まえて運動するか。バスケでもサッカーでもなんでもいい。だめだこれ、もうちょっと鍛えねーとやってらんねぇ。あと、階段で息切れとか、俺のプライドが許さん。
呼吸をどうにか整えた後、静かな廊下を迷路のようにジグザグと進めばようやくぽつぽつと扉が現れ始める。
佐伯のおっさんが「確かこれだな」とそのうちの一つのドアノブに手を掛けると、扉の先、一歩先は活気ある署内の廊下が現れていた。
「ここに、繋がっていたんですか」
へっぽこが新事実を知ったとばかりに目を瞬いている。佐伯のおっさんは、悪戯が成功したかのようにくしゃりと笑った。
「そうそう、意外と身近に秘密基地への扉があるもんだろう?外部の専門関係者の出入りも結構あるから、扉は正門玄関の近くに設置されてんだわ」
背後で、ガシャガシャガシャと複数の鍵が自動的に閉まる機械音が僅かに聞こえる。
振り返れば、俺たちが出てきた扉は廊下の壁の模様とピタリと重なり辛うじて扉の枠線だけが微かな隙間を四角く描いていた。丁度俺の目線の高さに“関係者以外立ち入り禁止”と掠れかけの文字が印字された、今にも剥がれ落ちそうな白いテープが貼ってある。……これが目印ってことだろうか。なんつーか、ちゃっちぃ。つーかダサい。
出てきた廊下にはいくつもの扉や部署フロアが立ち並んでいる。扉はどれも上側に曇りガラス、下側には空気入れ替えの隙間が空いていて、なかには扉がない職員室みてーな感じで、デスクが立ち並ぶ様子が見える見晴らしのいい部署も多くある。
比べて俺たちが出てきた扉はどうだというのか。廊下を歩くやつらは、他の扉との違いに気が付いていないのか、そもそも扉の存在に気が付いていないのか。廊下に現れた俺たちをちらりと一瞥するも、それぞれの仕事に忙しく気にする暇はないとばかりに構わず通り過ぎていく。
……よくみりゃあ相当ちぐはぐなメンツだと思うんだけどな、俺たち。
まぁ、これ以上のやっかいごとなどまっぴらごめんなので、他の奴らを見習ってそそくさと人の流れに紛れ込んでいく。
知らずに詰めていた息を吐く。地下から出てようやく肩が軽くなった気がした。
執拗な取り調べに反吐が出ちまいそうなほどムカついた警察署でも、人の気配が漂う雑踏にも似た空間が今は心地よく感じる。
佐伯のおっさんの言葉通り、扉から少し歩けばすぐさま正面玄関へとたどり着く。
でぇけガラス戸の向こうは、夕日が沈む間際なのか綺麗な紫と橙色のグラデーションを描いていた。
「俺たちはここまでだ」
数時間ぶりの外の景色を眺めていた俺は、聞こえてきた幼い声に意識を戻す。
差込む夕日に行き交う人々の影が廊下に伸びる。大きさの異なる4人の影だけがぽつりと時を止めていて、まるで世界から取り残されたかのようだった。
「明日の朝は、朝一で現場検証に参加してもらう。現場の最寄駅で待ち合わせだな」
「……ワー、駅前で待ち合わせだってー、タノシミダナァー」
「そうだ、わくわくするだろ?ただし緊張して寝れなくて明日遅刻なんてまねしてみろ、問答無用で檻にぶち込むからな覚悟しとけ」
「ちっ、わーってるよ!」
流三郎がやれやれと言わんばかりにため息をついた。
ったく、こんなに楽しみじゃない約束なんて嬉しすぎてヘド吐きそうだ!
顔を顰める。今日一日の鬱憤を晴らすかのように、扉に全体重をかけて思い切りあけてやる。
夏の夜だけあってまだ辺りは仄かに明るい黄昏時。
昼間よりも温度を下げた外気はそれでもまだ生ぬるく、まるで体温に溶けていくかのように無に近い感触だった。……さっさと帰って飯食って寝よう。後ろでは佐伯が「明日わすれんなよー!」と明るく釘を刺してくる。
しるかボケ。しっしと、後ろの声を振り払うように手を振ったそのときだった。
「あっ!!」
「はぁ?」
突然背後ででかい声が上がる。
身体がピクリと跳ねて顔を向ければ、声を上げたのは自分のくせに、自分の声に驚いた様子のへっぽこがつったっていた。佐伯や流三郎もはてなマークを浮かべながら驚いたように隣に並ぶへっぽこに目線を向けている。
「えっ、いや、そのっ」
「突然でけぇ声あげやがって、なんだよ!!」
人がようやく帰るってのに、まだなんかあんのか、あん!?
半ギレどころか、疲れが爆発して、爆ギレの俺に、出入口を行き交う人が顔を顰める。
流三郎が隠すそぶりもみぜずに「木戸の声の方がでけぇだろ」とつぶやくのが見えた。お前、後で覚えてろよ。
へっぽこは、すぐに周りの通行人の視線に気が付き「な、なんでもないんで!大丈夫ですから!」とぺこぺこ頭を下げている。
だぁー!!これ以上かまってられるか。
目を座らせたその時だった。
へっぽこの瞳がこちらを向いた。
明るい茶色の瞳が、夕日に照らされてきらりと光る。
「いや、ほら!!そうだ、気を付けて帰ってね!あと、なんていうかさ……」
「あ゛あ!?」
「また明日」
へっぽこの声が夕闇に消える。
「……なんじゃそりゃ」
あー、なるほど、
俺が明日すっぽかすと思ってんな、このへっぽこ野郎が。
すっかり気がそがれて、それ以上言葉を発することすら面倒で無言で帰り道へと歩き出す。
ったく、今度はどんな声が上がろうと振り返ってやるもんか。くだらねぇ!!!
ただ、なんとなくまだ後ろで律儀にも3人そろって俺を見送っているのを感じていた。俺は初めてお使いに行くちびっこ扱いかよ!なめやがって。
角を曲がり警察署からようやく離れたところ。
離れた視線に、ため息をついて空を見上げれば、夕日の中、電線に止まるカラスの群れが目に入った。
カァカァと忙しなく鳴くカラスたちは空に浮かぶ黒い葉のようで、蠢く姿は風にざわめく木々、いや虫の大群みたいだ。浮かんじまった気味悪い揶揄にぞっとして二の腕を摩れば、蠢く黒い集団の中、ただひとり静止している一羽が目に付いた。
「あぁん?」
カァ、カァ。
他のカラスが喧しい鳴き声を上げる中、そいつの嘴は動くことなく結ばれたまま。
届かない高さからこちらを見下ろす真っ黒な瞳。
幼い、黒い、瞳が蘇る。
「……なんだってんだよ」
メネアの元で見た光る水について話した時、驚きと動揺を隠しきれていなかった流三郎の目。
なにに驚いていたんだか想像もつかないが、あの時の丸々とした黒い瞳は目の前のカラスとよく似ていた気がする。
あれは、驚きだけじゃない。
もっと、もっとずっと奥にある感情。
そうだ、あれはまるで。
――…… 期待 と、絶望 ?
頭上に君臨する黒い姿を見返しても、そいつはずっと鳴かなかった。
まるで、鳴いても通じることがないと、俺たちを責めるように。




